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第7巻「黄泉の門の戦い」

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36.黒い馬

 揺れるグラスの中で白い石の柱が崩れ、巨大な毒虫が押しつぶされていく様子を見て、レィミ・ノワールはまた眉をひそめました。

「ほんとになんて坊やかしら。死にかけてるんだから、もうちょっと弱るとかがっかりするとかしてくれないと、こっちとしても張り合いないじゃないの」

 と美しい顔を面白くなさそうに歪めます。

「俺が行って、引導を渡してくるか?」

 とタウルが言います。その目が、吸い寄せられるようにグラスの中のゼンを見つめています。牛男は力自慢です。同じ怪力のドワーフの少年と、力比べをしてみたくてたまらないのでした。

 ふん、と魔女はあざ笑いました。

「そんなことしてごらん、タウル。あんたはもう二度とここに戻ってこれらなくなるわよ。死にかけてる者の夢の中に下りて行こうだなんて、そんな馬鹿な真似――」

 言いかけて、魔女は急に思い当たった顔になりました。紅い唇に長い爪の先を押し当てて考え込み、ふいに、にんまり笑います。

「そうね、いたわね。夢の中に平気で下りていける奴が。そいつに行かせましょ」

 そして、魔女は何もない部屋の真ん中へ目を向けました。長い爪が映えた手を突きつけて、鋭く呼びかけます。

「おいで、悪夢の騎士! おまえの主の魔王のお呼びよ!」

 すると、部屋の真ん中にもやもやと黒い霧のようなものが寄り集まり、やがて、ぼんやりと形を取り始めました。それは大きな馬のようにも、馬に乗った人のようにも見えました。

 それへ向かってレィミ・ノワールは命じました。

「あのドワーフの坊やの夢へお行き! 悪夢の回廊を作って、黄泉の門まで案内してあげるのよ!」

 馬上の人のような影が動きました。声も出さずにうなずいたのです。と、その姿が消えていきました。馬の蹄のような音が、どこへともなく遠ざかっていきます。

「かわいいかわいいあの子たちですもの。思いっ切り苦しませてあげなくちゃ面白くないことよ、ねぇ」

 とレィミ・ノワールはつぶやいて、また、ほほほほ、と声を上げて笑いました。

 

 

 ハルマスのゴーリスの別荘の中庭は静かでした。

 前の晩の嵐が嘘のように、空は晴れ渡り、リーリス湖が青い湖面に緑のデセラール山をくっきりと映しています。

 たくさんの木が植えられ、生け垣が小道を作っていた庭は、今は一面の花畑に変わっています。昨夜の戦いでポポロが怪物ごと庭を砂に変え、メールがデセラール山から運んできた守りの花がそこに根を下ろしたからです。風が吹くたび、百合に似た白い花が揺れ、胸がすっとするような香りが漂います。

 花畑の真ん中には小さな建物がありました。黒い屋根に白い板壁を回しただけの、質素な建物です。入口に黒い扉が立っています。

 入口のかたわらにはテーブルと椅子が置かれていて、銀髪の青年といぶし銀の鎧の青年が座っていました。鎧の青年の足下には銀の兜が置かれ、テーブルの上には黒い石の占盤が載っています。

 すると、扉が開いて、建物の中から一人の少女が出てきました。長身に緑の髪のメールです。日差しがいっぱいに降りそそぐ庭に、まぶしそうに目をこすってから、向こうに見える湖と山を眺めます。

「いい天気になってたんだぁ……」

「おはようございます、メール様。よくお休みでしたね」

 と銀髪の青年――ユギルが話しかけました。おはようと言っても、実際にはもう昼過ぎです。鎧姿のオリバンが黙ってメールに椅子を譲りました。そこには椅子が二脚しかなかったからです。

 ありがと、と素直にそこに座ってから、メールは庭を見回して尋ねました。

「ゴーリスとジュリアさんは? 中にいなかったけど」

「お二方は屋敷の中でお休みになっています。昨夜は皆様、一睡もなさいませんでしたからね」

 とユギルが答えます。

 そう、闇の怪物たちがゼンの命を狙ってここに殺到し、土砂降りの雨の中、激戦を繰り広げたのは昨夜のことです。四人の魔法使いたちが庭を守り、オリバンとゴーリスは聖なる剣を握って戦い、ユギルとピランとジュリアもそれぞれに役割を果たしました。二人と一匹の少女たちは、その中でも特に大活躍をしたのです。

 戦いの後、疲れ果てた少女たちは建物の中で寝てしまいました。同じ建物には、ワジの毒に倒れたゼンがベッドに寝かされています。そこから少しも離れたくなかったのです。その間、大人たちは庭の向こうのゴーリスの別荘で休息を取っていたのでした。

 

 花が揺れる庭の四隅に、わずかながら木が残っていて、風に枝を揺らしていました。その下には先端に石をつけた光の護具が突き立てられています。そばには、昨夜と同じように四人の魔法使いが杖を持って立っていて、さらに、その一箇所には小さな老人も一緒にいました。ノームの鍛冶屋の長です。護具の前でせっせと何かをやっていて、それを青い衣の魔法使いが珍しそうにのぞき込んでいます。

「ピランさん、何をしてるの?」

 とメールが尋ねると、ユギルが答えました。

「護具を強化なさっているのです。人間の作った道具は出来が悪い、とたいそうお腹立ちでして――。夜までにはもっと強力にしてやる、とおっしゃっていました」

「ずっとやってるの? 寝ないで?」

「ピラン殿がおっしゃるには、仕事をしている時にはノームは眠くならないのだそうです。まあ、それはわたくしも、城の魔法使いたちも似たようなものなのですが」

 と言って、ユギルはゆったりとほほえみました。ユギルにいたっては、ゼンを救う方法を占うために、さらにその前の晩から眠らずにいるのですが、そんな疲れはまったく感じさせません。

 すると、オリバンが言いました。

「私はゴーラントス卿が起きてきたら、交代で寝ることになっている。夜に備えておかなくてはならないからな」

 それを聞いて、メールが反応しました。真剣な顔に変わります。

「今夜も来るの? あの怪物たち」

「占いにそう出ております」

 と銀髪の青年は静かに答えました。

「あれは闇の怪物たちです。昼の光は苦手ですが、夜の闇と共にまたやってきて、ゼン殿の命を狙うと占盤が告げております。ですから、ディーラに避難している住人たちには、まだ嵐が去っていないから戻ってこないように、と伝えてあります」

 メールは思わずゼンの建物を振り返り、それから、そのまわりで咲く花の群れを眺めました。もう晩秋だというのに、白い百合に似た花は美しく咲き続けています。

 守りの花、お願いだよ。ゼンを守っとくれ――。

 とメールは心の中で祈りました。

 

 その時、ふいにユギルが椅子から飛び上がりました。青年は両手を占盤の上に載せていたのですが、まるでそこに電流が走ったように両手を跳ね上げ、手の先を押さえます。

「どうした!?」

 驚くオリバンに、青年は答えました。

「占盤の知らせです。危険が迫っております――」

 いつも冷静な顔が青ざめています。占盤がこんな風に危険を知らせてくるのは、めったにないことだったのです。

 すると、建物の扉が勢いよく開きました。中から小柄な少女が飛び出してきます。

「何かがここに来るわ! ものすごく危険な敵よ――!」

 と占者と同じことを叫びます。その顔は青ざめきって、今にも泣き出しそうになっていました。

 その足下にルルが飛び出してきました。

「ちょっとポポロ、落ちついて! 敵はどこから来るって言うのよ!?」

 それに答えたのはユギルでした。占盤を見つめながら言います。

「闇の中から直接送り込まれてくるのです。魔王がよこしたものです――出てまいります――!」

 どこからともなく馬の蹄の音が聞こえてきました。一同はあたりを見回しました。木々が残らず砂になって崩れ、見晴らしがよくなってしまった中庭ですが、近づいてくる馬の姿は見えません。

 庭の四隅に立つ魔法使いたちが、急に緊張して杖を構えました。ふいに、ブゥンと音を立てて光の護具が作動します。前の晩と同じように、光の幕が庭を包み込んでいきます。ノームのピランが怒った顔でわめいていました。

「まだ強化は終わっとらんぞ!」

 メールは両手を高くさし上げました。いつでも花たちを出動させられるように身構えながら呼びかけます。

「花たち――守りの花たち――!」

 庭に咲き乱れる白い花が、それに応えるようにいっせいに揺れました。

 オリバンは聖なる剣を抜いて身構えました。近づいてくる蹄の音の方向を確かめようと、必死になっています。

「どこだ? どこに出る――!?」

 

 すると、中庭の中に何かが姿を現しました。真っ黒い毛の塊が、地面の下から小山のように盛り上がってきます。一同は思わず驚きました。光の護具に守られ、聖なる守りの花が咲き乱れている真ん中です。まさか、そんな場所に敵が出現するとは思いもしませんでした。

 毛の下に巨大な獣の頭が現れ、その奥に人のようなものが姿を現します……。

 一同は思わず息を飲みました。目の前に現れたのは、巨大な黒馬にまたがった人のような怪物でした。黒馬に目はありません。背に乗っているのも人ではありません。人間の体を作るあらゆるパーツを無造作に集めて寄り合わせ、無理やり人の形にしたように見えます。その全身いたるところで、無数の人の目がぎょろぎょろと動き回って、立ちすくむ人々を見回していました。

 その怪物をみたとたん、ポポロはこれ以上なれないほど真っ青になりました。この怪物は知っています。以前、襲われたことがあるのです。

「ナイトメア――!」

 と黒衣の少女は悲鳴を上げました。

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