庭一面に咲く守りの花の中に、ジュリアは無造作に座りこみました。地面は白い砂でおおわれています。庭中にあったものがポポロの魔法で石に変わり、砕けてできた砂です。座りこんでもドレスは汚れません。
「ここは寒くないわよ。メールも座りなさい」
と呼びかけると、メールはすぐに座りました。ルルも腰を下ろします。夕暮れが近づいてあたりはどんどん冷えてきているのに、花が咲く中は本当にあまり寒くありません。背の高い花が冷たい風をさえぎっているのです。
ジュリアは涙ぐんでいる少女を見て言いました。
「それで?」
とたんに、メールはまた泣き出しました。大粒の涙をこぼすと、わっとジュリアの膝に泣き伏してしまいます。
「あたい、あたい……嫌なんだよ! どうしても嫌なんだ!
あんなふうに一緒でいる二人を見てるとさ、悔しくて、悲しくて、どうしようもなくなってくるんだ……! ポポロは……ポポロは、ゼンを助けるために夢の中に行ってくれてるのにさ……!」
メールは根が正直です。自分の胸の内にあるものを、涙と共に吐き出します。
ジュリアは何も言いませんでした。ただ、そっとメールの緑の髪をなでます。それが、何年も前に死んだ母親を思い出させて、メールはいっそう泣きじゃくりました。
「ちゃんとわかってるんだよ……! 夢の中に行くってのは、すごく危ないことなんだ……。でも、ポポロはゼンを助けるために、夢の中に行ってくれた。それはわかってるのに……なのに、どうしても憎らしいって思っちゃうんだよ……! あたいはあいつの夢の中に行けない! 今頃、ポポロがあいつと何を話してるんだろう……二人で何をしてるんだろう、って思うと……」
メールは激しく泣き続けました。ジュリアのドレスの膝を涙で濡らしながら、叫ぶように言います。
「嫌なんだよ! どうしても嫌なんだ! そして――そんなふうに思っちゃう、あたい自身も、ものすごく嫌なんだよ――!」
メール、とルルがつぶやきました。ルルは、ポポロを守るために姉妹のようにして一緒に育ってきた犬です。本当ならば、ポポロを味方する立場でしたし、こんなふうにポポロを憎いという者が現れたら、それが誰であっても本気で怒らなくてはならないはずでした。
けれども、ルルはメールを責められませんでした。メールのつらくて悲しい気持ちが伝わってきて、なんだか自分までが切なくなってきます。何か言ってあげたいのに、何も言うことが思いつかなくて、泣いているメールをただただ見つめてしまいます。
ジュリアはメールの髪をなでながら、静かに話しかけました。
「メールはやっぱりゼンが好きだったのね。東の海の王子様の方を好きになったわけではなかったのね」
メールはジュリアの膝に顔を埋めたままでした。泣き声で答えます。
「アルバはすごく素敵だよ……。優しくて、おおらかで……あたいのこと、なんでも許してくれてさ……。それに比べて、あいつときたらさ、いつだってあたいの悪口ばかり言ってるし、短気だし、乱暴だし、全然優しくなんてないしさ……! 格好だって、アルバの方がずっと素敵なんだよ。背が高くてハンサムなんだ。だから、あんなヤツを好きでいる方がおかしいんだ! あんなヤツより、アルバの方が千倍も素敵なんだもん――!」
いつの間にか、メールは怒ったような声に変わっていました。それでも、顔はジュリアの膝に埋めたままです。
「素敵なのに――素敵に、決まってるのに――」
声がとぎれます。細い肩と背中が小刻みに震えています。メールはまた声を殺して泣き出したのでした。ジュリアはその髪を優しくなで続けます。
「あんなヤツ、忘れてやろうと思ったんだ」
とメールはまた話し出しました。
「アルバの方がずっと素敵なんだし、あいつは――ポポロが好きなんだし。だから――だから――だけど……こんなのって、あんまりだ!」
わあっと声を上げて、またメールは激しく泣き出しました。ジュリアのドレスが少女の涙で濡れていきます。
彼女たちの頭上で、空が茜色に染まっていました。まわりの守りの花も赤く輝いています。太陽は西の山の稜線にゆっくり近づきつつありました。
すると、ジュリアが、静かにまた口を開きました。
「ひとつ、あなたたちに昔の話を聞かせてあげるわね。今から十年くらい前の話よ……」
と少女たちを相手に唐突に話を始めます。
「あなたたちも知っているように、私と主人は結婚するまでにとても長い時間がかかったわ。あの人が、ユギル様の占いの結果を受けて、シルの町で金の勇者の出現を待ったから。フルートが金の石の勇者だとわかるまでに、十年かかったわ。私たちは結婚を約束していたのだけれど、長く待つことになりそうだと思ったあの人は、自分から婚約を破棄してきたの――この話は、以前メールには聞かせていたわよね」
メールは何も言いませんでしたが、ルルは、初めて聞くジュリアとゴーリスの昔話に目を丸くしていました。
ジュリアは話し続けました。
「婚約を破棄されたとき、私は二十三になっていたわ。海の民ほどではないけれど、貴族の女も一般に早婚なのよ。そのくらいの年までに結婚できなかったら、行き遅れと言われてしまうわ。私はそんなのは全然気にならなかったけれど、私の両親はやっぱり心配してね、あちこちから縁談を見つけてくるようになったの。その中に、とてもすばらしい殿方がいたのよ」
メールが反応しました。突っ伏していた顔を思わず上げて、ジュリアを見ます。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていました。
ジュリアは優しく微笑みながらうなずいて見せました。
「そう。メールの婚約者と同じよ……。とても立派な素敵な方で、私があの人と婚約していたことなんて全然気になさらないで、ぜひ妻になってほしいと言ってくださったわ。礼儀正しくて、細やかに気を配ってくださる方で。話し方もとても優しくて。いつもぶっきらぼうで無愛想なあの人とは大違い。まるで月とすっぽん、天と地の差だったわ――」
と夫のことをさんざんに言ってから、ジュリアはまたにっこりしました。少女のような笑顔を、メールとルルに見せます。
「でも……やっぱり私はお断りしてしまったわ。その方と結婚すれば、きっと幸せになれるんだろうとは思ったのだけれどね。どうしても、だめだったのよ。私はあの人を待ち続けたかったの。……あの人は、本当はとても淋しい人だから、どうしてもそばにいてあげたかったのよ。例え、実際には国の西と東に遠く離れていたとしてもね」
とたんにメールは目をそらしました。ひどく弱々しい声でつぶやきます。
「あたい……待つのは苦手なんだよ……」
ジュリアはまたほほえみました。
「それはメールの自由よ。私は私、メールはメールですもの。ゼンを待つのも、待たないで別の方へ嫁ぐのも、それはあなたの自由だわ。誰も将来の保証なんてしてくれないし。でもね――」
ジュリアは、優しく優しく話し続けました。
「自分に嘘をついて生き続けるのも、待ち続けるのと同じくらい、苦しいことかもしれないわよ。――自分自身には絶対に嘘をつけないわ。どんなに上手に自分をだましても、心のどこかではそれが嘘だとわかってしまっているから、何度も何度も、自分を納得させなくちゃいけなくなるの。嘘をつき直して、いろいろと自分に言い聞かせて。それが一生続くのよ。それはもしかしたら、待たされ続けることより苦しいことなのかもしれないわ。少なくとも、私にはそう思えたの。だから、私は縁談を断って待つことの方を選んだのよ」
本当に、物静かで優しげに見えるジュリアなのに、その話には驚くほどの力強さがあります。メールもルルも、思わず圧倒されて、何も言えなくなりました。目の前で穏やかにほほえみ続ける女性を見つめてしまいます――。
すると、ジュリアが言いました。
「私たちは幸い、こうして結婚することができたたわ。でも、もし今でもあの人を待ち続けていたとしても、私はきっと後悔しなかったと思うの。人の目にはどう見えたとしても、私は自分自身には正直に生きていけたんですものね――」
メールはジュリアを見つめ続けました。その笑顔が、死んだ母の面影にだぶります。孤島の城で、海に出かけた夫の渦王をいつも待ち続けていた母です。待たされてつらいのだろう、悲しいのだろうと娘のメールは考えていたのに、本当は誰よりも夫を信じて、強く寄り添っていた女性でした。いつも心は夫と共にあって、死んだ今もなお、夫の心の中で生き続けているのです。
正直に……とメールは心でつぶやきました。自分に正直に生きる、ということばが、何故だかとても胸に迫ります。陽気でふてぶてしいドワーフの少年の面影が浮かんできます……。
その時、花畑に座りこんでいた女性たちに、ひそやかな足音が近づいてきました。ユギルです。少し離れた場所から、静かに声をかけてきます。
「お話し中申し訳ございませんが……そろそろ日が暮れようとしております。夜になれば、闇に乗じてまた敵がここを襲います。そろそろ準備に取りかからなければなりません」
すぐにジュリアたちは立ち上がりました。あたりを見回すと、庭は夕焼けに染まっていました。太陽は西の山に沈み始め、鮮やかな赤金色の光をあたり一面に投げています。何もかもが光を受けて燃え上がるように輝いています。山も湖も家々も、庭の花畑も――
「ゴーラントス卿を急いで呼び戻さなければなりません。卿はどちらへ?」
とユギルがジュリアに尋ねました。
「町を見回りに行きました。でも、行き先はわかっています。すぐに呼んでまいりますわ」
とジュリアが答えます。
「では、お願いいたします。ルル様、ジュリア様とご同行願えますか? 闇の敵が仕掛けてくるのは真夜中ですが、暗くなってきているので、ジュリア様の警備をお願いいたします」
「わかったわ」
とすぐにルルは答えました。その首で、風の首輪が夕日を浴びて光ります。
ジュリアとルルが町の通りへ出て行くのを見送って、ユギルは急いで建物の前の席へ戻りました。真剣な顔で占盤をのぞき始めます。
庭の四隅では四人の魔法使いが魔法の護具と一緒に立っていました。オリバンが白い魔法使いのそばにいて、何かしきりに打ち合わせています。ノームのピランは赤の魔法使いのそばに立っていて、にこにこしながら護具を見上げていました。
「さあ来い、闇の敵ども! わしが強化した道具の威力を見せてやるぞ!」
大声でひとりごとを言っているのが、建物まで聞こえてきます。
メールはユギルと一緒に建物まで戻ってきていました。ぽつんと一人でたたずんで、戦いの準備を整える大人たちを眺め、沈む夕日を見つめます。太陽は、燃えるような光を投げ続けています。沈んでしまう最後の瞬間まで、明るく輝き続けるのです――。
メールは黙って建物の中に入っていきました。薄暗いランプが燃える部屋の中は、メールが泣いて飛び出していったときと、少しも変わりがありません。ベッドの上にはゼンが死んだように横たわり、その胸の上にポポロが寄りかかって眠っています。
少女の寝顔を見つめて、メールは言いました。
「ごめんよ、ポポロ……あんたは決死の覚悟でゼンの夢の中に行ってくれてるのにさ……変なことで腹を立てていて、ホント、ごめんね」
黒衣の少女は何も答えません。ただ静かに眠り続けています。
メールは今度はゼンをのぞき込みました。血の気のない白い顔に悲しくほほえみかけます。
「まったく、あんたと来たらさ……ホントに、どうしようもないんだから。こんなにみんなに苦労かけてないで、さっさと起きておいでよ。戦いに加われなくて、あんたが一番じりじりしてんじゃないの?」
青い瞳にまた涙が浮かびかけました。メールはあわててそれをぬぐうと、またゼンに話しました。
「あんたを待ちたいのかどうか、あたいにはまだ、わかんないや……。あたいは短気だから、待てる自信なんて全然ないし。それに……」
メールから微笑が消えました。本当に今にも泣き出しそうな顔になって、つぶやくようにこう言います。
「あたい、地下がホントに苦手なんだもん。地面の下が、死ぬほど嫌いなんだよ。あんたは地下の民のドワーフなのにさ……」
ゼンはやっぱり何も言いません。からかうような悪口も、陽気で元気な憎まれ口も、何一つ。
メールはゼンに身をかがめました。一瞬ためらってから、そっと頬に唇を押し当てます。血の気の失せたゼンの頬ですが、それでも、触れると柔らかくて暖かい命のぬくもりが伝わってきました。
メールは身を起こすと、ゼンとポポロに向かってにっこりほほえんで見せました。いつもの元気な声になって言います。
「さあ、じゃ、あたいも行くよ。安心しな。闇の敵なんかには、指一本あんたたちをさわらせたりしないから」
扉を開けて建物を出て行くと、丁度沈みきろうとする夕日が、最後の光を庭に投げていました。光と影の境目で、守りの花が輝いています。
メールは両手を高くかざすと、凛とした声で呼びかけました。
「花たち! 守りの花たち――! 今夜もまた一緒に戦っとくれ! ゼンとポポロを守り抜くんだよ!」
その声に応えるように、庭中の花がいっせいにざわめいて揺れ、渦を巻いて宙に舞い上がりました――。