魔女が両手をさし上げて闇の魔法を集め始めた時、中庭の隅から次々に声が響きました。
「神よ、力を与えたまえ!」
「アウルラ、タレ、ク!」
「出てこい、光の守護獣!」
「魔女め、正体を見せぃ!」
魔法でなぎ倒された四人の魔法使いが立ち上がり、飛ばされた光の護具を杖の代わりに握っていました。護具の先端の玉が輝き、四色の光がほとばしり、次々と巨大な生き物を形作っていきます。白い天使、赤い山猫、青い熊、深緑のワシ――光の守護獣たちです。いっせいに空に舞い上がり、黒い魔女目がけて押し寄せていきます。
「あら、団体で来たわね」
と魔女が言いました。さし上げていた片手を無造作にそちらへ向けます。
とたんに、その手のひらから黒い魔弾が飛び出してきました。守護獣たちに雨あられと襲いかかり、光の体を撃ち抜いていきます。キィシャァァァ……と守護獣たちが金属のきしむような悲鳴を上げます。先頭で大きく翼を広げて他の仲間をかばった天使が、全身穴だらけになって、ちぎれて消えていきます。
グル、と赤い山猫がうなりました。牙をむいて魔女に飛びかかっていきます。十メートルを超える守護獣と魔女とでは、猫とハツカネズミよりも体格の差があります。
ところが、魔女がまた魔弾を撃ち出しました。黒い光は大きな鋭い三日月の形になり、一瞬で山猫の首を切り落としました。猫は声も上げずに地上に落ち、途中で崩れて消えてしまいます。
その間に他の二体が迫っていました。青い熊が魔女につかみかかろうとします。深緑のワシもはばたきながら魔女を見据えます。
すると、今度は魔女は両手を下に向けて叫びました。
「おいで、闇のゴーレム!!」
とたんに、地面の中から巨大な人が現れました。目も口も顔も、体の様子も何もわからない、黒い影そのものの巨人です。光の守護獣たちよりはるかに大きな姿で魔女の前に立ち、いきなり青い熊を地面にたたき伏せました。続けて、深緑のワシもつかまえ、両手で引きちぎってしまいます。守護獣たちは崩れて光に戻り、そのまま消えていきました。
「な、なんということだ!」
と青の魔法使いが驚いて叫びました。他の魔法使いたちも茫然とします。彼らが持つ最大限の魔力を護具でさらに強化して生み出した守護獣たちが、まるで歯も立たずにやられてしまったのです。
すると、魔女がまた手を上げました。闇のゴーレムの体が四つに分かれ、黒い影の塊に変わります。
ユギルはとっさに叫びました。
「皆様方、お避けください――!!」
その声の響きも消えないうちに、四つの影の塊が動きました。すさまじい勢いで庭の四隅に散っていきます。四人の魔法使いは即座に呪文を唱えましたが、うなりをあげて飛んできた影に障壁を破られ、直撃されて地面にたたきつけられました。倒れたまま、誰ひとり起き上がれなくなります。そのそばには光の護具が途中で折れたり曲がったりして転がっていました。
人々は自分たちの目を疑ってしまいました。ロムド城を守る最強の魔法使いたちが、本当に何一つすることもできずに倒れています。
すると、レィミ・ノワールが笑いました。見る者の背筋を凍らせるような、氷の微笑です。
「何をそんなに馬鹿のように驚いているの? こう見えてもあたくしは魔王よ。世界も破壊して自分のものにできる力があるの。あなたたちを打ち砕くことくらい、とても簡単なことだわ」
ふっ、と魔女が彼らに息を吹きかけました。とたんに突風が起こり、庭の真ん中を吹き抜けていきます。立ちすくむ人々の服を激しくはためかせ、後ろに立つ小さな建物にまともに吹きつけます。
すると、今度は建物が音を立てて崩れました。板壁も屋根も柱も、あっという間にばらばらになって吹き飛ばされていきます。
崩れた建物の跡から、二人の人影が現れました。ベッドに横たわるゼンと、それをかばうように抱きかかえるジュリアです。ジュリアは、風や衝撃で金の石がゼンから離れてしまわないように、必死で押さえ続けていました。ジュリア、ゼン! とゴーリスが声を上げ、建物跡に残った低い階段を駆け上がって行きました。魔女に向かって剣を構えます。
おほほ、と魔女は笑い声を立てました。
「今さらゼンだけを狙う必要もないのだけれど、あの勇者の坊やには、やっぱりゼンから殺して見せた方が効果的でしょうねぇ。何千キロもの距離を命がけで越えてきたのに、それがすべて水の泡になるんですものね」
空中に浮かぶ黒い姿が、音もなく動いて近づいてきました。まっすぐゼンの方へやって来ます。止めようと切りかかってきたオリバンを手も触れずにはじき飛ばし、正面から向かってくるゴーリスへ右手を向けます。黒い魔弾が撃ち出されてきます。
ゴーリスは剣でそれを切り払いました。黒い光が火花のように散っていきます。
とたんに、聖なる剣の刀身にひびが走り、音を立てて砕けました。魔女が撃ち出す闇の魔法に、剣の方が力負けしてしまったのです。茫然とするゴーリスの手の中に、剣の柄だけが残ります。
「ゴーラントス卿!」
オリバンが跳ね起きて駆けつけようとしました。風の犬のルルも、音を立てて舞い上がり、魔女に襲いかかろうとします。
すると、ポポロの声が響きました。
「危ない、ルル! 逃げて!」
はっとルルが身をかわした瞬間、その風の尾の中を黒い魔弾が突き抜けていきました。
あらゆる物理攻撃を難なく素通りさせてしまう風の犬ですが、魔法の攻撃はまともに食らってしまいます。風の体の尾が、ばっと霧のように飛び散り、ルルは、ギャン! と悲鳴を上げました。あわてて上空へ逃げていきます。ちぎれた体から青い霧のような風の犬の血があふれます。
「ルル! ルル――!」
ポポロが泣き声を上げます。
オリバンが魔女の後ろ姿に切りかかっていきました。魔女はベッドに眠り続けるゼンだけを見ています。後ろは無防備です。
ところが、突然ユギルがオリバンに飛びつきました。
「殿下、危ない!」
不意を突かれて押し倒されたオリバンのすぐ上を、黒い光の弾が飛びすぎていきました。魔女が振り向くこともなく後ろ手から魔弾を撃ち出したのです。オリバンをそれた弾が、代わりにユギルの痩せた体を貫きます。ユギルは叫び声を上げ、その場に倒れました。
「ユギル! ユギル!!」
オリバンは真っ青になってユギルを抱き起こしました。
魔弾はユギルの左の肩を撃ち抜いていました。押さえた手の下で、みるみるうちに灰色の衣が血に染まっていきます。
「ユギル――!!」
オリバンの声は悲鳴のようでした。
あらまぁ、と魔女があきれたように振り返りました。
「だめじゃあないの、弾の前の飛び出すだなんて。あなた、占い師として失格だわよ」
すると、ユギルが肩を押さえながら答えました。
「どういたしまして。あなたの弾が急所を外れるということは見えておりました。あなたに殿下たちを殺させはいたしません」
痛みに顔をしかめながらも、魔女をにらみ返します。
ふふん、と魔女はまた笑いました。
「あなたには、その王子様を目の前で殺して見せましょうね、占い師さん。ゼンを殺した、その次にね。ちょっと待っていなさい」
と、また建物の跡へ向き直ります。低い階段の上にベッドがあり、ゼンが死んだように横たわっています。身動き一つしません。それを必死でジュリアが抱きかかえ、自分の体で魔女からかばおうとしていました。
そこへ迫る魔女へ、ゴーリスがつかみかかっていきました。剣はもうありません。素手で戦うしかないのです。
けれども、ゴーリスは魔女に触れる前にはじき飛ばされ、階段の下に転がり落ちました。うふん、と魔女が怪しく笑います。
「ダメよ。あたくしが選んだ男でなければ、あたくしの体には触らせないわ。あなたもよく見れば割といい男だけれど、ちょっと年が行きすぎているものね」
「ゴーラントス卿!」
とオリバンが駆けつけようとすると、その目の前で魔弾が破裂しました。魔女が皇太子に手を向けながら、にっこりします。
「おとなしく見ていてちょうだいね、王子様。そこから動いたら、その占い師を殺すわよ」
オリバンはまた歯ぎしりをしました。ユギルは負傷していて動けません。その場を離れるわけにはいきませんでした。
ゴーリスは階段の下に倒れたままうめいていました。あなた! とジュリアが叫びます。すると、魔女が今度はジュリアに言いました。
「旦那様想いなのね。いいわ。その夫婦愛に免じて、二人一緒に殺してあげる。そら、旦那様のところへお行き!」
見えない手が突然ジュリアの体をゼンから引きはがしました。階段の下へと放り投げます。その時ようやく身を起こしたゴーリスが、とっさにそれを受け止め、二人一緒にまた倒れてしまいます。体で妻をかばったゴーリスが、石の階段の端にたたきつけられます。
「あなた! あなた!!」
ジュリアは必死でゴーリスに抱きつき、青ざめた顔で魔女を振り返りました。魔女が冷ややかに笑いながら片手を二人に向けてきます。その手が黒い魔弾を撃ち出しました――。