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第7巻「黄泉の門の戦い」

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8.海の民

 太古の時代、世界はエルフと獣たちだけが住む平和な場所でした。優しい魔法と光があふれる楽園で、生命たちは穏やかに暮らし続けていました。

 ところが、水底に泥が溜まっていくように、世界の中に少しずつ、人の悪意や悲しみが暗くよどむようになってきました。よどみは次第に暗さを増して、やがて、光も飲み込む闇になり、さらにこごって底知れぬ闇の塊になって、そこから一匹の怪物を生み出しました。四枚の翼を持つ黒い竜――闇の化身のデビルドラゴンです。

 デビルドラゴンには一片の哀れみも優しさもありません。ただ世界の破滅と人々の不幸だけを望みます。平和に暮らしていたはずのエルフたちは、デビルドラゴンに操られ、互いに憎み争い合うようになりました。世界中が戦場になり、優しい魔法は相手を打ち倒す恐怖の魔法に変わり、穏やかな獣たちが猛獣や怪物に姿を変えました。たくさんの血と涙が流され、悲鳴と泣き声が空に充ちます。それでも戦いは収まるところを知らず、やがて、エルフたちの強力すぎる魔法は、世界の大陸をも引き裂いて、世界を海のあちこちに散り散りにしてしまいました。

 傷つき果てたエルフたちは、引き裂かれた大地に散在するようになりました。特に強い魔力を持っていた一族は、大陸の大変動を予知して、自分たちの国を空に飛ばしました。それが今の天空の国の始まりです。祖先たちの強い魔法の血を引いているので、天空の民は、現存する種族の中では最も強力な魔法使いです。

 一方、陸を捨てて海に潜ったエルフたちもいました。彼らは魔法の力で自分たちの体を海に適応させ、長い年月をかけて、海と共に生きる暮らしを作り上げてきました。これが現在の海の民です。祖先がエルフだけに、海の民の彼らも魔法が使えますが、その中でも特に魔力が強いのは海の王族たちです。海王と呼ばれる族長が代々世界の海を掌握し、海の民だけでなく、海で生きる生き物たちすべてを統治しています。

 けれども、長い海の歴史の中には、王が二人以上存在することもありました。今がまさしくその時で、先代の海王には双子の息子があったのです。二人の息子は王になると、世界の海を二分して、兄の海王は東半分を、弟の渦王は西半分を自分の領地にして、それぞれ東の大海、西の大海と名付けました。

 海王と渦王は若い頃に一人の女性を巡って争い合ったので、長らく敵対関係にありました。その誤解を解いて、二つの海を和解させたのは、フルートたち金の石の勇者の一行です。渦王の王女メールは、その時から彼らの仲間になったのでした……。

 

「あたいはほら、母上が森の民だったから、完全な海の民じゃないだろ」

 とメールは広間で仲間たちに話していました。

「だから、あたいは海の魔法が使えないんだよね。できるのは、母上譲りの花使いだけ。これじゃ、あたいが女王になっても、あたいには海を治めることはできないんだよ。新しい渦王になれる人と結婚しなくちゃならないんだ」

 それを聞いて、フルートは、はっとしました。謎の海の戦いの時、メールの結婚相手を探す渦王に、力比べをさせられたのを思い出したのです。思わず眉をひそめてしまいます。

「待ってよ、メール。それじゃ、君の結婚相手は海の魔法が使える海の民でなくちゃならなかった、ってことじゃないのかい? でも、渦王はぼくやゼンにも力比べをさせたじゃないか――ぼくたちは海の魔法なんか使えないのにさ」

「方法があるのさ、海の民でなくても渦王になれる方法がね。それは父上しか知らないんだけど、そのための条件が、誰よりも強い男であること。なんか、どうしても力が必要らしいよ。まあ、海を治めるってのは、実際にはあっちこっちで起こる争いごとや戦いをやめさせに行くことだからね。海の民は血の気が多くて喧嘩っ早いからさ。力のないヤツじゃ、とても務まらないんだ」

 そして、メールは、急にくすりと笑いました。

「だけどさ、ゼンもフルートも、あたいと結婚するのはまっぴらだって言ったじゃないか。結婚なんて早すぎる、まだそんな歳じゃない、って。だから、あんたたちが婿になる話はあのままお流れ。ま、あたいも十四になったって、結婚する気なんかなかったんだけどさぁ」

 話ながら、メールは手を組み、両腕を上に伸ばしました。大きく伸びをひとつしてから、そのまま、両手を頭の後ろに回します。本人はまったく無意識なのですが、そうすると、上半身が大きくそって、ふっくらと丸くなってきた胸が強調されてしまいます。少年たちは、思わずまたとまどって、あわてて目をそらしました。

 急に女らしさを帯びた姿で、メールは話し続けました。

「あたいが十四になって間もなく、海王の息子のアルバが求婚してきたんだよね。アルバとは、父上と一緒に東の大海を訪ねた時に会ってたんだ。まあ、あたいのいとこってことになるんだけど――」

 

「優しくてハンサムな一番上のいとこ、ってヤツのことだな。おまえを、もう一人妹ができたみたいだ、って言っていたっていう」

 と突然ゼンが口をはさんできました。相変わらず声は低いままです。北の大地の戦いが始まる前、北の峰の猟師小屋で、メールはそのいとこの話を仲間たちにしていたのでした。

 メールは目を丸くしました。

「よく覚えてたね、ゼン。そう、下にあたいより一つ年下の三つ子のきょうだいがいるのさ。あたいのことを、そいつらと同じだ、って言って、笑って見ててね。だから、まさかそのアルバがプロポーズしてくるなんて、想像もしてなかったんだけど」

 メールは、何かを思い出す顔になると、また、くすくすと笑いました。

「父上は、アルバにも力比べをさせたんだよ。三つの城門を突破する試験をさせてね――なんと、たったの十分でコロシアムまでたどりついちゃったのさ。もう文句なしの強さだった。それで、父上もすっかりその気になっちゃってね。もともと、海は一人の王が治めるほうが良いと言われているしさ、とんとん拍子で、あたいとアルバの婚約が決まっちゃったんだよ」

「決まっちゃったんだよ、って、メール――」

 ルルが信じられないような顔をしました。

「あなた、それでいいの? いくら試験を合格して、父親にも気に入られたからって……海を治めるためにはその方がいいって言われたからって……自分が好きでもない相手と結婚するなんて」

 すると、メールは急に顔つきを変えました。憤慨した声を上げます。

「ええ! なんであたいが好きでもないヤツと結婚しなくちゃならないのさ!? あたいたちは人間とは違うんだ。いくら王族だって、政治や国のためだけなんかに結婚したりはしないよ!」

 その返事に、いっそう驚いたのは仲間たちです。なんと言っていいのかわからなくなってしまいました。――いえ、全員が聞き返したいことは同じなのです。ただ、そばにゼンがいるので、口に出すことができないでいるのでした。

 フルートは、メールの目をじっとのぞき込みながら、確かめるように尋ねました。

「それって、つまり……君もアルバっていとこのことが好きだってこと? 結婚するくらい、愛してるの?」

 フルートたちのような少年少女たちが「愛している」ということばを使っても、それはなんだかうわべだけの響きに聞こえてしまいます。フルート自身もそれを承知で言っていました。

 ところが、メールは大真面目でうなずきました。

「もちろんだよ。あったりまえじゃないのさ」

 と真っ正面からフルートの目を見返します。

 

 とたんに、ゼンがその場を離れました。一言も口をきかずに広間から出て行ってしまいます。

 メール以外の全員がそれを見送りました。本当に、誰も何も言えません。

 すると、メールが口をとがらせて肩をすくめました。

「なにさ、あいつ。変なの……。みんなもだよ。おめでとうくらい言ってくんないの? 結婚式は来年の二月なんだ。あと三ヶ月後だよ。みんなのことも招待するからね」

「三ヶ月後――」

 フルートは繰り返して、また絶句しました。メールの海のような瞳を見つめ続けます。……メールは、自分自身に嘘をついている時、そんなふうにフルートがのぞき込むと、いつも目をそらしてしまうのです。けれども、メールはやっぱりフルートをまっすぐ見ていました。まばたきもせずに見つめ返してきます。その手には青い婚約指輪が光っています。

 フルートは小さく溜息をつきました。目を細め、何かが痛むような表情をかすかに漂わせながら、メールに向かって優しく言います。

「おめでとう、メール。幸せになってよね」

 仲間の子どもたちはいっそうびっくりしました。フルート! と思わず非難の声を上げてしまいます。

 メールだけが、嬉しそうに、にっこりと笑い返しました。

「ありがとう、フルート。ホントに、結婚式には来とくれよね――」

 

 十一月も末の夜、広間の大きな窓の外は、黒いカーテンが静かにすべてを包み込んでいるようでした。

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