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第7巻「黄泉の門の戦い」

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第2章 別荘

5.ミーナ

 ハルマスの別荘の居間で、ゴーリスの奥方のジュリアが待っていました。豊かな栗色の髪を結い上げ、落ちついた色合いのドレスをまとった女性です。もう若いとは言えない年ですが、ふっくらと暖かくて優しい雰囲気のする、とても美しい人でした。

 子どもたちは歓声を上げていっせいにジュリアに駆け寄りました。彼女は貴族ですが、夫同様、少しもそれをに鼻にかけない気さくな人なので、子どもたちも彼女が大好きだったのです。

 そんな子どもたちに、ジュリアはにっこりほほえみかけました。

「いらっしゃいませ、フルート、ゼン、メール、ポポロ、それにポチとルル。待っていたわよ。はるばる来てくれて、本当に嬉しいわ」

 優しく優美な姿の割に、ストレートで飾らない言い方をするのは相変わらずです。子どもたちは嬉しそうに笑いました。口々にジュリアに挨拶をして、再会を懐かしがります。ジュリアは、一年前の願い石の戦いの時にも、それよりさらに半年あまり前の闇の声の戦いの際にも、夫のゴーリスと共に子どもたちを励まし、とてもかわいがってくれたのです。

 

 そこへ、太った老婆がやってきました。若草色のおくるみに包まれた赤ん坊を抱いています。

「さあさ、皆様方、お嬢様が目を覚ましましたよ」

 と言いながら、椅子に座ったジュリアに赤ん坊を渡します。この老婆は子どもの乳母で、それ以前にはジュリア自身の乳母だった人でした。赤ん坊が生まれたので、その世話のためにジュリアの故郷から連れてきたのです。

 ジュリアの腕におさまった赤ん坊を、子どもたちはいっせいにのぞき込みました。バラ色の頬、大きなすみれ色の瞳をしています。柔らかな髪は母親と同じように豊かですが、色はもっと黒っぽい色をしていました。泣きもせずに、自分をのぞき込む大勢の子どもたちを見返しています。

「かっわいい!」

「ジュリアさんにそっくりね!」

「でも、髪の色はゴーリスの方に近いね」

 子どもたちは大はしゃぎでした。

「名前はミネアよ。私の母方の祖母の名前をもらったの。でも、みんないつの間にかミーナって呼ぶようになってしまったわね」

 とジュリアがほほえみながら言います。元々とても優しい人ですが、子どもを産んでから、暖かさがいっそう増したようでした。

「ミーナを抱いてもいい?」

 とフルートが真っ先に言いました。頬を真っ赤にして、嬉しそうな顔をしています。ジュリアはすぐにうなずきました。

「もちろんいいわよ。さあ、どうぞ」

 とフルートに赤ん坊を渡します。とたんに、フルートの腕に、ずっしりと重みがかかってきました。重すぎたわけではありませんが、生後半年の赤ん坊には、意外なほどの存在感があったのです。

 間違って取り落とさないように緊張して抱きながら、フルートは赤ん坊の顔をのぞき込みました。本当にかわいい顔をしています。こんなに小さいのに、やっぱり女の子らしい優しい顔立ちをしています。じっと見上げてくる大きなすみれ色の瞳に、フルートの顔が映っています……。

「ミーナ」

 とフルートは赤ん坊に呼びかけました。静かな優しい声です。その奥に深い想いが込められているのを、仲間の子どもたち全員が感じました。

 フルートは小さな頃からずっと、自分のきょうだいがほしいと願い続けていたのです。弟がほしい、妹がほしい、と。けれども、それはどうしてもかなえられない夢でした。何も言わずに、淋しくあきらめているしかない願いだったのです。

 今、フルートはミーナを抱いて、とても嬉しそうに見つめていました。自分の剣の師匠に生まれた赤ちゃんを、妹のように感じているのに違いありません。そんなフルートを仲間たちが優しい目で見守ります。

 すると、フルートが足下の子犬にかがみ込みました。

「ほら、ポチ。ミーナだよ」

 ポチはたちまち耳を立てると、尻尾を振りながら一緒に赤ん坊をのぞき込みました。他の子どもたちがいっそう笑顔になります。ポチは犬ですが、一緒に暮らすフルートにとっては弟のような存在です。フルートは弟のポチにもミーナを見せてやったのでした。

 

 その後はポポロが、その次はメールがと、子どもたちは次々に赤ん坊を抱かせてもらいました。ところが、メールが抱いたとたん、ミーナが急に両手を広げ、体を反らすように伸びをしたので、メールは悲鳴を上げました。

「きゃっ……。お、おとなしくしてよぉ!」

 メールは王女できょうだいもいないので、身近に赤ん坊を見たことがほとんどありません。赤ん坊を抱く手つきも、おっかなびっくりという感じです。

 やっとメールの姿を見慣れてきたらしいゼンが、笑いながら話しかけました。

「別に暴れてるわけじゃねえだろ。なさけない奴だな」

「そんなこと言ったってぇ……こんなちっちゃいんだもん、どうしていいかわかんないよ」

「おい、落とすなよ。危なっかしいな。かしてみろ」

 言いながら、ひょいとメールから赤ん坊を取り上げて抱いてしまいます。その手つきが意外なくらい慣れていたので、メールは驚きました。

「上手じゃないのさ、ゼン」

「へへ。俺はおまえたちより二日も早くここに着いてるんだぜ。もう何度も抱かせてもらってんだよ」

「へぇ……」

 得意そうに赤ん坊を抱くゼンと、それをのぞき込むメールは、とても自然な雰囲気で、なかなかお似合いに見えます。

 

 すると、ルルが鼻先でポチをつつきました。何かをこっそりささやき、ポチが笑うような顔でそれにうなずきます。

 ゼンが、じろっとそれを見ました。

「おまえら、また何か俺たちのことを言ってるだろう」

「別に――。まるで赤ちゃんを抱いてる若夫婦みたいだね、とでも言ってほしかったんですか?」

 からかうようにポチが答えます。ゼンは顔を真っ赤にしました。

「なんだと、この生意気犬!」

 思わずどなったとたん、腕の中のミーナがびくりと震えました。たちまち火がついたように泣き出してしまいます。

「わわわ、し、しまった!」

「まったくもう、なにやってんのさ、ゼン!」

「だ、だってよぉ――!」

 いくらゆすってもあやしても、赤ん坊はまったく泣きやみません。小さな体なのに、部屋中に声を響かせて泣き続けています。ゼンはおろおろして、ついに助けを求めました。

「ゴーリス……!」

 すると、黒衣の剣士が苦笑いをしました。

「俺にだって無理だぞ。これは母親の出番だ」

 と言いながら、ゼンの腕の中から赤ん坊を抱き上げ、ジュリアへと渡します。ジュリアがとんとんと背中をたたきながら優しく声をかけると、急に赤ん坊が泣きやみました。あっという間にジュリアの腕と胸の中で静かになってしまいます。

 へぇぇ、と子どもたちはすっかり感心してしまいました。

「ホントにすげえな、母ちゃんって」

 とゼンが言うと、ジュリアが穏やかにほほえみながら答えました。

「あなたもこんなふうにお母さんに抱かれていたのよ。みんなそうなの。お母さんは、赤ちゃんにとって、世界で一番最初に出会う人なのよね」

「どうかな」

 とゼンは急に自信のなさそうな顔になって苦笑しました。

「俺の母ちゃんは、俺を生んで間もなく死んじまったからな。ホントに俺は、母ちゃんの顔もなんにも覚えてねえもんなぁ」

 いつも元気なゼンが、しんみりしたものをのぞかせています。なんとなく、仲間たちが何も言えなくなるような表情でした。

 すると、メールが、ばん、と勢いよくその背中をたたきました。

「なにしょぼくれてんのさ、ゼン! らしくないね!」

「ってぇな――! 誰がしょぼくれてるってんだよ! 寝言いってんじゃねえ!」

 とゼンがどなり返します。メールは陽気に笑いました。

「あはは、その意気! それでこそゼンさ」

「ちぇ」

 口をとがらせたドワーフの少年が、ちらっと、まぶしそうな目をしました。メールの笑顔がやけに輝いて見えたのです。何も言わずに、横目で少女を眺め続けます。

 

 そして、そんな二人の様子を、少し離れたところからポポロが見ていました。うつむきがちに、しょんぼりとたたずんでいます。

 ゼンとメールはいつも息がぴったり合っています。どんなに喧嘩ばかりしていても、心の中ではお互いに信頼し合っているのです。そんな二人を見るたびに、ポポロはなんだか悲しくなってしまうのでした。本当は自分だって、しょげているゼンを慰めてあげたいのに。元気を出して! と声をかけてあげたいのに。どうしてもメールのような勇気が出ません。小さな自分が、なおさらちっぽけになってしまったような気がして、ポポロはそっと涙ぐんでいました。

 そして――そんなポポロをフルートが見ていました。何も言いません。態度にも何も表しません。けれども、その優しい青い目は、少女に気づかれないように、静かにずっと彼女を見つめ続けているのでした。

 

「相変わらずよねぇ、みんな」

 とルルがポチにささやいていました。

「ほんと、見ていてじれったいったらありゃしない。もう一年以上こんな感じなんだから、いいかげん進展してくれないかしら」

「そうですね……」

 とポチは苦笑いをしました。人の感情が匂いでかぎ分けられる子犬は、まだまだ彼らの想いが複雑に絡み合っているのを感じていたのでした。

 密かにゼンが好きなメール。最近メールに強く心惹かれているゼン。でも、ゼンはかわいいポポロのことも大好きです。

 ポポロもゼンが好きです。けれども、彼女は同時に優しいフルートにも惹かれています。どちらの少年が本当に好きなのか、自分でもよくわかりません。

 そして、そんなポポロを、フルートは何も言わずに、静かに想い続けているのです……。

 四人の少年少女たちは、なんでも遠慮なく言い合えるほど仲がいいのに、こういうことになると、とたんに互いに何も言えなくなって、気持ちを伝え合うことができなくなってしまいます。本当に、ルルではありませんが、じれったいことこの上ない関係なのです。

 そして――

 ポチは、そっと上目づかいでルルを見ました。綺麗な毛並みの四つ年上の犬の少女を見つめます。彼女はいつだってポチを弟のようにしか見てくれません。本当はルルと対等になりたいのに、彼女を守れるくらい大きく強くなりたいのに、小さなポチには、どうしてもそれがかなわないのです。

 ぼくもフルートたちのことを全然笑えないなぁ……とポチは心の中で溜息をつきました。

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