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第7巻「黄泉の門の戦い」

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63.涸れ川(かれがわ)

 砂漠に変化が現れたのは、正午になる少し前のことでした。それまで雲ひとつなく晴れ渡っていた空が、急に暗くなり始めたのです。黒雲が広がって、太陽をおおい隠していきます。

 フルートとポチが驚いていると、キャラバンの男たちが歓声を上げました。

「雨だ! 雨が来るぞ!」

「雨?」

 少年たちはまた驚きました。砂漠にも雨が降ることはある、とさっき隊長のダラハーンから聞いたばかりですが、本当に砂漠の雨に出会えるとは思ってもいませんでした。頭上の雲はみるみるうちに濃くなって、あたりは夕方のように薄暗くなってきました。

「これは本当に来るな。――この先は涸れ川(かれがわ)だ。危険だからここで待つぞ」

 とダラハーンが言いました。

「涸れ川?」

 と少年たちがまた繰り返します。一面に広がっているのは、なだらかな丘と谷を作る砂の大地です。どこにも川など見あたりません。

 すると、ダラハーンは行く手の砂の谷間に連なる、黒い影のようなものを指さしました。

「わかるか? あそこには木や茂みがあるんだ。半分枯れかかっているのもあるが、ずっと横につながってる。あの真下に、川があるんだ。普段は砂の下に潜っていて地上には現れないんだが、雨が降ると――」

 言っているそばから、水の粒が降りかかってきて一行をたたき始めました。大粒の雨です。雨脚はどんどん強まり、やがて篠(しの)突く雨に変わりました。あたりが雨に閉ざされて、何も見えなくなります。轟音が砂漠に充ちて、互いの声も聞こえなくなってしまいます。

 キャラバンの男たちが大喜びで片っ端から入れ物を広げ、雨水をためている様子が、激しい雨の中に垣間見えました。裸になって全身に雨のシャワーを浴びている人もいます。

 小柄なポチが全身を雨にたたかれて悲鳴を上げていました。本当に、痛いほどの雨です。フルートはポチを抱き寄せると、マントをその上に差しかけてやりました。フルート自身は鎧兜を身につけているので、雨はいっこうに平気です。鎧とマントをたたく雨音がドラムのように響く中、降り続ける雨を眺めます――。

 

 一時間ほどすると、雨は降り始めと同じように、唐突に止みました。風が吹き、たちまち空が明るくなっていきます。雨雲は風に乗って彼らが来た方向へと流れていきました。その下で雨が降り続けているのが、けむった暗い影になって見えています。頭上からまた太陽が照り始めます。

「まあ、いい補給になったな」

 入れ物にためた雨水をせっせと水筒に詰めている仲間を見て、ダラハーンが笑いました。砂漠を涼しい風が吹き渡っていきます。けれども、それは一瞬でした。すぐに太陽はまた焼けつくような日差しを投げ始め、濡れた砂からかげろうが立ち上ります。人々の濡れた服からも白い湯気が上がりましたが、たちまち乾いて見えなくなってしまいました。砂漠にまた暑さが戻ってきます。

「そら、あれだ」

 とダラハーンが行く手を指さしました。フルートとポチは、そちらを見て、あっと驚きました。さっきまで砂しかなかった谷間に、黄色い濁流があふれていました。フルートたちの右手から左手へ向かって、すさまじい勢いで流れていきます。砂漠の真ん中に、川ができていたのです。

「これが涸れ川だ。普段は地下を流れていて、雨が降った後だけ、こうして地上を流れ出す。砂漠の雨はいつ降るかわからないから、涸れ川をいつ水が流れ出すかもわからない。それを見られたおまえらを幸運と言うべきか、それとも不運と言うべきか――だな。かなりの勢いだから、渡れるようになるまで、少なくとも半日は待たなくちゃならないぞ」

「半日……」

 とポチが顔色を変えました。フルートも唇をかみます。ゼンが闇の毒に倒れて、もう三日目です。残り時間はあと一日半しかないのです。

 すると、ダラハーンが少年たちに言いました。

「あきらめると、アジの女神のほほえみが逃げるぞ」

 フルートはすぐにうなずき返しました。ポチも、今にも泣き出しそうになるのを懸命にこらえました。行く手をさえぎる濁流を見つめます――。

 

 雨上がりの砂漠は猛烈な暑さになっていました。今までとは違う、むっとくるような蒸し暑さです。砂漠に降った雨が水蒸気に変わって、あたり一面から立ち上っているのです。

 人々は川の手前にラクダを座らせ、わずかにできる日陰に体を横たえていました。どのみち、川の流れが緩やかになるまで先には進めないのです。暑さにうだりながら、時間が過ぎるのを待っています。

 やがて、涸れ川の流れがほんの少し静かになってきました。川面にできていた渦が消え、黄色く濁った水の色がなんとなく薄くなってきます。水かさも徐々に減り始めて、水中から木や植物が姿を現してきます。

 ポチは川のそばまで行ってみました。足下に注意しながら川を眺めます。川面は落ちついてきていましたが、それでもまだまだ流れは速く、とても向こう岸へは渡れそうにありません。

 彼らが目ざすシェンラン山脈はこの川を越えた、東の彼方です。ぼくが風の犬に変身できたら――と、ポチは、もう何百回、何千回繰り返したかわからないことばを、また心の中で繰り返してしまいました。何の力もない自分が情けなくて、涙がこみ上げそうになります。ダラハーンが言う気まぐれな女神は、まだ彼らにほほえんではくれません。時間だけが無情に過ぎ去っていきます。

 ゼン……とポチは心の中で呼びました。陽気で元気なゼンが恋しくて、「この生意気犬め!」と言って笑う顔が懐かしくて、本当に涙があふれてきます。

 その時、川の流れが一筋、急に流れる方向を変えました。濁流から別れるように川岸へ流れ、岸辺の砂の上に這い上がってきます。まるで生きた蛇のような動きです。

 水はするすると音もなくポチの足下に流れ寄り、そのままそこで渦を巻きました。少年の足に絡みついてきます――。

 

 突然少年の悲鳴が上がったので、一同は仰天して跳ね起きました。声のした方を見て、さらに驚きます。

 川の中から水の柱がそそり立っていました。水そのものなのに、まるで柔らかな太い鞭のように見えます。その先端に白い髪の少年をつかまえて、川の上に高々と逆さづりにしています。

「ポチ!!」

 フルートは真っ青になって駆け出しました。ポチに絡みついているのは怪物です。水蛇に似て見えますが、蛇の形をしていません。もっと原始的で、もっと禍々しい雰囲気がする水の怪物でした。

 フルートは炎の剣を引き抜くと、怪物目がけて鋭く振りました。炎の弾が飛び出して、怪物に激突します。――が、炎はジュンと音を立てて、蒸気と共に消えてしまいました。水の怪物に炎の弾は効かないのでした。

 ポチを捉えた怪物は川の真ん中にいました。どんなに切りつけても剣は届きません。フルートは剣を収め、即座に川に飛び込もうとしました。それを後ろからダラハーンが駆けつけて止めます。

「よせ! 激流だ、溺れ死ぬぞ!」

 すると、その声を聞いたように、怪物がこちらに向かって動きました。まるで振り向いたような動きです。目も顔もない怪物が確かに自分を見たのを、フルートは感じました。

 また少年の悲鳴が上がりました。突然、怪物がポチを放したのです。少年は頭から落ちて、濁った水の中にあっという間に見えなくなってしまいます。

「ポチ――!!」

 フルートはまた叫び、次の瞬間、自分をつかまえているダラハーンを力任せに突き飛ばしました。水の鞭のような怪物がいきなり襲いかかってきたのです。フルートに絡みつき、川の真ん中へと連れ去ってしまいます。

「フルート!!」

 とダラハーンは叫びました。助けに行こうとしても、とても彼らには届きません。

 すると、川の上に宙づりになりながらフルートが叫び返しました。

「逃げてください! 川から離れて――」

 水の鞭が急に縮んで、水の中へ消えていきました。フルートの小柄な体も水しぶきと共に水中へ沈みます。川は激しく流れ続けています。水が後から後から押し寄せてきて、何もかもを川下へと運び去っていきます。

 川にはもうフルートも怪物も見あたりませんでした。先に川に落ちたポチの姿も見えません。ただ濁った水が音を立てて流れていくばかりです。

「馬鹿な……」

 ダラハーンと男たちは、少年たちが消えていった川を茫然と眺めてしまいました――。

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