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第7巻「黄泉の門の戦い」

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69.風

 牛男はうなり声を上げました。ゼンがタウルの背中に逆さまになりながら、両足でその首を締めています。

 タウルはゼンの足をつかみました。力任せに引きはがそうとしますが、びくともしません。大柄なタウルの前では幼児のように小さく見えるゼンなのに、力ではまったく負けていないのです。ぐいぐいと首を締め上げていきます。

「貴様……!」

 タウルが斧を振り上げました。背中のゼン目がけて勢いよくたたき込みます。

「うひゃぁ!」

 と声を上げたのは見物していたランジュールでした。少しでも狙い誤れば自分自身の背中を切り裂いてしまうのに、タウルはためらうことなく斧を振り下ろしたのです。

 すると、斧が止まりました。ゼンが逆さまになったまま、両手で斧を受け止めていました。タウルがいくら力をこめて引き戻そうとしても動きません。

「あれまぁ」

 とランジュールはまた声を上げました。

「やるじゃないの、ドワーフくん。よくあれで支えてられるなぁ。さっきまでふらふらだったのに」

 ゼンが斧を握る手に力をこめました。ぐっと横へ動かしたとたん、タウルの手から柄がもぎとられます。

 ゼンは奪い取った斧を遠くへ投げ飛ばしました。ずしん、と地響きを立てて地面に落ちます。

「うぬ……!」

 タウルが斧へ駆け寄ろうとすると、ゼンが両足にいっそう力をこめました。首を締め上げられて、タウルはよろめき立ち止まりました。

「は、放せ、小僧!」

 と苦しい声でわめき、背後に両手を回してゼンを引きはがそうとします。

 すると、ゼンは今度はタウルの手首をつかみました。逆さまになった格好のまま、敵の両手の動きも抑え込んでしまいます。両足はさらに首を締め上げていきます。タウルが猛烈なうなり声を上げました。もうことばにならないようです――。

 

 ランジュールが隣のケルベロスに話しかけていました。

「どう思う、ケルちゃん? この様子だと、ひょっとしたらドワーフくんがあの牛男を絞め殺しちゃうかもしれないよぉ? ちょっと我が目を疑っちゃうよねぇ」

 ガウッと地獄の犬が吠えました。ランジュールが、くすくすと笑います。

「そう、もうすぐ来るけどねぇ。お迎えが――」

 

 ゼンはすさまじく腹を立てていました。重い疲労も黄泉の門からの引力も、何もかも忘れて、力任せにタウルを締め上げていきます。

 闇の連中がフルートを襲うというのです。大群で押し寄せ、フルートの中に眠る願い石を手に入れるために、フルートを殺して食おうというのです。

「させるかよ……!」

 ゼンはうなるように言いました。

「あいつは望んでもいねえのに、願い石に魅入られたんだぞ。あいつが、どんな気持ちで……どんな想いをして願い石に勝ったか、知りもしねえくせに……。願い石のどこが、そんなにすばらしいもんだ! 馬鹿野郎! 絶対におまえらにフルートを食わせたりしねえぞ!!」

 まるでタウルがフルートを狙う闇の怪物ででもあるように、容赦なく締め続けます。牛男がまたうなりました。血走った白目をむき、口から泡を吹き始めます。

 ゼンはタウルの首からぶら下がったまま、狭間の世界の白い空に向かって叫びました。

「死ぬなよ、フルート!! 俺が戻るまで、絶対に死ぬな――!!」

 ぐうっとタウルがうめきました。巨体が揺らめき始めます。もがくように腕を動かそうとしますが、その手はゼンががっちりと抑え続けています。

 

 その時、黄泉の門の奥からうなるような音が聞こえ始めました。みるみるうちに近づいてきます。

「来た!」

 とランジュールが言って両手をこすり合わせました。にやにや笑っています。

 バン、と音を立てて、いきなり門が開きました。同時に、ごうごうと荒野に猛烈な風が巻き起こります。砂埃を立てながら門に向かって吹き出します。立っていられないほどの強風です。よろめいていたタウルが、どうっと倒れました。反動でゼンも地面に投げ出されます。

「この……!」

 もう一度タウルに飛びかかろうとしたゼンが、驚いた顔になりました。風がますます強くなっていくのです。狭間の世界を吹き荒れ、黄泉の門の中へ吹き込んでいきます。ゼン自身も、そして巨体のタウルも、地面に倒れたまま、風に流され始めます。

「死者の国からのお迎えの風だよぉ」

 とランジュールが話しかけてきました。

「門の前でぐずぐすしてる魂がいるとね、死者の国の方でしびれを切らして、迎えの風をよこすことがあるのさ。キミたちがあんまり門の前で騒ぐから、死者の国が気がついたんだよ。とびきり強い風が来たからねぇ、いくら力自慢のキミたちでも、ちょっと助かりそうにないねぇ」

 そう言うランジュール自身は、門のわきで大きなケルベロスにしがみついて、風に引き倒されないようにしていました。長い上着が狂ったようにはためいています。

 タウルが、うぉぉ、と吠えて地面に太い爪を立てました。ゼンも地面に強くしがみついて、風に抵抗しようとします。が、門に吹き込む風は強力でした。タウルの巨体も、ゼンの小柄な体も、どんどん地面を押されていきます。

「ち……ちくしょう……」

 ゼンはうめきました。どんなに強くしがみついても風に逆らうことができません。風は、まるで彼らを門の中へ吸い込もうとしているようです。ずるずると音を立てて門へ引き寄せられていきます。

 ついにタウルが声を上げました。

「レィミ! レィミ、助けてくれ――!」

 すると、牛男の体が黒い光に包まれました。たちまち狭間の世界から見えなくなっていきます。

「あれま、逃げたよ」

 とランジュールが門のわきから言いました。

 ゼンは歯ぎしりをしました。ゼンがここから逃げ出す方法はありません。ますます門に引き寄せられていきます。

 くそぉ、とゼンは心の中でわめきました。ザザァッと音を立てて激しい砂埃がまともに顔に吹きかかります。思わず目をつぶったとたん、しがみつく力が緩んで、一気に門に引き寄せられてしまいます。黄泉の門は、もうすぐそこです。

 ゼンは思わず叫びました。

「フルート! フルート――!!」

 助けを求めたのではありません。現実の世界で敵の集中攻撃を受けている親友。それを助けに行けない自分が口惜しくて、うずまく怒りが声になってほとばしったのです。

 

 すると、ふいにゼンの左の手首を小さな手がつかみました。ひやり、と冷たい感触が伝わってきます。

 それと同時に、ゼンの体が止まりました。驚いて目を開けると、そこに小柄な金色の少年がいました。かがみ込み、ゼンの手をつかまえています。ごうごうと風は門に向かって吹き続けているのに、信じられないほどの力でゼンを引き止めています。

「おまえ……」

 とゼンが言うと、金の石の精霊が皮肉っぽく笑いました。

「おちおち休んでもいられないな。君たちときたら、本当に危なっかしいんだから」

 言いながら、もう一方の手でゼンの右手もつかみます。とたんに、ゼンの体は完全に止まりました。どんなに門が強い力で吸い寄せようとしても、その手前に止まったまま、びくともしなくなります。

 ヒーアァァァ……と悲鳴のような音を立てながら、ゼンと精霊のわきを風が吹きすぎていきました。その中に、幻のようにたくさんの人の姿が見えたような気がします。黄泉の門の近くをうろついているという、未練を抱えた魂たちなのかもしれません。

 そして、風は吹きすぎ、黄泉の門の中へ吸い込まれていき――――

 

 音もなく門が閉じました。ぴたりと風が止み、砂埃も落ちついて、あたりが静かになります。

 ゼンは体の力を抜き、金の石の精霊を見つめました。なんだか、すぐには声も出てきません。

 すると、精霊の少年が肩をすくめ返しました。

「ま、間一髪だったかな。遅くなって悪かったね」

 見た目は幼い子どもなのに、まるで大人のような口調でした……。

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