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第7巻「黄泉の門の戦い」

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59.異大陸の歌声

 黒い艶やかな肌、縮れた短い黒髪の小男は、庭に座りこんで太鼓を鳴らし続けていました。ハルマスの町中を風が湖に向かって吹き抜けます。風は男の赤い衣をなびかせ、歌声を運んでいきます。哀愁を帯びた音と声が、庭の中を目に見えないうねりで充たします――。

 すると、少し離れた場所からそれを見守っていたユギルが、ふいに息を飲みました。驚いたように何度もまばたきをします。

「どうした?」

 と隣に立つゴーリスが尋ねました。

 占い師の青年は青と金の色違いの瞳を宙に向け、眉を寄せて目をこらしながら言いました。

「象徴が見えるのです……。占盤も使っていないのに、こんなに鮮やかに見えるのは初めてです……」

 ユギルはとまどっていました。本当に、占盤を使って占うよりもはっきりと、象徴の場が見えているのです。自分は今、占いをしていないにもかかわらず、です。

「ト、ワ、シクロ」

 と歌の合間に黒い小男が言いました。かたわらから白の女神官が通訳します。

「きっと、ユギル殿が占いに共鳴したのだろう、と赤が言っています。ユギル殿は南大陸の種族の血も引いておられる。おそらく、先祖にそちらの占者がいらっしゃるのでしょう」

 ユギルはますますとまどった顔になりました。彼は自分の父親が誰かを知りません。浅黒い肌の色から南大陸の種族だろうとは推察していましたが、それ以上のことはわからなかったのです。自分自身に関することになると、ロムド一の占者も、まるで見通すことができなくなるのでした。

 ほう、と隣でピランが声を上げました。

「ユギル殿はエルフの血と南大陸の古占術師の血の両方を引いているのか。なるほど、占いの力が強いはずだな」

「エルフの血?」

 ユギルは本当に驚きました。

「わたくしが――ですか?」

「なんだ、知らんかったのか? おまえさんのその容姿を見れば一発でわかるぞ。おまえさんの先祖には、太古の魔法の民のエルフがいる。おまえさんの占いの力の源はそれじゃよ」

 ユギルは完全に面食らって何も言えなくなりました。長くまっすぐな銀の髪に、整った顔、すらりとした長身――。そんな彼をまるでエルフのようだ、と言う人は大勢いましたが、まさか本当に自分がエルフの血を引いているとは、想像したこともなかったのです。むしろ、見た目ばかり美しい自分の容姿を、疎ましいとさえ思っていました。

 すると、また赤の魔法使いが言いました。

「オ、ヨリ、ワ、ロウ」

「ユギル殿の方が占者の力は勝っておられるので、ユギル殿が占った方が良いだろう、と赤が言っています」

 と女神官がまた通訳しました。

「赤はこのまま占いの場を開き続けるそうです。どうか、勇者殿たちをお探しください」

 

 不思議な状況になってきました。異大陸の占いをする魔法使いと、エルフの力を引く占者とが、協力して闇の中を見通そうというのです。前代未聞の出来事でした。

 小男が鳴らす太鼓のうねりの中、ユギルは立ちつくしていました。象徴はますますはっきりと見えてきます。音と歌声が象徴の場では波に変わり、場を揺らしながら、象徴をくっきりと浮かび上がらせていきます。やがて、象徴の場に横たわる闇を透かして、隠されていた象徴が見え始めました。それは、鮮やかに輝く金の光でした――。

 ユギルは真剣な表情になりました。念を込めて象徴を見つめます。彼は占者です。自分を包む異国の占いの場は肌に馴染みませんが、象徴さえ見えれば、それも気にならなくなります。占いの場に見える勇者の象徴を追い続けます。

「勇者殿はご無事です……。まわりに一面の砂が広がっております。おそらく、大砂漠の中にいらっしゃるのでしょう」

 とユギルは語り出しました。そのまなざしは遠く、声は別の世界から聞こえてくるもののように響きます。人々は何も言えずに、ただそれに耳を傾けました。

「勇者殿は東を目ざしておいでです。ですが、その歩みは遅い……何故でしょう……」

 占い師は、不思議そうに最後の一言をつぶやきました。彼の占いでは、必ず勇者は期限までに魔王の元へ到達すると出たのです。こんな手前の場所で勇者がぐずぐずしている理由がわからなかったのでした。さらに深く読みとろうと、また念を込めます。

 

 すると、突然ルルが声を上げました。

「ポチは――!? 砂漠をゆっくり進んでいるだなんて、どういうことよ!? ポチはフルートと一緒じゃないの!?」

 ポチがいれば風の犬になって、フルートをあっという間にシェンラン山脈まで運んでいるはずです。ルルの胸を不吉な予感が充たしていました。

 ユギルは自分にしか見えない光景を見つめて答えました。

「ポチ殿の象徴は犬狼星(けんろうせい)の輝きです。それが見あたりません。代わりに、見たこともない象徴がいくつも勇者殿のすぐそばにおります。新しい仲間とご一緒の様子です」

「ポチは!? フルートとはぐれたの!?」

 とルルはさらに大声を出しました。心配のあまり、興奮して飛び跳ねています。けれども、それに答えるユギルの声は、どこまでも静かでした。

「ポチ殿はどこにも見あたりません。占いの場の中から、ポチ殿の象徴が消えております――」

 ルルは息を飲みました。メールとオリバンも顔色を変えます。

 ゴーリスが低く尋ねました。

「それはつまり――ポチはもうこの世にはいない、ということか?」

「わかりません。あるいは、そうなのかもしれません」

 ユギルの声は異世界から響いてくるようです。

「ポチ!」

 とルルは悲鳴を上げると、大あわてで風の犬に変身しようとしました。とっさにメールがそれを抑えます。

「ちょっとルル! 落ちつきなよ! どうするつもりさ!?」

「もちろんポチを助けに行くのよ! あの子、本当に小さくて頼りないから――きっと、砂漠で迷ったのよ! 砂漠は厳しいところなのよ! 水も草もない、地獄のように乾ききってる場所なの! 早く行かないと、あの子が――!」

「だから待ちなって! その肝心のポチがどこにいるのかわかんないんじゃないか。闇雲に探しに行ったってダメだよ!」

 メールは半ば呆れていました。もちろん、メールだってポチは心配です。けれども、ルルがこんなにポチのことで取り乱すのが、なんだか意外に思えたのです。ポチではなくポポロを心配するならば納得もいくのですが……。

 

 すると、ユギルが言いました。

「ポチ殿は魔王にさらわれたのかもしれません。勇者殿の周囲には、大変濃い闇の気配が漂っております。勇者殿に引き寄せられるように、闇の敵が集まってきているのです。これも、魔王のレィミ・ノワールが送り込んでいるものです」

 と、さらに濃く深い闇へと目を向けます。シェンラン山脈があった場所です。今はどこよりも深い闇が包み込んでいて、強められた占者の目でも、その底を見通すことはできません。

 ところが、そこへひときわ大きく男の歌声が押し寄せてきました。うなるような太鼓の音と共に、高く低く波を作り、闇を乗せて運び去っていきます。次第に薄れていく闇の中に、ひとつの光景が現れ始めます――。

 

 「あら」

 と女が驚いたように振り向きました。胸元の大きく開いた黒いドレスをまとい、宝石を無数に埋め込んだきらびやかな椅子に座っています。

 そこは金と黒と色鮮やかな宝石に飾られた部屋でした。出所のわからない暗い光が充ちる中、黒曜石のテーブルに向かって、ドレスの女が座っています。なまめかしいほど見事なプロポーションです。突然部屋に現れたユギルを振り返ると、血のような目と唇で、にっこりと笑って見せます。

「ようこそ、綺麗な占い師さん。歓迎するわよ。よくあたくしのところまで来られたこと」

 ぞくり、とユギルは全身が総毛立ちました。ユギルは初めてこの女に会いましたが、正体は一目でわかりました。魔王のレィミ・ノワールです。彼女がいるシェンラン山脈と占いの場とが、つながってしまったのです。とっさに身をひるがえして逃げだそうとしましたが、体が何かに絡みつかれたように動きませんでした。

「いやねぇ、そんなに急いで帰ろうとしなくてもいいでしょう。せっかく来てくださったのに」

 とレィミは笑いながら立ち上がりました。ユギルに向かってゆっくりと近づきながら、吟味するようにユギルを見上げます。自分の紅い唇に押し当てた指先には、ぎょっとするほど長く鋭い爪が伸びていました。

「近くで見ると、ますますいい男よねぇ……。やっぱり、断然あたくしの好み。ドワーフのガキなんて、相手にする方が間違っていたのよね」

 

 「その男は敵だ、レィミ。俺にやらせろ」

 と突然、野太い声が響きました。魔女の椅子の後ろに控えていた大柄な男です。頭に雄牛の角を生やし、顔も牛によく似ています。血走った目でユギルをにらみつけ、筋肉の浮き出た太い腕には、もう大きな斧を握りしめていました。

「およし、タウル!!」

 と魔女が鋭く叫びました。その美しい顔がたちまち鬼のように恐ろしい表情に変わります。牛男は立ちすくみ、ユギルも思わず目を見張ってしまいました。悩ましいほど美しい女の本性です。

「あらぁ、あなたに怒ったわけじゃないことよ」

 とレィミはユギルの表情を見て、急に鼻にかかった甘い声になりました。また絶世の美女に戻って、にっこりと笑って見せます。

「あなたみたいに綺麗な男を真っ二つだなんて、もったいないじゃない? あなたは生きながら石像に変えてあげましょうね。あたくしのそばにいつも飾っておけるように。そうして、あたくしがあのガキどもを苦しめて殺していく様を、たっぷり見せてあげましょう。――ちゃんとわかっていてよ、占い師。あなたも、あの金の鎧の勇者の坊やと同じ。自分自身を苦しめられるより、自分の力が及ばなくて、仲間を殺されていくことのほうが悲しいのよね」

 ほほほ、と声を上げてレィミが笑いました。長い爪の生えた手がユギルに向かって伸びてきます。思わず後ずさろうとするのに、やっぱりユギルの体は動きません。

「さあ、誰から仲間を殺してあげようかしら? 当たり前すぎるけれど、あの勇者のガキども? それとも、お友だちの黒い剣士? その奥様には憧れていないこと? あなたは主人想いかしら? だとしたら、国王様を殺すべきかしらね? 手近なところでは、あの大きな王子様――」

「やめろ!!」

 とユギルは思わずどなりました。いつもの上品な口調をつい忘れてしまっていました。

 魔女は驚いたような顔になると、すぐに、ふふん、と笑いました。笑うと、血のように紅い唇の両端から、とがった白い牙がのぞきます。

「そう、あなたも見た目によらない正体の持ち主なのね……。ますます気に入ったわ。いいわ、手始めにあの王子様から殺してあげましょう。タウル、あんたの出番よ。あそこへ行って、王子様を殺してらっしゃい。すぐに殺してしまってはダメよ。まずは目を潰して、次は両足を切って逃げられなくして、指を一本ずつ切り落とした後は、寸刻みにしていくの。ゆっくり時間をかけて、残酷にね。――この男の苦しみができるだけ長くなるように」

「まどろっこしいな」

 とうなりながら、牛男が歩き出しました。大きな斧を担ぎ、ユギルの隣を通って、彼がいた中庭へと向かおうとします。

 どうしても動くことのできないユギルは、声を張り上げました。

「殿下! 殿下、お逃げください! 敵がまいります――!!」

 青ざめているユギルを見て、魔女が満足そうにまた笑います。

 

 すると、遠くから声が聞こえてきました。

「ユギルが戻ってきた! 今だ!」

 皇太子の声です。

 とたんに、ユギルの体が後ろから強く引き戻されました――。

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