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第7巻「黄泉の門の戦い」

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90.光の竜

 魔女の城のテーブルの前で、少年たちと青年はグラスを見つめていました。フルート、ゼン、ポチ、金の石の精霊、ランジュール――フルートとポチ以外の三人は、半ば透き通った魂だけの姿をしています。

 ゼンが歯ぎしりしながらわめきました。

「おい! おい、なんとかできないのかよ!? このままだとあいつらが吹っ飛ばされるぞ!!」

 どなっている相手は金の石の精霊です。けれども、精霊の少年は肩をすくめました。

「無理だよ。ここからあそこまでは何千キロも離れているんだ。いくらぼくたちがこんな姿でも、そんな距離は飛んでいけないよ」

「でも、あなたの本体はあそこにあるじゃないですか! ゼンのところに!」

 とポチも言いました。ベッドに横たわっているゼンを、必死で指さして見せます。精霊は、やれやれ、というような顔をしました。

「君たちは本当に無茶を言うな。ゼンだって、ここからあそこの体を自分で動かすことなんかできないじゃないか。それに、ぼくが彼らを守るために力を使ってしまったら、その瞬間にゼンは闇の毒で死んでしまうよ。ぼくはこうしている間も、ずっとゼンの命を守っているんだからね」

「馬鹿野郎! あそこが飛ばされたら、俺の体だって吹っ飛ばされるんだ! やっぱり一巻の終わりなんだよ!」

 とゼンはどなりましたが、精霊は表情を変えませんでした。

「無理なものは無理。できないことはできないよ」

「そんな……」

 ポチが泣き声になりました。

 長身のランジュールが少年たちの後ろからグラスをのぞき込んで言いました。

「手も足も出ない、ってヤツだよねぇ。こんなに目の前にはっきり見えてるのにさぁ」

 残念がっているのか面白がっているのか、よくわからない口調です。

 

 すると、突然フルートが声を上げました。

「ポポロ! ポポロ、がんばれ――!」

 フルートはグラスに映る小さな少女に向かって叫んでいました。仲間たちは思わずどきりとして、次の瞬間、何とも言えない表情になりました。どんなに目の前に見えていても、彼らははるか彼方にいるのです。どれほど声を限りに叫んでも、その声は決して届かないのです。

 けれども、フルートはポポロに呼びかけ続けていました。

「ポポロ! 自分を信じろ! 自分にできることがあるなら、絶対にそれをあきらめちゃだめなんだ!」

 テーブルの縁をつかむフルートの指先が、血の気を失って真っ白になっています。

 そんなこと言ったってどうせ聞こえないんだよぉ、とランジュールが言いかけたときです。グラスの中で、ポポロが顔を上げました。驚いたようにあたりを見回し、小さくつぶやきます。

「フルート……?」

 少年たちは驚きました。フルートの声が届いているのです。

 次の瞬間、ポチが気がつきました。

「魔法使いの耳だ! ポポロは、どこにいたってぼくたちの声が聞こえるんですよ!」

 とたんに、ゼンもどなりだしました。

「ポポロ! おい、ポポロ、聞こえるか!?」

「ゼン?」

 とグラスの中でポポロが言いました。驚きにますます目を大きく見張っています。ゼンは歓声を上げました。

「よぉし、ポポロ! かまわないから行け! おまえならできる! 魔女の魔法をぶっ飛ばしてやれ!」

「ポポロ! ポポロ! がんばってください!」

 とポチも叫びました。

「ポチ!」

 とポポロがまた言います。それを倒れていたルルが聞きつけました。驚いたように頭を上げてきます。

「なに、ポポロ――? 今、ポチって言ったの?」

 ポポロは信じられないように両手を顔に押し当てていました。遠くから聞こえてくる声に耳を澄まし続けています。

 フルートはそれに向かって言いました。

「ポポロ! あきらめるな! あきらめたら、その瞬間にこっちが負けるんだ! 絶対に、あきらめるな――!!」

 フルート、とポポロの唇が繰り返しました。涙で濡れている目を見張ったまま、大きくうなずきます。座りこんでいた体が、よろよろと立ち上がります。

 

 両手に黒い魔法をかざしていた魔女が、あら、と意外そうな声を上げました。この期に及んでポポロが立ち上がってくるとは思わなかったのです。

「往生際の悪いおチビさんね。おとなしく座ってらっしゃい」

 と闇の魔法から、ほんのひとかけらをポポロに向かって打ち出します。黒い魔弾です。ところが、それがポポロを撃ち抜くより早く、シュン、と鋭い音がしてポポロの姿が消えました。倒れていたルルが一瞬で風の犬に変身して、ポポロの体をさらっていったのです。魔弾が砂の上で破裂します。

 ルルは風の体にポポロを巻き込んで飛んでいました。驚くポポロに笑うように言います。

「ポチは無事でいるんでしょう――? あの子ががんばってるんなら、あたしだって、意地でもがんばらなくちゃね」

 ルルは本当は変身もできないほどの大怪我をしています。それでも、最後の気力を振り絞って、風の犬になって飛んでいるのでした。

 ポポロはルルの体につかまり直して叫びました。

「ルル、あそこ――! あそこへ行って!」

 と庭の片隅を指さします。風の犬はまっしぐらにそこへ飛ぶと、ポポロを地面に下ろしました。次の瞬間には力尽きて、また犬の姿に戻って倒れてしまいます。

 その近くには白の魔法使いが倒れていました。女神官です。深手を負って血を流していましたが、それでも意識はありました。ルルに話しかけてきます。

「ポポロ様は……何をなさるおつもりです……?」

「わからないわ。わからないけど――」

 とルルは答えました。何故だか、笑うような顔と声になっていました。

「あの子はね、やるときには必ずやってみせる子なのよ」

 

 ポポロはよろめきながら、そこに落ちていた物に駆け寄りました。細い長い金属の棒の先に丸い石がついています。光の護具です。魔法使いたちが使っていた護具は、魔女の攻撃に折れたり曲がったりしていましたが、その一本だけは無傷に見えました。

 ポポロは護具をつかむと、石がついた先端を高くかざしました。ふらつく足下を踏みしめ、細く澄んだ声で唱え始めます。

「レターキヨリカヒ――」

 ぽうっと護具の石が光り始めました。白い石が次第に淡い緑色を帯びて輝き出します。

 魔女はいっそう不機嫌な顔になりました。意地の悪い笑い声を立てます。

「護具を使っても無駄よ。あたくしは魔王よ。デビルドラゴンの闇の力と、あたくし本来の魔法の力の両方が、あたくしの中にあるわ。歴代の魔王の中では、あたくしが最強の魔法使いなのよ。あんたみたいな小娘がどんなにあがいたところで、あたくしに対抗できるものですか!」

 その手の中では、闇の黒い魔法がほとんど完成していました。一方のポポロはまだ呪文を唱え終わっていません。護具の石は緑の光を強めていますが、それでも闇の魔法に比べたら、吹けば飛ぶほどちっぽけな光です。

 魔女がまたあざ笑いました。

「それっぽっちの光であたくしに対抗するつもり!? 馬鹿ね、おチビさん!」

 けれども、ポポロは魔女のことばに耳を貸しませんでした。少女が耳の底で聞いていたのは、遠い彼方から響いてくる少年たちの声だけです。少年たちは口々にポポロを励ましていました。やれ! あきらめるな! と言い続けています。

 光の呪文が完成していきます。

「デイラカーグゴ―ヨリカヒルナーイオオ……」

 

 その時、地の底からわき起こるような声が突然響きました。

「黒イ魔法ヲ発動サセロ、れぃみ・のわーる! ぽぽろニ魔法ヲ使ワセルナ!」

 人々はぎょっとしました。メールとルルが顔色を変えます。

「デビルドラゴンだ……」

 魔女が、ぎゅっと唇をへの字に曲げました。完成している黒い魔法を掲げたまま、呪文を唱えるポポロを見つめています。魔法を発動させようとしません。

 デビルドラゴンの声がまた響きました。

「魔法ヲ使エ、魔王! ぽぽろヲ消滅サセロ!」

 けれども、やっぱりレィミ・ノワールは動きません。プライドの高い魔女は、真っ向から勝負することを望んだのです。

 その時、ポポロの呪文が完成しました。

「ヨリカヒセラテオミーヤ!!」

 

 その瞬間、護具の先端が強く輝きました。まぶしい緑の光がほとばしり、空を駆けて巨大な生き物に姿を変えます。長い体、きらめくウロコ、光り輝く頭となびく髭――ポポロが唱えた光の魔法は、全身緑色に輝く、蛇のようなユラサイの竜を作り出したのでした。空全体を駆けめぐり、人々の頭上で大きなとぐろを巻きます。

 それを見て、レィミ・ノワールはにやりと笑いました。その手の中から黒い魔法が離れます。緑の竜の脇をすり抜け、さらに空の高い場所へと上がっていきます。

 すると、竜が空を駆け上がりました。空中にふくれあがっていく黒い魔法に絡みつき、とぐろの中心に巻き込んでいきます。緑に輝く光の中に、闇の魔法を包み込んでしまいます。

 と、その奥で黒い光が破裂しました。

 空全体が大揺れに揺れ、振動が地上にまで伝わってきます。空の真ん中で渦巻く竜が、激しく震えて姿を失っていきます。ただの光の輝きに変わっていきます。

 その光を突き破るように、黒い光がもれ始めました。すさまじい熱と光がほとばしり、一度焼かれた地面を再び熱く焦がします。熱風が空から吹き下ろしてきます。緑の光はますますちぎれていきます――。

「駄目だ! 破られる!」

 とオリバンが絶望的に叫びました。他の人々も、ただ頭上を見上げていました。空では緑の光と黒い光が激しく渦を巻き続けていました。いたるところで雷雲が発生し、稲妻が空から駆け下ります。湖に落ちた雷が、ドドーン、という轟音と共に大きな水蒸気の柱を立ち上らせます。

 熱い風が中庭に吹きつけてきました。人々は思わず風から顔をそむけました。庭をおおう砂が音を立てて吹き飛んでいきます。

 風の中で、魔女は空を見上げたまま、にんまりと笑いました。黒い爆発の方が優勢です。緑の光はもう竜の姿を取っていません。光の奥でさらにふくれあがる闇の爆発が、光のそこここにほころびを広げ、光を突き破ってあふれ出そうとしています。あと数秒で完全に光を突き抜け、地上のすべてを焼き尽くすことでしょう。彼女はポポロに勝ったのです――。

 

 すると、突然涼やかな音が聞こえてました。

 シャラーン、シャララーン、と鈴が鳴るような音が響いてきます。

 音を出しているのは光の護具でした。ポポロは空を見上げたまま、まだ護具をかざし続けていました。その手の中で、護具が鳴っています。シャララーン、シャラララーン、と鈴の音がますます大きくなっていきます。

 と、いきなり、その先端の玉がまた光を放ちました。先よりも強烈な、目もくらむような緑の光で空と地上を照らします。何もかもが、影を失いそうなほど強く照らし出されます。

「な、なに――なんなの、この光は!?」

 レィミ・ノワールが金切り声を上げました。その全身にも緑の輝きは降りそそぎます。魔女の体が、まるで強い酸を浴びたように焼けただれ始めます。

「おやめ!」

 と魔女は叫ぶと、両手を振りました。溶ける体を再生させます。

 空の中でまた緑の竜が姿を現し始めていました。ポポロの護具から放つ光を受けて、さらにさらに大きく、さらに長くなって、しまいには空全体をおおうほど巨大な姿になってしまいます。しかも、とぐろを巻く体の中心には、まだ黒い魔法を抱きかかえ続けているのです。

「ポポロが三度目の魔法を使ったのか……?」

 空を見上げながら、オリバンが言いました。信じられない顔をしています。ポポロの魔法は一日に二度までしか使えないはずなのです。

 すると、ユギルがまばゆさに目を細めながら答えました。

「いいえ、これは二度目の魔法の続きです。光の護具が、ポポロ様の中からさらなる魔力を引き出しているのです。――ポポロ様はあきらめずに、ずっと魔法を支え続けておられたのです」

 その時、ふいに光の竜が頭を上げました。信じられないほど大きな口を開け、一口で、闇の魔法を飲み込んでしまいます。ぐうっと魔法が竜の体の中を降りていくのが目に見えます。

 そして――竜は破裂しました。一瞬、強く強くあたりを照らした後、緑のきらめきに変わって空に飛び散り、流星のように地上に降ってきます。熱くはありません。焼き尽くすような破壊力もありません。ただ涼やかに光りながら、後から後から地上に降りそそいでくるのです。

 

 すると、不思議なことが起き始めました。

 白い砂でおおわれていた中庭が、急にうっすらと淡い緑色を帯びたと思うと、一面の緑に変わっていったのです。いたるところで植物が芽吹き、葉を広げ、茎を伸ばしてつぼみをつけていきます。花がいっせいに開きます。

 それを見て、メールが歓声を上げました。

「守りの花だぁ!」

 砂の中から突然姿を現して咲き出したのは、百合によく似た守りの花でした。何千という花が、また一面に揺れ始めます。

「すばらしい魔力だ……」

 と白の女神官がひとりごとのように言っていました。

「ポポロ様の光の魔法が、護具の力に強められて、あらゆる闇を打ち破っただけでなく、光に属するものまで復活させたのです。信じられない。これが天空の国の魔法使いの実力ですか……」

 同じ光の魔法を使う者として、その桁外れの力に驚いているのでした。

 すると、ルルが頭を上げて、くすりと笑いました。

「違うわ。ポポロは特別なのよ。こんなすごい魔法を使える人なんて、天空の国にだってそうはいないわ」

 白の魔法使いは、ますます驚いた顔になりました。

 

 降りそそぐ緑の流星の中、地上から空へ逆に駆け上っていくものがありました。姿がはっきりとつかめない、黒い影でした。上へ上へと遠ざかりながら、吠えるような音を立てています。

 オォォーーーーオォォォーーーー……

 それはデビルドラゴンの咆哮でした。影が一瞬、四枚の大きな翼を広げ、たちまちきらめきの中に消えていってしまいます。

 そして――

 

 あたりは静かになりました。

 

 緑の流星がやみました。空にはもう竜も黒い魔法の光も見あたりません。ただ青空が一面に広がり、晩秋の太陽が穏やかに照っています。

 人々は座りこんでいました。その周囲では、復活した守りの花が揺れています。

 と、メールが立ち上がりました。光の魔法は彼らの傷も少しだけ癒したようで、いくらか手足に力が戻ってきていたのです。庭の片隅に立つ少女に向かって駆け出します。

「ポポロ――ポポロ!」

 少女が振り返りました。手にしていた護具を下ろし、にっこりと嬉しそうにほほえみ返します。メールは歓声を上げてそれに飛びつきました。

「よくやったね、ポポロ! やっぱり最後はあんただよ!」

 笑いながらポポロを抱きしめてしまいます。

 ルルも起き上がって駆け寄ってきました。ポポロの足に何度もすり寄ります。

「もう大丈夫ね。デビルドラゴンは去ったもの。ポポロ、あなたが勝ったのよ、レィミ・ノワールに!」

 ポポロは護具を握りしめたまま、またにっこりしました。少しはにかんだ顔で、こう答えます。

「うん……でも、あたしだけの力じゃないわ。遠くでフルートたちが励ましてくれたから……だから、あたしもがんばれたの」

「まったくもう、ポポロったら! これだけのことをしたんだから、もうちょっと自慢したっていいんだよ!」

 とメールは笑うと、またぎゅうっと少女を抱きしめてしまいました。ルルも飛びついて、ポポロの顔をなめます――。

 

 けれども、他の人々は、少女たちほど手放しで喜んでいることはできませんでした。あたりに魔女の姿が見あたらなかったのです。

「デビルドラゴンは去ったようだが、レィミ・ノワールはどこへ行ったのだ?」

 とオリバンがユギルに尋ねました。まだそのあたりに潜んでいるのではないか、と用心する顔になっています。

 ユギルはまた傷ついた肩を押さえて座りこんでいましたが、そう聞かれて首を振りました。

「わかりません」

「わからない?」

 意外な答えにオリバンは驚きました。魔女がまた深い闇の中にでも逃げ込んでしまったのだろうか、と考えます。

 すると、ユギルはうつむいたまま、低い声で答えました。

「なにも見えないのです……。象徴を見ることができません。どうやら、ポポロ様の光の魔法で、心の目を焼かれてしまったようです……」

 オリバンは愕然として、思わずことばを失いました。

 ポポロの桁外れな魔力は、いつも周囲のものまで巻き込みます。

 あまりに強すぎる光の魔法は、ユギルの心の中の占者の瞳をまともに照らし、そのまばゆさで、ユギルをなにも占えなくしてしまったのでした――。

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