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第7巻「黄泉の門の戦い」

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72.力

 中庭の小さな建物の中で、ゼンが今まさに息絶えようとしていました。

 呼吸はますます浅くとぎれがちになっていきます。血の気の失せた顔が透きとおるような色に変わっていきます。白いのに、ほの暗く見える、本物の死者の顔色です。

 ポポロが泣き叫んでいました。ルルが必死でゼンの名前を呼び続けます。メールは茫然と立ちつくしていました。もう声も出せません――。

 騒ぎを聞きつけて、外からピランとジュリア、赤と白の二人の魔法使いも駆けつけてきました。

「あなた……!?」

 問いかけてくるジュリアに、ゴーリスは悲愴な顔で首を振りました。

「ゼンが死のうとしている。狭間の世界で闇の敵と戦って体力を失ったんだ」

「馬鹿な!」

 とピランが金切り声を上げました。駆け寄って短い足でベッドを蹴飛ばします。

「えい、ドワーフの坊主! しっかりせんか! おまえはまだ、わしが強化した防具をまともに使っとらんじゃないか!」

 皇太子のオリバンも叫びます。

「どうにもならないのか、ユギル!? ゼンを助ける方法はないのか!?」

 銀髪の占い師は青ざめて立ちつくしていました。何も言わずにゼンを見つめ続けています。

 すると、白の魔法使いが進み出てきました。首から下げた神の象徴の首飾りを握りながら、厳かに言います。

「このうえは、旅立つ魂を迷うことなく死者の国まで送り届けましょう。それが死にゆく者への最後の手向けです」

 と祈りの歌を口ずさもうとします。それは葬送の曲でした。ルルがまた叫びました。

「やめて! そんな歌、うたわないで! ゼンはまだ死んでいないのよ!!」

「魂が迷えば闇にとらわれ、悪霊に変わってしまうかもしれません。彼ほどの力を持つ魂が悪霊になれば、この世に恐ろしい害をなします。死にゆくものを正しい道へ送ることは、神官としての務めなのです」

 と白の魔法使いが話します。静かすぎるほどの声でした。

 ポポロがむせび泣きます。誰にも、どうしていいのかわかりません。ただただ、今にも息が止まりそうになっているゼンを見つめてしまいます――。

 

 すると、ふいにユギルが振り向きました。赤い衣を着てそこに立つ、小柄な男を見つめます。

「あなたなら、おできになりますね、赤の魔法使い殿……。ゼン殿の中に力を送り込む魔法が、お使いになれる」

 異大陸の魔法使いは難しい顔つきになりました。ほんの少し考え込んでから、口を開きます。

「ガ、ケン、モ、ナイ」

「できないわけではないけれど、大変危険だと申しております。ひょっとすると、死ぬかもしれないから、と」

 白の女神官が通訳します。

「赤の魔法使い殿がですか?」

 とユギルは聞き返しました。

「ヤ、ラカチ、ル、ト」

「ゼン殿に体力を与える者が、だそうです。彼の魔法は、元気のある者からゼン殿へ体力を受け渡す術なのです。死にゆくものへ体力を分け与えようというのですから、下手をすれば、与えた者まで死ぬことになるかもしれません」

「ニ、ギル、シニエ、ト」

「それも、普通の相手では体力を与えることはできないと――。よほどゼン殿につながり深い相手でなければ無理なのだそうです」

 つながりの深い相手、と聞いて、一同は思わず顔を見合わせました。誰もが真っ先に思い浮かべたのはフルートです。ですが、フルートはここにはいません。

「私では駄目か? 私ならば少々のことでは参らないぞ」

 とオリバンが言いました。確かに、大柄な皇太子ならば、体力も充分あるように見えます。

 けれども、ユギルは首を振りました。長い銀髪が揺れて光ります。

「いいえ、殿下には無理です。もっとつながりの深い者が必要なのです――」

 言いながら、ユギルは、自分をまっすぐな目で見つめていた少女を振り向きました。

「おやりになりますね、メール様?」

 そう聞かれて、緑の髪の少女はにっこりしました。泣き笑いの顔が広がります。

「もちろんさ! あいつを死者の国から引きずり出してやるよ!」

 青い瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちました――。

 

「メール様は狭間の世界へ行ったポポロ様に守りの花を託されました」

 とユギルは話し続けました。目の前にはゼンが横たわっています。その胸のポケットには、小さな白い守りの花が差してありました。

「ちょうどこれと同じように、狭間の世界でも、ゼン殿は守りの花を身につけているはずです。花がメール様とゼン殿をつないでおります。聖なる魔法の花です。きっと、ゼン殿に力を伝えてくれることでしょう」

「あたいはいつでもいいよ」

 とメールがベッドのかたわらに立ち、細い腕を赤の魔法使いに差し出しました。恐れもためらいもありません。

「ユウ、メ」

 異大陸の魔法使いはそう言って、メールの手を取りました。うやうやしい手つきでした。

「勇敢な姫君に神の守護あれ」

 と白い女神官が厳かに祈ります。

 全員が見守る中、赤の魔法使いがもう一方の手でゼンの手を握りました。短く異国の呪文を唱えます。

「エヨ!」

 

 

 とたんに、メールの内側で心臓がどくんと大きく鳴りました。突然、全身の血液がどこかへ吸い出され、飲み込まれていくような感覚に襲われます。目眩がして、その場に膝をついてしまいます。

「メール!」

 仲間たちの叫ぶ声が聞こえました。

「さわってはなりません――!」

 とユギルが制止する声も聞こえてきます。けれども、メールは目を開けて人々を見ることができませんでした。全身からものすごい勢いで力が吸い出されていきます。貧血を起こしたときのように手足がしびれ、吐き気にさえ襲われて、ベッドにもたれかかってしまいます。

 耳の奥で自分の心臓の脈打つ音だけが聞こえていました。ザアッと水が流れるような音も聞こえてきます。それは、自分自身の中を流れる血液の音のようにも、故郷の西の大海の潮騒の音のようにも、いつか訪ねた北の峰の、森の木々が風にざわめく音のようにも聞こえます――。

 

 森の緑の中にゼンが見えました。あきれたように言っています。

「ったく、こんな藪の中をよくすいすいと歩けるな。俺と同じくらい山歩きが達者じゃねえか」

「当然。あたいは森の民の血を引いてるんだからね」

 とメールは胸を張って見せました。

「ゼンと同じぐらいだなんて、とんでもないね。あたいの方が山歩きは得意だよ」

「馬鹿言え、そんなわけあるか! 体力が違うぞ、体力が!」

 ゼンがむきになって言い返してきます。メールは笑いました。――これが夢なのはわかっています。死にかけているゼンに力を分け与えながら、メールは夢を見ているのです。夢でも、ゼンの声が懐かしくて、変わらない元気な様子が嬉しくて、笑いながら、なんだか涙が出てきてしまいます。

 すると、ゼンが顔色を変えました。あせったように言ってきます。

「な、なんで泣くんだよ? 訳わかんねえヤツだな。泣くな!」

 夢の中でもゼンはやっぱり涙嫌いです。メールは泣き笑いをしました。

「馬鹿にするんじゃないよ、ゼン――。こう見えたって、体力なら、あたいだって自信があるんだ。ちょっとやそっとじゃ、へこたれないんだからね」

「よっく言うぜ。俺の体力に対抗できるってのか? 俺は底なしだぞ」

「それでもだよ。あんたを黄泉の門から引っ張り出すくらいの力なら、あたいにだって、あんたにあげることができるんだから」

 そう言って、メールはゼンを見つめました。ゼンも真顔になります。

 

 二人はいつの間にか、一本の守りの花を握っていました。その手の中で花は光りながら消えていき、二人の手が重なり合います。

 二人は指と指を絡め合って手をつなぎました。見つめ合い、少しためらってから、ほほえみ合います。

「戻っといでよ、ゼン」

 とメールは言いました。

「みんな、心配して待ってるんだからさ」

 ゼンはまばたきをすると、確かめるように言いました。

「みんな――? おまえも、待ってくれてるのか?」

 メールはにっこりしました。ゼンが嫌いな涙を懸命にこらえながら、そっと、優しく答えます。

「そんなの……あたりまえだろ?」

 

 その時、二人の手の間で、まばゆいほどの白い光が輝きました――。

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