風の犬が中庭に降り立つと、つむじ風が巻き起こり、庭の木々や生け垣が激しく揺れました。色あせた木の葉が引きちぎられて、空へと吹き上げられていきます。
と、その風がふいにやみました。巨大な竜のような風の獣が、あっという間に小さくなって、一匹の犬に変わります。茶色の長い毛並みのあちこちに銀色の毛を光らせた、若い雌犬です。
「ワン、ルル!」
ポチが駆け寄って、雌犬に白い小さな体をすりつけました。
「久しぶり。すごく綺麗になりましたね! それに大きくなってる」
「あら、ありがとう」
と雌犬が笑う声で答えました。ルルは天空の国のもの言う犬なので、ポチと同じように人のことばを話します。
「私ももうすぐ十六だもの。だんだん大人の仲間入りよ。ポチは――まだあまり大きくなってないのね」
綺麗な見た目の割には、かなりはっきりしたことを言ってきます。ポチは苦笑いするような表情になりました。
「ワン、ぼくは、あまり大きくならない種類なのかもしれないです。お母さんは普通の大きさの犬だったけど、お父さんの方はどのくらい大きかったか、ぼくは知らないし。でも、少しは成長してるんですよ。窮屈で、フルートのリュックサックにはもう入れなくなっちゃいました」
ふふん、とルルは笑うと、自分より二回りくらい小さなポチを見回しました。
と、その瞳が急に優しい色に変わりました。顔を寄せて、ぺろりとポチの頬をなめます。
「そうね。さっきのは冗談。あなたも大きくなってきてるわよ、ポチ。それに、前より少したくましくなったわ」
「ルル」
ポチは照れ笑いの表情になると、尻尾をちぎれるほどに振りました。
再会を懐かしがって喜ぶ犬たちの隣に、ポポロが立っていました。天空の国の魔法使いの少女です。相変わらずとても小柄で、星のようにきらめく黒い衣を着ています。頬をバラ色に染めて、嬉しそうにフルートとゼンの顔を見比べます。
ポポロはこの一年間、天空の国の修行の塔で、ずっと魔法の修行をしていました。それを終えてやっと外に出られたのがつい三日前でしたが、そこにフルートが地上から呼びかける声が聞こえてきたのです。
「ポポロ、修行は終わった!? みんな、ゴーリスとジュリアさんの赤ちゃんを見にハルマスに集まるんだよ! ぼくが到着するのは明後日さ! ポポロとルルも、一緒においでよ――!」
どんなに離れた場所にいても、ポポロには仲間たちの呼び声が聞こえます。いつも穏やかな話し方をするフルートが、その時は、とてもはしゃいだ声をしていました。ポポロもなんだかものすごく嬉しい気持ちになって、二つ返事で承知をすると、フルートがハルマスに到着する日に合わせて、ルルと一緒にやってきたのでした。
ところが、一年ぶりに会ったのに、フルートもゼンも何も言いませんでした。妙な顔で少女を見たまま、一言も口をきこうとしないのです。ポポロは急に不安になってきました。
「なあに……? 二人とも、どうかしたの……?」
自分が何か二人の気にさわることをしたのかしら、と考えたとたん、大きな瞳がうるみ始めました。ポポロはものすごい泣き虫なのです。
すると、涙が何より苦手なゼンが、我に返ったように声を上げました。
「ああ、違う違う! 別にどうもしちゃいねえったら!」
けれども、ポポロはますます涙ぐみました。瞳の縁に透明なものが盛り上がって、今にもこぼれ落ちそうになります。
ゼンがまた叫びました。
「違うんだ! おまえがあんまり大人っぽくなったから、思わず見とれてたんだよ! なあ、フルート!?」
「え」
急に話を振られたフルートが、うろたえて真っ赤になりました。実はゼンの言っているとおりだったのです。
一年たっても、ポポロの優しい顔は以前と全然変わっていませんでした。おさげに結った赤い髪も、宝石のような大きな緑の瞳も、ちょっと自信のなさそうな表情も、昔とまったく同じです。なのに、少女の全身からは、ふっくらと柔らかく甘い雰囲気が、匂うように漂ってきて、なんだか急に何歳も大人になってしまったように見えていたのでした。
「え……ええと……ほんとに綺麗になったよ、ポポロ。ルルに負けないくらいだ……」
どぎまぎしながらそんなことを言うフルートに、足下にいたルルが吹き出しました。
「フルートったら! そんなところに私を引き合いに出しちゃだめじゃないの。誉めるんならポポロだけにしておかないと」
「え、そ、そうなの?」
ますますしどろもどろになったフルートに、全員が思わず笑い出しました。ポポロも、頬を染めながら、やっぱり笑い出してしまいます。
すると、後ろから子どもたちのやりとりを聞いていたゴーリスが、笑いながら話しかけてきました。
「おまえらは今、ちょうど育ち盛りだ。一年も会わずにいれば、大きくなったり様子が変わったりしているのは当然だな。ゼンだってそうだ。声変わりが始まったんだろう?」
言われて、ゼンは、にやっとしました。
「大部低くなっただろう? 俺の声。オヤジの声に似てきたって、よく言われるぜ」
確かにその声は低くしゃがれています。ゼンは声だけでなく、肩幅も背中も、以前よりずいぶん広くなっています。少しずつですが、少年から大人の体型に変わり始めているのです。そのままフルートの肩をぐいと引き寄せると、にやにやしながらこんなことも言います。
「おまえはまだ声変わりしてねえよなぁ、フルート。俺より背は高くなってきたけど、まだまだおまえの方がガキだよな」
「なんだと!?」
とフルートがまた真っ赤になりました。今度は怒ったのです。けれども、友人に食ってかかるその声は、本当に澄んだボーイソプラノのままでした。
ゼンがいっそう笑いながら言います。
「なんだ、やるか? 喧嘩ならいつでも受けて立つぞ」
と本当に拳を握って見せます。大人のように太い腕、大人に負けないくらい大きな拳です。
とたんに、フルートは我に返った顔になり、すっと飛びのくようにゼンから離れました。
「やめた。怪力のドワーフと喧嘩して勝てるわけがないんだ。ぼくだって、もうすぐ十五歳だからね。あと一年もすれば、声変わりくらいしてるさ」
「あ、なんだよおまえ。ノリが悪くなったんじゃねえのか!?」
とゼンがふくれると、ゴーリスがまた口をはさんできました。
「どうやら、中身の方はフルートの方が先に大人になってきているようだな」
「なんだよ、それ!」
ゼンはますますむくれて、大声を上げました。周囲の者たちが、どっとまた笑います。その中で、フルートも声を上げて笑っていました。
すると、一同の頭上の空から、ばさり、と大きな羽音のようなものが聞こえてきました。ぴんと張り詰めた少女の声が降ってきます。
「みんな楽しそうじゃないのさ。あたいもまぜとくれよ!」
集まっていた者たちは、いっせいに声をふり仰ぎました。中庭の木立の間にのぞく青空に、一羽の鳥が羽ばたきを繰り返しながら浮かんでいました。翼の端から端まで五メートル近くもある巨大な鳥です。色とりどりの羽根に包まれているように見えますが、よく目をこらせば、その羽根の一枚一枚は、様々な色や種類の生きた花からできあがっているのでした。花でできた鳥――花鳥です。
その背中から一人の少女が顔をのぞかせていました。後ろで一つに束ねた緑の髪が、翼の起こす風になびいています。深い青い瞳が人々を見て、にやにやと笑っています。とても綺麗な少女ですが、その表情はあまり女の子らしくは感じられません。むしろ元気な少年のようです。
「メール!!」
と一同は歓声を上げました。世界の海の半分を統治する渦王(うずおう)の一人娘、メールです。やはり金の石の勇者の仲間の一人でした。
「メール、メール! 元気だった!?」
とポポロが呼びかけました。とても嬉しそうな顔をしています。メールも大きく笑い返して言いました。
「もちろん元気だったよ! あんたは、ポポロ? なんか急に綺麗になったじゃないのさ」
メールにまで同じことを言われて、ポポロは恥ずかしそうに顔を赤らめました。そのかたわらからゼンが言います。
「早く下りて来いよ! そんなところじゃ話が遠いぞ」
「あいよ」
少しも王女らしくない返事をすると、メールは花鳥を中庭に急降下させました。彼女の父は海の民の王ですが、死んだ母は森の民の王女です。花で思い通りのものを形作って操る花使いの力を、母親から受け継いでいるのでした。
中庭の小道の上に器用に降り立った鳥が、ざーっと雨のような音を立てて崩れました。あっという間に足下に地面に落ち、その場所で葉を出し茎を伸ばして、一面を美しい花畑に変えてしまいます。花使いから解放された花は、こうしてまた地上に根を張って咲き始めるのです。
「これでよしっと。別にかまわないだろ、ゴーリス? 庭に花がたくさん咲いたってさ」
とメールが言います。ところが、黒い剣士は何も答えませんでした。いえ、ゴーリスだけではありません。他の子どもたちも二匹の犬たちも、ぽかんとした顔で小道に立つメールを眺めてしまっていました。ん? とメールは首をかしげて一同を見返します。
すると、ゼンがいきなりメールに指を突きつけて叫びました。
「お――おまえ――! なんなんだよ、その格好は!?」
花鳥で舞い下りてきた長身の少女は、柔らかなひだと長い裾のある、美しいドレスで身を包んでいたのでした――。