中庭は明かりが消えたように真っ暗になりました。丸天井のように庭を守っていた光の障壁も、天使や獣の姿をした光の守護獣たちも、もうどこにも見あたりません。暗闇が、中庭に立つ人々を息苦しいほどに包み込みます――。
が、真っ暗になったと思ったのは一瞬でした。
次の瞬間からは暗さに目が慣れ始め、また周囲の景色が見え始めました。半月から満月に移り変わりつつある月が、南の空で輝いていたのです。ゴーリスの別荘も、炎を上げて赤々と燃え続けています。
月に照らされた青黒い空の中を、たくさんの悪霊が黒い影になって飛び回っているのが見えました。光の障壁がなくなったので、庭のすぐ上まで急降下してきては、人々の頭上すれすれを飛びすぎていきます。
オリバンやゴーリスが聖なる剣で切りつけると、悪霊はたちまち霧散しました。が、とてもすべてを消滅させることはできません。悪霊はあまりにも多く、その後ろからまた攻めてこようとしている闇の怪物たちは、さらに数が多いのです。
四人の魔法使いがもう一度光の障壁を張ろうと、必死で護具をつかんでいました。けれども、護具そのものにも悪霊が取りついていて、護具は力を取り戻すことができません。
オリバンが剣をふるい続けながら叫びました。
「ユギル、ピラン殿! ゼンの小屋に避難しろ! ポポロ、魔法を使え!」
「え……?」
ポポロは空を見上げたまま立ちすくんでいましたが、皇太子からそう言われて顔色を変えました。
ポポロの今日の魔法は、まだもうひとつ残っています。ただ、中庭を守る力がなくなっていました。彼女の魔法は強力すぎる上にコントロールが悪いので、闇の敵と一緒に中庭にいる人たちまで巻き込んでしまいそうで、どうしても使えずにいたのです。
「早くしろ、ポポロ! 悪霊がいっせいに襲いかかってくるぞ!」
とオリバンがまたどなりました。聖なる剣はもういくつ悪霊を切り捨てたかわかりません。鈴のような音がひっきりなしに響き続けています。
ポポロは、おろおろと立ちつくしてしまいました。どうしていいのかわからなくて、今にも泣き出しそうになってしまいます。
その時、一緒に空を見上げていたピランが叫びました。
「来るぞ!」
黒い黄泉の魔法使いが、中庭に向かって手を伸ばしていました。それが合図だったように、上空の悪霊たちが死者の顔を中庭に向けます。そこにいる人々目がけて襲いかかってきます――
すると、凛とした少女の声が響きました。
「お行き――花たち!」
とたんに、庭中でざあっと波のような音がわき起こり、白いユリに似た守りの花がいっせいに茎を離れました。立ちすくむ人々の脇をすり抜けるようにして上空に舞い上がり、襲いかかってくる悪霊に次々に飛びついていきます。まるで、上空から襲ってくる黒い鳥の群れを、白い小鳥の群れが迎え撃っているようです。
すると、そこここで強い光が燃え上がりました。守りの花が悪霊を次々と焼き尽くしていきます。
人々は庭の真ん中の建物を振り返りました。その入口にメールが立っていました。青ざめた顔をして、ふらつく体をジュリアに支えてもらっていますが、それでも、人々に向かって笑って見せます。
「ひどいじゃないか……始まってたんなら、あたいのことも呼んでよね。知らずに寝てたじゃないのさ」
空から風の犬のルルが舞い下りてきました。
「大丈夫なの、メール!? 戦えるの!?」
とたんに、少女は口をとがらせました。ゼンにぎりぎりまで体力を分け与えたメールです。その顔色は本当に真っ青ですが、心外そうな表情で答えます。
「あんまり馬鹿な質問をするんじゃないよ、ルル……。あたいは渦王の鬼姫だよ。勇猛な海の民の戦士なんだよ。あたいが戦闘中に戦わないのは、あたいが死んだときだけさ。――さあ、行くんだよ、花たち! この庭は絶対に守るんだ!」
さらに多くの守りの花が空に舞い上がり、また悪霊に向かっていきました。悪霊を操る黄泉の魔法使いや、その向こうに控えていた闇の怪物たちにまで飛びかかっていきます。
その時、ブゥン、と音を立ててまた護具が動き出しました。まばゆい光の膜が中庭全体をおおい、その上を四色の光が稲妻のように駆け上っていきます。護具に取りついた悪霊を、守りの花が焼き払ったのでした。四人の魔法使いが、また護具を握っています。
「よっしゃ! 上出来じゃ!」
ピランがまた飛び跳ねて叫びました。
黄泉の魔法使いが歯ぎしりしながら花を追い払い、悪霊をまた差し向けてくる気配がしました。もう一度、悪霊たちに障壁を破らせようというのです。
すると、もう一人の少女が言いました。
「メール、一瞬でいいから、花で庭を守って。ルルもよ。あたし、庭の外に出るわ」
ポポロが緑の瞳に決心の色を浮かべていました。たった今まで泣き出しそうになっていたのが嘘のように、毅然とした顔をしています。
メールは、ちょっと目を丸くすると、すぐに、にこりと笑いました。
「任せな。思う存分やっていいからね」
風の犬のルルがまっしぐらに四人の魔法使いのところへ飛んでいって言いました。
「ポポロが外に出るわ。一瞬だけ護具の光を止めてちょうだい。大丈夫、あたしとメールが庭を守るから」
それを聞いて、魔法使いたちは四人共が驚いた顔になり、やがて、それぞれに笑いました。
たくましい体つきの青の魔法使いが言いました。
「まったく、金の石の勇者たちにはかないませんな……。それほど勇敢であるのに、少女の姿というのは、何かの間違いという気がいたしますぞ」
中庭を包む光の障壁が、一瞬消え、またすぐに戻りました。その隙に障壁の内側に入りこんだ悪霊や怪物を、白い守りの花や風の犬が消し去っていきます。
悪霊を操っていた黄泉の魔法使いは、障壁のすぐ手前に小さな少女が立っているのを見て驚きました。自分と同じような黒い長衣を着ていますが、まだほんの子どもで、大きな眼をいっそう大きく見張って、泣くのをこらえるような顔つきをしています。赤いお下げ髪が震えているのは、夜風のせいではないようでした。
黄泉の魔法使いは、ほんの一瞬、考え込みました。これは何かの罠だろうかと思ったのです。けれども、障壁に守られた庭から、続けて攻撃に出てくる者はいません。じっと、光の守りの内側から、彼らの様子をうかがっています。
黄泉の魔法使いは、面白くもない顔で少女に手を向けました。取るに足りない、小さな子どもです。ですが、それを彼らの目の前で殺してみせれば、少しくらいは彼らを恐怖させることができるかもしれません。恐れや不安の気持ちは、彼ら闇の悪霊たちに力を与えてくれるのです――。
黄泉の魔法使いが少女に死の魔法を送りだそうとしたとき、少女の方でも手を伸ばしました。まっすぐに天を指さし、細いはっきりした声で言い始めます。
「ローデローデリナミカローデ……」
黄泉の魔法使いは、はっとしました。何百年も昔の、生前の記憶が突然よみがえってきます。これは天空の国に住む魔法使いたちが使う呪文でした。同じ魔法の中でも、ひときわ強力な光の魔法――雷を呼ぶ呪文です。その強すぎる稲妻は、敵を打ちのめすだけでなく、闇のものたちを消滅させることもできるのです。
死霊になった魔法使いは、あわててその場から逃げだそうとしました。呼び寄せた悪霊も他の闇の怪物たちも、なにもかも置き去りにして、自分だけが助かろうとします。
ところが、少女の唱える呪文は、がっちりと魔法使いをつなぎ止めてしまっていました。他の悪霊や闇の怪物たちも、突然凍りついてしまったように、身動き一つできなくなります。
「テリダクニチタノモキシーアヨリナミカテウオキテ!」
呪文が完成したとたん、天から無数の雷が降ってきて、彼らを打ちのめしました。ドドドーンと鼓膜が破れるほどの轟音が響き渡り、町中が揺れ、リーリス湖の湖面に激しい波が立ちます。
その波がおさまり、町がまた静かになったとき、一帯からは、黄泉の魔法使いも悪霊も、闇の怪物さえも、残らず姿を消してしまっていました。あれほどたくさんの怪物がひしめいていたのが嘘のように、本当にもう、どこにも敵がいないのです。
ふう、とポポロは伸ばしていた手を下ろしました。今回は、雷を余計なところにまで落とさずにすんだようです。闇の怪物や悪霊たちは、あたりを埋め尽くしていました。それが天から下った魔法の稲妻を一つ残らず受け止めてくれたので、町も木々も巻き込まずにすんだのでした。光の障壁で包まれた庭と、その中にいる人々も、もちろん無事です。
障壁が音もなく消えていきました。四人の魔法使いが、庭の四隅から互いに顔を見合わせます。彼らが強化された護具を使っても倒せなかった敵を、この小さな少女は、たった一撃で跡形もなく消し去ってしまったのです。すさまじい力と言うしかありませんでした。
ポポロが皆のところへ戻っていくと、ユギルが穏やかにほほえみながら言いました。
「よくおやりになりました、ポポロ様。これで敵の攻撃はしばらく止むことでしょう。夜明けまでは少し休めそうです」
「夜明けまで?」
とポポロは聞き返し、思わず笑顔になりました。夜が明ければ、ポポロの魔法は朝日と共にまた復活します。新しく、また二度の魔法が使えるようになるのです。
中庭をまた光の障壁が包みました。光の護具は彼らを闇から守るだけでなく、魔女の監視の目から彼らを隠す力も持っています。
「皆様方、しばしお休みくださいませ」
とユギルは言いました。
「夜明けと共に、また戦いが始まります。今までの中で最も厳しい戦いになることでしょう。それが、魔王や闇の敵と我々との、最後の戦いになります」
静かな――静かすぎるほどの予言でした。銀髪の占者を、人々は思わず見つめてしまいました。
真夜中の空では、丸みを帯びた月が、明るく輝き続けていました――。