「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第7巻「黄泉の門の戦い」

前のページ

33.ダラハーン

 いくら水を飲ませて休ませても、ポチは元気になりませんでした。気分はますます悪くなっていくようで、真っ青な顔でうずくまってあえぎ続けています。と、また足が痙攣したようで、短い悲鳴を上げました。

 どうしたらいいんだろう、とフルートは困惑して立ちつくしていました。本当に、どうすることもできません。医者も薬も、ここにはないのです。この暑さが原因だろうとはわかるのですが、暑さを避けるための日陰さえないのです。

 すると、砂に座って自分の膝に突っ伏しながら、ポチが言いました。

「フルート……先に行ってください……」

 フルートは、ぎょっとしました。

「ポチ! そんなこと――」

「いいえ、しなくちゃいけないんですよ」

 とポチは言って顔を上げました。抜けるように白い肌の少年の顔です。黒目がちの大きな瞳で、じっとフルートを見上げてきます。

「フルートがシェンラン山脈にたどり着けなかったら、ゼンを助けられない……。ぼくにかまっていたら、間に合わなくなるんですよ。フルートは先に進まなくちゃ……」

 フルートは首を振りました。できるわけがありません。ポチをここに残していったら最後、この場所から動けなくて倒れて死んでしまうのは目に見えていたのです。

 どうしたらいいんだ、とフルートは必死で考え続けました。金の石がほしい、と心から思います。けれども、どんな病や傷も癒せる魔法の石は、ゼンの元にあるのです。遠い西の彼方です。本当に、どうしたらいいのか、まったくわかりません……。

 

 その時、近くで急に男の声がしました。

「何が光っているのかと思えば。珍しい格好の子どもたちだな。こんなところで何をしてる?」

 フルートは仰天して振り向きました。日に照らされた砂漠の中、白っぽい服を着て、白い布を頭に巻いた男が、馬のような生き物に乗って立っていました。浅黒い肌に彫りの深い顔だちをした、まだ若い男です。乗り物になっている生き物は首が長く、背中にこぶがひとつあります。砂漠の船と呼ばれるラクダでした。

 若い男はじろじろと少年たちを見ていましたが、ポチがうずくまったままなのを見ると、ラクダの上から降りてきました。

「具合が悪いのか? どうした」

 と近寄ってきて、ポチの顔をのぞき、額に手を当てます。

「熱はないな。どんな具合なんだ」

 フルートは、突然どこからともなく現れた助け手に、夢でも見ているような気持ちでいました。聞かれたことに、ただ機械的に答えてしまいます。

「気分が悪くて、目眩がするって……。右足も痛いらしいんです」

 ふぅん、と若い男はつぶやきました。さらにポチを眺めてから、話しかけます。

「おい、おまえ。俺の言っていることがわかるか?」

「はい……わかります」

 とポチが返事をすると、男はうなずき、フルートに目を移して短く笑いました。

「信じられないような格好をしてる奴だな。金属の服に黒いマントだと? 暑くないのか?」

 ぶっきらぼうなようで、どことなく暖かみのある口調が、なんとなくハルマスにいるオリバンやゴーリスを思い出させます。フルートは急に胸がいっぱいになってきて、ただ黙って首を振りました。本当に助け手が来たんだ、と理解し始めます。

 すると、若い男はポチの小柄な体をひょいと抱きかかえ、そのままラクダに乗ってしまいました。

「ここじゃ手当てできない。ついてこい」

 と言って進み出します。フルートはあわてて後を追いながら、本当に、なんだかぼうっとしてしまいました。こんな砂漠の真ん中で、こんな風に助けてくれる人と出会えるなどとは、想像もしていませんでした――。

 

 二人の少年の前に突然現れた青年は、砂漠を渡って行商をするキャラバンの隊長でした。名前をダラハーンと言い、砂漠に近い村の出身で、ラクダの群れにクアローの町で仕入れた商品を積み、砂漠の向こうの町まで売りに行く途中なのだと、フルートに教えてくれます。

 やがて、その話を裏づけるように、行く手の砂漠の中に獣と人の集団が見え始めました。数十頭のラクダと十数人の男たちの隊列です。ラクダたちは山のような荷物を背中に積んでいます。それがキャラバンでした。

 ダラハーンが二人の少年を連れて隊列に戻ると、仲間の男たちが話しかけてきました。

「また、ずいぶんと珍しいものを拾ってきましたね、隊長。何があったんですか? あの金色の光はいったい?」

「この坊主の着ている服だったよ。砂漠の真ん中で動けなくなっていたんだ」

 とダラハーンが答えると、男たちは驚きました。

「子どもが二人だけで? いったいまた、なんで?」

「何をしていたんだ、あんたら」

 キャラバンの男たちは、意外なほど人なつこい感じで、いきなり砂漠から拾われてきた少年たちにも変な警戒を示しません。まわりを取り囲んで、珍しそうに眺めています。

 若い隊長は、彼らを下がらせながら言いました。

「話は後だ。まずはこの小さい方の手当をしてやらないとな」

 と自分が乗ってきたラクダを座らせ、その後ろにできた日陰に毛布を敷くと、その上にポチを寝かせます。続いて、どこからか器を取り出すと、別のラクダが積んでいた水筒から水を注ぎ、さらに、荷物の中から取りだした何かを水に溶かします。

「さあ、飲め」

 とダラハーンがポチを抱き起こして、器を渡してきました。フルートはポチのわきに座りこんで、器を持つ手を支えてやります。中身を一口飲んだとたん、ポチは顔をしかめました。

「しょっぱい……!」

「当然だ。塩水だからな」

 とダラハーンが答え、少年たちが目を丸くするのを見て、手を伸ばしました。ポチの頬をなでます。すると、その手のひらの下で、何かがざらりと砂のような音を立てました。

「わかるな? 汗が塩になってるんだ。汗をたくさんかけば、体の中からたくさん塩が外に出る。なのに、水ばかり飲んで塩を摂らずにいると、体の中の塩が足りなくなって、こんなふうに具合が悪くなってくるんだ。まあ、このチビはそれほど症状がひどくないようだから、そいつを飲めばじきに元気になるだろうよ」

 そして、ダラハーンは、小さな少年が少しずつ塩水を飲んでいくのを見守りました。

 

 やがて、ポチは本当に元気になってきて、毛布の上に自分で起き上がれるようになりました。

 フルートは涙が出るほどほっとすると、キャラバンの隊長に深々と頭を下げました。

「ありがとうございました。本当に助かりました」

「砂漠で難儀をしている時はお互いさまだからな」

 とダラハーンは笑いましたが、すぐに真顔になって続けました。

「だが、おまえらは本当に何者だ? なんで二人だけであんな場所にいた」

 それは当然な疑問でした。フルートは答えました。

「ぼくたちは友達を助けるために東に向かってるんです。砂漠の向こうの、シェンラン山脈まで行かなくちゃいけないんです」

 とたんに、ダラハーンだけでなく、まわりで話を聞いていたキャラバンの男たちまでが目を丸くしました。

「シェンランだと? 本気で言ってるのか、坊主?」

「シェンランはユラサイの山だぞ。あんな場所までいけるわけがないだろう」

 と口々に言います。フルートは聞き返しました。

「ここからシェンランまで、どのくらいかかりますか?」

「二ヶ月だな」

 とダラハーンが答えました。

「この砂漠を越えるだけで四週間はかかるんだ。俺たちはそんな先の場所まで行ったことはないが、シェンランのふもとまでは、さらに一カ月はかかるという話だ」

 それを聞いて、フルートは唇をかみました。ポチも今にも泣き出しそうになってフルートを見ます。

 その様子に、ダラハーンは言いました。

「どうやら訳ありらしいな。だが、悪いことはいわない、やめておけ。砂漠はおまえらみたいな子どもに越えられるような場所じゃない。たまたま俺が気がついて見に行ったからいいようなものの、そうでなかったら、おまえらはあそこで日干しになってたぞ。次のオアシスの町まで連れて行ってやるから、そこで戻り道のキャラバンを見つけて帰れ」

 フルートは唇をかんだままうつむいていましたが、やがて、顔を上げるとダラハーンに言いました。

「ぼくたちを一緒に連れて行ってもらえませんか? 砂漠を越えるまででいいんです。東へ連れて行ってください」

「だめだ」

 とそっけなく青年は答えました。

「言ったぞ。砂漠はおまえらのような子どもが越えられる場所じゃない。だいたい、おまえらのようなチビを連れて歩いたら、足手まといでかなわん。行程が遅れるってのは、俺たちキャラバンにだって命取りだからな」

 他の男たちもうなずき、口々に同意しながら、フルートたちから離れていきました。もうこれ以上、何も話すことはない、と言うような態度です。

「オアシスまでは連れてってやる。そこから引き返せ」

 と繰り返すと、ダラハーンも少年たちから離れて行きました。

 フルートは涙をこらえながら唇をかみ続けました。ゼン……! と心の中で友人の名を呼びます。

 

 その時、砂漠を風が吹き渡っていきました。細かい砂が舞い上がって、あたりは砂埃でいっぱいになります。

 キャラバンの男たちは慣れた様子で風下を向き、首や頭に巻いていた布を口元に引き上げていましたが、ラクダたちがいっせいに鳴き出すと、急にあわて出しました。ラクダは興奮した様子で足踏みをして頭を振り、ヴォーヴォー、ウィー……と声を上げています。今にも散り散りに走り出しそうになるので、必死で男たちが引き止めます。

「まただ……!」

「こら、落ちつけ!」

「静かにしろ! こら、静かにしろったら!」

 男たちの腹立たしそうな声が上がります。隊長のダラハーンも跳ね起きた自分のラクダを抑えて、足下のポチやフルートが蹴飛ばされないようにしていました。難しい顔をしています。

「本当に、今回はどうしたっていうんだ、こいつらは!?」

 とどなります。

 フルートたちは、今までおとなしかったラクダたちが急に暴れ出したので、びっくりして見ていましたが、やがて、ポチが言いました。

「ラクダたち、みんな怖がっていますよ。風が吹くと変な音が聞こえてくる、って言ってます」

「変な音?」

 とダラハーンが目を見張りました。

「ラクダたちが言っているだと――?」

 とたんに、ポチは、はっとしてうつむきました。自分が人間の姿になっているのを一瞬忘れて、もの言う犬のつもりで話してしまったのです。人間になって犬の能力をすっかりなくしてしまったポチですが、動物のことばを理解する力だけは残っていたのでした。

 いそいでフルートが言いました。

「彼は動物の言っていることがわかるんです。そういう特殊能力を持ってるんです……」

 とっさには、それ以上うまい説明は思いつきませんでした。

 ダラハーンは疑わしそうな顔で少年たちを見つめ続けていましたが、やがて、急に思い当たる表情になると、大声を上げました。

「壺か! あれのせいか!」

 一頭のラクダに飛んでいくと、その背中にくくりつけた荷物の山から、細首の金属製の壺をいくつも取って地面に投げ捨てました。風は吹き続けています。が、とたんに、ラクダたちがおとなしくなりました。

 

「隊長?」

 不思議そうに集まってきた仲間たちに、ダラハーンは答えました。

「ジュナで仕入れた壺のせいだ。あいつをむき出しで積んでいたから、風が吹き込んで音を出していたんだ。笛みたいにな」

「でも、俺たち、音なんて全然聞こえませんでしたよ」

「人の耳には聞こえない音ってのもあるんだ。ラクダたちにはそれが聞こえていたんだろうよ」

 そう言うと、ダラハーンはまた少年たちのところへ戻ってきました。かがみ込むようにして話しかけてきます。

「助かった。砂漠に入ってからこっち、ずっとラクダたちが落ちつかなくて困っていたんだ。ラクダは臆病で、音には特に敏感だからな。だが――そっちのチビが動物の話がわかるというのは本当なのか?」

 ポチはうつむいたまま、体を堅くしていました。人にはない能力です。まるでもの言う犬であることを初めて知られた時のように、おびえた様子で小さくなっています。

 それを背中にかばうようにしながら、フルートは言いました。

「本当です。彼はずっと……動物の中で暮らしてきたから、自然と動物のことばがわかるようになったんです」

 なんだか苦しい説明でしたが、とにかく、それらしいことを答えます。

 ダラハーンはさらにしばらく少年たちを見つめていましたが、やがて、うなずいて言いました。

「なかなか便利な奴だな。よし、わかった。おまえらを一緒に砂漠の先まで連れてってやろう。俺たちが向かうサダラの町までだがな」

「本当ですか!?」

 フルートは思わず歓声を上げました。ポチも驚いて顔を上げます。

「その代わり、歩き切れなければ、今度は容赦なく砂漠に置いていくぞ。俺たちも命がけだからな」

 真顔でダラハーンが言います。本当に、そのくらい砂漠越えというのは厳しいことなのです。フルートはうなずきました。

 ……キャラバンと一緒に行っても、期限の日にちまでにシェンランにつけないことはわかっています。それでも、彼らとならば、自分たちは砂漠を進むことができます。前へ進むことができるのです。あきらめない、絶対にあきらめない、とフルートは心で繰り返していました。

 

 すると、ダラハーンが尋ねてきました。

「それで、だ。おまえらの名前は何て言うんだ?」

 フルートは答えました。

「ぼくはフルート。こっちにいるのは、ポチです」

「ポチ? えらく変わった名前だな、犬みたいじゃないか。仇名か?」

 と青年が目を丸くします。フルートの背後で、またポチは緊張しました。自分が犬だったことを知られてはまずいのです。それを話せば、魔王のことも話さなくてはならなくなります。キャラバンと一緒に連れていってもらえなくなるでしょう……。

 けれども、フルートは少しもためらうことなく、穏やかな顔と声で言いました。

「彼の名前はポチです。ぼくの、弟なんです――」

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク