大ムカデは無数の足が蛇のような触手になっていました。ゆらゆらと宙でうごめいていたと思うと、突然伸びて、空の花竜とその上のメール目がけて襲いかかってきます。
「メール、危ない!!」
と仲間の少女たちが思わず叫びます。
けれども、メールは竜の背中で、にやりと笑いました。
「甘い! 闇の怪物が守りの花に勝てるわけないだろ」
花竜の体から、またいくつもの守りの花が離れて、襲ってくる触手に飛びかかっていきました。蛇と蛇とが絡み合うように、触手と花が絡まり合い、次の瞬間には強い光を放って燃え上がります。守りの花は闇の敵と出会うと自ら燃え上がり、敵を焼き尽くすのです。触手を焼かれて大ムカデが悲鳴を上げます。
すると、メールがまた声を上げました。
「お行き、守りの花たち! とどめを刺しておやり!」
降りしきる雨の中、ザーッとさらに激しい雨のような音を立てながら竜から花が離れ、いっせいに怪物に飛びかかっていきました。怪物に絡みついては、次々と燃え上がっていきます。ムカデの体が光に包まれ、燃え上がりました。怪物は悲鳴を響かせながら体を振り回し、何とか花を払い落とそうとしましたが、やがて、全身真っ黒に焼けこげ、音を立てて地上に落ちました。衝撃でばらばらに砕けてしまいます。その上に、燃えつきた守りの花の残骸が、黒い雪のように舞い落ちていきます――。
「やったわ!」
「メール!」
ルルとポポロが歓声を上げました。ゴーリスとオリバンも小屋の中から出てきて、空に浮かぶ花竜とメールを見てうなずきます。
メールは、怪物と共に燃えつきた花を眺めてなんとも言えない表情をしていました。涙をこらえるような、つらそうな顔です。怪物を退治するためとはいえ、花たちを死なせてしまったことに心痛めていたのです。けれども、仲間たちの歓声を聞くと、我に返って顔を上げ、明るく笑って見せました。
「お待たせ、みんな! 間に合ってホント良かったよ!」
守りの花の竜が地上に舞い下りてきました。とたんに、また雨のような音が湧き上がって、竜の全身が崩れました。白い百合に似た花に戻ると、あたり一面に根を下ろし、そこで咲き始めます。砂におおわれていた中庭は、あっという間に守りの花の花畑に変わってしまいました。
「メール! メール!」
ポポロが歓声を上げて抱きついていきました。メールも小柄な少女を抱き返すと、笑顔で言いました。
「よく頑張ったね、ポポロ。あんたって、ホントにやるときにはやるよねぇ」
「でも、本当に危なかったのよ。あたし、魔法を使い切っちゃっていたんだもの。メールが守りの花を連れてきてくれなかったら、きっとみんなもゼンも死んでたわ」
「ゼン――」
メールが、はっとした表情になりました。ポポロもすぐに真顔になります。二人の少女は同時に小屋を振り向きました。
そこにはユギルとゴーリスとオリバンの三人が立っていましたが、少女たちと視線が合うと、またうなずき返しました。
「ゼンは大丈夫だ。心配はいらん」
とゴーリスが横に動いて、通り道を作ってくれます。メールとポポロとルルは、小屋の中へ駆け込んでいきました。
そして、少女たちは思わず立ちすくみました――。
東屋に壁を回した小さな建物の中は、めちゃくちゃになっていました。石の床はいたるところが砕けて穴が開き、平らな場所がどこにもないほどです。ベンチは全部ひっくり返り、中央のベッドも大きく動いています。その上に一人の女性が横たわっていました。少女たちが駆け込んでいくと、身を起こして振り返ってきます。
「ジュリアさん!」
と少女たちは声を上げました。
ジュリアはそれに穏やかに笑い返して言いました。
「大丈夫、ゼンは無事よ。金の石は離れなかったから」
と体の下に守っていた少年を、少女たちに見せます。ゼンは相変わらず青ざめきった顔色をしていましたが、苦しむ様子もなく、静かに眠り続けていました。
少女たちは震えながらベッドに近づいていきました。建物を外から見ただけでは、中でこんなに激しい戦いが行われていたとはわからなかったのです。いつも綺麗に結っているジュリアの髪が、ほどけて、ばっさりと背中へ流れ落ちています。白い首筋にも、赤いみみず腫れが残っています。ムカデの触手に締められた痕です。
ベッドから下りてきたジュリアに、メールがしがみつきました。肩に顔を埋めるようにして泣き出してしまいます。
「ジュリアさん……ジュリアさん……ありがとう……」
泣きじゃくりながら、やっとそう言います。ジュリアはそれを優しく抱き返しました。
「泣かなくていいのよ、メール。ゼンは無事だったんですもの。……まあ、メールこそ傷だらけじゃないの。手当をしなくちゃ」
とメールの手足を見て言います。花使いの姫の白い素肌は泥にまみれ、あちこちにすり傷ができて血がにじんでいたのでした。
ルルがポポロに静かに言いました。
「私たちが来るのが遅くなったのはね、守りの花を探していたからなの。メールが以前守りの花を見つけた場所には花があまり咲いてなくてね、花に教えてもらって群生する場所に向かったんだけど、途中から大雨と風になったでしょう? 私は風の犬に変身していられなくなって、歩いて山の中を進んだのよ。真っ暗な中、しかもあの土砂降りですもの、いくら山歩きになれているメールでも大変だったわ。何度も斜面や崖から滑り落ちて――あれは、その時にできた傷。メールはね、必死でここまで守りの花をつれてきたのよ」
そして、ルルは妹のような少女をじっと見上げました。
ポポロは何も言えなくなって、ジュリアにしがみついて泣いているメールを見つめてしまいました。二人の後ろには、大勢に守られて無事だったゼンが、身動きひとつすることなく眠っています。それを見たとたん、ポポロの胸の内をなんとも言えない気持ちが充たしました。それは、切ないような悲しいような、形容しがたい複雑な感情でした……。
「あらまぁ」
金と黒と色鮮やかな宝石に飾られた、きらびやかな部屋で、レィミ・ノワールは口をとがらせました。テーブルの上に倒れたグラスと、そこからこぼれた液体を眺め続けていたのですが、身を起こすと、華やかな椅子にどさりともたれかかります。
「案外と味方が大勢いたじゃないの、ドワーフの坊や。それに、あのおチビさんの魔法があんなに強力になっていただなんて。ちょっと誤算だったわね」
目の前のテーブルで、ひとりでにグラスが起き上がってきました。テーブルに流れた血のような液体が音もなく消えていき、代わりに、どこからともなく透明な液体がグラスの中にあふれていきます。魔女は、いまいましそうに舌打ちしました。椅子にもたれたまま、元に戻ったグラスを眺め続けます。
そこには遠い場所の景色が映っていました。ベッドに横たわるゼンと、それを守った人々の姿がグラスの内側で揺れています。その中に静かにたたずむ銀髪の青年を見て、魔女はまた舌打ちしました。
「この男ね、あたくしの邪魔をしているのは。占い師の分際であたくしの先読みをするだなんて、生意気だこと」
とグラスの中をにらみましたが、やがて、その表情がちょっと変わりました。
「ふぅん。でも、よく見ればけっこういい男。あたくし好みだわ。すぐに殺してしまうのは惜しいかも」
「レィミ」
と後ろから低い声がわき起こりました。牛の角を生やした男がにらみつけています。魔女は短く笑いました。
「妬くんじゃないことよ、タウル。せっかくの美形なのだもの、存分に苦しめながらでなくちゃ、殺しても面白くないって言っているのよ。あの整った美しい顔が苦痛で歪む様子は、最高の見物よね。その楽しみは、また後にとっておくことにするわ――」
魔女の瞳が赤く光りました。彼女に取り憑いているデビルドラゴンは、破滅と絶望だけを求める怪物です。彼女もまた、闇の竜と同じものに最高の喜びを感じるのでした。
すると、同じテーブルに並ぶ別のグラスの中が、急に明るくなり始めました。中に満たされた液体が、青くなっていく空を映しています。地平線から上る太陽が遠くに見えています。
レィミ・ノワールはそちらに目を移して、にんまりしました。
「いよいよ夜明けね。さあ、こっちの勇者の坊やはどうなるかしら? 無事に砂漠を越えることができるかしらねぇ」
楽しそうな表情と声になって、ほほほ、と笑い声を立てます。そのグラスの中には、朝の日差しを浴びて明るくなっていく、石と砂だらけの景色がありました――。