ランジュールは願い石の戦いの時に敵の命令を受けて、フルートたちの命をつけねらってきた魔獣使いでした。強力な魔獣で勇者の一行を襲い、時の鏡の岩屋で究極の術を使ってゼンたちを絶体絶命まで追い込み、最後にフルートに敗れて消滅していったのです。
その青年が黄泉の門の前に立ち、地獄の番犬のケルベロスを飼い犬のように従えて、戦っているゼンたちを見ていました。
ゼンは思わず尋ねました。
「おまえ、どうしてここにいるんだ、ランジュール!?」
「どうしてぇ?」
ランジュールが面白そうに繰り返しました。のんびりした口調です。
「そんなの当たり前じゃないかぁ。ここは死者の国の入口だよ。ボクはもう死んじゃったんだから、死者の国にいたって全然不思議じゃないだろう?」
「てめえが死んだのは一年も前だろうが!」
とゼンは言い返しました。
「なのにまだ黄泉の門のあたりをうろうろしてたのかよ! とっとと死者の国へ行けよ!」
「やぁだよ」
とランジュールが答えます。くすくす笑っています。
「ボクはまだこの世に未練があるからね、おとなしく死者の国に隠居する気になれないんだなぁ。キミの目には見えないだろうけどね、この黄泉の門の近くには、そういう未練たっぷりの魂たちが数え切れないほどいるんだよ。チャンスがあったら、もう一度生者の世界に戻りたくってね。ケルちゃんはそういう魂を黄泉の門の中に連れて行くのが仕事なんだけどさぁ、ほら、ボクは魔獣使いだろ? ケルちゃんとお友だちになっちゃったから、黄泉の門の出入りはフリーパスなのさ」
そう言って、三メートルもある巨大な地獄の犬をよしよし、となでます。ケルちゃんというのは、ランジュールがケルベロスにつけた名前のようでした。
「なんか、死んでも相変わらずだな、おまえ」
とゼンは渋い顔をしました。ランジュールはとぼけた男ですが、その奥にとてつもなく残酷な本性を秘めています。とても再会を懐かしがるような相手ではありませんでした。
すると、ランジュールが、うふふ……と女のような笑い声を立てました。そんな笑い方も以前と少しも変わりません。
「キミ、どうやら死にかけてるみたいだねぇ、ドワーフくん。それなのにそんな派手な戦いをやったら、あっという間に体力がなくなって、黄泉の門に飲み込まれちゃうよ。やめといたほうがいいと思うけどなぁ」
「やめられるもんなら、やめたいさ!」
とゼンはどなり返し、ショートソードをまた突き上げました。振り下ろされてきた黒い斧を跳ね返します。少しの間、呆気にとられてゼンとランジュールの会話を聞いていたタウルが、また攻撃を始めたのでした。
「聞いたか、こら! ここで戦い続けたら、てめえも力が尽きて死ぬことになるんだぞ! いいかげんにしやがれ!」
「やめてやるとも。貴様を真っ二つにして、黄泉の門の奥にたたき込んだらな」
とタウルが笑います。この阿呆、とゼンはうなり、また斧を受け止め、跳ね返しました。それを見て、ふぅん、とランジュールが感心します。
「五分五分ってやつだね。互角の力なんだ。なんか迫力あるよねぇ、ケルちゃん」
と隣のケルベロスに話しかけます――。
ゼンはタウルの攻撃を防ぎながら、次第に息が上がってくるのを感じていました。もともとゼンは狭間の世界を長くさまよって、かなり疲れてきていました。そこへこれだけの激戦をしているので、ランジュールの言うとおり、次第に体力が尽きてきているのでした。
ちきしょう、とゼンはあえぎながら心でつぶやきました。なんとか防御から反撃に転じたいと思うのですが、体が重くて思うように動きません。全身に引き寄せられるような力を感じてしまいます。その力は黄泉の門の方向から伝わってきていました。門は誘うように半開きになっています――。
「そぉら! 早くくたばれ、坊主!」
タウルの斧がまたうなりました。ゼンは身をかわし、お返しに剣を突き出しました。が、剣と腕の長さが足りなくて、敵の体まで届きません。思い切り遠くまで離れることができれば、エルフの弓矢を使うこともできるのですが、そんな場所まで逃がしてくれるはずもありません。ゼンはまた歯ぎしりをしました。ふらついてくる体で、必死に斧を受け止め続けます。
「なんかよろよろしてるねぇ、ドワーフくん。そろそろ危ないんじゃないのぉ?」
とランジュールが声をかけてきました。面白がっているような声です。すると、それを聞いてタウルが言いました。
「そろそろ本当にあきらめろ、坊主。どのみち、貴様は助からん。どうしたって生き返れないんだからな」
「生き返ってみせらぁ! フルートがいる! あいつが、魔女を倒してくれるさ!」
とゼンがどなり返します。息が荒くなっていました。
すると、タウルがまた笑いました。
「それこそありえないぞ! 勇者の坊主は砂漠の真ん中で立ち往生だ。そこに闇のものたちが大挙して押し寄せている。もうすぐ連中に食われるぞ!」
「なに?」
とゼンは顔色を変えました。ランジュールが不思議そうな顔になります。
「それ、どういうことさぁ? 闇のものたちが勇者くんを食べに来るわけ? どうして?」
「レィミが勇者の秘密を教えたからだ。勇者の中には願い石が眠っている。勇者を食えば、それを手に入れることができるとな――」
からからと声を上げてタウルが笑いました。
ゼンは真っ青になりました。
「な……んだとぉ……?」
さっき、フルートは敵に殺されかかって、この狭間の世界にやってきました。魔女の手の者と戦っているのだろうとは思ったのですが、そんな状況に陥っているとは想像もしませんでした。
「おい……! 大挙してって、どのぐらいの数だよ!? そんなにたくさんの連中がフルートを狙ってるってぇのか!?」
「何百匹――いや、何千匹、何万匹かな。なにしろ、願い石をほしがっているヤツはたくさんいる」
とタウルが答えます。ランジュールが、やれやれ、というように片方の肩をすくめました。
「闇のものたちの間ではねぇ、願い石はすごく有名なんだよ。けっこう下の方の奴らや魔獣たちまで知ってる。みぃんな、それを手に入れて、願い事をかなえたいって考えてるんだ。馬鹿だよねぇ、そんなことしたら自分が破滅するって言われてるのにさ……。でもねぇ、連中はそんなことはわからないんだよねぇ。願い事って言ったって、単純なものさ。人間たちを腹一杯食べたいとか、人も怪物もすべて従えて自分が闇の帝王になりたいとか。たあいもない願いなんだけどね、それだけに、根深くて強いのさ。願い石が手に入るかもしれないとなれば、みんな、本当に夢中になるだろうね。勇者くん、連中に引き裂かれて、跡形もなく食べられちゃうなぁ」
「そうだ。間もなく勇者自身もこの黄泉の門をくぐるぞ!」
タウルがまた、声を上げて笑いました。
ゼンは青ざめたまま、自分の胸の上のペンダントを見つめていました。金の石はここにあります。聖なる守りの石なしで、フルートが闇の大群を撃退できるはずがありませんでした。
「ちきしょう……」
とゼンがうめきました。拳を握りしめてぶるぶると震わせています。その声が今までにない響きを帯びていることに、ランジュールが気がつきました。おや、という表情になります。
ゼンはタウルをにらみつけました。
「させるかよ……。てめえらにフルートは殺させねえ」
低い声で言って、体を大きく沈めます。全身に力をため始めます。ほう、とタウルがまた笑いました。
「どうやらそれが正真正銘の本気か。上出来だ、来い! 今度こそ貴様を――」
タウルが言い終わらないうちにゼンが飛び出しました。振り下ろされてくる斧をショートソードでがっきと受け止め、次の瞬間、それを横に流して剣を手放します。まさかゼンが剣を捨てるとは思わなかったタウルが、体勢を崩してよろめきます。
その大きな体の下に飛び込んで、ゼンは跳び蹴りを食らわせました。膝を牛男の腹にたたき込みます。タウルがうめき声を上げてさらによろめいたところを、脇を駆け抜け、今度は背後に回ります。タウルの革のベルトをつかんで飛び上がり、その黒い毛でおおわれた背中を駆け上がって、肩の上によじ上ってしまいます。
「うお……な、なにをする!?」
タウルがまたうめきました。ゼンが短い脚を首に絡めてきたからです。手を伸ばして肩の上のゼンをつかまえようとすると、とたんにゼンは両手を離してタウルの背中の上で逆さまになりました。両足ではタウルの首にしがみついたままです。
「フルートは殺させねえぞ! 絶対に――ぜったいに、殺させねえ!!」
ゼンはそうどなると、両足で力任せにタウルの首を絞め始めました。