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第7巻「黄泉の門の戦い」

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第8章 砂漠

30.岩の宮殿

 フルートは茫然と立ちつくしてしまいました。

 目の前の岩場には子どもがうずくまっています。抜けるように白い肌に雪白の髪の、裸の少年です。首に銀糸を編んだような風の首輪をしていて、自分はポチだと答えます。もの言う犬のポチなのだと――。あまりのことに、フルートはことばも出ませんでした。

 すると、裸の少年が震えながら話し出しました。

「ぼく……空から墜落して、岩にたたきつけられて……そのまま気を失っちゃったんです。ずいぶん長く気絶してたんだけど、目が覚めたら、こんな体になっていたんです……」

 その声と口調は、紛れもなくポチのものでした。今にも泣き出しそうにうるむ黒い目も、子犬のポチがよく見せていたまなざしにそっくりです。

 フルートは、ふーっと長い溜息をつくと、首を振りました。

「まいったね……あの魔女の魔法だよ、ポチ。君、人間にされちゃったんだ」

 少年は目を見張りました。意外そうに聞き返してきます。

「驚かないんですか、フルート? ぼくをポチだって信じてくれるの!?」

 そう、例えば闇の怪物が子犬のポチをさらい、その代わりに自分が人間の子どもに化けて、ポチだと言っている可能性だってあるのです。

 けれども、フルートは穏やかにほほえみ返しました。

「君はポチだよ。どんな格好をしていたって、ぼくにはちゃんとわかるよ――」

 言いながら、はおっていたマントを外し、裸でいる少年に着せかけてやります。皇太子のオリバンが、旅立ちの際に貸してくれたものです。

「怪我はない、ポチ? 痛いところは?」

 すると、少年の黒いひとみがうるんで揺れました。あっという間に涙があふれてきます。

 少年は腕を伸ばしてフルートの首にしがみつきました。そのまま、声を上げて泣き出してしまいます。着せかけたマントが滑り落ちて、白く細い肩と背中がまた、むき出しになります。

 フルートはそれを抱き返しました。どうすればいいのかわかりません。どうしてやればいいのかもわかりません。ただ、泣いている少年を抱きしめて、頬を寄せてあげることしかできませんでした。

 

 ポチがようやく泣きやんで落ちつくと、フルートはリュックサックから自分の着替えを出してやりました。小柄なフルートですが、人間になったポチは、それよりもっと背が低くて小柄です。下着は何とか着られましたが、シャツは袖が余りますし、ズボンは裾が長すぎます。フルートは、袖と裾をまくって、たくし上げてやりました。ポチはボタンを留めることができなかったので、それも代わりに留めてやります。その上に袖なしの胴衣を着ると、ポチもなんとか普通の子どもらしい格好になりました。

「これ……大きすぎますね」

 肩から着せかけられたマントを見て、ポチが言いました。黒いマントは少年の背丈より長くて、裾が地面をひきずっていたのです。フルートはちょっと苦笑しました。

「そうだね。オリバンのマントだもの。ぼくが着ても裾を踏みそうだったんだ」

 人間になったポチは裸足でいました。さすがにフルートも靴の替えまでは持ってきていません。ぼく、このままの方がいいな、と言うポチに、フルートは首を振って言いました。

「人間は裸足では長く歩けないんだよ。ここは岩場だから、すぐに足の裏を怪我しちゃう。犬のようなわけにはいかないんだよ」

 そして、フルートは少し考えてから、おもむろに背中のロングソードを引き抜きました。それでマントの裾をちょうどよい長さに切り取ります。

「どっちにしろ、短くしないと歩けないからね。オリバンだってわかってくれるさ」

 と言いながら、さらに切り取った分を半分の幅に切り裂き、そうしてできた細い二本の布を、ポチの足に靴下のように巻き付けてやりました。

「ほら、これならどう? 靴の代わりになるだろう?」

 ポチはその場で何度も足踏みをして感触を確かめると、首をかしげました。

「なんか変な感じですね……。人間って、いつもこんなのはいていたんだ。歩きにくそうだなぁ」

「そのうち慣れるよ。これからたくさん歩かなくちゃいけないんだ。足下はしっかりさせておかないとね」

「たくさんって――」

 驚いたように聞き返すポチへ、フルートは答えました。

「もちろん、シェンラン山脈に行くんだよ。魔王を倒しにね」

 穏やかですが、きっぱりした口調です。ポチはさらに驚きました。

「だって、フルート、ぼくはもう風の犬になれないんですよ! 空を飛べないのに――!」

「だから、歩いていくのさ。歩いて砂漠を越えるんだ」

「歩いて――って、どのくらいかかると思っているんですか!? ぼくたちは三日以内にシェンラン山脈に行かなくちゃいけないんですよ! とってもそんな日数で砂漠を越えるなんてこと――!」

 少年のポチはまた泣き出しそうになっていました。風の犬で気流に乗っていかなければ期限に間に合わないことは、充分承知しています。だからこそ、行く手に横たわってしまった厳しい現実から、目をそらすことはできなかったのでした。

 すると、フルートは静かに答えました。

「それでもだよ、ポチ。どんなに不可能に見えたって、それでも進むんだ。立ち止まっていたら、絶対に先には行けない。絶対にゼンは助けられない。あきらめちゃ駄目なんだよ」

 フルートは、あの何にも揺らぐことのない表情をしていました。一度思いこんだら、めったなことでは考えを変えないのがフルートです。

 ポチは夕焼けに染まる岩場と、その向こうの砂漠の方向へ目を向けました。涙ぐんだまま言います。

「越えられるんでしょうか……間に合うのかな……」

 今にもまた涙がこぼれ落ちそうになります。

 フルートは、はっきりと言いました。

「それでも行く。とにかく先に進むんだ」

 強く優しい横顔を、赤い夕日が照らしていました。

 

 出発の前に、フルートとポチはまた食事をしました。時間も惜しかったので、立ったままでパンを水で腹に流し込みます。

 水筒の水の残量を確かめながら、フルートが言いました。

「この先は砂漠だ。水はめったに見つからないだろうな。水を節約していかなくちゃいけないね」

 水をここで補給していきたいところでしたが、岩だらけの場所は、近くに川も見あたりません。不安を抱えたまま、小さな水筒一つで出発しなくてはなりませんでした。

 二人が歩き出した頃には、夕日もすっかり沈み、空の夕映えが急速に薄れようとしていました。薄暗くなっていく岩場の中で、回廊やアーチのような形をした奇岩が黒く浮き上がって見えてきます。それは本当に、岩でできた宮殿の中に紛れ込んだようでした。

 岩の間の通路を歩き、岩のアーチをいくつもくぐりながら、フルートはそれを見上げました。

「よくわからないけど、水か風が削っていった跡みたいだね。ここを川が流れていたか、風に吹かれた砂が削っていって、こんなふうにしたんだろうな」

 それは非常に珍しい眺めでした。岩の宮殿の中はまるで迷路のようで、そこを縦横無尽に岩の橋やアーチがつなぎ、広間のようになった場所に、奇妙な形の岩の柱が現れます。こんな目的ではなく、もっとゆとりのある旅ならば、岩の一つ一つを眺めて楽しみたいくらいでした。

 けれども、フルートとポチは先を急ぎました。空はたちまち暗くなり、白い月が輝き出します。半月をほんの少し過ぎた月です。

 月の光が照らすので、先に進むのに困難はありませんでした。黒々とした影が落ちる岩の通路をたどって、やがて岩場から開けた場所へ抜け出します。

 とたんに、フルートとポチは思わず立ち止まってしまいました。

 広い広い平原が、目の前にどこまでも広がっていました。砂と小石だらけの平らな地面です。月の光が冷たく輝く中、小石の落とす影が無数の斑点のように見えます。

「砂漠ですね……」

 とポチが言いました。

 すると、それをフルートが振り返りました。その視線の意味がわからなくてポチがとまどうと、フルートは笑いました。

「ううん。君がさ、話すときにワン、って言わないのが、なんだかちょっと不思議だったんだよ」

 少年のポチは思わず顔を赤らめました。

「だ、だってぼく、今は人間だから――」

「うん、わかってる。ただ、なんとなく不思議に感じただけさ」

 とフルートは笑いながら答えると、砂と小石だらけの大地へ踏み出しました。

「さあ、行くよ。まだ日が暮れたばかりだ。今夜は歩けるところまで歩き続けるからね」

 先に立って歩くフルートのすぐ後を、ポチがついてきます。二人の少年の影が、黒くくっきりと地面に落ちます。

 

 黙って歩きながら、いつしかフルートからは笑顔が消えていました。シェンラン山脈の手前に広がる砂漠は広大です。わずか三日のうちに歩いて越えることが不可能なのは、フルートも充分すぎるほど承知していたのでした。

 ゼン……! とフルートは心の中で叫びました。どうしようもなく心が焦ります。早くたどりつかなければ、魔王を倒さなければ、と思うのに、シェンラン山脈はあまりにも遠い彼方なのです。

 けれども、フルートはそれを顔にも態度にも出しませんでした。自分が焦って心配している様子を見せれば、ポチがすまながって悲しむと知っていたからです。ポチが人間の姿になってしまったのは、ポチのせいではありません――。

 間に合ってみせる、とフルートは心の中で強く繰り返しました。奇跡でも起きない限り、そんなことはありえないのだとわかりながらも、それでも強く心に繰り返します。絶対に間に合ってみせる。そして、ゼンを助けて、ポチも元の姿に戻してやるんだ――と。

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