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第7巻「黄泉の門の戦い」

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74.東への道

 砂漠の中でフルートは戦い続けていました。

 すさまじい数の怪物たちが、次々と押し寄せてきます。それが一度に襲いかかってこようとするので、フルートの周囲では大混乱が起きていました。我先にフルートに到達しようとする怪物同士が、つかみ合い、かみつき合い、引き裂き合って戦っているのです。同士討ちになっています。

 その中心でフルートは炎の剣をふるい続けていました。混乱の中を抜けて飛びかかってくる怪物を、片っ端から切り捨てていきます。怪物は、剣にひとかすりされただけでも、炎を吹いて燃え上がりました。

 けれども、いくら戦っても、いくら切り伏せても、敵は尽きることがありません。怪物たちは後から後から空を飛んで押し寄せてきます。空が怪物でおおわれて、真っ暗に見えるほどです。

 すると、フルートの後ろでポチの悲鳴が上がりました。

「フルート! 足下!」

 焼けた砂の中から怪物の手がいくつも突き出して、戦うフルートの足をつかまえようとしていました。フルートは、とっさに飛びのきましたが、手は伸び続けて、フルートをとらえようとします。

 すると、後ろから白い髪の少年が飛び出してきました。手に持っていた水筒の蓋を外し、中の水を振りまきます。とたんにジュッと焼けるような音が響き、怪物の悲鳴が上がりました。手が砂の中にまたもぐってしまいます。水筒の中に入っているのは涸れ川の水です。海の指輪が川の流れを聖水に変えていたので、闇の怪物には強い酸か毒のような効果を持つのでした。

「ありがとう、ポチ」

 とフルートが言うと、そのすぐ後ろに身を寄せながら少年が答えました。

「でも、もう水がほとんど残ってないです……どうしましょう?」

 今にも泣き出してしまいそうな声でした。

 フルートはまた前に飛び出し、飛びかかってきた怪物を切り捨てました。

「あきらめるな!」

 と強く声に出します。

「最後の最後まで――絶対に、あきらめるな!」

 ゼン……! と心の中で呼びかけます。

 もうフルートの脳裏に親友の面影は見えなくなっていました。どうしようもなく不吉な予感は続いています。今にも絶望したくなるような無力感が、発作のように襲い続けます。もう間に合わないのかもしれない――何もかも、もう手遅れなのかもしれない――そんな恐ろしい想いです。

 けれども、フルートは唇を血が出るほどかみしめ、剣をふるい続けました。敵は絶え間なく襲いかかってきます。一瞬でも気を抜いたら、たちまち殺されてしまいます。フルートもポチも、粉々に引き裂かれて、骨も残らないほど跡形もなく食い尽くされてしまうでしょう。

 死ぬもんか! とフルートは心で叫びました。ぼくも、ゼンも、ポチも、絶対に死ぬもんか――!! と。

 

 その時、敵の中から鞭のようなものが飛んできました。いきなりフルートを殴りつけてきます。フルートは避けきれなくて、まともに食らい、地面に倒れました。鎧で衝撃は弱められましたが、その隙を狙って、どっと怪物たちが襲いかかってきます。

「フルート!!」

 ポチがまた水筒の聖水を振りまきました。また悲鳴が上がり、いっせいに怪物たちが退きます。その隙にフルートは跳ね起きました。

 ポチが完全に泣き声になりました。

「聖水がなくなりましたよ、フルート――!」

「しっ」

 とフルートがとっさに制止しましたが、すでに手遅れでした。怪物はポチの声を聞きつけて勢いづきました。彼らの苦手な聖水はもうなくなったのです。気をつけるのは、金の勇者が使う剣だけでした。いくら切ったものを燃え上がらせ、炎の弾を撃ち出す魔剣でも、これだけの数の敵を一度に焼き尽くすことはできません。数を頼りに、いっせいに襲いかかろうとします。

「フルート!!」

 とまたポチが叫びました。少年は泣いていました。なんの力もない自分が悲しくて、戦うことができない自分が悔しくて。自分が犬のままだったら――風の犬でなくたって、犬の姿でさえいたら、飛びかかり、牙で敵にかみつくこともできるのに、今のポチにはそれさえかなわないのです。

「ポチ、ぼくから離れるな!」

 とフルートが叫びました。迫る敵を次々と切り捨てています。けれども、敵はあまりにも多すぎました。どんなに戦っても、どんなに切り捨てても、終わることがありません――。

 

 周囲ではまた怪物同士の争いが始まっていました。

 目の前にいる少年たちが絶体絶命なのは明らかでした。いよいよ願い石が手に入るというので、奪い合いが始まったのです。手を伸ばしてフルートをつかまえようとしたコウモリのような怪物を、別の怪物がつかまえて引き戻します。まわりの怪物たちと一緒になって襲いかかり、翼も体も何もかも引き裂いてしまいます。そんな同士討ちが、そこここで繰り広げられます。互いに邪魔しあって、フルートたちに襲いかかることができないほどです。

 すさまじい騒ぎの中、闇がらすの声が聞こえていました。

「やれぇ、やれぇ! 派手に奪い合えぇ! カァァ――」

 悲鳴と叫び声、殴り合いかみつき合い引き裂き合う音、地面を踏みならす音、翼を打ち鳴らす音。そんなものが入り乱れ、砂漠をいっぱいにしています。もう、周りはまったく見えません。ただ、信じられないほどの数の怪物たちが、真っ黒い壁と天井になって、フルートたちを取り囲んでしまっています。

 すると、ひときわ大きな翼の音が響きました。黒い影が仲間の怪物を蹴散らすように飛び込んできて、いきなり襲いかかってきます。鋭いかぎ爪がついた鳥の足が、ポチの小さな体をわしづかみにします。

 ポチが悲鳴を上げたので、フルートは振り向き、ポチをつかむ足に切りかかりました。が、そのとたん、もう一本の鳥の足が、剣を握る腕ごとフルートの体をつかまえてしまいました。剣の動きを封じて、そのまま空に舞い上がります。

 闇の怪物たちが後を追ってきました。すさまじい声で怒りながら、獲物を奪い返そうとします。フルートとポチを手に入れた怪物が、いっそう速度を上げました。砂漠の上の空を矢のように飛んでいきます。真っ黒な翼が空中で羽ばたき続けています。

「ポ、ポチ――!」

 フルートは必死で隣を見ました。ポチは自分と同じように鳥の足につかまって、一緒に空を運ばれています。真っ青な顔で敵を見上げています。それは巨大な怪物でした。黒い羽根でおおわれた腹だけが、彼らから見えています――。

 フルートはひどく苦労しながら、自由になるほうの手でもう一本の剣を抜きました。魔力のないロングソードです。それで怪物に切りつけようとします。

 とたんに、怪物が鳴きました。

 ギエェェェ……!

 いきなり巨体が揺れ、フルートたちも激しく揺すぶられました。フルートはあわてて剣を握りしめ、揺れがおさまると、また剣を振り上げました。羽根におおわれた腹には届きません。自分をつかまえる足に突き立てようとします――。

 

 とたんに、ポチが鋭く叫びました。

「待って、フルート! 刺しちゃだめです!」

 フルートはびっくりしました。剣を握る手を、思わず止めます。

 すると、怪物がまた鳴きました。

 ギェ、ギェェェン……

 その声に、何故だか聞き覚えがあるような気がしました。

 懸命に怪物を見上げると、黒い翼の上から人影がのぞきました。こんな場面に不似合いなほど、優しい声が聞こえてきます。

「落ちついて、フルート。私たちよ。敵じゃないわ……」

 フルートは本当に仰天しました。穏やかな少女の声――聞いたことがある声です。

 飛んでいる怪物が、首をねじ曲げてフルートとポチをのぞき込んできました。それは黒い大きなワシの頭でした。目が合うと、また鳴き声を上げます。

 グルル、グー。

 甘えるような声です。

 その時、怪物の上に光が当たって、のぞいていた人影の顔がはっきり見えました。長い黒髪の少女です。びっくりするほど美しい顔をしていますが、瞳は血のように赤く、額には一本の角が生えています。闇の民です。

「アリアン……」

 とフルートは言いました。茫然としてしまって、つぶやくような声しか出ませんでした。

 すると、隣でポチが歓声を上げました。

「グーリー! グーリーだぁ!!」

 両手を広げて怪物に呼びかけます。

 怪物は、ワシの体にライオンの体をつないだような姿をしたグリフィンでした。黒い大きな翼が日の光に艶やかに輝いています。そして、その背中から少年たちを見下ろしているのは、闇の民の少女のアリアンでした。北の大地の戦いの時に彼らと一緒に旅をした、小さなロキの姉です。

「アリアン、どうして……」

 まだ茫然としているフルートに、少女はにっこり笑いかけました。闇の民とは思えないほど、優しく穏やかな笑顔でした。

「闇がらすが闇の国で大騒ぎしていたの……フルートが願い石を持っている、みんな取りに行け、って。ものすごい数の闇の怪物たちが、あなたを狙って出発したから、私もグーリーと一緒に急いで後を追ったのよ。間に合って良かったわ」

 グリフィンも鋭い目を細めてフルートたちを見つめています。

「グーリー」

 と思わずポチは手を伸ばしてその足を抱き、グー、という返事を聞いて、目を見張りました。

「え、グーリー。ぼくがポチだってわかってくれたの……?」

 ギェェ。グーリーが笑うように鳴きます。ポチも泣き笑いの顔になりました。グーリーの前脚にしっかり抱きついてしまいます。

 

 すると、アリアンが言いました。

「さあ、速度を上げるわ。闇の怪物たちを振り切りましょう。大丈夫、グーリーはたいていの怪物たちより速く飛べるし、私も透視をして彼らから逃げ切れるルートを見つけるから」

 アリアンは、闇の民の中でもずば抜けて強力な透視力を持っているのです。

「アリアン、ぼくたちが向かってるのは――」

 とフルートがあわてて目的地を告げようとすると、闇の少女が言いました。

「わかっているわ。魔王を倒してゼンを助けるために、シェンラン山脈に行くのでしょう? ここからシェンラン山脈まで、グーリーの翼なら数時間よ。敵をまいたら、すぐに向かいましょう」

 思いがけない援助でした。フルートとポチが信じられない想いでいると、アリアンが微笑しました。

「あなたたちはロキの大切なお友だちですもの……。ロキがここにいたら、きっと、あなたたちを助けて、って言ったのよ」

 悲しいくらいに透きとおった、美しいほほえみでした。

 その時、フルートは突然キャラバンのダラハーンのことばを思い出しました。

「行けるところまで行ってみろ。アジの女神は気まぐれだ。ひょっとしたら、おまえらにほほえんでくれるかもしれないぞ」

 フルートが何かつぶやいたのを聞きつけて、ポチが尋ねました。

「え? 今、何か言いましたか?」

 フルートは笑顔になると、はっきりとこう言いました。

「アジの女神は醜いって話だったけど、ぼくたちのアジの女神は美人だったな――って言ったんだよ」

 ポチは目を丸くすると、すぐに一緒に笑顔になりました。本当ですね、と答えます。

 フルートとポチの二人を前脚につかんだまま、グーリーが速度を上げました。黒い翼がはばたき、砂漠の上をぐんぐん越えていきます。後ろから追ってくる闇の怪物たちが引き離され、地平線にかかる黒雲のように遠ざかっていきます。

 東へ。シェンラン山脈へ――。

 一度は閉ざされたように見えた道が、再び彼らの目の前に開き始めていました。

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