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第7巻「黄泉の門の戦い」

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70.蜘蛛の糸

 風が止み、再び閉じた黄泉の門の前で、ランジュールがあきれたようにゼンと金の石の精霊を見ていました。

「ほぉんとに、キミたちって信じられないねぇ。死者の国からのお迎えの風に逆らっちゃうなんてさ。さすがは金の石の勇者の仲間。ただ者じゃない、ってことだねぇ」

 けれども、ゼンはそれには答えませんでした。地面から立ち上がると、自分を引き止めてくれた精霊の少年に言います。

「あの牛野郎が言ってた。ものすごい数の闇のものがフルートを食おうとしてるぞ。フルートの中の願い石を狙ってるんだ。早く助けに行かねえと、大変なことになる」

 すると、精霊は腰に両手を当てて難しい顔をしました。

「それはぼくも聞いてた。でも、方法がないよ。フルートは大砂漠にいる。一方、ぼくたちは狭間の世界の中だ。本体だって、ロムド国のハルマスにあるんだ。フルートがいるところまでは遠すぎるんだよ」

「だからって、何もしなくていいってのかよ!? このままじゃフルートは本当に食われるぞ! 見殺しにするつもりか!?」

 ゼンが食ってかかったとたん、精霊の少年が眉をつり上げました。鮮やかな金の目でにらみつけてきます。

「ぼくが平気でいると思うのか!? ぼくはフルートの金の石だぞ。ただ、フルートに頼まれたから、君のそばにいるんだ!」

 ほんの一瞬、また精霊が泣き出しそうな顔をしました。――ゼンが、はっと見直したときには、またいつもの大人のような表情に戻っていましたが。

 ゼンはとまどって目をそらしました。どうしたらいいのかわかりません。フルートに危険が迫っているのは間違いないのに、彼らには駆けつける方法がないのです。

 

 すると、ランジュールが話しかけてきました。

「キミたちってさぁ……要するに、今は魂だけの存在なんだよねぇ。現実の世界に行ったって生き返れるわけじゃない。幽霊みたいなものだから、何の力にもならないんだけど、それでもやっぱり、勇者くんのそばに行きたい、って考えるわけ?」

「あったりまえだ!!」

 即座にゼンは答えました。

「俺はいつもあいつと一緒にいて、あいつを守るって決めてんだ! 幽霊だろうがなんだろうが、あいつのそばにさえ行けたら、俺は絶対にあいつを助けてやる!」

 ふぅん、とランジュールはつぶやきました。少しの間、ケルベロスをなでながら考え込み、ふいに、くすくすとまた笑い出します。

「だったらさぁ、ボクがキミたちを現実の世界につれてってあげてもいいけど……どうする?」

 ゼンは仰天しました。金の石の精霊も驚きます。二人同時に尋ねてしまいます。

「どうやって!?」

 すると、ランジュールは笑いながら片手をさし上げて見せました。その手のひらには、大きな蜘蛛が載っていました。風に流されるように、細い蜘蛛の糸がきらきらっと銀色に光ります。

「この子、小さいけど、これでもれっきとした魔獣なんだよぉ。いや、蜘蛛だから魔虫かなぁ。アラクネって呼ばれる蜘蛛の怪物でねぇ、すごく長くて丈夫な糸を出すんだ。この子が切ろうと思わない限り、絶対に途中で切れたりしないんだよ。この糸の端をね、さっき、牛男くんのベルトにくっつけておいたんだ。牛男くんは魔王のところに戻ったんだろうから、つまり、糸もそこまで行ってるってわけ……。この糸をたどっていけば、現実の世界に戻っていけるけど? ま、魔王も一緒にそこで待ってるけどねぇ」

 また、くすくすくす、と声を立てて笑います。

 精霊が油断のない顔でランジュールを見上げました。

「ずいぶんと準備がいいじゃないか。あんな状況でそれだけのことができるだなんて」

「言っただろぉ? ボクはこの世にまだ未練があるんだったら。ずぅっとチャンスを狙っていたんだ――現実の世界に戻れるチャンスをね」

 魔獣使いの青年は蜘蛛を自分の肩に乗せると、ねぇっ、と笑いかけました。

「ずいぶん待ったよねぇ、アーラちゃん? たまぁに、ここからまた現実の世界に生き返っていく魂がいるからさぁ、そういう人に会えたら逃がさないように、って考えてたんだよね。ホントは、キミたちが生き返っていくかと思って用意してたんだけど、ちょっと予定と違っちゃった。まあ、たいした違いじゃないけどさぁ」

 くすくすという笑い声が続きます。細い眼がいっそう細くなりながら、うかがうように少年たちを見つめます。

「さあ、どうする? ボクと一緒に現実に戻るかい? イヤなら、アーラちゃんにこの糸をすぐに切ってもらうけどね」

 脅すようなことさえ言ってきます。ランジュールは間違いなく何かを企んでいます。それを承知で、提案にのるかそるかでした。

 

 精霊がゼンを見ました。

「どうする?」

「行く」

 とゼンは即答しました。ためらうことさえありません。

「早くしねえとフルートがやばい。ぐずぐずなんてしてられるか。この際ランジュールだろうが何だろうが、使えるヤツは使ってやる」

「おーやおや。ずいぶんな言い方だねぇ、ドワーフくん」

 あきれたようにランジュールが言いましたが、怒った様子はありませんでした。確かめるように精霊を見ます。

「じゃ、キミもいいね?」

 しぶしぶという感じで、精霊もうなずきました。

 ランジュールは満面の笑顔になりました。

「よぉし、それじゃ決まり! 行くよ、アーラちゃん。糸をたどって、現実世界まで直行便だよぉ!」

 とたんに、蜘蛛が青年の肩から地面に飛び下りました。彼らの目の前でみるみるうちに巨大化して、全長二メートルあまりの大蜘蛛に変わります。

「さ、乗って乗って」

 上機嫌でランジュールがせかします。すると、その上着の裾をケルベロスが引き止めるように軽くかみました。おっと、とランジュールは振り返りました。

「ごめんねぇ、ケルちゃん。キミはここでお仕事してるだろ? だから連れてってあげられないんだよ。でも、また戻ってくるからね。いい子でお留守番しててよねぇ」

 よしよし、と頭をなでられて、地獄の番犬はおとなしくなりました。黄泉の門の前に腰を下ろし、三つの頭で素直にランジュールたちを見送ります。

「てめぇ、戻ってくる気なんかねえくせに」

 とゼンがささやくように言うと、ランジュールは、うふふ、と笑いました。

「嘘も方便。つらい別れには優しい嘘もありってこと」

「抜かせ」

 ゼンは顔をしかめました。やっぱりこの男は信用できません。できませんが――今はこの男の操る蜘蛛に頼るしかありませんでした。

 

「さあ、行くよぉ!」

 ランジュールが声を上げました。蜘蛛の糸は銀に光りながら、彼らの目の前から空に向かって伸びています。それをたぐり寄せるようにしながら、蜘蛛が空に向かって昇り始めました。背中にはランジュールとゼンと金の石の精霊を乗せています。

 やがて、白い霧に閉ざされた空の中に、なにか黒い影のようなものが見え始めました。数十匹の空飛ぶ怪物が、うなりをあげながらこちらに向かってきます。

 ランジュールが言いました。

「そぉら、来た来た。あれは狭間の世界の番人だよぉ。ケルちゃんをかわして逃げだすとね、今度はあの番人が追いかけてくるのさ。魔獣じゃないもんだから、ボクにも手なずけられなくてね。それで今までずっと脱出できないでいたんだ。――じゃ、よろしくねぇ」

「よろしく、って」

 ゼンは目を丸くしました。

「あの番人と戦えってぇのか!? むちゃくちゃ数が多いじゃねえかよ!」

「だぁってぇ、ボクは魔獣使いだよ? ボク自身が戦えるわけじゃないんだから。アーラちゃんだって、糸を昇るので精一杯だしぃ。現実の世界に戻りたかったら、一生懸命戦って、あいつらを撃退してよねぇ」

「ちきしょう、それが目的だったのかよ――! おい、精霊、一緒に戦え!」

「なんでぼくが?」

 金の少年が不服そうな顔をすると、ゼンはさらにどなりました。

「うるせぇ! とにかく急ぐんだ! 俺一人じゃ手にあまらぁ! 手伝えったら手伝え!」

「まったくもう……」

 少年が両手を前に向けました。とたんに、金の光がほとばしって、迫ってくる怪物が空の中で蒸発するように消えていきました。ぶつぶつ言っている割には、すさまじい力です。

「やったぜ!」

 ゼンが歓声を上げると、精霊が言いました。

「ぼくが消せるのは闇の怪物だけだ。番人の中には闇じゃない奴らもいるよ。それは君の担当だからね」

 言っているそばから翼の生えた怪物が襲いかかってきました。確かに精霊の聖なる光にも消滅しません。

「くそったれが! 俺たちは急ぐんだ! 通せったら通しやがれ!!」

 ゼンがわめきながら手を伸ばし、襲いかかってくる怪物をつかまえました。力任せに翼をへし折り、そのまま地上へ投げ捨ててしまいます。

「ひゅう。やるねぇ」

 蜘蛛を操り続けながら、ランジュールが言いました。満足そうに、またくすくすと笑います。

 

 荒れ果てた狭間の世界が下に遠ざかっていきました。その中にそびえる黒い黄泉の門が、小さい影に変わっていきます。遠ざかっても消えることはありません。門はやっぱりそこにあるのです。

 けれども、ゼンは空だけを見ていました。襲いかかってくる番人の怪物たちを次々と追い払っていきます。精霊とゼンが敵を撃退していく中、大蜘蛛は糸をたどって昇り続けていきます。

「待ってろ、フルート! 今行ってやる――!」

 生と死の世界の狭間で助けを待っていたはずの少年は、空に向かってそう叫びました。

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