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第7巻「黄泉の門の戦い」

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第3章 中庭

10.親友

 夜の中庭を、ゼンは一人で歩き続けていました。

 半月に照らし出された庭の木々が、見下ろすように立っています。どこへ行くんだ、とゼンに問いかけているようです。けれども、ゼンにはどこへ行くあてもありません。ただ、いたたまれない想いに突き動かされて、むやみやたらと歩き回っているだけなのです。月の光に照らされたその顔は、耳まで赤く染まっていました。

 あんなつもりはなかったのです……。メールにあんなことをしてしまうなど、自分自身でも予想もしていなかったのに……。

 うろたえると、ますます顔が赤くなっていきます。ゼンはいてもたってもいられなくて、生け垣や植え込みをかき分け、ただただ庭の中をうろつき回っていました。

 すると、月の光の中、東屋(あずまや)に誰かがいました。人影が二つ、屋根の下に並んでいます。どちらも子どもですが、片方は驚くほど小柄で、夜の暗さの中で淡い金色の光に包まれています。ゼンは驚いて、思わず立ち止まりました。それは、フルートと金の石の精霊でした――。

 

 精霊がゼンを振り向きました。まるで黄金そのものでできているような、鮮やかな金の髪と金の瞳の少年です。と、その姿がたちまち見えなくなってしまいました。代わりにフルートがこちらを振り向きます。

「ゼン」

 穏やかな声でした。

 ゼンは、がさがさと茂みをかき分けながら、最短距離で東屋に行きました。

「今のは金の石の精霊だな? 出てきてたのかよ」

 フルートは静かにほほえみました。

「願い石の戦いの後から、時々姿を現してたんだよ。夢の中に出てきたり、あんなふうに実際に出てきたり。ただ、誰もいないときに出てくるから、みんな気がつかないんだけどね」

 ふぅん、とゼンは言いました。精霊が隠れているはずはないのに、なんとなく夜の庭を見渡してしまいます。

 すると、そんなゼンをフルートがいぶかしそうに見ました。しばらく見つめてから、尋ねます。

「なにかあったの……? なんだか様子が変だよ」

 もちろん、メールの婚約の話にゼンがショックを受けたことは、フルートも承知しています。けれども、目の前にいる親友は、それだけでは説明できないような、なんとも微妙な雰囲気を漂わせていたのでした。

 案の定、ゼンがぎくりと反応しました。根が真っ正直なゼンは、隠し事や秘密が本当に下手くそです。みるみるうちに、その顔が真っ赤になっていったので、フルートは驚いてしまいました。

「どうしたのさ?」

 と重ねて尋ねると、ゼンは口ごもり、やがて、どすんと東屋のベンチに腰を下ろしました。顔をしかめて、吐き出すように言います。

「メールに――キスしちまった」

 フルートは本当に驚きました。ゼンが言っているのが、グッドナイトキスのような挨拶代わりのものなどではなかったことは、ゼンの表情を見ただけでわかります。どうして、と聞くべきかどうか迷っていると、ゼンが自分から話し続けました。

「あいつから婚約者の話を聞かされて、頭に血がのぼっちまったんだ――。婚約指輪を投げ捨ててやろうと思った。そしたら、あいつが必死で指輪を守るもんだから、かっとなっちまって……あとは、自分でも何がなんだかわかんねぇ。気がついたら、メールにキスしてた――」

 ゼンは片手で口をおおいました。さすがに、メールにかまれたことまでは言えません。そのまま、じっと足下に目を落とします。

 フルートは、そんな友人を見つめました。

「それで……メールは?」

「むちゃくちゃ怒った。あたいはあたいのもんだ、ってどなられたよ」

 フルートは目を丸くしました。いったい何を言ったのさ、と尋ねそうになって、こらえます。――聞かなくても、ゼンがメールに言ったことばは、なんとなく想像がつくような気がしました。

 

 ゼンは東屋のベンチに座り込んでいました。広い背中が、しょんぼりと小さく丸められています。

 フルートは溜息をつくと、静かに言いました。

「ねえ、ゼン……。君さ、やっぱりメールのことを好きなんだよ」

 ゼンは足下を見つめたまま、うなずき返しました。

「だな。俺、あいつが好きだったんだ……ずっと、あいつに惚れてたんだよな」

 夜の中庭は相変わらず静かです。風も吹かない中、夜の寒さだけがしんしんとつのっていきます。自分の両腕を抱きしめ、いっそう白く濃くなる息を吐きながら、ゼンは言い続けました。

「だけどな、俺、ポポロのこともやっぱり好きなんだよ……。おかしいよな。どっちも本当に好きなんだ。どっちもかわいくてよ――」

 ゼンのことばがとぎれました。

 フルートは静かに答えました。

「うん。それも知ってた」

 責める調子も非難するような響きも、まったくないフルートの声でした。

 ゼンは、はーっと大きな溜息をつきました。思わず頭を抱え込んでしまいます。

「ったくよぉ……。海の王妃が昔、海王と渦王の両方に二股かけてたって話を聞いたとき、俺、『なんて女だ!』って思ったんだぜ。同時に二人だなんて冗談じゃねえ、なんて軽薄な女なんだ! って。……まさか、自分がそんな羽目になるなんて思ってもいなかったぜ……」

 フルートは黙って親友を眺めていました。ゼンは本来、単純なくらいまっすぐな人間です。その彼が同時に二人の少女を好きになってしまって、そんな自分にとまどい苦しんでいるのは、フルートにも手に取るようにわかったのです。そんなゼンを責めることは、とてもできませんでした――。

 ゼンがまた大きな溜息をつきました。うつむいたまま尋ねてきます。

「なぁ、俺、どうしたらいいと思う?」

 フルートは目を見張りました。とっさには返事ができません。

 すると、ゼンは苦笑いの顔になりました。フルートの答えなど聞くまでもないことに気がついたのでした。フルートはポポロのことが好きです。ただ、親友のゼンがポポロを好きなことも知っているので、ずっと告白できないでいるのです。

「悪ぃ。馬鹿なこと聞いてるよな、俺」

 とゼンは自嘲しながら言いました。

 

 すると、フルートは少しの間考えてから、静かにまた口を開きました。

「メールは本気で海王の息子と結婚するつもりでいたよ……。それがわかったとき、ぼくは、それもいいかもしれない、って思ったんだ」

 意外な答えにゼンは顔を上げました。フルートは、わずかにほほえむような顔をしていました。

「ぼくたちは金の石の勇者の一行だ。ぼくたちが行くところには、必ず闇の敵がいて魔王がいる。いつだって命がけの戦いになるんだ。そして、その先には、恐ろしいデビルドラゴンとの対決も待ってる……。一緒に戦う、って言ってもらえるのは本当に嬉しいんだ。だけど、もしも、それよりも――そんなことよりも、もっと大事なことを見つけてもらえるなら、そっちのほうがいいな、って思ったんだよ」

 それを聞いて、ゼンは思わず言い返しました。

「そんなことよりも、って――何よりも大事なことだろうが! 魔王やデビルドラゴンを倒さなかったら、この世界は破滅するんだぞ! 世界がなくなったら、いいも悪いも何もねえだろうが!」

「一人ずつにはさ、それぞれの役目っていうのかな――役割みたいなものがあると思うんだよ」

 話すフルートの声は静かなままでした。

「例えば、オリバンはこの国の皇太子だ。今の国王陛下の跡を継いで、この国と国民を守っていくっていう、大事な役目があるよね。メールだって、西の大海の次の女王だ。それは誰にも代われない役目だよね。ぼくには――ぼくたちには、金の石の勇者の一行として、魔王やデビルドラゴンと戦う役目がある。でも、メールにまで、それをさせなくてもいいんじゃないかな、って思ったんだよ」

 そして、フルートは、驚いたように見つめ続けるゼンに、ごめん、と謝りました。

「ぼくのほうこそ、君にひどいこと言ってるよね。君の気持ちも考えないでさ……」

 そして、フルートは東屋の屋根の下から月を見上げました。夜の中に、白く凍った息を吐きます。

 

 ふいに、ゼンが表情を変えました。確かめるように眉をひそめてフルートを見上げます。

「待てよ……。おまえがこういうこと言い出す時って、だいたい決まってんだよな。何か起きてるだろう? そうだな!?」

 フルートはまたゼンを見ました。その顔は穏やかにほほえんだままでした。

「やっぱりわかった?」

 と言いながら、首にかかった金の鎖を引っ張って、服の下からペンダントを引き出します。とたんに、夜の中に、きらっと金色が輝きました。

 東屋の下に差し込んでくる月の光がペンダントを照らします。その先端の花と草の透かし彫りの真ん中で、守りの魔石は金色に変わっていたのでした――。

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