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第7巻「黄泉の門の戦い」

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85.魔法と魔法

 魔女が撃ち出した魔弾が、倒れているゴーリスとジュリアに襲いかかりました。二人の体を貫こうとします。ジュリアは思わず夫にしがみつきました。傷ついている夫を、ほんの少しでも守ろうとします。

 すると、その体がふいに強く引かれて反転しました。魔弾がジュリアとゴーリスの体をそれ、階段の下の石畳に跳ね返って破裂します。石の破片が飛び散ります。

 あら、と魔女は意外そうな声を上げました。ゴーリスがジュリアを抱いて弾から身をかわしたのです。あえぎながら身を起こしてきます。体中が痛むのか顔をしかめていましたが、それでも妻を守るように抱き、体を盾にして魔女を振り返ります。ことばは一言も発しません。ただ刺すように鋭い目でにらみつけてきます。

「まあ、本当に素敵な夫婦愛」

 とレィミ・ノワールはあざ笑いました。また右手を二人に向けます。いくら身をもってかばおうとしても、魔弾は人間の体など簡単に撃ち抜いてしまいます。かばい合いなどしても無駄なことなのです。

 ジュリアが目をつぶり、夫に堅くしがみつきました。ゴーリスがそれを抱きしめます。眼力で魔弾を跳ね返そうとするように、強くにらみ続けます。

 魔女は笑いながらまた魔弾を撃ち出そうとしました。

 

 すると、突然笑い声が響きました。弓弦のようにぴんと張った声がこう言います。

「やだねぇ! 自分が売れ残りなもんだから、やきもち妬いてんだよ、この魔女ったら」

 メールが細い腰に両手を当てて庭の真ん中に立っていました。いつもの袖なしシャツに半ズボン姿。身を守るものなど何もないのに、恐れる様子もなく魔女の方を向いています。

 レィミ・ノワールは思わず魔弾を撃つことも忘れてメールを振り返りました。こちらは片手を腰に当てると、豊かな胸をそらすようにして少女をにらみつけます。

「今何か言ったかしら? やせっぽちの貧弱なお嬢ちゃん。あたくしの空耳?」

 ほほえみながら聞き返してくる顔は、怒り狂ってどなるよりも、はるかに迫力があります。

 けれども、メールは少しも引きませんでした。細い体を精一杯そらし、あざ笑うように言い続けます。

「自分が男にもてないから、仲がいいゴーリスたちにやきもち妬いてるんだろって言ってんのさ。ほぉんと、みっともない。もてない年増のひがみだよね」

 レィミ・ノワールは完全にメールに向き直りました。冷ややかな目で見下します。

「あたくしに喧嘩を売っているつもりのようね? いいわ、ちょっとお行儀を教えてあげましょう」

 言うなり、その手のひらから黒い弾が飛び出してきました。メールを直撃します。人々は思わず悲鳴を上げました。

 ところが、その時、足下から何かが飛んできて、魔弾にぶつかりました。燃えるような光が輝き、黒い光が散って消えます。魔弾は続けざまに何発も撃ち出されましたが、そのたびに足下から何かが飛び上がって防ぎ、メールの体には届きません。

 驚いている魔女に、メールが、にやっと笑って見せました。

「守りの花だよ。まだ少し残ってるのさ」

 庭は魔女が枯らした守りの花の花びらで茶色く埋め尽くされています。その下でほんの少し生き残って咲いていた花が、命令を受けなくても、メールを守るために飛んでくるのでした。

 ふぅん、と魔女はつぶやきました。地面すれすれまで降り立つと、まるで自分の足で歩くようにメールの目の前まで近づき、突然、パン、とメールの頬を打ちます。

「生意気。あたくしにたてつくだなんて。子どもでも容赦しないわよ」

 鋭い平手打ちでした。メールの頬がみるみるうちに赤く腫れ上がっていきます。

 メールは魔女をにらみつけると、こちらは、いきなりペッと唾を吐きかけました。

「なんだい、色気だけの年増! あんたが魔王だなんて笑わせるよ!」

 魔女は完全に顔色を変えました。怒りのあまり、美しい顔がどす黒く変わっていきます。

 

 その時、負傷した肩を押さえて座りこんでいたユギルが声を上げました。

「皆様、ご注意ください! 魔女は強力な闇魔法を使うつもりです――!」

 うふん、と魔女がまた笑いました。残酷なほど冷たい笑顔でした。

「黒い魔法、って言うのよ。単純な名前なんだけれどね、破壊力はそれは強力なの。これであなたたちを骨も残さずに吹き飛ばしてあげるわ。楽しみにしてらっしゃい」

 高くさし上げた両手の指先が、みるみるうちに黒く染まっていきます。闇魔法が集まり始めたのです。静かだった庭の中に突然風が吹き出します。

「花たち!」

 とメールが叫びました。茶色の花びらが風に舞い上がる中から、また守りの花が幾輪か飛び出していきます。が、それは魔女のずっと手前で燃えて落ちてしまいました。魔女のまわりに濃く巨大な闇が集まり始めているので、近づくことができないのです。

「させないわ!」

 と空から風の犬のルルが急降下しました。青い霧の血をほとばしらせながら、魔女に飛びかかっていきます。が、これもまた、魔女までたどりつかないうちにはじき飛ばされてしまいました。

 魔女の手がますます黒くなっていきます。ドレスから伸びる白い腕は、もう肘の近くまで染まって、まるで黒いレースの長手袋をはめているようです。風はさらに強まり、庭にいる人々を激しくあおります。

 

 すると、その風の中に、少女の声が響き始めました。細く凛とした、よく通る声です。

「レターキヨリカヒルナイセー……」

 赤いお下げ髪の少女が、魔女と同じように高く手をさし上げて呪文を唱えていました。黒い星空の衣は魔女のドレスのように優美な裾は引いていませんが、それでも、風に激しくはためいて、まるで黒い翼のように見えました。

 ポポロが唱えているのは聖なる光を呼ぶ呪文でした。それを魔女の魔法にぶつけて、闇の魔法と相殺しようというのです。魔女の手に闇魔法が集まっていくように、ポポロの手の中には光の魔法が集まっていきます。華奢な指先に星のような淡い光が宿っていきます。

 レィミ・ノワールがポポロを振り返りました。自分に対抗している小さな魔法使いを見て、すさまじいほどの笑顔を浮かべます。

「やっと出てきたわね、おチビさん。魔法を使い始めるのが遅いじゃないの。待ちかねたわよ」

 ポポロは驚きました。一瞬、呪文がとぎれそうになって、集めた光をあわてて支え直します。

 すると、魔女が言いました。

「二年前、エスタ王国のカルティーナで、あんたはあたくしの魔法の邪魔をしたわ。それも、一度ばかりじゃなく、何度もね。あんたが天空の国の魔法使いだとわかったときには、本当に驚いたわよ。魔法を使い出すその瞬間まで、魔法の気配もさせていなかったんですもの……。あたくしはね、自分の邪魔をされるのが何より嫌いなの。あたくしが誰かに負けっ放しというのも、絶対に我慢ができないわ。あたくしがデビルドラゴンと手を組んで復活してきたのは、あんたをたたきのめして、あたくしの実力を見せつけるため。さあ、やってごらんなさい、おチビさん。あんたも天空の国で修行をしてきたのでしょう。魔王になったあたくしを、止められるものなら止めてごらんなさい!」

 とたんに、魔女の体が、ぐんと一回り大きくなったように見えました。

 いえ、実際には魔女の体は変わっていません。ただ、その手に集まる黒い魔法が、魔女のまわりで揺らめいて、魔女の姿を大きく映し出したのです。闇の魔法はますます濃く強くなっていきます。街ひとつ吹き飛ばすと言われる闇魔法です。

 ポポロは青ざめながら、必死で呪文の続きを唱えました。全神経を集中させ、ありったけの力で聖なる光を呼び集めます。

「ベトリョービュガワーヨリカヒ……」

 魔女は、その手の中で黒い魔法を完成させていました。人の目には見えない闇の魔力が、巨大なボールのように、魔女の手の中にあります。支える魔女の手は、夜の闇のように真っ黒に染まっています。それでも、魔女はまだ魔法を発動させようとしません。

 ポポロの魔法が完成しました。

「ロケダクヨウホマイローク!」

 星のような光が散り、華奢な指先からまばゆい光が飛び出します。目もくらむほどの、強烈な緑の光です。庭中を照らしながら、魔女の持つ闇魔法へと飛んでいきます。

 

 すると、その瞬間またユギルが叫びました。

「駄目です! かないません――!!」

 光がはじけ、あたり一面をまぶしく照らしました。ドドーン、と稲妻が直撃したような音が響き渡り、庭全体が大揺れに揺れます。

 その光がおさまったとき、後には魔女が立っていました。その両手は高く掲げられたままで、肘まで真っ黒に染まっています。その手の中にまだ闇の黒い魔法がこごっているのが、ポポロの魔法使いの目にははっきり見えました。光の魔法の影響をまったく受けていません。魔女はポポロの魔法を跳ね返したのです。

 ポポロは茫然としました。ルルとメールが異口同音につぶやきます。

「まさか……」

「信じらんない。嘘だろ」

 いつもここぞというところで戦いに決着をつけてきたポポロの魔法が、魔女の黒い魔法の前に敗れ去ったのです。本当に初めてのことです――。

 立ちすくむ人々に向かって、魔女がにんまり笑いました。勝ち誇った笑顔でした。

「さあ、それじゃいよいよ行くわよ。これがあたくしの黒い魔法。受け取りなさい!」

 高らかな声と共に、闇の魔法が魔女の手を離れました。空高く上っていき、彼らの頭上で破裂します。すさまじい轟音と共に黒い光が空に広がり、一瞬のうちに、あたり一面を熱と光と風の中に巻き込んでいきました――。

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