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第7巻「黄泉の門の戦い」

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15.敵の正体

 ハルマスの東にあるデセラール山の後ろで、空が少しずつ白み始めました。まだ空は暗いのですが、山が黒い影になって、くっきりと空の前にそびえ始めます。月はすでに沈み、星の光も薄れていきます。夜明け直前の冷え切った風が吹き過ぎて、山の前に広がるリーリス湖の表面に、さざ波を立てます――。

 ゴーリスの別荘の中庭に夜通し響いたのこぎりや槌(つち)の音が、ぱたりと止みました。十人あまりの職人たちが、工事を終え、ぞろぞろと屋敷の方へ引き上げていきます。そうしながら、彼らが気がかりそうに振り返っていたのは、たった今完成したばかりの小さな建物でした。黒い屋根に白っぽい板壁の建物は、つい三時間前まで吹きさらしの東屋だったのです。

 大工たちの親方に、ゴーリスが謝礼を渡しました。規定の金額よりだいぶ上乗せされています。

「ここで見たことは他言無用だ。国王陛下の勅令だぞ、心しておけ」

 ハルマスの大工職人の親方は、貴族相手の仕事が多いだけに、いろいろなことを心得ていましたが、陛下の勅令と聞いて、さすがに顔色を変えました。上乗せされた分をゴーリスへ返しながら言います。

「わっしらは、陛下がロムドをお守りくださるからこそ、こうして日々安心して仕事をしながら暮らすことができております。陛下のご命令であったのならば、わっしらは、家族にだって、ここでのことは話しません。ご安心ください」

 現国王のロムド十四世は庶民から人望の厚い王です。その名前を出したとたん、大工の親方と職人たちはいぶかしそうな顔をやめ、丁寧に頭を下げて屋敷を去っていきました。

 ふむ、とゴーリスは一人つぶやきました。国王の勅令というのは方便です。ですが、王がこの場にいれば同じことを命じたに違いないことはわかっていたのでした。

 

 そこへ、屋敷の方から青年がやってきました。ユギルです。その後ろからはジュリアもついてきます。

「占いの結果が出ました」

 と銀髪の青年がゴーリスに言いました。薄明るくなってきた空の下、浅黒い整った顔はかなり疲れた表情を浮かべていますが、それを口には出しません。完成したばかりの建物を見て、さらに尋ねます。

「皆様方は?」

「全員中にいる。少し落ちついてきたようだな」

 とゴーリスは言うと、先に立って建物に入っていきました。

 東屋だった建物は、周囲に壁を作っただけで、中は元のままでした。その中央の、今までは何もなかった石の床の上に、屋敷からベッドが運ばれ、その上にゼンが寝せられていました。壁に掲げられたランプの光が、血の気の失せた少年の顔を照らし出しています。呼吸する胸の動きもごくわずかなので、本当に、死者を安置しているように見えてしまっています。

 ベッドを囲むように、元から東屋にあったベンチが三つ置かれていて、そこに子どもたちが座っていました。一つのベンチの上にポポロとメール、そして、もうひとつのベンチにフルートです。フルートはいつの間にか金の鎧兜を身につけ、背中には二本の剣を背負い、かたわらにダイヤモンドの盾を置いて、完璧に装備を整えていました。さらに、何故だか、ゼンの防具や武器までが、足下に一緒に置かれています。

 少女たちはまだ泣き顔をしていましたが、フルートはもう泣いていませんでした。青ざめた顔は変わりませんが、ベンチに座ったまま片膝を抱え、横たわる親友の顔をじっと見つめていました。石の床の上にはポチとルルの二匹の犬が座りこんで、やはりずっとゼンを見つめ続けています。

 入口の近くには、皇太子のオリバンが立っていました。腰に大剣を下げ銀の鎧兜に身を包んで、外へ警戒の目を向け続けています。そして、そのわきのベンチの上では、ノームのピランが肘枕で横になっていました。眠ってしまっているように見えたのですが、ゴーリスに続いてユギルが建物に入ってくると、たちまち目を開けてそちらを見ました。

「出たな、占いの結果が。待っとったぞ――」

 と即座に跳ね起きて座り直します。子どもたちも、はっとしてユギルを見つめました。緊張と期待の目が銀髪の青年に集まります。

 

 青年は一礼をしてから口を開きました。

「ゼン殿の命を救う方法を占いました。何度も占いましたが、答えは常に同じでした。ゼン殿の体に流し込まれた毒は、特殊な闇の魔法で作り上げられたもので、それを作り出した者以外には消去することができません。つまり、魔法で毒虫を送り込んできた魔王に毒を解かせるか、あるいは、毒を作り上げた魔王を倒すか。方法はその二つだけなのです」

 二人の少女と、二匹の犬は、思わずそれぞれに顔を見合わせました。単純明快な方法ですが、どう考えても、きわめて困難です。

 入口のそばからオリバンが尋ねました。

「魔王はどこにいるのだ? そもそも、魔王とは、いったい何者なのだ?」

「それはわたくしにも見えません。敵を取り囲む闇は、あまりにも深いのです。ですが――一瞬ですが、以前見たことのある象徴が闇の中に見えました。夜の色のドレスです。ポポロ様のような、星の光を宿した夜の衣ではありません。本当に暗い闇に近い、怪しい美しさの服です。わたくしは、これを勇者様方が風の犬の戦いのためにエスタ城に行っていた際に、占盤で見かけたことがあるのです。その正体が何か、勇者様方には心当たりがおありではございませんか?」

「夜の色のドレス……?」

 フルートとポポロとポチが顔を見合わせました。つまり、それが風の犬の戦いの際にエスタ城へ行ったメンバーだったのです。と、たちまち、全員が驚きの表情に変わりました。

「ワン、もしかして……」

「夜のドレス――夜の――って――」

「そうだ! 夜の魔女のレィミ・ノワールだ!」

 黒いドレスに身を包み、妖艶に笑いかけていた魔女の姿が思い浮かびます。燃えるようなプライドを持った残酷な人物でした。自分が負けることが我慢できなくて、エスタの首都やエスタ城を闇の魔法で吹き飛ばそうとしたのです。

 愕然とする三人に、オリバンが重ねて尋ねました。

「レィミ・ノワールというのは、エスタ国の王弟エラード公のお抱え魔女の名前だな? 夜の魔女という呼び名は聞いたことがある。だが、その魔女は、風の犬の戦いの終わりに、天空王から処罰されたはずではないのか?」

「ワン、そうです。真実の錫の力でネズミの姿に変えられたんです。だけど、それが魔王の正体なんだとしたら――」

「デビルドラゴンが彼女に取り憑いたんだ!」

 とフルートがまた声を上げました。

「あの魔女はぼくたちを恨んでいる! そうだ! ぼくたちに復讐するために魔王になったんだ!」

 一同はまた驚きました。今まで襲ってきた魔王は、世界全体を狙い、多くの人々を苦しめることを目的にしていました。けれども、今度の魔王は実に個人的な恨みを晴らすことを目的にしているのです。

 

「まるで私みたいだわ……」

 とルルがつぶやいて、ぶるっと身震いしました。闇の声の戦いで、フルートを恨むあまりデビルドラゴンに取り憑かれて、もう少しで魔王になりそうになったときのことを思い出したのです。あわててポチがそれにすり寄ります。

「ワン、全然違いますよ。それに、ルルはデビルドラゴンに勝ったんだから」

「フルートたちのおかげよ……フルートたちが捨て身で助けに来てくれたから……」

 ルルは今にも泣きそうになっていました。天空王の罰で、彼女は自分がデビルドラゴンに心奪われた罪を忘れることができません。その時のことを思い出すたびに、つい昨日のことのように事件を思い出してしまって、そのたびに身を切られるほどつらい気持ちになるのです。

 すると、温かい手がルルの首筋に触れました。フルートがルルにかがみ込んで首を抱いていました。優しい目がのぞき込んできます。

「そう、ルルはちゃんと戻ってきた。だけど、あの魔女は違う。自分を負かしたぼくたちを憎んで恨んで、絶対にその恨みを晴らしてやるって怒っていたんだ。彼女が改心することなんてありえない。ゼンの中から毒を消してくれなんて頼んだって――絶対に承知するわけがないんだ」

 ルルはまばたきをしました。思わず、それじゃどうするの、と尋ねてしまいます。

 すると、フルートが目を細めました。青い瞳は少しも笑っていません。けれども、笑うような表情で、フルートは言いました。

「ゼンなら、きっとこう言うさ。なんだ、簡単じゃねえか。魔王をぶっとばしゃ、それでいいんだろう――ってね。本当に単純なことさ。レィミ・ノワールを倒せばいいんだ」

 確かに、それはその通りでした。けれども、その場に居合わせた子どもたちと皇太子は、思わずフルートの顔を見つめてしまいました。フルートは心優しい勇者です。闇の敵とは戦っても、人とはできる限り戦いたくありません。まして、人の命を奪うようなことはとてもできません。フルートは、まだ人を殺したことが一度もないのです。

「レィミ・ノワールは人間だぞ?」

 とオリバンが確かめるように言いました。

「それでもおまえは倒せると言うのか?」

 前回の願い石の戦いで、どうしても人に剣をふるうことができなくて、何度も窮地に陥ったフルートです。本当に死の寸前まで行きながら、それでもやっぱり人が殺せなくて、瀬戸際まで追い詰められたと言うのに……。

 すると、フルートがまた、にこりと笑いました。いつもの穏やかな笑顔です。

「だって、そうしなかったら、ゼンは助からない。他に方法がないなら、やるしかないよ」

 けれども、そう言うフルートの目は、やっぱり、少しも笑ってはいませんでした。仲間たちは何も言えなくなってしまいました。

 黙って自分を見つめ続けている銀髪の占い師を、フルートは見上げました。

「夜の魔女の居場所を教えてください。ぼくが行って、倒してきます」

 きっぱりと言い切るフルートの声は、何があっても決して意思を変えることがない、あの確固とした言い方になっていました――。

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