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第7巻「黄泉の門の戦い」

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32.炎天下

 砂漠に朝が来ました。

 あたりが明るくなってきて、東の地平線から太陽が上り始めます。

 それは、東にそびえるシェンラン山脈で、魔女のレィミ・ノワールがグラスの中に見ていた光景でした。黒かった空が朝焼けの赤に、そして、日の光が差したとたん、たちまち青く変わっていきます。砂漠に日が当たります。

 なんとか夜を乗りきったポチに、日差しが暖かく降ってきました。氷のようになっていた手足に、また血が通い始めた気がします。

 出発の前にフルートはまず朝食にしました。パンと薫製肉を切り、水筒を出します。フルートはパンと肉は食べましたが、節約したくて、水はほんの少ししか飲みませんでした。ポチの方はパンと水は口にしましたが、肉は食べようとしませんでした。あまりに過酷な環境のせいか、急に体が変わってしまった後遺症なのか、食欲が全然わかなかったのです。

 明け方の砂漠には、一面に白く霜が降っていました。乾燥した砂漠でも、夜の間に地中からわずかな水蒸気が上がってきて、それが明け方の冷え込みで凍りつくのです。朝日を浴びたとたん、霜がきらめきながら消えていきます――。

 

 日が高く上るにつれて、気温がぐんぐん上がり出しました。砂漠の過酷な昼間が始まったのです。

 季節は十一月の終わり。ロムドでは冷たい木枯らしが吹き出していたのに、砂漠は真夏のような暑さになっていきます。霜が溶けて地表にわずかにかげろうが揺れた後は、もう何一つ動くもののない乾いた世界になってしまいます。踏む砂や石も乾燥していれば、空気も乾ききっています。

 時折風が吹くと、細かい砂が埃のように舞い上がって、目も口もとても開けていられなくなりました。鼻の穴にさえ砂が入りこんでくるのです。閉口した少年たちは、とうとう布で口元をおおいました。ポチは布を頭の上にも回して、直射日光をさえぎる帽子の代わりにします。

 太陽が高い位置に移ってくると、暑さはますます耐え難くなりました。ポチがはおっていたマントは熱を吸収する黒だったので、とても着ていることができなくなって、フルートに返しました。それでも暑くて汗が出ますが、湿度が低いので、汗はあっという間に乾いてしまいます。

 フルートの方は魔法の鎧を着ているので、ポチのように暑さは感じていませんでした。汗もまったくかいていません。が、それでも空気が乾いているので、咽は焼けつくように渇きました。できるだけ水は節約したいと思うのに、どうしても飲まずにはいられなくて、水筒の蓋を開けて、一口二口と水を飲みます。

 ポチは膝に手を当てて立ち止まり、頬を真っ赤にしてあえいでいました。人の姿になったポチは、炎天下という過酷な環境のせいだけでなく、長く歩くことそのものが、かなりつらそうに見えました。

 フルートは水筒をポチに渡しました。ポチは大急ぎで口をつけて中身を飲もうとしましたが、はっとした顔になると、いきなりフルートに向かって大声を上げました。

「フルートはどうしてこんなことばかりするんですか!? フルートだって、ちゃんと水を飲まなかったら死んじゃいますよ! 飲んだふりをするなんて!」

「え?」

 フルートは目を丸くしました。何故ポチが怒っているのかわかりません。水を飲んだふりなどした覚えもないのですが――。

 けれども、ポチはどなり続けていました。

「そりゃ、フルートは魔法の鎧を着てるから暑さは感じないのかもしれないけど! でも、水を飲まないでいられるわけないでしょう!? 我慢してぼくに残そうとするなんて、そんなことはやめてください!」

「ちょ、ちょっと待ってよ、ポチ――」

 フルートはあわてて手を振りました。

「ぼくは我慢なんかしてない。ちゃんと君より先に飲んでるよ」

「だって! 水が全然減ってないですよ!」

 とポチが真っ赤になって革の水筒を差し出してきました。言うとおり、中身の水は飲み口ぎりぎりまで入っていて、少しも減った様子がありません。

 フルートは驚きました。思わず水筒をのぞき込んでしまいます。

「そんな……そんなわけないよ。思い出せよ、ポチ。昨日の夕方、ぼくたちはここから水を飲んだんだぞ。その後、どこでも水は汲めなかったんだから、その分だって水は減ってるはずなのに」

 そう言われて、ポチも驚いた顔になりました。やっと、その不思議に気がついたのです。

 しばらく思案してから、フルートはまた水筒に口をつけて水を飲んでみました。中の水面が飲んだ分だけ下がります。ポチと一緒にそれを見守っていると、やがて、水面が音もなくせり上がってきました。最初と同じ、飲み口ぎりぎりのところまでくると、ぴたりと止まります。

 二人の少年は顔を見合わせてしまいました。

「水が増えましたよ……」

「うん。元に戻った」

 答えながら、フルートは思い出していました。最後に水筒に水を補充した時、フルートは、なんだかあまり水が減っていないな、と考えたのです。やはり、その前の食事でけっこう飲んだはずだったのに。

 

 その時、革の水筒の底で、何かが音を立てました。チリン、と小さな鈴を振るような音です。同時に、水筒の中で何かが動いたのが、小さな振動になって伝わってきました。

 フルートは、はっとしました。思わず声を上げます。

「指輪だ――! メールの、海の指輪だ!」

 ポチもそれでようやく思い出しました。メールは、フルートとポチが旅立つときに、自分の左の薬指から青い婚約指輪を引き抜いて、手渡しながら言ったのです。

「水の中に入れておくと、守りの力を発揮するんだ。持ってきな、きっと役に立つから」

 と。フルートはそれを水筒の水の中に沈め、そのまま、二人ともそのことをすっかり忘れてしまっていたのでした。

 ポチが感心しながら言いました。

「守りの力って、こういうことだったんだ。いくら水を飲んでも、また水を増やしてくれる、魔法の指輪だったんですね」

 フルートは思わずにっこりしました。なんだか、砂漠に足を踏み入れてから初めて、心から笑ったような気がしました。

「ありがとう、メール」

 遠いハルマスにいる仲間に向かって、フルートは礼を言いました。

 

 太陽が次第に頭上に近づいてきました。暑さはますます厳しくなっていきます。

 いつの間にか、あたりは小石だらけの場所から、一面の砂野原に変わっていました。見渡す限り砂だけしかありません。砂が山を作り、谷を作り、まるで風に吹かれた湖のように、砂の表面にさざ波模様を刻んでいます。風が吹いた後にできる風紋です。

 フルートとポチは、その中を、ただただ歩き続けました。砂が焼け、照り返しが耐え難いくらいになってきます。鎧を着ているフルートは平気ですが、人間の姿のポチは、まともに暑さを食らってしまいます。汗をかきながら、あえぎながら、やっとの思いで進んでいきます。なんの心配もなく水をたっぷり飲めることだけが幸いでした。

 フルートは、歩きながら何度も立ち止まって空を見上げました。昼の空は太陽の位置だけが方角を知る手がかりです。そろそろ真上に差しかかる太陽から、東の方角を割り出し、改めてそちらへ向かって進み出します。昼食にしてもよい時間でしたが、フルートもポチも、食欲が全然わきませんでした。

 砂漠は厳しいな、とフルートは改めて思いました。夜は凍死するほど寒くなり、昼間は干上がりそうなほど暑くなります。水がなければ、それこそ本当に乾き死にです。

 空には雲の一片もなく、地上には草木一本見あたりません。砂だけが見渡す限り広がっていて、あらゆるものをおおいつくしています。生き物の姿も見あたりません。ただ風が吹いてきて、あっという間にあたりの景色を砂埃でかすませ、つむじを巻きながら遠ざかっていきます。乾燥しきった、死の世界なのです……。

 

 すると、後をついてきていたポチが、急に崩れるように熱い砂の上にうずくまってしまいました。

「ポチ!」

 フルートはびっくりして駆け寄りました。

「大丈夫!? どうしたの!?」

「目眩がして……気分が悪い。足も痛いです……」

 少年がうめくように言いました。いきなり大量の汗をかいています。顔中がびっしょり濡れて、白い髪が額に貼り付きます。

 痛んでいるのは右足のようでした。気分の悪さはいっこうにおさまらないようで、背中を丸めてうずくまったまま、苦しそうにあえいでいます。時々、右足を押さえてはうめきます。

 フルートは立ちつくしました。どうしたらいいのかわかりません。二人は砂漠の真ん中で、また立ち往生してしまったのです。

 少年たちの頭上から、太陽がぎらぎらと照りつけていました。ほんのわずかの日陰もない砂の海で、彼らはたった二人きりでした――。

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