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第6巻「願い石の戦い」

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97.約束

 朝日がジタン山脈を照らしていました。うっすらと雪が残る山頂を、朝の光が紅く染め、やがて、みるみるうちに白く変わっていきます。空から朝焼けの色が急速に薄れていきます。

 朝靄の薄く漂う高原に、三人の大人たちがじっと立ち続けていました。黒ずくめの服を着たたくましい男と、灰色の衣を着た長身の青年、それと、青年の腰にも届かないくらい小柄な老人です。

 彼らはジタン山脈の方向を見つめ続けていました。すると、高原がすっかり明るくなる頃、山の森の中から下りてくる四頭の馬が見えてきました。フルート、ゼン、メール、ポポロ、皇太子、そしてポチとルルの五人と二匹が別れて乗っています。

「おう、来た来た。ユギル殿の占いの通りだな」

 と小柄な老人が言うと、長身の青年は、黙って頭を下げました。長い銀の髪が、さらりと肩から胸へこぼれます。

「元気そうだな」

 と黒ずくめの男が満足そうにうなずきました。目には見えない安堵が、大人たちの間に広がっていきます。

 

 山を下りてきた子どもたちが、高原で待つ人影に気がついて、歓声を上げて駆け出しました。

「ゴーリス! ピランさん!」

「ユギル!」

 先頭に飛び出したフルートと皇太子が声を上げます。

 駆け寄ってきた一行を、三人の大人たちは出迎えました。

「どうしてまだここにいるの? 先にディーラに戻ってるはずじゃなかったの?」

 と馬から飛び下りながらフルートが尋ねました。驚いていますが、同時に笑顔になっています。ゴーリスは苦笑いをしました。

「師匠の心、弟子知らず、というところか。やっと無事に生還してきたと思えば、この言いぐさだ。こっちがいくら神経が太くても、とても持たんな」

 フルートが目を丸くしているところへ、他の仲間たちも次々に到着して馬を下りました。子どもたちと皇太子を見回しながら、ユギルが静かに言いました。

「皆様、ご無事で何よりでした……。占盤に非常に大きな危険が現れていたので、心配で引き返しておりました。勇者殿が失われるかもしれない、という占いでした。本当に、よくご無事で戻られました」

 子どもたちと皇太子は思わず顔を見合わせました。一瞬の沈黙の後、誰からともなくほほえみ合います。ゼンが陽気に言いました。

「大丈夫だぜ。こいつには俺たちがついてるんだからな!」 ばん、と力任せにフルートの鎧の背中をたたきます。衝撃をもろに食らって、フルートは思わず咳きこみました。

 すると、それを見てピランが言いました。

「で――どうなんじゃ。堅き石は手に入ったのか?」

 一同はまた、思わず顔を見合わせてしまいました。自分たちが、それを探して山に入ったことを、今ようやく思い出したのです。あまりいろいろなことがありすぎて、忘れかけていました。

 ゼンがあわてて腰の荷袋をかき回し、すぐにほっとした声を上げました。

「あったあった。ちゃんとここにしまってあったぜ!」

 と鋼の塊のようにも、黒いガラスの塊のようにも見える石を取り出します。大人の拳ほどの大きさがあります。ピランは歓声を上げると、ひったくるようにそれを手に取りました。

「おうおう、本物だ! 正真正銘、本物の堅き石だ! これさえあれば鎧が修理できる! 喜べよ。完璧に直して、前よりもっと強力にしてやるからな!」

 とフルートに飛びついて引き寄せます。でも、それはフルートに対して言ったのか、フルートが着ている金の鎧兜に向かって言ったのか、判断に悩むところでした。

 

 すると、ゴーリスが一同を見回して言いました。

「無事に戻ってきたところをさっそくで悪いが、大急ぎでディーラへ戻るぞ。王宮が大騒ぎになっている。我々が戻らないと、収拾がつかないらしい」

 子どもたちと皇太子は、また顔を見合わせました。皇太子が真剣な顔になって言います。

「私たちはジタン山脈の地下で『あれ』をみた……。ザカラスが何を目的に私の命やこの国を狙っていたのかもわかった。ザカラスをこのままにしておくわけにはいかん」

 それを聞いて、ユギルは頭を下げました。

「そのとおりでございます。国王陛下は、すでにザカラスと交渉を始めておられます。ザカラス正規軍が殿下たちのお命を狙ったので、ザカラスももう言い逃れることはできません。ですが、王宮が大混乱している理由は、それだけではないのです」

「金の石の勇者派の連中と、皇太子派の連中が、真っ二つに別れて、真っ向から対立しているのだ」

 とゴーリスが続けました。フルートたちは目を丸くしました。宮廷はまだその騒ぎをやっているのか、と思わずあきれてしまいます。

 ユギルが言いました。

「皇太子派の貴族の中に、ザカラスと通じている者がいたからでございます。例の、シーラ子爵という人物です。ザカラスへ国外逃亡しようとしたところを、警備隊に逮捕されましたが、そこから、芋づる式に勇者殿を暗殺しようとしていたメンバーが判明したのです。その中に特に重要な人物が名前を連ねていたので、王宮全体が衝撃を受けて、大騒ぎになっております」

 これは占いの結果ではありませんでした。彼らがジタン高原でフルートたちを待っている間に、王都ディーラから、早鳥が情報を運んできたのでした。

「伯父上だな……。ランジュールが言っていたとおりだ」

 と皇太子はつぶやき、大人たちの表情に気がついて続けました。

「フルートの命を狙った魔獣使いが、最後に依頼主を明らかにしていったのだ。直接の依頼はキーレン伯爵。だが、その他にスロウズ伯爵とシーラ子爵、伯父上のメンデオ公爵の名前まで挙げていった。彼らがフルートの暗殺を企てていたらしい」

 ユギルはうなずきました。

「知らせにあった名前と同じです。わたくしの占盤に現れていた者たちとも一致しております……。ですが、占いは形のないものなので、証拠とすることはできません。殿下が聞いた話は、彼らの罪を実証するのに役にたつことでしょう」

 ゴーリスが難しい顔になって腕組みをしました。

「メンデオ公爵は先の王妃の兄に当たる方だし、暗殺を依頼したキーレン伯爵も昔から王室に仕えてきた忠臣だ。まあ、だからこそ、皇太子を擁護するあまり、フルートを殺そうと考えたわけだが。だが、その中にザカラスと通じる裏切り者がいたのが問題なんだ。これまで皇太子派だった貴族たちの中に、ザカラスと通じていると思われては大変と、金の石の勇者派に寝返る奴らが続出して、皇太子派の連中と真っ向から衝突を始めたのだ。殿下とフルートのどちらが次の王にふさわしいかと、おおっぴらにやり合っているらしい」

 フルートと皇太子は思わずまた顔を見合わせてしまいました。ゼンが大きく肩をすくめます。

「ったく、ホントに人間ってヤツはどうしようもねえな! 当人たちの関係ないところで、勝手に騒ぐんじゃねえや!」

「このままでは内乱が起きます」

 とユギルが言いました。

「一刻も早く王宮に戻り、混乱をおさめなくてはなりません」

 フルートと皇太子は顔を見合わせたままうなずきました。皇太子が全員を見回して声を上げます。

「よし。それでは、ディーラへ――」

「その前に、だ!」

 とゼンがまた口をはさみました。

「朝飯を食わせろ! 俺たちはみんな、昨日の朝から何も食ってねえんだ。まずは食え、だぞ。飯にしよう!」

 子どもたちは思わずいっせいに声を上げました。ゼンの言うとおり、自分たちがものすごく空腹だったことに気がついたのです。

 ほほぅ、と鍛冶屋の長が感心した声を上げました。

「これまたユギル殿の占い通りだな。向こうの馬車におまえたちの朝食が準備してあるぞ。食ってこい、チビの勇者ども」

 子どもたちは歓声を上げると、あっという間に馬車に向かって駆け出しました。誰もが明るく元気な顔です。

「やれやれ」

 ゴーリスが苦笑いしながら、子どもたちの後を追いかけていきました。

 

 皇太子が腕組みしてそれを眺めていると、ユギルが近づいてきました。うやうやしく頭を下げて言います。

「ご無事で本当に何よりでした。殿下と勇者殿を取り巻く力があまりに暗く強かったので、本当に心配しておりました。……願い石の誘惑は退けられたのですね。安心いたしました」

 皇太子は、すぐには返事をしませんでした。時の鏡に映った、年老いてやつれきっていたユギルを思い出し、目の前の姿に重ねます。本物のユギルは、長い銀髪を朝日にきらめかせ、細い長身をまっすぐに伸ばし、エルフのように輝かしい姿で立っています。皇太子の胸の中を熱いものが流れていきました。

「殿下!?」

 ユギルは驚いた声を上げました。皇太子が突然、ユギルの細い体に腕を回して抱き寄せたからです。ものも言わずに固く抱きしめてしまいます。

「殿下――どうなさいましたか?」

 ユギルは本当に驚いていました。皇太子には長年仕えてきましたが、こんなふうに抱きつかれたのは、皇太子が小さかった頃以来です。

 その肩に顔を埋めて、皇太子は言いました。

「ユギル――私は自分の力で王になる。私は次のロムド王だ。願い石は私には必要ないのだ――」

 時の鏡の中に見た未来を絶対に本当のことにはするまい、と皇太子は考えていました。それは、一歩間違えば、本当に自分が歩んでしまうかもしれない未来です。権力ばかりに固執すれば、願い石に願わなくても、自分は他人を信じる心を失い、やがては、自分にとって一番大切な人までもを失ってしまうでしょう。そんな未来は、決して現実にしてはならないのです。

 さすがのユギルにも、皇太子が時の岩屋で何を見てきたのか、知ることはできませんでした。目を白黒させながら皇太子を受け止めていましたが、やがて、穏やかな顔に変わると、細い腕を皇太子の広い背中へ回しました。

「そうです、殿下。あなたはご自分の力で王になれる方です。わたくしには、最初からそれがわかっておりました」

 皇太子はユギルの肩でうなずきました。

「約束する。父上を見習おう。国民の声を聞こう。その上で、私は自分がなれる王になっていく。だから――」

 皇太子は両腕にさらに力をこめました。自分にとって大切な人を失うまいと、固く抱きしめます。

「――ずっと、そばにいてくれ、ユギル。そして、私が間違った道へ進みそうになったら、いつでも叱ってくれ。おまえは私が小さかった頃から、私を助け続けてくれていた。これからもずっと私を助けてくれ……」

 ユギルは目を見張りました。皇太子のことばは本当に素直です。気持ちがまっすぐにユギルの胸まで伝わってきます。

 ユギルはまた穏やかにほほえむと、静かな声で言いました。

「わたくしの人生は、国王陛下と殿下のものです。この城に来たときから、生涯をお捧げするつもりで仕えてきました。殿下がお望みになるのであれば、わたくしはいつまでも、殿下のおそばにおりましょう」

 皇太子はユギルの肩に顔を埋めたまま、何度も何度もうなずきました。熱く湿ったものが衣の肩ににじんでくるのを、ユギルは肌で感じていました。

 

 そんな二人の様子を、ピランが少し離れたところから見ていました。目を転じて、馬車のそばで食事をしている子どもたちを眺めます。しゃべり、笑い、食べ物をほおばって、と子どもたちは本当に賑やかです。

「ま、これでめでたしめでたしかな」

 とピランはつぶやきましたが、ふと、その手の中の堅き石を見ると、肩をすくめました。

「ほい、いかんいかん。まだやることが残っとったな。もうちょっとだけ、人間どものやることにつきあってやることにしよう。なあ、堅き石」

 ノームの鍛冶屋は黒い魔石に話しかけると、空を見上げました。冬が近づく朝の空は、靄が薄れて、青い色に変わり始めていました――。

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