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第7巻「黄泉の門の戦い」

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31.月夜

 月の光に照らされた砂漠を、フルートとポチは歩き続けました。

 砂漠というと、見渡す限り砂が広がる場所を想像するのですが、実際の砂漠は石と砂からできていて、無数の小石が一面に転がっていました。一歩進むごとに小石を踏むので、足に布を巻いただけで歩いているポチは、しょっちゅう悲鳴を上げました。

「あいたっ……! ほんとにもう、人間ってよくこんな足で歩いてますね。足の裏の皮が薄いから、石を踏んだだけでもすごく痛いですよ」

「だから靴をはくのさ。気をつけて歩くんだよ。足をひねって捻挫しないようにね」

「犬だったら、こんな場所、本当に全然なんでもないのになぁ」

 少年の姿にされた子犬は、悲しそうに言いました。

 フルートはそれには答えずに空を見上げました。月と星の位置から、自分たちが進む方角を確かめます。シェンラン山脈は砂漠の東にあるのです。

 空はよく晴れていました。暗い夜空に半月を過ぎたばかりの月が輝き、その光の輪の外側に、たくさんの星が見えています。フルートたちが住む荒野でも、夜には星がよく見えましたが、砂漠で見る星はいっそう数が多いように思えました。

「あれが北極星だから、方向はこっちでいいんだな」

 とフルートが言うと、ポチはますます悲しそうな顔になりました。

「すみません、フルート。ぼく、人間になっちゃってから、方角が全然わからないんです。鼻も利かないし、耳もさっぱり聞こえません。風の首輪はあるけど、犬の体じゃないから、風の犬にも変身できないし……。ぼく、本当になんの役にも立てないですね……」

 ポチはまた泣き声になっていました。フルートは、溜息まじりで振り返りました。

「それは君のせいじゃないよ。そんなの気にしなくていい。方角はこうして星を見ればわかるんだし、これだけ見晴らしがよければ、敵が近づいてきたってすぐにわかるよ」

「だけど……」

 うつむいた顔が涙ぐみ始めています。

 フルートは思わず苦笑しました。

「ポチはぼくのことを涙もろいって言ってたけど、君の方がよっぽど泣き虫みたいじゃないか。そんなに泣いてばかりいたら、ポポロと同じだぞ」

 えっ、とポチが顔を上げました。色白な頬がみるみる赤くなっていきます。

 そんなポチにフルートは言いました。

「ことわざにもあるじゃないか。まずはできることをやれ。やれることやってから、それから悩め――ってね」

 ポチは今度は目を丸くしました。

「そんなの、ありましたっけ? ドワーフのことわざですか?」

「たった今、ぼくが考えたんだよ」

 とフルートがすまして答えます。

 ポチは本当に目をまん丸にすると、やがて、ぷっと吹き出しました。声を上げて笑い出してしまいます。フルートも、一緒に笑いました。夜の砂漠に少年たちの笑い声が響きます。

 ひとしきり笑うと、フルートはポチに手を差し伸べました。

「さあ、行こう。一歩進めば、一歩分だけ目的地に近づくんだ。できないことを数えるんじゃなくて、できることをやっていこうよ」

 少年のポチは、思わずにっこりしました。そうしながら、同時に泣き出しそうになって、あわてて目をこすりました。

 優しい優しいフルートです。力を失ったポチを決して責めません。そして、誰よりも意思が強いのです。ともすれば、くじけて座りこんでしまいそうになるポチの心を支えてくれます――。

 ポチはフルートの手を握りました。そして、二人の少年は、石だらけの砂漠の中を、ひたすら東へ歩き続けました。

 

 ところが、夜半になり、月が西の地平近くまで傾いた頃、ポチが立ち止まってしまいました。ぶるぶる震えながらつぶやきます。

「寒い……」

 先を歩いていたフルートが、驚いて引き返してきました。ポチの色白な顔は、傾いた月の光の中で、いっそう白く見えていました。唇は黒ずんで見えます。

「寒いの、ポチ?」

 と尋ねると、少年はうなずき返しました。はおっていたマントを、強く自分の体に絡みつけます。

 砂漠は空気が乾燥しているので、昼間は暑く、夜間は非常に冷え込みます。フルートは魔法の鎧を着ているので感じませんでしたが、周囲の気温はもう零度近くまで下がっていたのでした。

 フルートはあたりを見回しました。立木一本、茂み一つ見あたらない、砂と石の荒野です。たき火を起こして暖めてやろうと思っても、火をたくこともできません。

 すると、ポチが言いました。

「人間って、こんなに寒さに弱かったんですね……。これっぽちの寒さがこんなに応えるなんて、思ってもいなかった……」

 青ざめた唇を震わせながら、その場にしゃがみ込んでしまいます。

「ポチ」

 フルートはあわてて自分の防具を外そうとしました。魔法の鎧は暑さ寒さを防ぎます。それをポチに着せようとしたのです。

 すると、とたんに少年が鋭く叫びました。

「だめです、フルート!」

 寒さに震えているのに、驚くほど強い声です。

「フルートは絶対に鎧を脱いじゃだめです! いつ何が現れるかわからないんだから……! ぼくは大丈夫です。ちゃんと歩けます」

 けなげに立ち上がると、また先へと進み始めます。

 けれども、砂漠の夜はますます冷え込んでいきます。いくら歩いて体を動かしても、冷え切っている体は少しも暖かくなってきません。ポチの歩き方は次第にぎこちなくなり、とうとうまた立ち止まってしまいました。マントを体に巻いてうずくまり、ただ、がたがたと震え続けます。もう、ものを言うこともできませんでした。

「ポチ、もういいよ――もうここで休もう」

 とフルートは言いました。

 元の子犬の姿だったら、フルートが抱いていくことができます。けれども、いくら小柄でも、少年になってしまったポチはフルートにはとても運べません。それ以上進むことはあきらめて、夜が明けるのを待つしかありませんでした。

 

 小石だらけの地面に座って、ポチは震え続けていました。沈もうとする月が投げかけてくる最後の光が、少年の雪のように白い髪の上で揺れて踊ります。うつむいた目から大粒の涙がこぼれ続けています。思うようにならない人間の体が歯がゆくて、フルートの足手まといになっていることが悲しくて、ポチは声を出さずに泣いていたのでした。

 フルートはポチの隣に座って抱き寄せました。どんなに強く抱きしめても、ポチの震えを止めることはできません。それでも、少しでも寒さから守ろうと、自分の体の中に精一杯に抱えます。

 そうしながら、フルートは遠いハルマスにいる仲間たちを思い出しました。ポポロ、メール、ルル、そして、闇の毒に眠り続けているゼン――。みんな、今頃どうしているだろう、と考えます。

 丁度その時、西の彼方のハルマスでは、少女たちと大人たちと四人の魔法使いが、空を渡って襲ってくる闇の敵相手に、大攻防戦を始めたところでした。嵐が吹きすさぶ中、魔法や稲妻がひらめき、ゼンを守るために激戦が繰り広げられたのです。

 けれども、それはフルートたちには知るよしもないことでした。彼らがいる砂漠は静かです。月は、地平線の上に遺跡のように見える岩場の陰へ、ゆっくりと隠れていきます。いっそう厳しくなっていく寒さの中、フルートは震えるポチをただ抱き続けていました。

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