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第7巻「黄泉の門の戦い」

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44.星降る夜

 キャラバンは夜になっても砂漠を歩き続け、真夜中過ぎになってようやく止まりました。

 日中には灼熱地獄になる砂漠です。夜は夜で凍えるほど寒くなりますが、それでも日中よりは進むのが楽です。砂漠を旅するキャラバンは、夜の間に可能な限り歩き続けて距離を稼ぐのでした。

 少年たちはずっとキャラバンと一緒に行動していました。フルートは大人たちと一緒に黙々と歩きましたが、ポチは隊長のダラハーンのラクダに乗せてもらっています。小柄なので、どうしても歩みが遅くなるからです。けれども、キャラバンの男たちは誰ひとりそれに文句を言いませんでした。オアシスで怪物相手に大活躍した少年たちです。優遇されて当然だと誰もが思っていました。

 その日の旅が終わると、キャラバンは簡単な夜食を取り、砂の上に横になって眠りました。気温は零度を下回っていますが、毛布を絡みつけるようにして眠りにつきます。少年たちも毛布をもらって横になりました。ポチはオリバンのマントも着込んでいたので、今夜は寒さに震えることはありませんでした。一日ラクダに揺られた疲れで、あっという間に寝入ってしまいます。

 彼らの上では満天の星が輝いていました。風もなく澄み切った空では、小さな星までがはっきりと見えていて、今にも空から降ってきそうです。

 砂の上に横になってそれを見上げながら、フルートはまたハルマスを思っていました。ゼンとそれを守る仲間たちを思い、今頃どうしているだろうか、と考えます。

 

 すると、かたわらで横になっていたポチが、急に小さな声を上げました。嗚咽です。フルートは驚いて体を起こしました。

「ポチ、寝てなかったの?」

 寝入ってしまったように見えていたポチが、背中を向けたまま、ひっそり泣いていました。のぞき込むと、目を閉じて、乾いた砂の上に大粒の涙をこぼし続けています。

「どうしたの?」

 とフルートが尋ねても返事がありません。フルートは首をかしげてポチを見つめました。夜空で輝く星と月の光を浴びて、白い顔と髪が闇に浮き上がって見えます。次々と頬の上を伝う涙もはっきり見えています。絡めた毛布からわずかにのぞく首筋は、頼りないほど白くて華奢です。

 すると、ポチがかすかな声で言いました。

「フルート……ぼくたち、間に合うんでしょうか……?」

 フルートは、はっとしました。思わず返事ができずにいると、少年は目を開けました。濡れた大きな瞳でフルートを見上げます。

「あと二日ですよ……? ううん、もう二日を切っちゃってます。なのに、ぼくたちは、まだこんなところにいるんですよ? 明後日までに魔王を倒さなかったら、ゼンを助けられないのに……」

 また涙があふれてきました。目を閉じて、低くすすり泣きます。

 

 夜の砂漠は静かでした。人は横たわり、ラクダはうずくまって眠っています。時折ラクダが上げる声だけが物憂げに響きます。

 フルートはポチのすぐ隣にそっと横になりました。小柄なフルートですが、ポチよりは一回り大きな体をしています。泣いている少年を抱きしめるように後ろから腕を回して、静かに言います。

「大丈夫だよ。きっと間に合う……。ゼンは必ず助けられるよ」

「どうやって!?」

 とポチが鋭く振り返りました。とたんに、休んでいた男たちから、静かにしろ! と叱責が飛んできました。少年たちは思わず身をすくめると、いっそう寄り添って顔と顔を近づけ、ささやくように話し続けました。

「間に合うわけないじゃないですか……。シェンラン山脈まではものすごく遠いのに……。ぼく、どうしたって犬には戻れないんですよ。風の犬になれないのに、どうやって間に合うんですか? どうしてフルートはそんなに安心していられるんです?」

 半ば八つ当たりのように腹を立てながら、ポチはフルートに食ってかかりました。こんな状況にあっても落ちついた様子でいるフルートが、どうしても理解できませんでした。

 すると、フルートは静かに答えました。

「安心してるわけじゃないよ……。ただ、ぼくは信じてるんだ」

「信じてる? 何を」

 ポチがとがった声で聞き返します。フルートは穏やかに笑って見せました。

「ユギルさんの占いをさ。出発の時に言ってくれたじゃないか。ぼくたちは必ず魔王と対決する。きっと間に合う、って。ユギルさんの占いはいつだって必ず当たるんだ。今度だって、きっと言うとおりになるんだよ」

 穏やかな声の中に、揺らぐことのない信念がありました。

 ポチは驚いたようにフルートを見つめると、やがて、しょんぼりと目を伏せました。

「すみません、フルート……。ぼく、だめですね。フルートみたいに信じていられなくて。ユギルさんの占いを疑うつもりじゃなかったんだけど……でも、どうしても心配になっちゃって……」

 また涙がこぼれ始めます。

 フルートはその白い髪をそっとなでてやりました。そうして抱きしめているうちに、ポチは泣きながら眠ってしまいました。フルートの片腕を枕に、静かな寝息を立て始めます。

 

 フルートはポチの髪をなでるのをやめて仰向けになりました。降るような星空を見上げます。

 本当は、フルートだって不安でないと言えば嘘になるのです。どんなにユギルの占いを信じようと思っても、もしかしたら、ひょっとしたら、と心配になる気持ちは消せません。

 でも、どうしようもなく焦りそうになるたびに、そんなフルートを抑えてくれるものがありました。焦るな。おまえが焦ったらどうしようもなくなるんだから焦るな、とささやいてくれるのです。それは――

 フルートは自分の腕に頭を載せて眠っている少年をまた見ました。優しい微笑が浮かびます。

 フルートのすぐ隣には、いつも、もっと小さくて幼いポチがいます。犬から人間の姿に変えられて、不安な気持ちになっているポチです。フルートが焦ったら、ポチはますます不安になるでしょう。フルートが絶望してしまったら、ポチも一緒に絶望してしまいます。そう思うと、フルートは自分でも驚くくらい強い気持ちになるのでした。ユギルを信じるからだけでなく、ポチを支えていくためにも、自分がしっかりしなくちゃ、と思えてくるのです。

「だって……ぼくは君の兄貴だもんな」

 腕の中で眠るポチに向かって、フルートは小さな声で言いました。少し照れくさそうに、どこか誇らしそうに――。

 

 その時、夜の砂漠で何か動くものがありました。月に照らされた砂が盛り上がるように動き、中から何かが姿を現します。

 フルートはたちまち緊張しました。鋭い視線をそちらへ向けます。

 それは巨大な犬のような生き物でした。闇の中で四つの赤い眼が光ります。その体の下には前脚が三本、後脚が四本見えています。怪物です。

 フルートは、眠っているポチの下からそっと腕を引き抜きました。素早く兜をかぶり、かたわらに置いていた二本の剣を背負います。――ポチが犬のままだったら、きっとフルートの動きですぐに目を覚ましたことでしょう。けれども、少年の姿になったポチは、少しも気づかずに眠り続けていました。キャラバンの男たちやラクダたちも同様です。

 フルートは足音をしのばせて怪物の方へ歩いていきました。砂の中から現れた七本足の犬は、確かめるようにあたりの空気をかぎ回っています。そこへ近づきながら、次第にフルートは足早になっていきました。しまいには小走りになって、怪物へ駆け寄ります。背中から黒い魔剣を引き抜きます。

 すると、犬の怪物が突然こちらを見て、人のことばを話しました。

「貴様が金の石の勇者か。探したぞ。貴様に会いたくて、はるばる闇の国からやってきたんだ」

 フルートは思わず立ち止まりました。自分より大きな犬を見上げて剣を構えます。

「どうしてさ? ぼくはおまえのことを知らないぞ」

「むろんだ。だが、俺さまは貴様に用があるのよ」

「用?」

 フルートは聞き返しました。どうせ、ろくでもない用事のような気がしました。

 怪物の犬が、よだれを垂らしながら言いました。

「貴様を食うのよ。早い者勝ちだ。そのために闇の国から全力疾走してきたんだからな」

 フルートは思わず眉をひそめました。早い者勝ちという意味がわかりません。わかりません――が、なんだか、ひどく危険な匂いがしていました。それはどういうことだ、と聞き返そうとしましたが、怪物はそれ以上は何も話さず、いきなりフルート目がけて飛びかかってきました。三本の前足と四本の後脚が砂を蹴ります。大きく開いた口には、鋭い牙が二重に並んでいます。

 フルートは炎の剣を振りました。炎の弾が飛び出し、犬の怪物に激突します。怪物は一瞬で燃え上がり、悲鳴も上げずに焼けていきました。砂漠を炎が明々と照らします。

 

「どうした! 何かあったのか――!?」

 隊長のダラハーンが炎の光に気がついて飛び起きました。キャラバンの男たちも次々に起き出します。ポチだけが、ぐっすり眠っていて目を覚ましませんでした。

 フルートは剣を収めて、彼らの方へ戻りました。

「なんでもありません。怪物が近づいてきていたから退治しただけです」

「怪物を退治しただけ――か!」

 とダラハーンはあきれたように言うと、声を上げて笑い出しました。

「いやはや、俺たちはものすごい用心棒を仲間にしたらしいな。この分なら、これから先もずっと安心して旅ができそうだ」

 砂漠では怪物が燃えつきて炭に変わっていくところでした。それを見て、男たちも笑顔になって、口々にフルートを誉めました。

 けれども、フルートはにこりともしませんでした。怪物は、金の石の勇者を狙って襲ってきたようでした。魔王の送り込んできた怪物だったのかもしれません。そして、やっぱり「早い者勝ち」ということばの意味がわかりませんでした。

 どういうことだろう。何かあるんだろうか。フルートは燃えつきていく怪物を眺めながら、心の中で思いめぐらしていました――。

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