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第7巻「黄泉の門の戦い」

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93.裏切り

 ゼンは必死でタウルを振りほどこうとしていました。

 死者の国からの風は、魂だけの姿の者、今まさに死にゆくもの者に特に強烈に吹きます。レィミ・ノワールに刺されて死にかけているタウルの巨体が、あっけないほど簡単に門に向かって吹き流されていくのです。腕の中につかまったゼンも一緒です。

 ゼンはわめき続けました。

「馬鹿! この牛野郎! 放せったら! 俺を道連れにするな――!」

 牛男は血にまみれた姿をしていました。どんなに大量に血を流しても、魂が息絶えるということはありません。ただ黄泉の門へ、死者の国へと近づいていきます。ゼンの体を放そうともしません。

 ゼンは力を振り絞って、タウルを自分から引きはがそうとしました。しゃにむに暴れ、巨体を押しのけます。

 タウルにはゼンなど目に入っていないようでした。倒れたときにつかまえていたので、そのまま抱え続けているだけなのです。その目は部屋の隅に隠れて風を避けている魔女を見つめ続けていました。うめくように、また尋ねます。

「レィミ、どうしてだ……? どうしてこんな真似をしたんだ……?」

 悲しいくらい、タウルは真実が理解できません。ゼンは思わず牛男を見ました。敵なのに、なんだかこの男がかわいそうに思えてきて、話しかけてしまいます。

「おまえは魔女に利用されたんだよ。最初から、魔女はおまえと結婚する気なんかなかったんだ。いいかげん気がつけよ、おまえ――」

 タウルは目を大きく見開きました。

「利用された?」

 とゼンのことばを繰り返します。

「レィミは、俺と結婚する気なんかなかった……?」

 ゼンは溜息をつきました。本当に、敵のはずなのにタウルが哀れに思えてなりません。それ以上は、何も言ってやることが思いつきませんでした。

 すると、突然タウルが絶叫しました。部屋中を震わせて、こうどなります。

「レィミ――俺を、だましたな――!!?」

 そのとたん、ゼンの体が解放されました。牛男が腕を放したのです。

 たちまち、風がタウルに強烈に吹きつけました。巨体が床の上を滑り、大きく口を開けた黄泉の門へと流されていきます。レィミ! レィミ! とタウルは叫び続けています。救いを求める声でしたが、魔女は隠れている場所から動こうとはしませんでした。

 

 一方のゼンも、タウルからは解放されたものの、強烈な風に押し流されていました。いくら床にしがみつこうとしても、魂の体ではつかむこともできません。どんどん黄泉の門へと近づいていきます。

 黄泉の門はもうゼンのすぐ足下まで迫っていました。門に近づけば近づくほど、風の勢いは強まります。まるで大きな引力に引き寄せられるように、体が吸い込まれていくのです。タウルが大きく吠えながら門の中にすべり込んでいくのが見えました。それでも風は吹き続けます。

 すると、突然フルートが動き出しました。生身の体のフルートにも、死者の国からの風は容赦なく吹きつけてきます。今にも吹き倒されそうになりながら、身をかがめ、ゼンに向かって駆け出します。

 ゼンがそれに気づいてどなりました。

「馬鹿、フルート! 来るな! おまえまで飲み込まれるぞ!」

 けれども、フルートは止まりません。目の前で黒い死者の門がぽっかりと口を開けていても、少しもためらわずにゼンに飛びつき、その腕をつかもうとします。

 すると、その手がゼンの腕をすり抜けました。

 フルートは目を見張りました。何度やっても同じです。フルートの手はゼンをすり抜けてしまいます。ゼンは魂だけの姿です。生身のフルートにその手をつかむことはできないのでした。

「ゼン!」

 とフルートは叫び、必死で腕を伸ばし続けました。風がゼンを押し流し続けます。その爪先が門のすぐ際まで近づきます。

「ゼン! ゼン!!」

 フルートは叫び続け、もう一度、親友に飛びつこうとしました。念じる気持ちを込めて、なんとか実体のない手をつかもうとします。

「来るな!!」

 とゼンがどなりました。

「止められねえ! おまえまで逝っちまう――!!」

 とたんに、その腕を手がつかみました。驚くほどの力で、がっちりと引き止めます。ゼンの体が止まります。

 その足下で、黒い門が勢いよく閉じていきました。ガチャーン!!! とものすごい音が響き渡り、風がぴたりとやみます。そのまま、黄泉の門は彼らの目の前から消えていきました。

 

 ゼンは目を上げて、自分をつかんでいる手を見ました。それはフルートの手ではありませんでした。もっと小さな子どもの手です。黄金そのもののような金の瞳が、ゼンを見つめていました。

 フルートがすぐ隣で身を起こしました。ゼンを引き止めた人物を見て、にっこりと笑います。

「ありがとう、金の石の精霊」

 精霊の少年は、ゼンの手を握ったまま、ちょっと肩をすくめ返しました。

「本当に君たちは危なっかしいな。こっちは全然気が抜けないよ」

 感情を見せないポーカーフェイスは、まるでずっと年上の大人のようでした。

 

 その時、ポチの声が響きました。

「危ない、みんな!!」

 フルートたち目がけて、黒く光る三日月がいくつも襲いかかるところでした。あわてて飛びのいた彼らの間を、うなりをあげて飛び抜け、向こうの壁に突き刺さります。とたんに、黒曜石と金と宝石で作られた壁が音を立てて崩れました。

「うぉ!」

 とゼンが自分の腕を押さえました。黒い三日月に腕をかすられ、そこから血が吹き出したのです。金の石の精霊が手を伸ばして触れると、たちまち傷がふさがって消えていきます。

 フルートの方は、金の鎧に守られて無傷でいました。それに向かって精霊が言います。

「気をつけて。ぼくは今、生身の君には何もできない。怪我をしても、治してあげられないからね」

 部屋の奥にレィミ・ノワールが立っていました。黒いドレスの裾を長く引き、両手を彼らに向かって突き出しています。魔女はそこから黒い三日月の光を撃ち出してきたのでした。

「ひゃあ。さすがは闇の魔法だね。幽霊まで切ることができるんだ」

 とランジュールが感心していました。彼自身は、絶対にとばっちりを食らわないような安全な場所に、大蜘蛛と一緒に避難しています。

 ポチがまた叫びました。

「よけて! また魔女が魔法を使いますよ!」

 とたんにフルートが跳ね起きて、ゼンと金の石の精霊の前に立ちました。魔女に向かって盾をかざします。そこへまた、黒い三日月が矢のように飛んできました。少年たちに雨あられと襲いかかりますが、盾に当たると、ことごとく砕けて消えてしまいます。聖なるダイヤモンドで強化されたフルートの盾は、魔法攻撃を跳ね返すことができるのでした。

 

 魔法の三日月がとぎれました。魔女が次の魔法を使うまでには少しの時間が必要になります。その隙を逃さず、フルートは駆け出しました。右手に握り続けていた銀の剣を鞘に戻し、改めて剣を握り直します。それは、黒い柄に赤い宝石をはめ込んだ、炎の剣でした――。

 魔女がとっさに魔法の剣を出しました。切りかかってくるフルートの刃を受け止めます。ギィン、と激しい音がして、火花と、小さな炎が散りました。

 驚いた顔で魔女が言いました。

「危ないわね、勇者の坊や。あたくしは人間よ。炎の剣で切られたら、あっという間に燃えてしまうじゃないの」

 けれども、フルートは剣を引きませんでした。その視線の先では、牛男が床に倒れていました。胸を突き刺され、血を流して息絶えた体です。魔女を信じて裏切られ、魂を黄泉の門に飲み込まれたのです。

 フルートは怒りに激しく燃える目でレィミ・ノワールをにらみつけました。大声で言います。

「おまえが人間なもんか、レィミ・ノワール! おまえは人を愛せない! 仲間を信じない! おまえは人間なんかじゃない! おまえは魔女なんだ――!!」

 フルートは炎の剣を振り上げ、気合いを込めて切り下ろしました。

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