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第7巻「黄泉の門の戦い」

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65.邂逅(かいこう)

 「おい、まただぞ! やっぱりここに来ちまった!」

 とゼンが声を上げました。その場に座りこんで、いまいましそうに自分の膝をたたきます。岩だらけの荒れた世界が広がる中、すぐ目の前には黒い黄泉の門が高くそびえていました。

「ったく、どうなってんだよ!? いくら反対側に歩いて行っても、いつの間にかまたここに戻ってきちまう! もう五度目だぞ!」

 とゼンは後ろを振り向きました。そこには黄金そのもののような鮮やかな髪と瞳の小さな少年が立っていました。金の石の精霊です。ゼンに非難するような目を向けられて、肩をすくめ返します。

「ぼくのせいじゃないよ。ここは人の生と死の狭間の世界だ。君が自分でここに戻って来ちゃうんだよ、ゼン」

「馬鹿言え。なんで俺が好きこのんでこんなところに戻るんだよ! 精霊だろ、不思議な力を持ってるんだろ? ちゃんと道案内しろよな!」

「守備範囲が違うったら。君を襲ってくる毒虫ならいくらでも撃退してあげるけど、君を生き返らせるのは、ぼくの役目じゃないからね」

「ったく! ホントに役に立たねえ精霊だな!」

 ゼンがブツブツ言います。

 そんなドワーフの少年が肩で息をしているのを、金の石の精霊は黙って見つめていました。口では元気に文句を言っていますが、門の前に座りこんだまま立ち上がろうとしないのです。狭間の世界は、人が本来いるべき世界ではありません。丈夫が取り柄のゼンも、長くこの世界をさまよううちに、さすがに体力が落ちてきているのでした。歩いても歩いても、また黄泉の門の前に戻ってきてしまうのは、ゼン自身が弱って死者の国に近づいてきている証拠でした。

 精霊は密かに金の目を上に向けました。霧に閉ざされている空は、白一色の天井のようです。その向こうに、自分の主の存在をつかもうとします。ゼンを助ける方法はただひとつ、闇の毒を送り込んできた魔女のレィミ・ノワールを倒すことだけです。フルートはちゃんとやっているだろうか、と考えます。この世ならぬ場所にある狭間の世界では、金の石もフルートの様子を知ることはできないのでした。

 

 「あーあ、腹減った!」

 とゼンがまた大声でぼやきました。

「鹿肉のステーキが食いてえぞ! クランベリーのパイと、ウサギと赤豆の煮込みと、ウズラの丸焼きと――スグリのケーキもだ! 嫌ってぇほど、腹一杯食いてえ!!」

 すると、目の前にそびえる黒い門が、キイ、とかすかにきしみました。ほんの少しですが、門と門の間が開いています。黒い格子の間からは荒れた大地が見えているだけですが、その真ん中にぽつんとテーブルが置かれていました。上に今ゼンが言ったばかりの食べ物が、飲み物と一緒にあふれんばかりに載っています。

 金の石の精霊は、あきれたようにまた肩をすくめました。

「お望みのものが出てきたよ、ゼン。門の中に入れば食べられるけど、どうする?」

「馬鹿言え」

 とゼンは顔をしかめました。

「いくら俺でも、死者の国の食べ物を食ったらまずいことくらい知ってらぁ。絶対に生き返れなくなるからな。冗談じゃねえや」

「それはよかった。君のことだから、後先考えないで料理に突進していくんじゃないかと思ったよ」

「おまえな、人をなんだと思ってるんだよ? そこまで俺が馬鹿だとでも思ってんのか?」

「食べることに意地汚いとは思ってる」

 金の石の精霊は、綺麗な見た目に似合わず相当辛辣です。ゼンは思わずわめきました。

「馬鹿野郎! 俺はな、生きることに意地汚いんだよ! 黄泉の門なんか絶対にくぐらねえぞ! 俺は生き返って、本物の料理を腹一杯食ってやるんだからな――!!」

 むきになって怒って言い返すうちに、ゼンはまた元気を取り戻してきていました。地面から立ち上がり、ズボンの砂埃を払い落としながら言い続けます。

「それにな――俺は決めてんだ! 俺が食うスグリのケーキは、絶対にあいつに作らせるってな! そのためにも、絶対に生きて帰るんだよ!」

 それを聞いて、精霊はちょっと目を丸くしました。

「なんだか急に素直になっちゃってるんじゃないの? ゼン。メールがそれを聞いたら、きっと大感激するよ」

「るせぇ。人前では、こんなこと絶対に言うか。いいんだよ、どうせ聞いてんのは俺とおまえだけなんだから」

 そう言うと、ゼンはそっぽを向きました。しかめっ面は照れ隠しです。

 ところが、その顔が急に驚いた表情に変わりました。信じられないように、そこにいるものを眺め、突然声を上げます。

「お――おまえ、なんでここにいるんだよ――!?」

 金の石もそちらを見て、思わず驚きました。

 荒れ果てた大地が広がり、黒い黄泉の門がそびえる狭間の世界。そこに、金の鎧兜を身につけたフルートが立っていたのでした。

 

 「え?」

 フルートは驚いて目の前の人たちを見つめました。ゼンがいます。金の石の精霊がいます。大小の岩が転がり、ひび割れた地面がどこまでも続く中、彼らのすぐ後ろに、黒い大きな門がそそりたっています。

 門を見たとたん、フルートは、はっとしました。思わず叫びます。

「ゼン! くぐっちゃだめだ! それは黄泉の門だよ――!!」

 すると、驚いた表情をしていたゼンが、たちまちあきれた顔に変わりました。

「おい、フルート……そんなこと言ってる場合かよ。おまえの方こそ、やばいんじゃねえのか? なんでここに来たんだよ?」

「なんで――?」

 フルートはまた驚き、あわてて考えました。自分は確か、砂漠の中にいたはずです。雨上がりに突然あふれ出した涸れ川、そこから襲いかかってきた水魔たち、おしゃべりな闇がらす、フルートの中の願い石を狙うカマキリの怪物。そして、フルートは――

「そうだ。カマキリに稲妻を食らったんだ……。そして、気がついたら、ここにいたんだ……」

 やっぱり、とゼンはうめきました。隣で金の石の精霊が言います。

「本当にもう、君って奴は――ぼくがいないと、すぐにこんなふうに危なくなるんだから」

 まるで頭痛でもするように額を押さえてしまっています。

 フルートはまばたきしながらゼンたちを見返しました。

「もしかして、ぼくも死にかけているってこと……?」

「もしかしなくてもそうだ!!」

 とゼンと金の石の精霊が同時に答えました。偶然にも、ぴったり声が合ってしまっています。

 

 ゼンがどなり続けました。

「おまえは俺を生き返らせようとしてんだろ!? だったら、のほほんと死にかけてねえで、さっさとしろよ! 遅ぇだろうが、ぐず!」

 すると、フルートが、珍しくむっとした顔になりました。

「好きで死にかけたわけじゃないよ。こっちだって必死で進んでるんだ。君の方こそ、どうして黄泉の門の前なんかをうろうろしてるのさ? まさかあっちに行きたくなってきたんじゃないだろうね?」

 ゼンはさらに腹を立てた顔になりました。

「相手を見てものを言え、この馬鹿! 俺は絶対に死なねえ! どんなに黄泉の門が誘ってきたって、絶対にくぐるもんか! だから――」

 ゼンの口調がふいに変わりました。低い真剣な声になって言います。

「――だから、とっとと俺を助けろ。待ってんだからよ。俺も金の石もいねえのに、勝手に死んだりするんじゃねえや――」

 ゼンのかたわらでは、金の石の精霊がにらむようにフルートを見ていました。精霊は人とは感情のありようも、ものの考え方も違うはずなのに、何故だか今にも泣き出しそうに見える顔でした。

 フルートはゼンを見つめ返しました。

「助けるさ――。絶対に、君を助ける。だから待ってろ」

 ゼンと同じくらい低い声に、強い想いを込めて言い切ります。ゼンがうなずきました。

 金の石の精霊が言いました。

「さあ、送り戻すよ、フルート。これはそうそうできる技じゃないんだからね。後はもう、ここには来ないでくれよ」

「またハルマスでな」

 とゼンが言いました。笑って見せています。フルートはうなずき、小さな金色の少年に目を移しました。

「頼むね、金の石」

 少年は黙って肩をすくめ返すと、フルートへ小さな両手を向けました。たちまち、強い金の光がわき起こって、フルートの全身を包みます。フルートが光の中に見えなくなっていきます――。

 

 

 泣いてすがっていたポチの手の中で、フルートが身動きしました。砂漠の中を流れる涸れ川のほとりです。それまで息をしていなかったフルートの胸が大きく動いて、溜息をつくように呼吸を始めます。

 ポチは歓声を上げて飛びつきました。強く揺すぶりながらのぞき込むと、フルートが目を開けました。

「ポチ……」

 ポチは何も言えなくなりました。フルートの首にしがみつくと、声を上げて泣き出してしまいます。

「おやおや、生き返ってきたんだ。さすがは金の石の勇者、タフだねぇ」

 川岸の木の枝で、青年の姿をした闇がらすが言いました。驚いた顔をしていましたが、すぐにまた冷笑を浮かべます。

「でも、それもちょっとの間だよ。もうすぐここに闇の怪物たちの大群が到着するからね。そうしたら、今度こそ君は一巻の終わり。連中に食われる運命さ」

「死ぬもんか」

 とフルートはきっぱりと言い返しました。泣きじゃくるポチを抱きながら体を起こし、空いている手でかたわらの剣を握ります。

「ぼくはゼンを助けるんだ。たった今、もう一度そう約束してきたんだからな」

「無駄無駄。闇の連中はすごい数だよ。とても勝てるはずがないって。そら、もうすぐ来るぞ。――ここだ! 金の石の勇者はここにいるぞ! 願い石を手に入れたい奴は、誰よりも早く駆けつけてこい!」

 黒髪に黒い羽根の服の青年が空に向かって高く呼びかけます。フルートはものも言わずに剣を振り上げました。切っ先から炎の弾が飛び出します。

「カーアカアカア!」

 青年は一瞬で黒い鳥の姿に戻ると、翼を羽ばたかせて飛び上がりました。そのまま、まっすぐ空へ上っていってしまいます。やがて、空の高みから呼びかける声が聞こえてきました。

「カーアカーア、勇者はここだ! 金の石の勇者はここだぞ、カーア……!」

 

 フルートは立ち上がりました。

「行こう」

「どこへ……? キャラバンに戻るんですか?」

 一生懸命涙をぬぐいながらポチが尋ねました。フルートは首を横に振りました。

「ぼくを狙って怪物の大群が来るなら、とてもダラハーンたちまでは守りきれない。このままぼくたちだけで東を目ざそう」

 ポチは何かを言いかけて、すぐにそれをやめました。フルートだって、自分たちがしようとしていることの無茶は承知しているのです。承知の上で、なお、東へ進もうと言っているのでした。

 ポチは、今は澄み切っている涸れ川に駆け寄ると、下げていた水筒に水をいっぱい詰めました。水筒の中に海の指輪はありません。水がひとりでに増えてくることは、もうないのです。それでも不安な気持ちを押し殺して、堅く水筒の蓋を閉めました。

「準備いいですよ、フルート」

「よし、出発だ」

 涸れ川から離れれば、そこはまた砂の丘と谷が延々と続く灼熱地獄です。闇がらすはもうどこにも姿が見えなくなっているのに、声だけが空からつきまとい続けていました。

「カアカア、勇者はここだ! カアカア、勇者はここにいるぞ――!」

 声に誘われるように、空の彼方から闇の怪物たちが迫ってくるような気がしました。

 フルートとポチは唇をかみ、歯を食いしばり、足早にまた砂漠を歩き出しました。

 太陽が頭の真上から容赦なく照りつけてきました。強い日差しで砂と少年たちを焦がしていきます。砂漠が一番暑くなる時間帯がやってきているのでした――。

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