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第7巻「黄泉の門の戦い」

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28.竜

 ポチは偏西風に乗って飛び続けました。フルートがその背中に乗っています。あまり高すぎる場所を飛ばないようにしているので、速度はいくぶん落ちていますが、それでも確実に東へと進んでいます。雲の海はすっかり消えて、乾いた色合いの大地が眼下を流れていきます。緑も見えますが、あせたように黄ばんだ色をしていました。

「ワン、荒野ですね」

 とポチが地上を見下ろしながら言いました。

「いよいよ砂漠地帯に差しかかるんだと思うよ」

 とフルートが学校の地理の授業を思い出しながら答えました。彼らが住むロムドは、中央大陸の西寄りの方にあって、その東側に、エスタ、クアローといった国々が続き、さらにその先には大きな砂漠地帯が広がっています。魔王レィミ・ノワールが潜むシェンラン山脈は、その砂漠を越えた先にあるのでした。

「同じ荒野でも、ロムドの大荒野とは様子が違いますね」

 とポチが言い続けました。

 フルートたちが住むシルの町のあたりには、白っぽく乾いた平原が広がっています。緑色は灌漑用水の近くの牧草地や畑だけです。

 今、眼下を流れていく荒野は、それよりももっとオレンジがかった白い色をしていて、変化に富んだ地形をしていました。崖と深い谷間とが複雑に入り組んでいて、その底を川が流れています。崖の上から谷川まではかなりの高度差があるようです。乾いた大地を長い年月をかけて川が刻んで作り上げた場所で、空の高みから見ていると、昔川が流れた跡が谷になっているのが、はっきりとわかりました。

 フルートは黙って地上の景色を眺め続けました。中央大陸にはたくさんの国がありますが、その間や周辺には、どの国にも属していない場所がたくさんあります。ゼンたちが住む北の峰のあたりもそうです。大陸の北方は大森林におおわれていて、自然が厳しく、どの国もそこまで勢力を伸ばすことができないのです。そういう場所は、ドワーフや獣や怪物といった、いわば自然の民や生き物たちの住みかになっていました。

 今、眼下に見えている荒野や、これから差しかかる砂漠地帯も、そんな場所の一つです。大陸の西側の諸国と、東に広がる大国ユラサイとの間を隔てるように横たわっていますが、雨のほとんど降らない場所で、住む人もほとんどありません。乾燥に強い生き物や植物だけが、ごくわずかに生息していると聞いていました。

 世界にはいろんな場所があるんだな、とフルートは思いました。ゼンを救うためでしたが、思いがけず、こんな遠い場所まで来ている自分に驚きを感じます。世界は広いんだ、とつくづく考えます――。

 

 その時、ふいにポチがワン、と吠えました。

「何かが下から出てきます! なんだろう!?」

 緊張した声でした。オレンジがかった荒野の谷間から、何かが飛び出してくるのが見えました。生き物です。蛇のように長い体をくねらせて、勢いよく空を駆け上がってきます。

「風の犬?」

 とフルートは驚きました。その姿は、白い体をくねらせて舞い上がる風の獣にそっくりだったのです。けれども、ポチは緊張しながら答えました。

「ワン、違います。あれは怪物だ。――竜ですよ!」

「竜!?」

 フルートはまた驚きました。彼らが知っている竜は、いわゆるドラゴンで、背中に翼を持ち全身をウロコにおおわれた、首の長いトカゲのような姿をしています。ところが、今空を駆け上がってくる竜は、トカゲよりも蛇に似ていました。四本の足はありますが、とても短く、背中に翼もありません。全身にウロコを光らせているのは同じですが、ずいぶん形も印象も違っていました。

 蛇のような竜は、ポチのすぐ目の前までやってきました。空中でとぐろを巻いて彼らを見据えます。その目は凶暴な黄色に光っていました。

 ポチはとっさに身をかわし、逃げる体勢に入りながら言いました。

「ワン、ユラサイの竜ですよ! あっちの竜は蛇みたいな姿をしてるんだ、って聞いたことがあります! 海や川や――天候を左右する魔力を持っているんだそうですよ!」

「天候を?」

 フルートは竜を振り返りました。全速力で先へ逃げるポチを、異国の竜が追いかけてきます。長い体をひらめかせながら飛ぶその姿は、本当に風の犬によく似ています。どこか神々しささえ感じさせる怪物ですが、フルートたちを見る目は狂気と憎しみに染まっていました。

「くそ……やっぱり魔王が送り込んできたんだな」

 とフルートはつぶやき、背中から炎の剣を引き抜きました。黒い柄にはめ込まれた赤い宝石が日の光に輝きます。

 

「ワン、来た!」

 とふいにポチがまた叫びました。真下から、もくもくと煙のように雲が立ち上ってくるのが見えます。カリフラワーのような雲の塊が、いくつもいくつも重なり合ってふくれあがり、空の上まで押し寄せてきます。

「積乱雲です! かわします!」

 とポチが言って、大きく横へ逃れました。行く手に立ち上ってきた雲の柱は、上に向かってますます大きく高くなっていきます。雲の塊が後から後からわき出してきて広がります。と、その中でピカッ、ピカッと白い稲妻が光り出しました。ゴロゴロゴロ……と不吉なうなりが続きます。

「ワン、雲の中で雷が発生してるんです。ユラサイの竜は雷を呼んで、大雨を降らせるんだそうです。離れますよ、フルート。あの中に巻き込まれたら、雷と嵐の直撃を受けちゃう」

 ところが、大きく方向を変えた彼らの行く手にも、また別の積乱雲が立ち上ってきました。猛烈な勢いで目の前にそそり立ち、さらに立ち上って、そこで雲の天井を広げます。地上一万メートル以上まで急上昇した雲が、それ以上昇れない場所まで到達して横に広がっているのです。みるみるうちに、あたりが暗くなっていきます。

 と、彼らの顔や体に音を立ててぶつかるものがありました。氷の粒です。雲の柱が強い偏西風に吹き流され、凍りついた水蒸気が風に混じって飛んできているのでした。氷の粒はさらに風下に流されて、そこで薄い筋状の雲を作っていきます。

「ワン、やだな」

 とポチがひとりごとのようにつぶやきました。風の犬は魔法の獣です。どんな物理攻撃も暑さ寒さも平気な体をしていますが、激しい雨や雪、あられといったものに出会うと、霧のような風の体を吹き散らされて、消滅してしまう恐れがあるのです。今、吹きつけてくる氷の粒は、ポチを霧散させるほどの量ではありませんでしたが、それでもやっぱり、あまりいい気持ちはしないのでした。

 フルートはまた振り向いて、竜を見つめていました。ユラサイの竜は、ずっとつかず離れずの距離で後を追ってきます。直接攻撃してくるのではなく、わき起こる雲と嵐で彼らを攻撃しようとしているのです。

 三つめの積乱雲がわき起こってきました。たちまち雲の中に稲妻がひらめき出します。ポチは寸前で身をかわして避けましたが、無数に漂う氷の粒が、濃い雲の中で怪しく光り出し、ふいにバチッと光と音を立てて電気を放つのを、すぐ目の前に見ることができました。放電が次第に大きく明るくなり、まるでユラサイの竜のように、雲の中に長くひらめきます。

 

 ポチはふくれあがる雲の柱を避けて飛び続けました。雲の柱と柱の間で気流が乱れます。それに激しく上下に揺すぶられながら、ポチが言いました。

「ワン、しっかりつかまってて。雷にも気をつけてくださいよ。フルートは金の石を持ってないんだから、直撃されたら即死ですよ」

「ポチこそ、雲の中に入らないようにするんだ」

 とフルートは言い返しました。

「雲の中は猛烈な嵐だよ。君、あっという間に消えちゃうからね」

 互いに心配し合いながら、ポチとフルートは逃げ続けました。頭上に広がる雲の天井が影を落として夕方のように暗くなった中を、必死で雲を避け、先へ先へと逃げ続けます。

 バリバリッと背後でものすごい音がしました。最初の積乱雲の中で大きな稲妻がひらめき、地上へ落ちていったのです。それは本当に、雲から地上へ駆け下りていくユラサイの竜のようでした。ドーン、という音が地上から遠く響いてきます……。

 すると、ポチが歓声を上げました。

「ワン、見えた! 出口だ!」

 雲の柱の間に、青空と、遠くどこまでも広がる乾いた地上が見えていました。ポチはまっしぐらにそちらへ飛んで、積乱雲の群れから一気に抜け出そうとしました。そこはもう砂漠地帯です。乾いた大地から雲の柱を立ち上らせるのは、いくら竜でも難しいに違いありません――。

 

 ところが、雲と雲の間から飛び出そうとした瞬間、かたわらの雲の中から突然竜が飛び出してきました。いつの間にか先回りしていたのです。とっさにポチは身をかわそうとしましたが、かわしきれません。

 すると、フルートが叫びました。

「そのまま! よけるな、ポチ!」

 フルートはポチの背中で炎の剣を構えていました。襲いかかってくる竜の頭目がけて、鋭く振り下ろします。

 とたんに、剣の切っ先から炎の弾が飛び出しました。燃えながら竜の顔面に激突し、炎のかけらを散らします。炎の剣は火の魔剣です。切ったものを燃え上がらせ、剣をふるえば切っ先から炎を撃ち出すことができます。

 竜が空中で立ち止まり、悲鳴を上げて頭を振りました。ウロコでおおわれた体は燃えませんが、それでもかなりのダメージを食らったようです。

 その隙に、ポチは竜のかたわらをすり抜けて、青空に飛び出しました。乾いた大地の上に広がる空へまっしぐらに飛びます。積乱雲から響く雷鳴が遠ざかっていきます……。

 

 行く手の空には雲一つ浮かんでいませんでした。地上から激しくわき起こってくる雲もありません。明るく穏やかに晴れ渡っています。

「ワン、逃げ切った」

 とポチがほっとしてつぶやきました。乾いた風が彼らを包みます。フルートも安堵しながら後ろを振り返りました。

 そのとたん、巨大な竜の頭が視界に飛び込んできました。

 すぐ後ろに竜が追いついて、巨大な口でフルートにかみつこうとしていたのです。鋭い牙の並ぶ口の横には、長い二本のひげがなびいています。

「うわっ!」

 とフルートは思わず声を上げました。不意を突かれたフルートは、応戦することができません。とっさに身をひねったとたん、バランスを崩して、ポチの背中から滑り落ちてしまいました。

「フルート!」

 空を墜落していくフルートを、ポチがあわてて追いました。ここは高度数千メートルの空の上です。どんなに衝撃に強い魔法の鎧を着ていても、ここから地上にたたきつけられたら、絶対無事ではすみません。

 後を追ってきた竜がポチにかみつきました。けれども、風の体は牙をすり抜けます。竜は執拗にポチに追いすがり、何度もかみついてきました。

「ワン!!」

 ポチは風の瞳に怒りをひらめかせると、いきなり振り向いて竜にかみつき返しました。とたんに血しぶきが飛び、竜が悲鳴を上げました。鋭い風の牙は竜のウロコも突き破ったのです。

 竜は空一面に立ち上る積乱雲へ逃げていきました。雲の中には稲妻がひらめき、雲の下は真っ暗になっています。夕立が降っているのです。雲と雨の中に、竜は見えなくなりました。

 ポチは身をひるがえしました。

 金の鎧の少年が地上に向かって落ちていくのが、下の方に小さく見えます。

「ワン、フルート!」

 とポチは叫び、少年目がけて急降下していきました――。

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