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第7巻「黄泉の門の戦い」

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41.霧の中

 白い霧が漂う世界で、ポポロは困って立ちつくしていました。

 ここはゼンの見ている夢の世界です。魔法の力で無事に下りてくることはできたのですが、一面霧に閉ざされていて、見通しがまったくききません。得意の魔法使いの目も、ここでは役に立たないのです。ポポロは弱り果てていました。

「どうしてかしら……。昔、あたしがナイトメアに夢の中に連れて行かれたときには、ちゃんと魔法使いの目が使えたのに」

 白い世界はうつろです。妙に心もとなくて、ポポロはついひとりごとを言いました。自分の声でもいいから聞こえるものがないと、なんだか、空白に飲み込まれてしまいそうな気がします。

「ゼンはどこかしら……」

 とポポロは歩き出しました。草を踏む感触が靴の下から伝わってきます。かすかに草の影も見えています。でも、見えるのは本当にそれだけです。

 ポポロは声に出して呼んでみました。

「ゼン! ゼン――!」

 先に夢の中に下りていったナイトメアはどこにも見あたりませんでした。もうゼンのところへ行ってしまったんじゃないかしら、と心が焦ります。

 

 すると、白い闇の中から何かが動く気配がしました。一瞬ゼンが現れたのかと思ったポポロでしたが、すぐに笑顔が消えました。白い霧の中に、うごめく長いものが見えたからです。

「毒虫!」

 とポポロは顔色を変えました。ゼンの中に送り込まれた闇の毒が、夢の中で虫に姿を変え、ゼンの命を食らいつくそうとしているのに違いありませんでした。何か考えるより先に、とっさに手を突きだし、冷凍呪文を唱えていました。

「レオコーヨシムノミヤ!」

 ……ところが、何も起きません。ここが夢の中の世界だからか、ポポロが今日の魔法を二つとも使い切ってしまったせいか、魔法が発動しないのです。逆に、声に引かれるように、毒虫がポポロに近づいてきました。

 魔法が使えないポポロは、普通の人間の少女と同じです。恐ろしい毒虫を倒す方法など何もなくて、ただ悲鳴を上げ、あわてて逃げ出しました。

 毒虫が後を追ってきました。一面の霧は虫にはなんの障害にもならないようです。すごいスピードで這ってきます。ポポロも必死で逃げましたが、足下もよく見えない中を走るので、どうしても速くは走れません。その差がどんどん縮まっていきます。

 ポポロは悲鳴を上げ続けました。どうしていいのかわかりません。ただただ闇雲に逃げ続けます――。

 

 すると、突然霧の中から一本の矢が飛んできました。ポポロに迫る虫を地面に串刺しにします。その矢には、白い矢羽根がついていました。

「なんだ。聞き覚えのある声だと思ったら」

 と霧の中から現れたのは、ゼンでした。手にエルフの弓を持ち、ポポロを見て目を丸くしています。幅広いがっしりした肩と背中、力強い太い腕、ちょっとふてぶてしい顔、明るくて茶目っ気のある瞳……。こう言うのはおかしいのですが、とても元気そうな様子です。

 とたんに、ポポロの緑の瞳から、どっと涙があふれました。

「ゼン!」

 ポポロは思わず少年の胸に飛び込んでいくと、そのまま声を上げて泣き出してしまいました――。

 

 ポポロにいきなりしがみつかれ、大声で泣かれて、ゼンは面食らっていました。

 少女の小さな体は自分の腕の中にありました。ふっくらと柔らかくて優しい感触が、服の布地越しにはっきりと伝わってきます。思わずどぎまぎしそうな状況でした――が、同時にゼンは弱り果てました。ポポロは激しく泣き続けています。ゼンは人に泣かれるのが何より苦手なのです。

「ちょ、ちょっと待て、ポポロ! おい、泣くなったら!」

 ゼンは真っ赤になりながら少女を引き離し、その両肩をつかみました。

「泣くな! 泣いてたらわかんねぇだろうが……! おまえ、どうしてここにいるんだ? おまえ、本物のポポロなのか?」

 ここは生と死の間にある世界です。現実感のない霧の中に現れた少女は、まるで夢か幻のように見えたのです。

 ポポロはうなずきました。涙は全然止まりません。

「あたし――あたし、本物よ……。魔法でゼンの夢の中に来たの……」

「夢?」

 とゼンは聞き返しました。とにかくポポロに泣きやんでもらいたい一心で話し続けます。

「ここは夢の中なのか? 俺はてっきり、黄泉の門に続く狭間の世界なんだと思ってたんだけどな。俺は夢を見てるのか? だいたい、何がどうなったって言うんだよ――?」

 質問を重ねられて、ようやくポポロも少し気を取り直してきました。涙をぬぐいながら答えます。

「ゼンは死にかけてるのよ。毒虫のワジに刺されたから。ゼンが言うとおり、ここは狭間の世界よ。死にかけている人は、夢を見るの。その夢の世界を、狭間の世界って呼ぶのよ――。あたしたち、ずっとゼンのそばよ。でも、フルートはゼンを助けるために出発したわ。ゼンにワジを送り込んできたのは、夜の魔女のレィミ・ノワール。あの人が新しい魔王になってしまったのよ」

 一気にそれだけを話して、ポポロはまた涙をぬぐいました。いくら拭いても、やっぱり涙はこぼれ続けます。

 ゼンは難しい顔になりました。

「レィミ・ノワール? エスタのカルティーナで会った、あの魔女のおばさんか。ったく、性懲りもなくまだ俺たちを狙ってやがったのかよ」

 悩ましいまでに麗しい魔女も、少年のゼンにかかっては「おばさん」です。魔女が聞いていたら怒り狂うようなことを平気で言って、さらに考え込みます。

「っと、待てよ。フルートが俺を助けに出発したって? どこへだ」

「東の彼方のシェンラン山脈よ。そこにレィミ・ノワールがいるの。あの人を倒さないとゼンを助けることができないから――」

「あの馬鹿。やっぱりか」

 とゼンはつぶやきました。親友が自分のためにまた無茶しているのを、はっきりと知ったのです。胸の上にかかった金の石のペンダントをつかみます。これもなしに、あいつは今頃どうしているんだろう、と考えると、居ても立ってもいられない気持ちになります。

 ゼンはポポロに尋ねました。

「ここから抜け出すにはどうしたらいい? 出口はどこだ?」

 ポポロは泣き続けていました。泣きながら首を振ります。

「わからないの……私にも出口がわからないの……」

 ポポロの魔法使いの目は、やっぱりこの狭間の世界では使えません。ただ白く霧に閉ざされた世界が見えているばかりです。

 やれやれ、とゼンは溜息をつきました。渋い顔で少女を見ます。

「それなのに、俺のところに来たのか? おまえまでここから出られなくなったらどうするつもりなんだよ。ったく、おまえも相当無茶だぞ、ポポロ」

「だって……」

 これがメールならば、「そんなこと言われたって、心配なものは心配なんだからしょうがないじゃないのさ! あたいが来ちゃ悪かったのかい!?」とでも、すかさず言い返したことでしょう。けれども、ポポロにそんな芸当ができるはずはありません。ただ涙ぐんだ瞳に万感を込めて、じっとゼンを見上げます。

 ゼンは苦笑いをしました。

「しょうがないヤツだな……」

 と手を伸ばして、少女の赤い髪をそっとなでます。手のひらのぬくもりが優しく伝わってきます。ポポロはゼンを見上げ続けました。涙ぐんだ目で、それでも、にっこりと笑って見せます。

 たちまちゼンは顔を赤らめました。髪をなでていた手が、とまどうように宙に浮きます。思わずそのまま少女を抱きしめてしまいそうになったのです。

 

 ところが、その時、何かの音が響きました。いえ、音とも言えないような、かすかな空気の震えです。それは少女の黒い袖のあたりから伝わってきました。

「あ」

 とポポロが思い出した顔になって手を上げました。その左手には、百合に似た小さな白い花が握られていました。

「忘れてたわ……。これ、メールから頼まれたの。ゼンに渡してって」

 たった今、ゼンが一瞬何に迷ったのかも知らずに、ポポロは笑顔で言いました。ゼンは思い切り渋い表情に変わりました。

「ちぇ、なんだ。お目付役つきかよ?」

 とブツブツいいながら花を受け取ります。ポポロにはゼンが言っている意味はわかりません。首をかしげながら続けます。

「それから、メールからの伝言よ。ええと――こんなところでくたばったりしたら絶対に承知しない、って。そんなことをしたら、死者の国まで追いかけていって、思いっきりひっぱたいて、ひっかいて、蹴りも入れてやるから――ですって」

 ゼンは目をまん丸にしました。あきれたように手の中の白い花を見つめてしまいます。百合に似た花は、淡い光を放ちながら、霧の世界の中で咲き続けています。

 と、ゼンが笑顔になりました。面白そうに花を見ながら、くるりとそれを回します。

「ったく、他に言いようがないのかよ、あいつは。仮にもこっちは死にかけてるんだぞ。もうちょっといたわれってんだよな」

 けれども、そうつぶやくゼンの声はとても楽しげでした。笑顔のままで花を服の胸ポケットにさします。何気なく見える手つきが、実は最大限優しく丁寧に花を扱っていることに、ポポロは気がつきました。黒衣に包まれた胸が、何故だかちくりと痛みます――

 

 その時、どこからか、イヒヒヒーン……と馬のいななきが聞こえてきました。

 ポポロは、はっとしました。あわててあたりを見回します。

 霧の奥から蹄の音が聞こえていました。こちらへ向かって近づいてきます。少女は顔色を変えて叫びました。

「ゼン、ナイトメアよ! こっちに来るわ……!」

「ナイトメアだと?」

 とゼンも驚きます。

 身構える二人の目の前に、霧の中から巨大な黒馬が姿を現そうとしていました――。

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