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第7巻「黄泉の門の戦い」

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20.グラス

 黒と金と、したたる血のような赤と氷の青。

 鮮やかな金属と宝石に彩られた部屋の中で、レィミ・ノワールはゆったりと椅子に座っていました。その椅子にも一面に宝石が埋め込まれています。

 目の前のテーブルは黒曜石でした。透明な液体をたたえたグラスがいくつも並んでいます。夜より黒いドレスの裾を床に流しながら、魔女は足を組み、椅子の肘置きにもたれてグラスを眺め続けていました。顎に添えられた細い指先には、驚くほど鋭い爪が伸びています。

 部屋の中は出所のしれない不思議な光で充ちていました。明るいはずなのに、見つめていると、いつの間にか暗い闇に取り込まれているような錯覚に陥る光です。魔女のドレスの胸元からのぞく豊かな胸を、白く怪しく照らしています。

 

 すると、そこへ一人の男が入ってきました。人の姿はしていますが、頭に二本の牛の角を生やし、顔も牛に似ています。半裸の体には筋肉が盛り上がり、全身黒い短い毛でおおわれています。見上げるほどの大男ですが、巨体には不似合いなほど小さな金の盆で新しいグラスを運んできていました。無骨な手でうやうやしく魔女の前に置きます。

 ふん、とレィミ・ノワールは鼻を鳴らして、新しいグラスの中を眺めました。血のように赤い眼を細めて笑います。

「だんだん面白くなってきたわね。さあ、どこから遊んでやろうかしら」

 とひとりごとのようにいいながら、グラスを一つ一つ指さしていきます。牛のような大男は、魔女の後ろに控えて、踊るような指先をじっと眺めています。

 と、鋭い爪の伸びた魔女の指が、一つのグラスで止まりました。あら、とつぶやきます。

「ドワーフの坊やを守っているのは、今はあの魔法使いのおチビさん一人だけなのね。ふぅん、これは好都合だこと」

 美しい顔がびっくりするほど残酷な笑みを浮かべます

「そうね、やっぱり、この坊やから殺してあげましょう。好きな男が目の前でもだえながら死んでいったら、おチビさんはどのくらい泣くかしらね? 助けが間に合わなくて、金の石の勇者の坊やはどれほど悔しがるかしら? 悔しさのあまりに願い石を使ったら、また素敵な見物が始まることよ」

 うっそりと、牛のような男がうなずきました。魔女が指さすグラスを、大きな角の生えた頭をねじるようにしてのぞき込みます。

 魔女はグラスへ呼びかけました。

「お行き、闇の森の怪物たち。ベッドをちょっと揺すっておやり。寝ている坊やが転がり落ちて、目を覚ますくらいにね。もっとも、すぐにもっと深い眠りにつくことになるでしょうけれど」

 ほほほ、と声を上げて笑いながら、魔女は指を伸ばしてグラスを一突きしました。グラスが倒れて中身がこぼれ出します。グラスの中では透明だった液体が、何故か血のように赤い色に変わって、テーブルの上を走っていきます。

 

 すると、牛男が顔を近づけ、大きな舌を出して液体をべろりとなめました。しずくを血のようにしたたらせながら、魔女に向かって尋ねます。

「俺も行っていいか、レィミ?」

「あんたはまだよ、タウル」

 と魔女は即座に言いました。

「あんたに行かせたら、あっという間にみんな食べちゃうからね。そんなもったいないことは、させられないことよ。充分あのガキどもを苦しめてから。まだよ、まだまだ」

 美しい姿からは想像もつかないほど残酷なことを口にして、女はまた、おほほ、と楽しそうに笑いました。

 すると、牛男が言いました。

「もうひとつの約束も忘れるなよ、レィミ・ノワール」

 すると、魔女は笑い声を止めました。口元だけでにんまり笑うと、その端から鋭い牙がのぞきます。

「それもまだまだ。成功報酬よ」

 と答えながら、怪しいまなざしを男に投げます。ふん、と牛男は鼻息を立てました。

 

 テーブルに残る赤いしずくを見ながら、魔女はつぶやきました。

「さあ、守れるものなら守ってごらん、魔法使いのおチビさん。あんまり簡単じゃ、あたくしたちも拍子抜けよ。せいぜい抵抗してみせなさい――」

 中央大陸の東の彼方、ユラサイとの国境にそびえるシェンラン山脈の隠れ家で、新しく魔王になった女と怪物の男は、暗い笑い声をいつまでも響かせていました。

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