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第7巻「黄泉の門の戦い」

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16.出発

 「通常、魔王の居場所を見いだそうとしても、占いではなかなか見つからないものです」

 ゴーリスの別荘の中庭に急遽作られた建物の中で、ユギルは話していました。

「魔王は深い闇を作り出します。その中に潜んで、自分の居場所を見つからないようにするのが、歴代の魔王のやり方でした。ところが、今回は魔王はほとんど最初から、その居場所を明らかにしていたのです。闇はここから遠い東の彼方に居座っています。非常に遠い彼方……エスタもクアローも越えたさらに先、ユラサイとの国境にあるシェンラン山脈の最高峰の頂上です。魔王はそこにじっと身を潜めたまま、今までまったく何の動きも見せていませんでした。馬で何ヶ月もかからなければたどり着けない彼方の場所です。よもや、魔王がそこからここへ攻撃をしかけてくるとは――」

 言いかけてユギルは口をつぐみました。いくら後悔しても、ただの繰り言になってしまって意味がないと考えたのでした。

「ユラサイとの国境の、シェンラン山脈」

 とフルートはつぶやくように繰り返しました。頭の中で世界の地図を広げて、場所を確認しているようでした。

 すると、ルルが言いました。

「怪しいわよ、フルート。魔王がわざわざ居場所を教えてくるなんて。倒しに来いって言ってるようなものだわ。絶対に罠よ!」

 すると、フルートはまたルルを見ました。数時間前まであれほど取り乱していた少年が、今はもう、すっかり落ちついた表情をしています。

「見えすいていても行くしかないんだよ。ゼンを助けるには、そうするしかないんだから。例え途中に何が待ちかまえていたってね――」

 

 ユギルがまた言いました。

「シェンラン山脈の手前には砂漠地帯が広がっています。先にも申し上げましたが、陸路を馬で行っては数ヶ月かかってしまいます。ゼン殿は今、金の石の力で守られていますが、それも長くは持ちません。風の犬になったポチ殿に乗って、上空の高い場所を吹く強い西風に乗って、一気に飛び越えていくのがよろしいでしょう」

「ワン、偏西風ですね。それに乗れって言うんですね」

 とポチがすぐにうなずいたので、フルートは思わず聞き返しました。

「偏西風?」

 初めて聞く名称です。すると、ポチが答えました。

「ワン。空の高いところをいつも吹いている西風のことですよ。そういう名前なんだ、って前にルルから教えてもらったんです。本当にものすごい風なんだけど、確かに、それに乗ればかなりの速度で東へ行けると思います」

「大丈夫?」

 とフルートは重ねて尋ねました。強風に乗って空を飛ぶのはポチです。

「ワン、きっと大丈夫だと思いますよ。フルートは強化された鎧を着てるから――」

 とポチは答え、フルートの表情を見て、笑うように続けました。

「心配なのは、ぼくじゃなくてフルートの方なんですよ。ぼくは風になるんだから、どんな場所を飛んだって何でもないんです。むしろ、偏西風が吹く場所には雨は降らないから安全なくらいです。ただ、かなり上空になるから寒いし、風も本当に強いから、フルートにはきついと思うんだけど、ピランさんが鎧を強化してくれましたからね」

「おう。わしの鎧は今はもう完璧じゃぞ。寒さも平気だし、風にだって衝撃にだってびくともせん。任せておけ!」

 とノームの鍛冶屋が得意そうに声を上げます。

 すると、今度は皇太子のオリバンが言いました。

「ゼンは長くは持たないと言ったな、ユギル? どの程度の間ならば大丈夫なのだ?」

「占いの結果によれば、四日以内です」

 という占者の答えに、一同は驚きました。たったそれだけなのか、とオリバンが思わず声に出してしまいます。占者は静かに言い続けました。

「金の石の力とゼン殿の中の毒がつり合っている状態から導かれた日数です。それ以上になってしまえば、いくら金の石が守り続けても、ゼン殿の体力が尽きてしまいます。すでに半日が過ぎておりますから、残り日数は三日半ということになります」

 一同はまた声を失ってしまいました。目ざす場所ははるか遠い場所なのに、あまりに短い期間です。

 ただ一人、フルートだけは強い意志を浮かべた顔でユギルに聞き返しました。

「それでも、ぼくは間に合いますか? ぼくにそれができると、占盤は言ってくれているでしょうか――?」

 不安がる響きはありません。たとえユギルが不可能だと言ったとしても、それでもこの少年は行くのに違いない、とその場の全員が思いました。

 占者は青と金の色違いの目を細めて、わずかにほほえむような表情を見せました。

「未来の占いに、絶対ということばを使うことはできません。ですが、占盤は、勇者殿が魔王と対決するだろうと告げました。示された道をお進みください。きっと、勇者殿は間に合われることでしょう」

 フルートはうなずいて立ち上がりました。金の鎧兜と二本の剣はすでに身につけています。ベンチの上に置いていたリュックサックを取り上げて背負い、銀の盾を左腕に留めつければ、装備は完璧でした。――フルートは、ゼンを助けるには魔王を倒しに行くしかないのだろうと予想して、夜の間に準備を整えていたのでした。

 

「マントをお召しください、勇者殿」

 とユギルが言いました。

「鎧は確かに寒さを防ぐでしょう。ですが、それでも備えはしていかれたほうがよろしいのです」

 フルートは装備を整えるのに屋敷に戻った時に、マントを部屋に置いてきていました。取りに行く時間も惜しそうな顔をしているフルートに、オリバンが自分のマントを外して投げました。

「これを着ていけ。少し長いかもしれんが、ポチに乗っていくのならあまり問題はないだろう」

 オリバンのマントは、表が黒で裏地が暗赤色の地味な色合いをしていますが、丁寧に仕立てられた上等なものでした。はおると、魔法の鎧を通してでも、ほのかに暖かさを感じるような気がします。フルートは、にこりと笑いました。

「ありがとう、オリバン」

 すると、皇太子は生真面目な顔で言いました。

「私が一緒に乗っていったのでは、重くてポチが飛べなくなるからな。残りの連中は私が見ていてやるから、おまえは敵を倒してこい。必ずゼンを助けろよ。あの賑やかな奴がいなくては、静かすぎてかなわん」

 ぶっきらぼうなほどのことばの中に、皇太子の気持ちが込められています。フルートはまた笑顔を揺らしました。今度は何も言わずに、どんな場面でも陽気に話し続けていた友人を眺めます――。

 

 すると、ふいにポポロが口を開きました。

「あたし――あたしも一緒に行くわ、フルート!」

 思いつめたような声でした。フルートだけでなく、オリバンも他の者たちも驚きます。小さな少女は、黒い袖から出た両手を堅く握り合わせながら言い続けました。

「あたしは、ルルに乗って行けるもの。あたしもフルートと一緒に行く。そして、魔王を倒すわ!」

「ポポロ」

 とフルートは優しい目を向けました。

「それはだめだよ。魔王はレィミ・ノワールだ。あの魔女は、特に君に恨みを持っていた。自分の正体をちらりと見せてきたのだって、きっと君を誘い出すためなんだ。さすがに、その誘いにまでは乗れないよ」

「だけど、あの人なのよ! 本当に、レィミ・ノワールなのよ! 絶対に魔法を使ってくるに決まってるわ! あたしが行かなかったら――」

「大丈夫だよ。それに、ぼくとポチだけの方が行動は早くなる。今は一分一秒が惜しいんだ。君はここに残って、みんなと一緒にゼンを守っていてくれ」

 フルートの口調は、きっぱりしていました。誰がなんと言っても絶対に自分の考えを変えない時の、あの口調です。ポポロは思わず涙ぐみました……。

 

 その時、メールが立ち上がりました。ずっと、一言も口をきかなかった彼女が、フルートの前に進み出てきます。フルートは笑顔をそちらに移しました。

「だめだよ。メールも連れて行けない。花鳥は、ぼくたちが行くような高い場所は飛べないからね」

「そうじゃないよ」

 と怒ったようにメールが答えました。自分の左手から指輪を外すと、それを差し出してきます。あの青い婚約指輪です。

 フルートが目を丸くすると、メールが言いました。

「これは海の指輪って言ってね、水の中に入れておくと、守りの力を発揮するんだ。持ってきな、きっと役に立つから」

 メール、とフルートは言いました。海の王女は、これまで見せたことがなかったほど、真剣そのものの表情をしています――。

 フルートは、また、にこりと笑いました。青い小さな指輪を受け取り、リュックサックから取りだした革の水筒の中に入れます。

「ありがとう。ここに入れていくからね」

 メールは真剣な顔のままうなずきました。

 

 そして、フルートはベッドに横たわる親友の枕元に立ちました。自分が座っていた席の足下から、ゼンの弓矢とショートソードと青い小さな盾を取り上げ、ゼンが片腕の中に抱えるような格好に、ベッドの上に置きました。

「君が口をきけたら、きっとこれをよこせ、って言うに決まってるからな」

 とフルートは眠り続けるゼンに話しかけました。

「本当は青い胸当ても着せてあげたいけれど、そうすると金の石が離れるかもしれないから、それだけは勘弁だよ。代わりに、金の石が君を守り続けるから」

 フルートは口をつぐみ、じっとゼンの胸元を見つめました。その服の下に、守りの金の石があるのです。フルートは一瞬目を閉じて、心の中で魔石に話しかけました。お願いだ、金の石。必ずゼンを守ってくれ、と――。

 

 建物の出口近くに、大人たちが並んでいました。ユギルとピランが道中の無事を祈ってくれます。ユギルは天と運命を守る神に。ピランは大地の女神と鍛冶の神に。

 ジュリアはポチを優しくなで、兜をかぶったフルートの頭をそっと抱き寄せると、頬にキスをして言いました。

「優しくて勇敢な勇者たちに、世界中の守りがありますように。気をつけてお行きなさい。必ず戻ってくるのよ」

 フルートは、ちょっと顔を赤らめてうなずくと、最後に自分の剣の師匠を見上げました。

「行ってこい。後のことは心配するな。俺たちがしっかり見ていてやる」

 とゴーリスが言いました。その力強いことばに、フルートはうなずき返しました。

「よろしくお願いします。じゃ――行きます」

 建物の外に出たポチが、シュンと音を立てて風の犬に変身しました。異国の竜のような体が、長々と中庭の小道に伸びます。庭には夜明けの光が差し、流れる霧のような風の犬の体を照らし出します。

 すると、フルートより先に外に飛び出したルルが、ウォン、と一声吠えて言いました。

「ポチ、気をつけなさい! しっかりフルートを守るのよ!」

 ワン、とポチが笑うような声で答えました。

「そんなの、言われるまでもないですよ! ルルこそ、後をよろしくお願いしますよ!」

「ま、生意気ね」

 とルルが言いましたが、怒った声ではありませんでした。黒い瞳が心配そうにポチを見つめ続けています――。

 

 フルートを乗せた風の犬のポチが、空に舞い上がりました。朝の光が差し始めた空を、高く高く上昇していきます。白い夜明けの空が、みるみるうちに青く変わっていく中、フルートの鎧が、朝日を返してきらりと金に光ります。

 と、それが急に移動を始めました。一筋の雲のように、東へと流れ始めます。

「気流に乗ったか」

 とオリバンが言いました。メールとポポロとルルは、何も言わずにそれを見上げ続けていました。

 大人たちも、建物の外に立って、遠ざかっていくフルートとポチを見送り続けていました。幻のような風の犬の姿が、次第に薄い雲の中に紛れていきます。

 

 その時、ユギルがゴーリスのそばに静かに近寄りました。他の者たちには聞こえないように、低い声でささやきます。

「ゼン殿や他の勇者の皆様方を狙って闇の敵が襲ってくる、と占盤が告げております。人々が巻き込まれます。ハルマスにいる人々を、ただちに全員避難させなくてはなりません」

 ゴーリスは思わずユギルを見つめました。銀髪の占者が、うなずき返します。

 

 静かに明けていく晩秋の朝。

 はるか東の彼方に潜む魔王は、もう次の魔手を彼らに向けて伸ばそうとしているのでした――。

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