「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第7巻「黄泉の門の戦い」

前のページ

56.夏の雪

 狭間の世界の中で、ゼンはメールを呼び続けました。

 目の前に北の峰の森が揺れています。足下にはポポロが倒れています。まるで眠ってしまっているようです。あまりにも無防備な姿に、心がどうしようもなく乱れます。

 ゼンは手の中の小さな守りの花を握りしめ、自分自身の心の声をかき消すように、必死で叫び続けました。

「メール!! メール、聞こえねえのかよ!! メール――!!」

 ふいに、ゴーリスの別荘で話していた彼女の姿が心に浮かびました。外した手袋の下には、青い婚約指輪がありました。それを見せながら、メールは言ったのです。

「あたい、婚約したんだよ。結婚するんだ」

 馬鹿野郎!! とゼンは心で叫びました。結婚なんかしてる場合かよ! おまえは金の石の勇者の仲間じゃねえか! 世界の危機を放っておいて、自分だけ幸せになるってぇのかよ……!

 

 違います。

 ゼンが本当に彼女に言いたかったことは、それではありません。

 ゼンは唇をかみました。

 

 心の中のメールがあきれたように言っていました。

「なにそんなに悲愴な顔してんのさ、ゼン。ちょうどいいじゃないか。あたいは結婚する。あんたはポポロと北の峰の森で暮らす。あたいもあんたも、どっちも幸せ。ちょうどいいじゃないのさ」

 馬鹿野郎……! とゼンはまた心で言いました。おまえ、それでいいのかよ? 本当に、それでいいのかよ!? 何故だか涙がこみ上げてきそうになります。

 ゼンは小さな花を握りしめ続けました。すがるように、祈るように、かすれ声でまた呼びます。

「メール……来い……。頼む。来てくれ……」

 森のざわめきがひときわ大きく聞こえてきました。遠くでカッコウが鳴いています。谷川のせせらぎが響きます。ゼンの意識を緑の中に飲み込んでいこうとします――。

 

 すると、夏の森に急に雪が降り出しました。木立の間からのぞく青空から森の中へ、白いものが舞い下りてきます。季節はずれの雪です。

 と、雪が森の中で燃えるように輝きました。そのまま光を放って消えていきます。ゼンは目を見張りました。光は、雪が降りかかった梢や地面の上で次々に燃え上がります。光が消えた後はその場所の森が見えなくなります。まるで、本物そっくりに描かれた絵のあちこちを、見えない虫が食い破っていくようです。景色の中に無数に空く穴の向こうに、岩だらけの大地がのぞき始めます。

 ゼンはその様子を目を丸くして見つめ続けました。降ってくる白いものは雪ではありません。白く輝く百合によく似た、守りの花の大群です。

 ゼンは歓声を上げました。

「メール!!!」

 降りしきる花の中、両手を広げて思わず笑い出します。

 守りの花が森を消していきました。優しいあきらめの笑顔を浮かべた幻のフルートも、ゼンの心の中であきれ顔をしているメールも、何もかも消し去っていきます――。

 

 やがて、森はどこにも見えなくなりました。

 代わりに広がっているのは、岩が転がる荒れた大地です。ひび割れた地面に枯れ草が揺れています。

 ほっとしながらそれを眺めたゼンは、次の瞬間、ぎくりと身を引きました。

 すぐ目の前に、黒馬と人のようなナイトメアが立っていました。その後ろに黒々とそびえて扉を大きく開けているのは、黄泉の国へ続く門です。もしもゼンがポポロを抱いて森へ進んでいれば、まっすぐその門の中へ入ってしまっていたのです……。

 すると、ナイトメアの黒い姿が揺らめきました。音もなく薄れて消えていきます。

 それと同時に、黄泉の門も消えました。

 ゼンと気を失ったポポロだけが、荒れた大地に残されました――。

 

 「見て!」

 とルルが声を上げました。中庭の建物の中です。ベッドで眠るゼンからわき上がるように、黒い巨大な影が立ち上がっていました。

 それは目のない黒馬の怪物でした。鞍の上に、おぞましい姿をした人のようなものを乗せています。ナイトメアです。

 メールは即座にまた呼びかけました。

「花たち!」

 守りの花が渦を巻き、黒い怪物へ飛びかかっていきました。闇の怪物に触れたとたんに燃え上がり、光になって消えていきます。ルルが、ジュリアや仲間たちを守るために、また風の犬に変身します。

 黒馬がいななきを上げました。苦しがるように頭を振り、ふいに駆け出して建物の壁に飛び込みます。そのまま姿が見えなくなります。

 そこへ、入口からユギルが血相を変えて飛び込んできました。建物の中の異変に気がついて駆けつけてきたのです。

 銀髪の占者は、建物の壁に飛び込んで駆け去っていくナイトメアを見つめ、やがて、蹄の音が遠ざかって聞こえなくなると、ほっと肩の力を抜きました。

「悪夢の怪物は去りました……ゼン殿はもう大丈夫です」

 

 それを聞いたとたん、花使いの姫は、へたへたとその場に座りこみました。そのまわりにも、ベッドの上にも、数え切れないほどの守りの花が散っています。ゼンの上に舞い落ちた花は、黒く燃えつきていました。

 と、メールがしゃくりあげ始めました。両手で顔をおおうと、大きな声を上げて泣き出してしまいます。

 ユギルは目を細めてそれを眺めました。花使いの姫が流しているのは、安堵の涙です。ジュリアが優しくその肩を抱き、犬に戻ったルルが伸び上がって頬をなめます。

 建物の外からは、まだ戦いの音が続いていました。ゴーリスとオリバンと四人の魔法使いたちが、執拗に襲ってくる闇の怪物たちを撃退しているのです。

 ユギルはそちらを向くと、女性たちを建物の中に残して、また戦場へと戻っていきました――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク