「なんて連中なの、本当に!」
金と黒と宝石に飾られた部屋で、黒いドレスの女が怒りの声を上げました。
「下らない虫けらなんだから、それらしく素直に苦しんだり嘆いたりしていればいいものを! どいつもこいつも無駄な抵抗ばかりして! 本当にもう、いまいましいこと!」
かんしゃくを起こしてテーブルの上に並ぶグラスを一気になぎ倒します。ガシャーン、と派手な音が上がり、グラスに充ちていた透明な液体が飛び散ります。
そのテーブルの向こうには黒こげの大きな物体が転がっていました。人のような形をしていますが、頭には大きな二本の角があります。ポポロの魔法で焼かれた牛男のタウルでした。
レィミ・ノワールは、ぎりぎりと歯ぎしりをしました。
「やっぱり許せないわね、あの小娘。あんななりで、あたくしに対抗するだなんて。絶対に死ぬより苦しい目に合わせてやるわ!」
すると、グラスから流れ出た液体の中から、煙のように影がわきたちました。黒曜石のテーブルの上で渦を巻きながら、竜の形に変わっていきます。小さいながらも、四枚の翼をはばたかせています。
「彼ラヲ甘ク見テイテハ勝テナイゾ、魔王」
と影の竜が話しかけてきました。
「彼ラハ光ノ戦士ダ。手加減シナガラ倒セルヨウナ相手デハナイ。最大級ノ攻撃デ、ヒトリズツ一気ニ仕留メテイクノダ」
「お黙り、デビルドラゴン!」
とレィミ・ノワールはぴしゃりと言い返しました。
「あんたはあたくしの中にいて、おとなしく力を貸していればいいのよ! あたくしに指図するんじゃないわ!」
歴代の魔王の中でも、デビルドラゴンに逆に命令してきた者はめったにありません。影のドラゴンは冷ややかに笑うような気配を漂わせました。
「手ヌルイト言ッテイルノダ、魔女。オマエノチカラハ、ソンナモノデハナイ。オマエハモウ魔王ダ。死ヌヨリ辛イ苦シミモ、生キナガラ見ル地獄モ、自在ニ作リダセルノダゾ」
「あんたに人間の何がわかるというの? 人ではないもののくせに!」
とレィミ・ノワールはまた言い返しました。
「殺すのは簡単なことだわ。でもね、あたくしはあいつらの苦しむ顔が見たいの。絶望に顔を歪めて、泣いてわめいて、破れかぶれに走り出す場面が見たいのよ。――体を痛めつけて苦しめるなんてのもダメよ。心を痛めつけなくてはまいったと言わない連中は多いんだから。本当の意味で、あいつらが苦しむような目にあわせなくちゃね。でしょう、デビルドラゴン?」
魔女があざ笑うように言いました。以前、デビルドラゴンがフルートを肉体的に傷つけて降参させようとして、どうしてもかなわなかったことを知っているのです。影の竜は何も言いませんでした。
ふん、と魔女は鼻を鳴らし、椅子にもたれかかりました。影の竜が舞う下で、グラスがひとりでに起き上がり、また透明な液体でいっぱいになっていく様を、いまいましそうに眺めます。
「まったく予想外よね。あのドワーフの坊やを殺すことさえできれば、すべてはこちらの思惑通り行くっていうのに……。あの坊やは、勇者のガキどもの要(かなめ)よ。もちろん、中心はあの金髪の坊やだけど、ドワーフの坊やはその支えなの。だから、それさえ殺せたら勇者は立ち上がれなくなるし、自動的に一行も総崩れになるのに」
「狭間ノ世界ニ行ッテモシブトク抵抗シテイルナ」
とデビルドラゴンがまた言いました。
「闇の毒では無理だろうとは思ったのよ。なにしろ、金の石があるんだから。そうじゃなくて、精神的に追い詰めて殺してやろうと思ったのに――どうして、それもはねのけるわけ?」
「オマエノ自慢ノ色仕掛ケモ効カナカッタナ」
デビルドラゴンが冷笑します。魔女は、ふん、とまた鼻を鳴らしました。
「子どもにあたくしの一番の武器が効かないのは承知しているわ。だから、あいつらはやりにくいの。ガキの相手はガキにしかできないのよ。だから、わざわざ狭間の世界まで下りていって、たっぷり媚薬の魔法を振りまいてから、あの坊やの片思いの小娘で誘ってやったのに」
魔女の美しい顔が怒りに歪みます。
「あそこで、あの小娘を抱いて黄泉の門へ飛び込んでいけば、計画通りだったのよ。それでドワーフのガキは一巻の終わり。それを助けに来たはずの小娘も、永遠に目覚めなくなる。――あたくしはね、あのガキが小娘を抱いたら、それをあの金髪の坊やに見せつけてやるつもりでいたのよ。金髪の坊やも小娘に片思いしてるわ。それを親友が横取りして逃げていったら、これほど素敵な精神的ダメージはないわよね。なんだったら、もうちょっと先の二人の様子まで妄想させてあげようかとも思ったのだけど。泣いて抵抗する小娘を力ずくで奪っていくような場面をね」
その様子を想像したのか、ほほ、と魔女は短い笑い声を立てました。
「いくらあの坊やでも、そこまで裏切られたら親友を憎むようになるわ。泣いて怒り狂ったことでしょう。愛しい小娘を取り戻そうとするに決まってる。――そこに願い石を使わせたかったのよ」
願い石の名前が出たとたん、デビルドラゴンが反射的に身をひきました。
その様子に、魔女がまた、ふふん、と笑います。
「願い石に消滅を願われるのが、あんたには一番怖いのよね、闇の竜。いくらあんたでも、願い石の力には勝てないから。幸い、あの坊やはまだそれを願わないけど、仲間たちを殺されそうになったらわからないわ。あの坊やのことだもの、自分自身はどうなってもいいと言って、願い石を使うに決まっている。だから、不用意にあいつらを殺せない、と言ってるのよ。金髪の坊やに願い石をまともに使わせたら、こちらの負けなんだから」
美しい部屋の中、黒曜石のテーブルの上でグラスが音もなく光っています。底暗さをはらんだ妖しい光を返しながら、その中に様々な景色を映し出します。そのひとつには、金の鎧兜を身にまとい、意志の強い横顔をこちらに向けたフルートが映っていました。
魔女は渋い顔をしました。
「この坊やの最大のダメージは仲間たち。特にドワーフの親友と、片思いの小娘の存在が大きいのよ。その二人が裏切れば、絶対に怒り任せに願い石を使うわ。親友の死を願うか、小娘を奪い返すことだけを願うか。いずれにしても、願い石はそれをかなえる代わりに、勇者の坊やから一番大きなものを奪っていく。おそらくは、坊や自身の命をね。願い石はそれで消滅するから、もう怖いものは何もなくなるのよ」
「ダガ、ぜんハぽぽろヲ連レ去ロウトシナカッタ」
とデビルドラゴンが言いました。魔女の顔がたちまちまた怒りに染まります。
「そうよ! だから、いまいましいと言っているのよ! どうやら、あんたが以前あの坊やを追い込んだことが薬になってしまったようね、デビルドラゴン。あそこまで心動かされたのに、それを跳ね返すだなんて――しかも、もう一人の痩せっぽちの娘が、あんなに大きな存在になっていただなんて――! これだから男は信用できないのよ。すぐに気が変わるんだから!」
「人ハ男モ女モ皆ソウダ」
と竜が皮肉な声で言います。
「コウダト思ッテイレバ、予想モシナイ反応ヲ返シテクル。捉エタト思ッテイタノニ、コノ手カラスリ抜ケテイク。人ハ何故ソンナニモ変ワリヤスイノダ」
とたんに、魔女は笑いました。
「闇の竜にも人の心のうつろいやすさは読み切れない、というわけ? 悪の権化が情けないじゃないこと?」
と皮肉たっぷりに言い返します。
「我ハ闇。我ハ悪。ソコカラ動クコトハナイシ、ソレカラ変ワルコトモナイ」
とデビルドラゴンは答えました。冷ややかなほど落ちついた声で続けます。
「ふるーとヲ殺セ、魔王。願イ石ヲ使ウ暇モナイクライ、一気ニソノ命ヲ絶ツノダ。癒シノ石ハ今ハふるーとノ手元ニハナイ。今ナラソレガデキル。ふるーとサエイナクナレバ、後ハ雑魚ノ集マリダ。イクラデモ苦シメテ殺スコトガデキルゾ」
「だから、あたくしに命令するのはおやめと言っているのよ!」
とレィミ・ノワールは金切り声を上げました。椅子から立ち上がり、テーブルの上に浮かんでいる小さな竜を指さします。
「さっさとお戻り! 目障りだわ! あたくしは絶対にあの金髪の坊やを泣かせてやるのよ。あたくしのすることに口出しは無用だわ!」
影の竜が大きく翼を羽ばたかせました。まるで肩をすくめたようなしぐさです。そのまま音もなく消えていきます――。
デビルドラゴンが消えても、レィミ・ノワールはまだ怒りのおさまらない顔をしていました。テーブルの向こうに転がる黒こげの物体に目をやると、すさまじい声でどなりつけます。
「いつまで寝っ転がってるつもり、タウル!? さっさと復活してらっしゃい!」
とたんに、物体の表面から黒い表皮が音を立ててはがれ落ち、まるでさなぎの皮を脱いでくるように、中から牛男が立ち上がりました。裸の体に短い黒い毛を光らせ、拳を握った両腕を振り上げて吠えます。びりびりと、魔女の部屋が震えます。
魔女は顔をしかめました。
「なぁに、馬鹿声を張り上げて。うるさいじゃないの」
それへ飛びつくように、牛男が迫りました。大声で言います。
「俺はあの小僧を見たぞ! 黄泉の門の近くをうろついて、毒虫と戦っていた! あいつはまだガキだが、やっぱり強い。俺をもう一度あそこへ行かせろ! あいつと勝負をつけてやる!」
レィミ・ノワールはあきれたように男を見ました。
「あんたは死にかけたのよ、タウル。黄泉の門のすぐそばまで行ったから、あのドワーフのガキが見えたんだわ。せっかく命拾いしたって言うのに、もう一度死にたいわけ? いくらあたくしの魔法でも、次も助かるとは限らないわよ」
けれども、戦いと力を何よりも好む怪物は、魔女のことばに耳を貸しませんでした。荒い鼻息を立てながら言い続けます。
「俺をあのドワーフのところへ送れ、レィミ。あいつを倒して、ばらばらにして食ってやる!」
「だからねぇ――」
うんざりしたように説得しかけた魔女が、ふいに、表情を変えました。長い爪先を紅い唇にかけ、少しの間考え込みます。
「そうね――いいかもしれないわ。ドワーフの坊やさえ殺せば、勇者の一行は総崩れ。金髪の坊やは願い石に友達のよみがえりを願って、引き替えに生き返ってきた友達に殺されるんだから。あら、なかなかのストーリーよね」
ほほほ、と魔女は声を立てて笑いました。
「戦わせてくれるんだな、あの小僧と」
と牛男が言いました。
「あんたがそこまで言うならね。どうせ危険は承知の上なんでしょう。思う存分暴れてらっしゃい」
魔女がかざした手の先に、一本の新しい斧が現れました。柄から先端まですべて金属でできていて、研ぎすまされた刃が濡れたように黒く光っています。それを牛男に渡しながら、魔女は言いました。
「さあ、行ってらっしゃい。あのドワーフのガキを力任せにたたきのめすのよ」
「むろんだ」
と牛男は楽しげに答えました。大きな重い斧を、まるで小枝のように軽々と振り上げ、うなりを立てて振り回します。
レィミ・ノワールは、テーブルの上のグラスのひとつへ目を向けました。そこには金の石の精霊と狭間の世界をさまようゼンが映っていました。
「色仕掛けに乗ってくれないなら、今度は力ずくよ。待ってらっしゃい、ドワーフの坊や。今度こそ黄泉の門をくぐらせてあげるから」
ほほほほ……と高く笑う魔女の声に、グラスが震え、中に映ったゼンたちの姿が揺れました。この世ならぬ遠い場所の中で、ゼンと金の石の精霊の二人の少年は、何やら賑やかに話し合っているようでした――。