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第7巻「黄泉の門の戦い」

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60.牛男

 金と黒と宝石とで飾られた部屋が薄れていく中、ユギルは誰かの手に腕をつかまれて、強く引き戻されていました。暗い光に充ちた部屋が急速に遠ざかっていきます。

 ふと気がつくと、すぐ隣を牛のような頭の大男が走っていました。筋肉の盛り上がった裸の肩に大きな斧を担いでいます。ユギルを見ると、にやりと笑います。

「いいところで会ったな、占い師。ここならばレィミも口を出せない」

 そう言うなり、いきなり斧を振り回して首を跳ね飛ばそうとします。とっさにユギルは頭を下げてかわしました。そのすぐ上を斧がかすめていきます。

 牛男はもう一度斧を構え、ユギルの真上から振り下ろしてきました。今度はユギルにも避けられません。

 すると、牛男に突然何かが飛びかかりました。激しいうなり声を上げながら、斧を持つ手にかみつきます。男が思わず声を上げ、斧の狙いがはずれます。

 その瞬間、ユギルは現実の世界に戻っていました。

 

 ユギルの腕をゴーリスがつかんでいました。真剣そのものの顔に、一瞬、ほっとした表情を浮かべます。

「戻ってきたな」

「ゴーラントス卿」

 そのすぐわきではオリバンが剣を構えていました。

「出てきたぞ! ユギル、下がれ!」

 と、かばうように前に出ます。その目の前の空間から、斧を構えた太い腕と肩が現れてくるところでした。続いて牛の角を持つ頭がぬっと出てきます。まるで、何もない空間に切れ目ができて、無理やりそこをくぐり抜けてくるように見えます。

 すると、牛男の反対側の手が現れ、いきなり何かを投げつけてきました。茶色の毛並みの犬です。先ほど牛男に飛びかかってかみついたのは、ルルだったのでした。

 ルルは地面にたたきつけられる寸前に風の犬に変身すると、渦を巻いて空に舞い上がりました。

「この怪物を外に出しちゃだめよ! こいつはユギルさんを殺そうとしてるの! オリバンも殺せって魔王に命じられているらしいわ!」

「そう簡単に殺されるものか」

 とオリバンは言うと、上半身だけ現れている牛男へ切りかかっていきました。それを、牛男の斧が、がっきと受け止めます。オリバンは大柄ですが、さすがに牛男の方がさらに大きな体をしています。力も強く、たちまちオリバンを剣ごと跳ね飛ばしてしまいます。

「王子、命はもらったぞ」

 と牛男が踏み出してきました。右足まで体が現れます。

 すると、淡い光を散らして剣がひらめきました。怪物の太い胴を横なぎにします。ゴーリスが聖なる剣で切りつけたのです。牛男は腹を押さえ、頭を振ってすさまじい声を上げました。まるで本物の雄牛が吠えているようです。

 ところが、その傷がみるみるうちに消えていきました。闇のものを一撃で消し去る聖なる剣が、牛男には効きません。ゴーリスたちは驚きました。

 そこへ、今度は少女の声が響きました。

「お行き、花たち!」

 メールが巨大な牛男の前に恐れる様子もなく立ち、守りの花を操っていました。差し上げた手を振り下ろすと、花がいっせいに怪物に襲いかかっていきます。まばゆい光が燃え上がり、怪物の体を包み込みます――。

 ところが、光が消えた後には、やっぱりまた牛男が姿を現しました。もう左の足まですっかり現れ、こちらの世界にやってきています。斧を振りかざしながら大声で笑います。

「無駄だ! 俺はミノタウロスと闇の民の間に生まれている! ミノタウロスは闇の怪物ではない。聖なる武器で俺は消せんぞ!」

 言いながら、大きな斧を振り回します。全員はあわてて飛びのきました。ほんのちょっとでも斧に触れたら、たちまち首が飛び、体が真っ二つにされてしまいます。

 

 庭の中で赤い衣の小男と白い衣の女神官が杖をかざしていました。庭の隅では、青い魔法使いと深緑の魔法使いも杖を掲げています。四人の魔法で牛のような怪物を抑え込み、倒そうとします。

 けれども、その時ユギルが声を上げました。

「光の護具をお使いください! 魔王の魔法が来ます!」

 四人の魔法使いは、はっとしました。赤と白の魔法使いが、全速力で自分の持ち場へ走っていきます。ぶぅん、と音がして、中庭の四隅から護具が光を放ち、輝く膜で庭全体をおおっていきます。

 とたんに、天から巨大な稲妻が落ちてきました。中庭を直撃し、光の膜にはじかれて地面へ流れていきます。バリバリと引き裂くような音が庭中を震わせます。間一髪でした。

「魔王は直接攻撃することもできたのか!」

 とオリバンが思わず驚くと、庭の中に立つ牛男がまた笑いました。

「レィミは闇の魔女だ。魔王になって、その魔力はすさまじく強力になっている。レィミがその気になれば、ここを魔法で吹き飛ばすくらい簡単なことだ。ただ、レィミはそれをしないだけだ。貴様らをとことん苦しめ抜くためにな――」

 大きな斧がまたうなりました。オリバンを鎧ごと真っ二つにしようとします。オリバンがとっさにかわすと、後ろからゴーリスが牛男に切りつけました。やはり、聖なる剣はこの怪物には効きません。傷が治っていってしまいます。

 再び天から稲妻が降ってきました。庭を守る光の膜をまたまともに撃ちます。膜の上を走っていく稲妻を見ながら、メールとルルは心配そうな顔をしました。

「持つかな……?」

 こんなとき決まって光の護具がどうの、と騒ぐピランの姿が見あたりませんでした。

 

 すると、突然またユギルが叫びました。

「殿下、ゴーラントス卿! お下がりください! メール様、花をお引きください!」

 えっ? と一同は思わず驚きました。それでも、言われた通り、反射的に牛男から飛びのき、空に渦巻いていた守りの花を引き戻します。

 とたんに、中庭に呪文が響きました。

「ロエーモツブイカーニカナノオノーホ!」

 凛とした少女の声です。建物の入口の前にポポロが立って、片手を高く天に向けていました。

 次の瞬間、牛男の体は激しい炎を吹いて燃え上がりました。巨大な炎が周囲をなめるように広がります。怪物は炎の中で悲鳴を上げました。みるみるうちに燃えていきます。

 と、その姿が炎ごと中庭から消えました。後には斧だけが残りましたが、その斧も木の握りが燃えだしていて、やがて溶けるように見えなくなってしまいました。

 

「ポポロ!」

 とメールとルルは歓声を上げて少女に駆け寄りました。小さな黒衣の少女が、ふう、と溜息をついて腕を下ろします。

「びっくりしたわ……。急に雷の音がして目が覚めたら、みんなが怪物と戦っているんですもの。昼間なのに襲ってきたのね」

「魔王のレィミ・ノワールが送り込んできたのさ。オリバンたちを殺そうとしたんだ。ポポロが来てくれて助かったよ」

 とメールが答えます。

 そこへ、どこからか急に、きいきいとわめくような声が聞こえてきました。

「えぇい、まったく! むちゃくちゃ危険な魔法じゃな! まわりの迷惑というのをちっとは考えんか!」

 そう言いながら姿を現したのはピランでした。牛男がいたあたりの地面から急に出てきて、怒りながらわめき続けます。

「かなり深くまで潜っとったのに、炎の熱が地面の中まで伝わってきたぞ! もう少しで自慢の髭が焦げるところじゃったわい! たかが怪物一匹燃やすのに、あんな馬鹿でかい火を呼ぶんじゃない!」

「ご、ごめんなさい……」

 たちまちポポロが泣きべそ顔で小さくなります。メールがそれを抱き寄せて、ピランへ口をとがらせました。

「そんなところに隠れてる方が悪いんじゃないのさ。ポポロが来なかったら、みんな大怪我してたんだよ」

「馬鹿もん! わしは隠れていたわけじゃない! わしはノームじゃ。実際の戦闘では役にたてんから、地面に潜って皆の邪魔にならんようにしとったんだ!」

 老人は屁理屈のようなことを堂々と言ってのけます。メールは思わず肩をすくめてしまいました。

 

 ユギルが一同に頭を下げました。

「ありがとうございました……例えでも何でもなく、本当に命拾いいたしました。占いで深く踏みこみすぎて、魔王に捉えられてしまっておりました。未熟の極みです」

 すると、そこへまた赤と白の二人の魔法使いが駆け寄ってきました。赤い衣の小男が話しかけてきます。

「マヌ、ワ、メ、セタ」

「ユギル殿を危険な目にお合わせして申し訳ない、と言っています。まことに、我々の方こそ迂闊でした。もう少しで、ロムド一の占者を魔王に殺されてしまうところでした」

 と白い女神官が赤の魔法使いと一緒に神妙に頭を下げます。ユギルは答えました。

「いえ、わたくしの方こそ注意が足りませんでした。占いの場の距離感がつかめなかったばかりに、敵のふところへ飛び込んでしまったのです。……ですが、次にはもうこのような失態はさらしません。わたくしをつかまえそこねて失敗した、と必ず、あの美しい魔女に思い知らせることにいたしましょう。魔女の下らない計画など、片端から見破ってつぶしてまいります」

 鋭い怒りと皮肉を込めて、銀髪の占者はきっぱりと言い切りました。一同は思わず目を丸くしてしまいました。珍しいことに、ユギルはあからさまに腹を立てていたのです。

 やれやれ、相変わらず青いのぉ――。

 ノームの鍛冶屋の長が、あごひげをしごきながら、そっと笑っていました。

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