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第7巻「黄泉の門の戦い」

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67.激闘

 牛の頭の大男が力任せに振り下ろした斧を、ゼンはショートソードで受けました。火花が散り、斧が止まります。

 タウルが、ほう、と感心しました。

「よく折れなかったな。俺の渾身の一撃だぞ」

「ドワーフが鍛えた剣だ。そんな、なまくらな斧に負けるかよ」

 とゼンが言い返します。タウルが斧を引き、再び振り下ろしてきましたが、それもやっぱり剣で受け止めてしまいます。刃渡り六十センチほどの短い剣ですが、重い斧に少しも負けていません。

 すると、斧がじりじりと押され始めました。ゼンが押し返しているのです。タウルがそれを留めようとしますが止まりません。

 と、いきなりタウルが斧を引きました。勢い余ってつんのめったゼンへ、また斧を振り下ろしてきます。

「うぉっと!」

 ゼンはとっさにその場に伏せました。頭のすぐ上を斧がうなりをあげて通り過ぎていきます。直撃されたら、頭が真っ二つです。

「野郎――!」

 ゼンは怒りました。両手で地面を押して跳ね起きると、次の斧の一撃をかわし、敵の背後に回って剣を突き出します。

 すると、その剣の刃先をタウルが左脇に抱え込みました。腕と脇腹の間にはさまれて、剣がびくとも動かせなくなります。ゼンの力でも抜けません。

「放せよ、この馬鹿力!」

 とゼンはわめきました。とてもゼンが言っている台詞とは思えません。

 牛男が剣を抑え込んだまま、右手を大きく振りました。黒い斧が背後のゼンを襲います。ゼンはとっさに剣を放し、その場にまた伏せました。うなりをあげた斧の刃先が、ゼンの茶色の髪をかすって一束切り落としていきます。

「ちっきしょう!」

 ゼンは悪態をつきながら大きく飛びのきました。タウルから距離を取ります。男は大柄で腕が長い上に、斧の柄の分だけさらに遠くまで攻撃が届きます。うかつには近づけませんでした。

 

 すると、タウルがゼンの剣を投げ捨て、水車のように斧を振り回しながら迫ってきました。

「どうした、坊主! 怖くて寄れないのか! とんだ臆病者だな!」

「るせぇ! てめえだけ武器を持ってるなんて卑怯だろうが!」

「これも実力のうちだ。そら、どこまで逃げる。そろそろ後がないぞ」

 斧を避けて後ずさっていたゼンの背中が、堅いものに突き当たりました。とたんに、キイッときしむ音が上がります。ゼンは思わずぞっとしました。黄泉の門です。いつの間にか、死者の門ぎりぎりまで追い詰められていたのでした。

「そぉら! とっとと門をくぐれ!」

 タウルがゼン目がけて斧を振り下ろしてきました。ゼンは一瞬身をかがめ、次の瞬間、逆に伸び上がって左腕を突き上げました。ガキッと堅い音がして斧が止まります。ゼンの左手には小さな青い盾が握られていました。腰のベルトにいつも下げていたものです。大きな斧の刃先をしっかりと受け止めています。

「む……おぉ!!」

 タウルが本物の牛のように吠えました。力ずくで青い丸い盾を断ち割ろうとします。が、水のサファイヤでメッキされた盾は、どんなに牛男が渾身の力をこめても、傷つくことさえありません。

「へへ……。ピランじいちゃんは、こいつの防御力もしっかり上げてくれたみたいだな」

 とゼンは笑うと、支えていた盾を後ろへ流しました。勢い余って、今度はタウルが前のめりになります。その懐へ飛び込み、右の拳を相手の左の脇腹へたたき込みます。牛男の巨体が吹き飛び、どおっと音を立てて地面に倒れました。

 

 ゼンはそのまま宙に飛び、斧を握るタウルの右手に膝落としをかけました。膝で手首の骨を砕き、斧を持てなくしようとします。が、それより早く、タウルが右腕に力をこめました。ぐっと腕全体が筋肉で太くなり、ゼンの膝の一撃を受け止め、跳ね返してしまいます。思わずよろめいたゼンを、タウルの左手がつかまえます。

「こ、この! 放せっ!」

 ゼンはもがきましたが、タウルの手を振り切ることができません。すさまじい力です。

 と、タウルが立ち上がりました。ゼンの体を左手につかんだまま、ぐっとさし上げ、二メートルあまりの高さからいきなり投げつけます。ゼンの体が黄泉の門に激突して、ガシャンと派手な音を立てました。

「ってぇ……」

 ゼンはうめきました。ここは現実ではない、狭間の世界ですが、それでも確かにあばら骨が何本も折れたような気がしました。激痛に一瞬息が止まります。

 ところが、次の瞬間、痛みがすうっと引いていきました。嘘のように、どこも何でもなくなります。

 そこへまた斧が降ってきました。あわてて横へ飛びのくと、斧が黄泉の門の格子を直撃して、ガシャーン、とまた大きな音を立てます。

 ゼンは地面に転がった格好で、自分の首に下がったペンダントを見ました。金の石は、この狭間の世界でも癒しの力を発揮してくれたのです。

「……ありがとよ」

 とゼンは思わずペンダントへつぶやきました。

 

 タウルが黄泉の門を背に振り向きました。ゼンはあわてて飛び起き、少し離れた地面に落ちていた自分の剣に飛びつきました。そのまま低く身構えます。

 すると、突然門の奥から獣の息づかいが聞こえてきて、巨大な犬が走り出てきました。ひとつの胴体に三つの頭がある怪物――地獄の番犬ケルベロスです。門の外側で戦う者たちに向かって、ウォン、オンオン、ガウッ、と三つの口で激しく吠え立て始めます。黄泉の門を突き破って飛びかかってきそうな勢いです。

 へっ、とゼンがまた笑いました。

「俺たちがうるさいとよ、ワン公が」

「放っておけ」

 とタウルが答えました。黒い斧をまた振り上げます。

 ゼンが動きました。下がるのではなく、タウルに向かって飛び出していきます。重い一撃をショートソードで受け止めます。

 とたんに、タウルの左手が動きました。目の前で斧を受け止めているゼンに拳を繰り出します。岩ほどもある大きな拳です。まともに腹に食らえば内臓も破裂しかねません。

 すると、その拳が止まりました。カラカラーンと金属が地面に落ちる音が響いて、青い盾が足下を転がっていきます。ゼンが盾を投げ捨てたのです。代わりに、ゼンは、がっちりとタウルの拳をつかまえていました。右手の剣では斧を、左手では拳を抑え込んで、びくともしません。

 タウルが力む顔になりました。鼻の穴を広げ、荒い息をしてゼンを押しきろうとします。ゼンも顔を赤くしていっそう強く踏ん張りました。怪物の胸にも届かないほど小柄な少年が、まともに力で張り合っています。

 と、一瞬、ぐうっとゼンが押されました。みるみるうちに斧と拳がゼンに迫ります。タウルがにやりと笑いました。さすがのゼンもこらえきれなくなってきたのだと考えたのです。

 すると、ゼンがにやっと笑い返しました。

「ばぁか。ホントに単純なヤツだな、おまえ」

 押されたように見える位置から、突然、一気に斧と拳を跳ね飛ばしてしまいます。押し返すための力をためるのに、ゼンは一度身を沈めたのでした。

 

 タウルの巨体が大きく飛ばされて、激しく黄泉の門にぶつかりました。門が大揺れに揺れ、鉄格子の扉の間がわずかに開きます。

 とたんに、内側で大騒ぎしていたケルベロスが隙間に突進してきました。鼻面をねじ込み、無理やりくぐり抜けようとします。

「やべぇ。出てくるか?」

 ゼンは改めて身構えました。ケルベロスは地獄の番犬です。黄泉の門を守っていて、生者が来れば追い返し、死者が門の外へ逃げ出せば食いついて引き戻すのだと聞いています。ゼンたちはまだ死んではいませんが、ケルベロスから見れば、死者も同然かもしれません。飛び出してくれば、襲われて門の内側へ連れて行かれそうな気がします。

 タウルが頭を振りながら起き上がってきました。ゼンはどなりました。

「おい、その門を閉めろ!」

 ところが怒り狂っている牛男は耳を貸しません。うなり声を上げながら、ゼンに向かってまた突進してきます。

「閉めろって言ってるだろうが、この馬鹿!」

 とゼンは言い、タウルが駆け寄りざまに振り下ろしてきた斧をまた剣で受け止めました。金属と金属がぶつかり合って、火花を散らします。

 ガシャーン! と大きな音を立てて門が勢いよく開きました。ケルベロスが獰猛な声を上げて外に飛び出してきます。

「よせ! ケルベロスが来るぞ!!」

 とゼンは叫びましたが、やっぱり牛男の耳には入りません。斧を何度も激しく振り下ろしてきます。斧と剣がぶつかり合う音が響き渡ります。そこにケルベロスの吠える声が重なりました。

 この阿呆――! とゼンは思わず歯ぎしりをしました。

 

 すると、ふいに犬の声がぴたりと止みました。彼らの手前で立ち止まった気配がします。それに続いて、こんな声が聞こえてきました。

「あれぇ、ケルちゃんがいやに騒いでいると思ったら。ドワーフくんじゃないかぁ――」

 のんびりした口調の若い男の声でした。ゼンは驚いてそちらを見ました。聞いたことのある声です。

 そこには痩せた長身の青年が立っていました。刺繍をした赤い長い上着を着込んで、両手をポケットに突っ込んでいます。その隣では、大きな地獄の犬がまるでペットのように甘えてすり寄っていました。

 ゼンは一瞬戦いも忘れて、思わず声を上げてしまいました。

「おまえ、ランジュール――!?」

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