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第6巻「願い石の戦い」

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96.永遠

 オパールの壁と黒大理石の床の岩屋の中で、子どもたちと皇太子は時の翁と向き合っていました。岩屋にはランジュールと戦った痕が残り、そこここで砕けた鏡が冷たく光っています。

「それじゃ俺たちは行くぜ、じいちゃん」

 とゼンが時の翁に言いました。笑顔で片腕をフルートの肩に回しています。フルートはこの時初めて、この不思議な老人とまともに向き合ったのですが、時間と一緒に生きてきた願い石の番人なのだ、と聞かされて、ぺこりと頭を下げました。

「どうもお世話になりました……」

 仲間たちの様子から、この老人が自分たちをいろいろ助けてくれたらしい、と感じ取ったのです。

 ひゃっひゃっと老人は笑い声を立てました。もじゃもじゃにもつれきった髪とひげが揺れます。その奥にあるはずの顔は、外からは少しも見えません。

「わしは何もしとらん、よ。ただ、願い石の話をして、時の夢を見せただけ、じゃ。わしが何を話したかは、後で、友達から聞くんじゃ、な」

「翁はこれからどうするのだ? 願い石はここからなくなってしまうのだろう」

 と皇太子が尋ねました。そう、魔法の石はもう、この岩屋にはありません。願い石の精霊と共に、フルートの中で眠っているのです。

 すると、老人が答えました。

「待つ、よ。願い石は願いかなえるまでは、自分が選んだ相手からは、離れん。そうして、願いかなえたら、石は消えて生まれ変わるの、じゃ。わしは、願い石が誰かのものになるまでの番人じゃから、の。石が消えて、またどこかに新しく生まれてくるまで、わしはただ、待ち続けるのじゃ。何十年後か、何百年後かわからんが……なぁに、わしは時のじじいじゃ。時間はたっぷりあるで、の」

 

 その老人のことばに、子どもたちと皇太子は、それぞれに顔色を変えました。聞き逃すことができないことが含まれていました。

「ワン……願い石は結局、いつかはフルートの願いをかなえるんですか? それまで絶対にフルートから去らないんですか?」

 とポチが尋ねました。願い石の精霊が消えて、それでもうその魔力から逃れたような気がしていたのですが、そうではないらしいと気がついたのです。

「そうじゃ」

 と時の翁は答えました。

「フルートが何かを心から願ったとき、願い石は目覚めて、願いをかなえる、ぞ。それはどんな願いでも実現させる、強力な魔力、じゃ。そして、その引き替えに、大事なものを、その者の中から奪っていくん、じゃ」

 仲間たちはフルートを見ました。なんとなく、背筋が寒くなります。

 フルートも思わず自分の胸に手を当てました。改めて、自分の中にはどんな願いもかなえる力が眠っているんだ、と思います。それは、考えてみれば非常に恐ろしいことでした。

 すると、老人は続けました。

「もっとも、最後まで願いを語らないまま、生涯を終える、という生き方もあるが、の。人にはなかなか難しいが、まれに、そんな者もおらんでは、ない」

 何かを思い出すように、ひゃっひゃっひゃ、とまた笑い声を立てます。

 すると、ゼンがフルートに言いました。

「そんなら、おまえはきっと大丈夫だ。いろいろおまえのことを見せてもらったけどな、おまえくらいどうしようもないお人好しは、二千年に一人も出てこないんだってのが、よくわかったからな」

「え……なにさ、それ?」

 とフルートが目を丸くしました。彼は仲間たちが自分の過去を時の鏡で見たことを知りません。

 ゼンはほほえんだまま目を伏せると、親友に回した腕に、ぐっと力を込めました。

「後で話してやるよ。そんときに、俺たちを山ほど叱ってかまわねえからさ――」

 フルートが心の底にしまっていた過去の思い出と願いの数々。不可抗力だったとはいえ、それをすっかり見てしまったことに、後ろめたさを感じていたのでした。たとえそれが、フルートを理解して、彼を引き留めるための力になったのだとしても……。

 

 フルートがますますわけのわからない顔になっていると、時の翁がまた静かに言いました。

「最後にもうひとつだけ、話して聞かせてやろうか、の。願い石に願いかなえてもらった者が、引き替えに何を奪われていくかという、たとえ話、じゃ。……権力、財産、誰かに自分を好きになってもらうこと、死んだ者の生き返り、健康。これ以外に、もうひとつ、人がよく願うことがあるんじゃが。それが何か、わかるか、な?」

 と老人に尋ねられて、子どもたちは思わず顔を見合わせました。皇太子が言います。

「不老不死、か? 人は本当によくそれを願うものだが」

 小さい頃から願い石に思いめぐらしてきただけあって、すぐに答えが出てきます。時の翁はうなずきました。

「そうじゃ。おまえさんたちは、まだ子どもだから、この願いはぴんとは来ないじゃろうが、の、特に歳をとってくると、な、人は不老不死を願いたくなるものなんじゃ、よ。老いたくない、死にたくない、永遠に元気で生き続けたい、そう思って、の」

 そして、翁はまた短く笑いました。

「願い石は、の、そんな願いさえ、かなえるんじゃ。心から不老不死を願ったとき、その人は、もう老いることもなく、決して死ぬこともなくなる。そうすると、な、何が起きるか、おまえさんたちにはわかるか、な?」

 子どもたちはますますとまどいました。さすがの皇太子も、今度は答えられません。

「その者は、の、ひとりぼっちになるんじゃ、よ。家族も友人も、その者を知る人たちは、やがて年を取り、この世を去っていく。ところが、その者だけはずっと生き続ける。また新しい人に出会う。だが、やっぱりその者たちも、やがて死ぬ。残されるのは、自分だけ、じゃ。どんなに、誰かと共に生きていきたいと願うても、いつも必ず、自分一人だけが残る。自分だけが取り残され、世界中から忘れられて、それでも永遠に、一人きりで生きなくてはならんのじゃ。……願い石が奪っていくのは、『共に生きる人々』じゃ。あまりの孤独に、狂いたいと思うても、願い石の力で、狂うこともできん。いっそ死んでしまいたいと思うても、不老不死の体じゃ、死ぬこともできん。そうして、何万年も、何十万年も、その者は永劫に生き続けるんじゃ。たったひとりで、時間だけを友にして、の」

 

 聞いている子どもたちと皇太子は、はっとしました。老人が誰の話をしているのか、突然気がついたのです。木の根のようにもじゃもじゃと絡み合い、石のように年老いた老人を、思わず見つめてしまいます。

 すると、老人は、ひゃひゃひゃ、とまた笑いました。

「そう、わしのことじゃ、よ。時の翁、なんぞと呼ばれておるが、昔々は、わしも人間じゃった。いや、エルフかも、しれん。他の別の種族だったかもしれん。もうそれさえも、覚えておらんのじゃ。だが、そんなわしにも、確かに家族はおった。友人も知人もいたはずじゃった。……今は誰もおらん。あまり長いこと生きすぎて、何を見てきたかも、よう思い出せん。だから、の、こうして、時の鏡を作るんじゃ。わしの代わりに、過ぎてきた出来事を思い出せるように、の。この岩屋は、わしが三百年かけて作ってきたものじゃ。鏡も、一つ一つ、この手で作ってきた。時間だけはたっぷりあるんじゃ。時間だけは、の」

 子どもたちと皇太子は、思わず岩屋の中を見回しました。虹の色にきらめくオパールの壁の上に、何万枚もの鏡が並んでいます。一つ一つに細かい細工を施した銀の縁がついています。一枚として同じ鏡はありません――。

 老人は静かに続けました。

「願い石がこの世に生まれてくると、わしには、それがわかる。それで、石のまわりに、こうして岩屋を作るんじゃ。時の鏡を並べて、岩屋のまわりに結界を張って、の。すぐに誰かが願い石を見つけることがある。何百年も誰も見つけんこともある。だが、いつかは必ず、誰かが願い石にたどりつく。その時に、わしは時の夢を見せて、願うことを思いとどまらせるんじゃ、よ。引き替えに奪われていくものは、あまりに大きいぞ、と言うて」

 子どもたちはまた何も言えなくなってしまいました。自分たちに想像もできないほど長い時間を生きてきた老人を、ただ見つめてしまいます。孤独も悲しみも苦しみも、すべて石となって固まってしまったような、灰色にくすんだ老人でした。

 

「それで、願い石の番人なのか……自分の過ちを他の者に繰り返させまいとして」

 と皇太子が言いました。老人に見せられた、もうひとつの未来の姿が脳裏によみがえります。願い石に権力を願って王になった自分が、引き替えに奪われたものを思い出します。

 すると、老人がまた笑いました。

「そんな、立派な理由じゃありゃせん、よ。わしは、願い石を他の者に渡したくないだけ、じゃ」

 子どもたちと皇太子は、また目を丸くしました。

 時の翁は、笑いながら続けました。

「わしは、もう一度、願い石に願いをかなえてもらいたいんじゃ、よ。それで、願い石を追いかけ続けとるんじゃ。ずっと、ずうっとな。だが、願い石は、わしを選ばん。かなえるのはいつも、他の者の願いじゃ。――わしの願いに、まだ迷いがあるのが、願い石にはわかるんじゃろう、なあ」

 ひゃっひゃっひゃっと笑い声が響いていました。それは岩の間を吹き抜ける風の音にも、長い溜息の声にも似て聞こえます……。

 

 すると、フルートが一歩前に進み出ました。思い切ったように老人に言います。

「ぼくが、あなたの願いをかなえるのではだめですか? ぼくには願いたいことはないし――ぼくの中にある願い石に頼めば、あなたの願いをかなえることだって、できるんじゃないでしょうか?」

 老人は、真剣な目をしているフルートを、じっと見ました。何故だか、老人が髪とひげの奥でほほえみを浮かべたように、一同は感じました。

「本当に、優しい子じゃ、の。おまえさんは」

 と老人は穏やかに言いました。

「だが、それは願ってはならん、な。おまえさんにはできない願い事じゃ。わしの願いは、この不老不死の命を、奪ってもらうことじゃから、の。人の死を願ってしまった時、代わりに奪われるのは『優しさ』、じゃ。おまえさんは、その優しさを、決して失のうてはならんのだ、よ。優しい勇者」

 フルートも他の者たちも何も言えませんでした。本当に、何も言うことができませんでした。

 

 時の翁と呼ばれる老人は、岩屋の出口を指さして言いました。

「さあ、地上へ戻る時間じゃ、ぞ。あと二時間ほどで夜が明ける。魔法使いのお嬢ちゃんが作った通路が、消えてしまう、じゃろう」

 突然、ひゃあ、とメールが悲鳴を上げました。ここが自分の大嫌いな地下で、しかも、通路が消えたら地中に生き埋めにされてしまうことを思い出したのです。ゼンに飛びついてしがみついてしまいます。

「こ、こら馬鹿、あわてるな! ちゃんと連れて戻ってやるって!」

 とゼンが真っ赤になりながらメールを引きはがし、ひょい、とまた肩に担ぎ上げました。羽根でも乗せているような、軽い動きです。

 

 フルートは時の翁を見つめ続けました。

「いつか、ぼくの中から願い石が消えたら――またどこかに願い石が生まれるんですね? それをまた、あなたが守り続けるんですね? ずっと――」

「他にすることもないで、の」

 と老人は答えました。笑うような声でした。

 フルートはことばを選ぶようにちょっと沈黙すると、また言いました。

「ぼくたちは、あなたのことを覚え続けます。ぼくたちが死んでしまうまでの間だけど、それでも、あなたのことは忘れません」

 時の翁がうなずきました。

「人の一生は、どんなに長くても、百年ちょっと。わしにしてみれば、ほんの一瞬じゃが……それでも、束の間、わしを覚えていてくれる者がいるというのは、嬉しいことではある、の。なに、こうして待ち続ければ、いつかはきっと、願い石もわしの願いをかなえるじゃろう。はるか未来のことかもしれんが――いつかは、きっと、な」

 遠い遠い時間の彼方から響いてくるような、時の翁の声でした。

「優しい勇者と、その仲間たちの上に、時をつかさどる神の守護がいつまでもあらんことを」

 老人の祈りに、一行は黙って頭を下げました。岩屋を出て、魔法で作った通路を地上に向かって戻り始めます。

 その背後で、何かが閉じた気配がしました。彼らが振り向くと、岩屋の入口は跡形もなく消えていて、ただ暗い岩壁だけが、通路の行き止まりを作っていました――。

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