聖守護石、というのが魔法の金の石の本来の名前でした。大昔はもっと大きな石だったのですが、二千年前、初代の金の石の勇者が願い石の誘惑に敗れた時に、砕けて今のように小さな姿になってしまったのです。普段は眠りについていて、普通の石ころのような灰色をしていますが、世界を脅かす闇の敵が迫ってくると目覚めて金色に変わり、強く弱く光りながら勇者を呼びます。
今、月に照らされる東屋の下で、聖守護石は金色になっていました。鈴のような音は聞こえません。穏やかな金に輝くだけで、強く弱くまたたくこともありません。けれども、確かに守りの石は目覚めていたのでした。
やっぱりな、とゼンはつぶやきました。少しもあわてた様子のない友人を見上げながら尋ねます。
「金の石の精霊が出てくるわけだよな。いつから目覚めてたんだよ?」
「半年くらい前かな……。金の石の精霊は、それまでは夢の中にしか出てこなかったんだけど、こんなふうに石が目覚めると、実体になって出てこられるらしいんだ。また魔王が復活した、って教えてくれたよ」
「やっぱりか」
とゼンはまた言って、溜息をつきました。
実体を持たないデビルドラゴンがこの世の生き物に取り憑くと、その生き物は魔王に変わります。取り憑かれるのが人とは限りません。獣でも怪物でも、深い闇の心を持っていると、そこにつけ込まれてしまうのです。魔王を倒しても、デビルドラゴンは宿主を離れるだけです。また新しい宿主を見つけて、それを魔王に変えるのです。
「ったく、きりがねえよな。で、今度の魔王の正体は何なんだよ? 誰が魔王に変えられたんだ?」
「それは金の石にもわからないって。ただ、魔王が復活して、この世界を狙い始めたことだけは感じるんだって言ってた」
落ちついた口調で話し続けるフルートに、ゼンはまた大きな溜息をつきました。
「で――」
と、じろりと友人を見上げます。
「どうして、すぐに俺たちを呼ばなかったんだよ。半年もの間、何やってたんだ?」
「新しい魔王が動き出さなかったんだよ」
とフルートは答えて、意外そうな顔になるゼンにうなずきました。
「もちろん、何かが起き始めたら、すぐにみんなを呼ぼうと思っていたんだ。泉の長老や天空王に頼んでね。でも、どこからも何の事件も聞こえてこなかったんだ。ずっと、金の石と一緒に用心していたんだけど、とうとう今日まで何も起きなかったんだよ」
「で、ポポロが修行を終えて、鎧も修理がすんで、俺たちがこうして勢揃いするまで、新魔王は待ってくれていたわけか。――むちゃくちゃ怪しいじゃねえかよ! なんで昼間のうちにそれを言わねえんだ、この馬鹿!!」
たった今まで落ち込んでしょげていたのが嘘のように、ゼンがどなります。
フルートは苦笑しながらそれを押しとどめました。
「わかってるったら……。でもさ、ぼくたちが集まろうとすると、いつだって邪魔されるじゃないか。たまには心おきなく楽しみたかったんだよ。せっかくみんながまた勢揃いして、ミーナにも会えるって時だったのに」
ゼンは最大級の溜息をつきました。一年たとうが何年たとうが、フルートはやっぱり相変わらずです。心配事も気がかりも、何もかも自分の胸一つにおさめて、仲間たちには心配かけまいとするのです。
ゼンはベンチから立ち上がりました。苦い顔で言います。
「しゃあねぇな、わかったよ」
そのまま東屋から出て行こうとするので、フルートは尋ねました。
「どこへ行くの?」
「メールに謝るんだよ。で、魔王のことを教えてくらぁ」
苦い顔のままゼンが答えます。フルートがためらいました。
「でも、メールは……」
「ああ、もう一緒には戦えないって言うかもしれねえ。だけどな、これをあいつに内緒にしておいてみろ。あいつ、絶対に怒り狂うぞ。それだけは間違いねえ」
それはフルートにも想像がつきました。が――
「大丈夫なの、ゼン?」
と思わず尋ねてしまいます。ゼンがメールに思いがけないことをして怒らせたのは、つい今し方のことです。ゼンは苦笑いして肩をすくめ返しました。
「わかんねぇ。もう一生口聞いてもらえねえかもな――」
ゼンの胸の中を深い痛みが走り抜けていきました。
ずっと、自分でもよくわからなかった自分の気持ちでした。先の旅でオリバンがメールに親しくしたのが、どうしてあれほど悔しかったのか。メールがフルートと仲良く連れ立っているだけで、どうしてあんなに焦る気持ちになったのか。やっと、自分でもそのわけがわかったのに、その時にはもう遅かったのです。自分の鈍さ加減に自分で腹が立ちます。
そして、それがわかってもなお、やっぱり自分は二人の少女の間で気持ちが揺れ続けているのです。メールに向かって、おまえが好きだったんだ、と言い切ることができません……。
ゼンはまた苦笑いをしました。
「でもよ、それでもやっぱり、謝らなくちゃいけねえよなぁ――」
溜息を吐くように、夜空につぶやきます。
フルートはそんな友人を小首をかしげて眺め、やがて、穏やかに言いました。
「がんばれよ」
「ああ。あいつにひっぱたかれることくらいは覚悟してるぜ」
苦笑いのまま肩をすくめ、ゼンは屋敷に向かって歩き出しました。低い階段を下りて、中庭の小道に入ろうとします。
すると、フルートがまた声をかけてきました。
「ゼン」
「なんだ?」
とゼンが振り返ると、それをまっすぐに見て、フルートがほほえみました。
「ううん――なんでもない」
「なんだよ、変なヤツだな」
ゼンはけげんな顔をしましたが、フルートが何も言わないので、また前に向き直りました。小道に踏み出そうとします。
フルートは、ほほえんだまま、それを見つめていました。
と、ゼンが急に立ち止まりました。足下の草むらをじっと見つめます。
「ゼン?」
フルートが不思議に思って声をかけても返事がありません。思わず歩み寄ろうとすると、ゼンが突然どなりました。
「動くな、フルート! そのままじっとしてろ!」
寒さに枯れかかった草むらの間に、何か細長いものが見えていました。蛇のように鎌首をもたげていますが、蛇よりもっと細く長い姿をしています。月の光と草の影の中、まだらに照らされながら、赤と黒と黄の毒々しい模様が伸び縮みしています。フルートは、はっとしました。
「ワジ――!」
と思わず叫んでしまいます。ゼンが住む北の峰で昔見かけたことのある毒虫でした。一刺しされただけで絶命するほど強力な毒を持っているのです。
ゼンが、じりじりと後ずさり始めました。
「くそ……なんでこんなところにワジがいるんだよ……?」
つぶやきながら、後ろ向きに東屋に戻っていきます。目は毒虫から離しません。
フルートは思わず真っ青になっていました。自分もゼンも、夕食の席からまっすぐ中庭に出てきたので、武器を何も身につけていません。修理から戻ってきた防具も、部屋に置いたままです。何か武器や防具になるものはないかと必死であたりを探しますが、吹きさらしの東屋には、彼らの身を守れるものは何も見あたりませんでした。
草むらの中で、ぐうん、とワジが体を縮めました。攻撃の先触れです。その細く小さな頭が、見極めるように二人の少年を見比べ、一人に狙いを定めました。
ゼンがどなりました。
「フルート、逃げろ!!」
自分自身も背を向けて、全速力で走り出します。
毒虫の体が、まるでバネをほどくように、勢いよく飛び出してきました。信じられないほどの距離を越えて、逃げる少年の足下に絡みつき、そのふくらはぎへ毒を持つ針を突き立てます。少年は叫び声を上げると、その場に崩れるように倒れました――。