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第7巻「黄泉の門の戦い」

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76.悔し泣き

 「危ないところじゃったな」

 とピランがユギルに言いました。

 彼らが立っている中庭を、魔法の光の膜が包み込んでいました。庭の四隅の光の護具のそばに、四人の魔法使いが立っています。

 ユギルは自分の後ろで震えている黒衣の少女を振り返りました。魔女は遠くシェンラン山脈から、少女を狙って攻撃しようとしたのです。突然現れた禍々しい影にユギルがいち早く気がつき、オリバンに聖なる剣で霧散させたのでした。

 夕焼けに燃える空の下で、護具が放つ光はまばゆいほど明るくあたりを照らしていました。それを見上げながら、ピランが鼻息荒く言いました。

「日中のうちに、さらに強化しておいたからな。このあたり一帯が光に守られとるわい。魔女にももう、こっちの様子は見えんはずだ。むろん、もう地面から敵が潜り込むこともできんからな」

 鍛冶屋の長は、前の晩、護具の隙を突くように、敵が地面を掘って入りこんできたことに、非常に悔しい想いをしていたのです。

 

 すると、空を見上げていた白の魔法使いが叫びました。

「魔王の魔法がまいります! 強力な攻撃魔法です!」

 はっとユギルの後ろでポポロが顔を上げました。反射的に自分も魔法を唱えようとします。けれども、ユギルは短く言いました。

「大丈夫です。ほら――」

 夕映えに赤く輝く空から、突然、もっと赤く明るい光が現れました。ごうごうと音を立て、渦を巻きながら燃え上がっています。巨大な火の玉です。激しく回転しながら、中庭を守る光の上を直撃します。

 きゃぁっとポポロとルルが同時に叫びました。あまりのまぶしさにピランとユギルも、思わず目を細めます。

 けれども、光の障壁は無事でした。巨大な炎を跳ね返し、無数の炎のかけらに変えてしまいます。飛び散った炎がゴーリスの別荘に飛び、あっという間に火の手が上がります。

「屋敷が――!」

 とオリバンが思わず声を上げると、ゴーリスが落ちついて答えました。

「屋敷などはいつでも建て直せます、殿下。今は、この庭にいる者たちを守ることだけが大切です」

 ハルマスの町に人はいません。ただ、この中庭に、少年少女たちと、それを守る大人たちが集まっているのです。

「また来るわ!」

 とポポロが空を見ながら叫びました。今度は空から特大の稲妻が降ってきました。また光の障壁を直撃します。

 けれども、やっぱり障壁はびくともしませんでした。強く輝きながら庭を守り続けています。

「どうじゃ、見たか! わしが改良したんじゃぞ! 世界最強の護具の力じゃぞ! 破れるものなら破ってみい!」

 とピランが歓声を上げます。飛びはね腕を振り回して、ものすごい興奮ぶりです。

 その隣で、ユギルは色違いの目を彼方に向け、静かに言いました。

「闇の怪物が襲ってまいります。今までで最大の規模です。皆様方、準備をお願いいたします」

 即座にオリバンとゴーリスは聖なる剣を構え直しました。ポポロは下がって建物の前に立ち、その隣で、ルルが風の犬に変身します。二人は、建物の中にいる人たちを守ろうと考えたのです。死んだように眠るゼン、そのゼンに力を分け与えて弱り切っているメール、そしてジュリア……彼らは闇の敵と戦うことはできません。

 庭の四隅で杖を構える魔法使いたちに向かって、ピランがどなっていました。

「護具の新しい力は日中に教えたとおりだぞ! チャンスを見て試してみい!」

 白、赤、青、深緑、四人の魔法使いたちがうなずき返しました。

 急速に夕焼けは薄れ、町を夜の闇が包み始めていました。炎を吹き上げて燃える屋敷と、中庭を守る光の膜が、あたりを明るく照らしています。

 光の届く外、どんどん濃くなっていく暗がりの中で、不気味なものたちがうごめく気配が伝わってきました。ざわざわと音を立てながら、こちらに向かって迫ってきます。

 ユギルがはっきりとした声で言いました。

「まいりました! 敵の第一陣です――!」

 

 

 「何かが追いついてきますよ!」

 空を飛ぶグーリーの上でポチが振り返りました。暗くなった空の彼方から、ぼうっと光るものがものすごい勢いで迫ってくるのが見えます。グーリーの首元に座っていたアリアンが、即座に答えます。

「早飛びと呼ばれる闇の怪物よ。闇の国で一番速く飛べるの――。グーリーより速いわ」

 ポチもアリアンも、そしてフルートも、今はグーリーの背中に乗っていました。体の前半分が大ワシ、後ろ半分がライオンのグリフィンは、大きな翼を広げて、まっしぐらに東に向かっています。かなりのスピードなのですが、追ってくる敵はそれを上回る速さです。

 アリアンは手の中に小さな丸い鏡を握って、それをのぞき込んでいました。彼女の透視力は、鏡のようなものを媒介として働くのです。鏡の表面に映し出された闇の敵は、ツバメのような黒い翼をしていました。

「ぼくを狙っているんだ」

 とフルートは言いました。追ってくる闇の敵は、フルートの中に眠る願い石を奪うために、フルートを殺して食おうとしているのです。

「逃げ切れない。追いつかれるわ」

 とアリアンが鏡を見ながら言いました。長い黒髪が風に吹かれて夜の中に激しくなびいています。

 敵がみるみる迫ってきました。ぼうっと光って見えるのは、怪物が空を飛びながら切り裂いた空気の中で、水蒸気が冷えて瞬時に雲になっているからでした。行く手の空にある月が雲を白く光らせています。

 

 フルートはグーリーの背中で後ろ向きに片膝立ちになると、背中から炎の剣を引き抜きました。

「ポチ、伏せて」

 と言いながら、剣を構えます。

 白い髪の少年は追いついてくる敵をずっと見つめていましたが、そう言われてフルートを振り返りました。今にも泣き出しそうな顔でした。その小さな体を炎の魔法に巻き込んでしまいそうで、フルートは強く繰り返しました。

「ポチ! どいて!」

 少年はびくりとなると、急いで身を伏せました。黒い羽根におおわれたグーリーの背中に、ぺったりと貼りつきます。

「やあっ!」

 フルートは気合いを込めて剣をふるいました。切っ先から生まれた炎の弾が空を飛び、迫る敵に真っ正面からぶつかります。たちまち怪物が燃え上がり、空から落ちていきます。

 すると、落ちていく炎の中から怪物の声が聞こえてきました。

「どこへ逃げても無駄だ、勇者――! 貴様が魔王のもとへ行くのはわかっている! こんな炎などすぐに消して、また追いついてやるからな――!」

 フルートはまた剣を振りました。炎の弾が燃える怪物に激突して、さらに火を大きくします。怪物はすさまじい悲鳴を上げ、地上に落ちる前に、空中で跡形もなく燃えつきてしまいました。

 フルートは剣を収めました。思わず考え込んでしまいます。魔物はフルートたちの行く先を知っているのです。先回りされる可能性がありました。

 「シェンラン山脈まではあとどのくらい?」

 とフルートが尋ねると、アリアンは鏡を見ながら言いました。

「このまま休まずに飛んであと四時間くらいよ。真夜中までには着くわ」

 フルートはさらに考え込みました。真夜中は、闇の敵たちが一番強力になってしまう時間帯です。到着しても簡単には魔女の元までたどり着けないような気がします……。

 

 ふと気がつくと、ポチがグーリーの背中に伏せたまま泣いていました。夜の暗さの中、月の光を浴びて白い髪と華奢な背中が震え続けています。すすり泣きの声が風の音に混じって聞こえてきます。

 フルートは困ったような顔になると、やがて、そのそばにかがみ込みました。泣き声に合わせて震える肩に、そっと手をかけます。

「ごめんね、ポチ。怖い想いをさせて……。本当は、君だけでも安全なところに下ろしてあげたいんだけど。でも、時間がないし、暗くてどこが安全なのかもわからないんだよ……」

 すると、小さな少年が鋭く頭を上げました。少年は泣いています。けれども、その顔は意外なくらい強くはっきりした表情をしていました。

「ぼくを下ろす、ですって!?」

 とポチは叫びました。

「そんな――そんなの、冗談じゃない! ぼくは怖くて泣いてるんじゃありません! 悔しくて悔しくて、それで涙が出るんですよ!!」

 ポチの黒いひとみは鮮やかに燃え、色白の顔全体が真っ赤に染まっていました。とても怒っていたのです。驚いているフルートに向かって、吠えるように言い続けます。

「いよいよ魔王のところに着くのに! 怪物たちもたくさん待ちかまえているっていうのに! この格好じゃ、ぼくは戦うことさえできないんですよ! そんなの――そんなの――」

 少年のポチは白い髪の頭を激しく振りました。新たな涙がこみあげてきます。

「ぼくだって、勇者の仲間なんですよ!? 一人だけ途中で下ろしてもらうだなんて、冗談じゃない! ぼくだって戦いたい! 本当の自分に戻りたい! ぼくは、犬に戻りたいんです!!」

 血を吐くような叫びでした。そのままフルートに飛びつき、鎧の胸に拳をたたきつけて激しく泣き出してしまいます。

 ポチ、とフルートはつぶやきました。アリアンも痛ましそうな顔をしていました。彼女はとても優れた透視力を持っていますが、占い師ではありません。将来ポチが犬に戻れるかどうか、知ることはできないのでした。

「きっと魔王は倒すから。そして、ゼンを助けて……君もまた犬に戻してあげるからね……」

 ポチが望んでいることとは微妙に違っていると承知しながら、フルートはそう言いました。他に言ってあげることばが見つかりませんでした。

 夜の中、東に向かって飛び続ける黒いグリフィン。その背中の上からは、いつまでも少年の悔し泣きの声が聞こえ続けていました。

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