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第7巻「黄泉の門の戦い」

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第9章 策略

34.闇がらす

 金と黒曜石と宝石に飾られた部屋で、レィミ・ノワールは、ふん、と鼻を鳴らしました。華やかな椅子の背にどさりともたれかかります。

「けっこうしぶといわね、勇者の坊や。これでもまだあきらめないなんて」

 とつぶやいて目を向けたのは、たった今までのぞき込んでいた、テーブルの上のグラスです。透明な液体が満たされたグラスの中には、広がる砂漠を背景に、金の兜をかぶった少年の横顔が映っていました。少女のように優しげですが、毅然とした表情を浮かべています。

 魔女はいまいましそうに椅子の肘置きを指先でたたきました。

「絶対坊やの泣き顔が見られると思ったのに。悔しがって、泣いて、絶望して――で、願い石でも使ってくれれば面白かったのに」

「仲間の犬も捨てなかったな」

 と後ろから太い男の声が話しかけてきました。牛のような顔と角のタウルです。そうね、とレィミ・ノワールは答えました。

「大人だったら絶対に見捨てているところよ。自分の目的と犬の坊やを天秤にかけてね。そういう計算ができないところが子どもなのよねぇ。さて、どうしたら勇者の坊やに現実を思い知らせてあげられるかしら……」

 レィミは肘置きに乗せた手で頬杖をつき、しばらくグラスを眺め続けました。そんな魔女をタウルが見ています。椅子の中で足を組んで考え込む女の姿は、悩ましいほど美しい曲線を描いています。ただそこに座っているだけで本当に魅惑的です。

 すると、レィミが急に顔を上げて、タウルを振り返りました。

「そうだわ。闇がらすを呼んで」

「闇がらす? 何故だ。あんなおしゃべりが役立つわけがないだろう」

 と牛男が言いました。急に不機嫌な顔です。とたんに、魔女はそれ以上に不機嫌な顔になりました。

「いいから呼びなさい! あんたはあたくしの言うとおりにしていればいいのよ!」

 と高飛車に命じます。

 タウルはますます不機嫌になりましたが、どなられて、うっそりと部屋を出ていきました。何も言わずに怒りを燃やしているのが、後ろ姿からもわかります。

 ふん、とレィミはまた鼻を鳴らして、つぶやきました。

「パートナー気取りで、あたくしに指図するんじゃないわよ。力しかない馬鹿のくせに」

 その声には計り知れないほどのプライドと傲慢さがありました――。

 

 やがて魔女の部屋に一羽の鳥がやってきました。濡れたように黒い羽根をした大きなカラスです。入口から飛び込んできて、魔女の目の前のテーブルに停まると、次の瞬間、人の姿に変わりました。黒い羽根でできた服を着て、顔に入れ墨のような模様をつけた青年です。髪はカラスの時と同じ濡れたような黒、顔は意外なほど整っています。テーブルの上に座って、にやにやと魔女を眺めます。

「お呼びかい、魔王様? 俺みたいなさもない鳥に、わざわざお声をかけてくださるなんて、恐縮至極だね」

 と、まったく恐縮していない口調で言って、ドレスからのぞく女の豊かな胸へ、ちらちらと目をやります。女の後ろでタウルが大きなうなり声を上げましたが、それには知らんふりをします。

 女が艶やかに笑いかけました。

「よく来てくれたわね、闇がらす。あんたは話好きだったわよね。面白い話を小耳にはさんだものだから、ぜひ聞かせてあげたいと思ったのよ」

「面白い話?」

 カラスの青年は興味を引かれました。女の胸を眺めるのも忘れて顔を上げます。この鳥は、噂話が何よりも好きなのです。敵も味方も関係なく、手当たり次第しゃべり回るので、同じ闇の眷属(けんぞく)からも嫌われている鼻つまみ者です。

 レィミ・ノワールは青年の頭を抱き寄せると、紅い唇でその耳元に何かをささやきました。魔女の指先には驚くほど長く鋭い爪があり、ささやく口元から牙の先がのぞきます。

 すると、青年が目を見張りました。驚いたように魔女を見返します。

「それは本当か!?」

「本当よ。手に入れるのは早い者勝ちだわね」

 と魔女は妖艶に笑い返しました。

「へぇぇ」

 青年は興奮した顔になって両手を激しく振りました。それがやがて、二枚の黒い翼に変わり、青年はカラスの姿になって激しく羽ばたきました。部屋の中に舞い上がります。

「カアカア、こいつは確かに最高のニュースだ。面白い話を聞かせてくれてありがとうよ、魔王様」

「どういたしまして」

 と魔女は答え、飛び去っていく鳥をほくそえんで見送りました。

 

「奴に何を言った?」

 とタウルが尋ねました。

「ちょっと――坊やの秘密をね」

 と魔女がくすくすと笑います。

 すると、タウルはますます機嫌が悪くなって言いました。

「まどろっこしいぞ、レィミ。金の石の勇者もその仲間も、ひと思いに殺してしまえばいいだろう。何故そんなに手加減して引き延ばすんだ」

 とたんに、レィミ・ノワールは興ざめした顔になりました。また不機嫌そうに答えます。

「すぐに殺してしまっては意味がないって言っているじゃないの、タウル。あいつらは何度殺しても殺したりないくらい、憎たらしいガキどもなのよ。殺すのは簡単だわ。でも、すんなり死なれてしまっては全然面白くないのよ。助けてくれ、許してくれ、と盛大に泣き叫びながら死んでいってくれなくちゃね」

 そう言って、ぞっとするほど冷ややかな笑いを美しい顔に浮かべます。

 が、タウルが完全に機嫌を損ねたのを見ると、ふいに表情を変え、もっとゆったりした笑顔に変わりました。白い手を伸ばすと、先刻カラスの青年にしたように、牛男の頭を抱き寄せ、その耳元にささやきます。

「焦らないのよ、タウル。あんたの出番もちゃんと作って上げるから。舞台が整うまで、もうちょっと待っていてちょうだいね」

 しなだれかかるような声で語りかけ、鈍重そうな顔に紅い唇を押し当てます。とたんに、男の態度が軟化しました。

「レィミがそう言うなら――」

 と機嫌を直した声で答え、腕を伸ばして女を抱きしめようとします。

 その腕の中をするりと抜けて、レィミ・ノワールは立ち上がりました。黒いドレスの裾を長く引きながら、部屋の中央へと歩いていきます。

「さあ、これであの坊やがどんな顔をするか、見物だわねぇ。今度こそ、勇者の絶望する顔が見られるかしら?」

 おほほほ……と笑い声を立てます。

 

 すると、その時、テーブルの上に置かれたグラスの一つが激しく揺れました。先に魔女が見ていたものとは別のグラスです。

 驚いて振り返った魔女は、細い眉をひそめました。

「こっちの坊やは嫌になるくらい元気ね。ちっともおとなしくしていないじゃないの」

 戻ってのぞき込んだグラスには、先のグラスとはまったく違う光景が、白く映し出されていました――。

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