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第6巻「願い石の戦い」

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95.友情

 皇太子からいきなり殴り飛ばされ、いいかげんにしろ、とどなられて、フルートは呆気にとられてしまいました。大理石の床に座りこんだまま、皇太子の顔を見上げてしまいます。

 すると、そんなフルートに皇太子がかがみ込んできました。ものすごい剣幕でどなり続けます。

「きさまはまったく大馬鹿者だ!! 世界を守る光になりに行くだと!? 身勝手もいいかげんにしろ!!」

「身勝手?」

 フルートは思わず繰り返してしまいました。そんなふうに言われるとは、予想もしていなかったのです。けれども、皇太子は口調をまったくゆるめませんでした。

「友達がどれほどきさまの心配をしているのか、見てわからんのか!? きさまは友達全員を泣かせているのだぞ! 皆に幸せになってもらいたい? 立派なことだ。だが、肝心の友達を不幸にしたままでかまわんというのか!? きさまがやろうとしていることは、ただの自分勝手だぞ!!」

 フルートはびっくりしました。本当に、そんなふうには全然考えていなかったのです。あわてて仲間たちを見回して、全員が本当に泣き顔になっているのに気がついて、またうろたえました。ポポロだけではなかったのです。メールもルルも大粒の涙を流しています。ポチは涙を流せませんが、泣くより悲しい顔でフルートを見つめています。そして、ゼンでさえ、フルートをにらむ目に涙をにじませていました。フルートの視線に気がつくと、くるりと背中を向けてしまいます。

 

 フルートは何も言えなくなりました。

 皇太子が「きさまは皆を悲しませているぞ」と言えば、これほど動揺はしなかったのです。「友達を不幸にしたままでかまわんのか」という一言が、どうしようもなく、フルートの心に迫っていました。そんなつもりはないのです。反対です。彼らに幸せになってもらいたい一心で行こうと思っているのに――。

 すると、ポポロがフルートの前に座り込みました。後から後から流れ続ける涙で頬を濡らしながら、フルートに向かって訴えます。

「フルート、フルートがいなかったら、あたしたちはもう笑えない……。魔王が消えて、デビルドラゴンも消えて、世界がどんなに幸せになったって……フルートがそこにいなかったら、あたしたちはもう二度と笑えないのよ……」

 すると、その後ろにメールが立ちました。こぼれ落ちる涙を拳でぬぐいながら言います。

「ポポロの言うとおりさ、フルート。あたいたちは、あんたが一緒でなかったら、全然幸せになれないんだよ。あんたは、あたいたちのリーダーじゃないか。リーダーが仲間を置いて、勝手に行ったりしちゃダメなんだよ――」

 ひっく、とメールは大きくしゃくり上げ、後はもう何も言えなくなって泣き続けました。がむしゃらに涙をこすったので、目のまわりが真っ赤になってしまいます。

 ポチがポポロのかたわらから飛び出してきてフルートに飛びつきました。堅い鎧を着た体に何度も体当たりをしてきます。フルートが驚いてそれを止めると、ポチが叫びました。

「だめですよ、フルート! お父さんやお母さんを悲しませちゃだめです! お母さんがまた倒れちゃうじゃないですか! それに、それに――」

 ポチは大きな黒い瞳に精一杯の悲しみと想いを込めて、フルートの顔を見つめました。

「――お兄さんは、弟を置いてきぼりにしたりしちゃだめなんですよ!」

 フルートは目を見張りました。ポチ、とつぶやいたきり、また声が出なくなります。

 すると、ポチの隣にルルが来ました。天空の国のもの言う犬は泣くことができます。大粒の涙を流しながら、言いました。

「闇の声の戦いの時、フルートは言ってくれたわよね。あたしたちも幸せになっていいんだ、って……あたしたちだって、自分を幸せにすることを考えていいんだ、って……。だったら、フルートだって幸せにならなくちゃ。みんなで、一緒に幸せにならなくちゃ……そうでしょう?」

 

 皆が必死でフルートに訴える中、ゼンだけは一人背中を向け続けていました。無数の灰色の鏡の間で、オパールの壁は虹の色に輝いています。ゼンは両手を拳に握りしめてそれを見ていました。そうしながら、フルートが返事をするのを待っていたのですが、フルートはとうとう何も言いませんでした。わかった、とも、行かないよ、とも何も……。

 ゼンはフルートに背中を向けたまま大きな溜息をつきました。

「俺たちがこんなに言って止めたって、やっぱりおまえは行くんだろう? おまえはそういうヤツだもんな。絶対に、自分の考えを曲げねえんだ。――この石頭! どうしても行くってんなら行っちまえよ、馬鹿野郎!!」

 怒って吐き出すような口調です。他の仲間たちはたちまち顔色を変えました。あわてふためき、またフルートを引き止めようとします。

「ゼン」

 とフルートは親友の後ろ姿を見つめました。淋しさと優しさがその顔を横切ります。そのまま、また別れを告げて去っていきそうな気配が漂います。

 すると、ゼンが続けて言いました。

「行くんならさっさと行け! もう止めねえよ! その代わり――俺のことも一緒に連れて行け! 俺も一緒に光になってやる! そして、おまえらと一緒に世界を守ってやる! そんなら許してやらぁ!」

 ゼンが振り向きました。その頬の上には、はっきりと二筋の涙の跡がありました。それをぬぐいもせず、ゼンはフルートの胸の上のペンダントに向かってどなりました。

「金の石! 金の石の精霊! 出てきやがれ!!」

 淡い金の光がわき起こって、フルートの隣に小さな金色の少年が立ちました。子どもたちのすぐそばです。

 驚いている子どもたちには目もくれずに、小さな少年は答えました。

「なに、ゼン?」

 まるで、ずっと昔からゼンを知っていたような口ぶりでした。いえ、本当にそうなのです。金の石は最初の戦いの旅のその時から、ずっと一緒にいたのですから。

 ゼンは金の石の精霊に向かってどなり続けました。

「願い石に願えよ! フルートだけでなく、俺も一緒に連れて行くって! 世界ってのは広いんだろ? それを全部おおって、デビルドラゴンまで倒そうってんだから、二人より三人の方が力になるはずだぞ!」

「ゼン――!」

 フルートは思わず叫びました。声が震えます。フルートは泣き出しそうになったのでした。

 

 金の石の精霊は小首をかしげました。遠く離れた鏡を振り向いて声をかけます。

「どう、願いの? こういうのも願い事に含めて大丈夫なのかな?」

 鏡のガラスを空気のように通り抜けて、願い石の精霊が外に出てきました。と思うと、次の瞬間には、子どもたちのすぐ目の前まで来ていました。子どもたちは仰天して、思わず身をひきました。燃えるように赤い髪に、赤金色の火花を散らしたようなドレス――本当に、炎のように激しい姿の精霊です。

 赤い精霊が、金色の精霊に答えました。

「そなたたちが真にそれを望むならば。それが本当の願いならば、私はそれをかなえよう」

「だめだ! そんなのは絶対だめだ!」

 とフルートは激しく首を振りました。とたんに、ゼンがどなり返します。

「うるせえ! 言ったはずだぞ! 俺はずっとおまえと一緒に行くんだ! 地獄の果てだって、光の中だって――おまえが行くところなら、どこまでだって俺は行くんだよ!」

「俺たち、だよ、ゼン。あたいたちのことを抜かすんじゃないよ」

 とメールが言いました。まだ目に涙はありましたが、いつもの気の強い表情に戻って、にやりと笑います。

「行くんなら、みんな一緒さ。ねえ、ポチ、ポポロ、ルル――?」

 そう問われて、他の仲間たちもいっせいにうなずきました。全員が真剣な顔をしています。

「みんな……」

 フルートはつぶやいたきり、声が出なくなりました。何と言っていいのかわからなくなります。

 子どもたちの後ろから皇太子が尋ねました。

「これでもおまえは行くというのか? こんなにも想ってくれる友達を残して。金の石の勇者というのは、そんなにも薄情なものだったのか?」

 

 すると、金の石の精霊が肩をすくめました。いやに人間じみた表情で苦笑いをしながら、フルートを見上げます。

「だめだな。ぼくたちの方が分が悪いよ、フルート。皇太子の言うとおりなんだ。彼らを不幸にしたままで、世界中の幸せを守ることなんかはできないんだよ」

「金の石!」

 フルートは思わず叫びました。それじゃデビルドラゴンはどうするのさ、と尋ねようとします。

 すると、逆に金の石が尋ねてきました。

「フルート、君はこれからもぼくと一緒に闇と戦ってくれるかい? 何度デビルドラゴンが襲ってきても、どんなに戦いが苦しくても、世界を守ろうとしてくれる?」

 フルートはとまどいました。

「それは――もちろん。だけど――」

 それを聞いて、金の石の精霊はほほえみました。本当に、精霊らしくない、人間のような笑い方でした。

「それなら、君はぼくを裏切ったことにはならない。ぼくも砕けてしまわない。それでいい、フルート。きっと、他にもやり方はあるはずさ。それを探すことにしよう――」

 金色の少年は赤い願い石の精霊の方を振り向きました。

「ということだ、願いの。ぼくの望みは取り下げる。かなえなくていい」

 それだけを言い残して、少年は淡い金の光に変わりました。たちまち姿が見えなくなっていきます。

 金色のペンダントがフルートの胸で揺れていました。と、一同が見守る中、その真ん中の石が色を失いました。吸い込まれるように金色が消えて、灰色に変わります。金の石はまた眠りについたのでした。

 

 一同が何も言えずにいると、赤い精霊がフルートに向かって歩き出しました。ゼンがそれに気がついて、とっさに前に飛び出しました。精霊がフルートに近づくのを止めようとします。

 ところが、そんなゼンの体の中を幽霊のようにすりぬけて、願い石の精霊はフルートの目の前に立ちました。何の表情も浮かべていない美しい顔で、じっとフルートを見下ろします。

「金の石は願いを取り下げた」

 と精霊は言いました。

「願い石はそなた一人のものになった。そなたの真の願いを語るがいい。それをかなえよう」

 子どもたちは息を飲みました。願い石は純粋な想いそのものからできた石です。人の願いをかなえることだけが、その石の役目なのです。

 皇太子が思わず声を上げました。

「願うな、フルート! 願いと引き替えに大切なものを奪われるぞ!」

 フルートは驚いたように願い石の精霊を見上げていましたが、その声に皇太子を見ると、自分のそばで立ちすくむ仲間たちに目を移しました。青ざめている仲間たち一人一人を見回し――

 ふいに、フルートはほほえみました。優しく穏やかな笑顔です。願い石の精霊に向かって答えます。

「ぼくには、あれ以外の願い事はありません。かなえてほしいことがないんです。だって、ぼくはもう、ほしいものを全部持っているから――」

 

 願い石の精霊がうなずきました。赤い髪とドレスが揺れます。

「では、私はそなたに願いができるまで待とう。願いたくなったときには、私を呼ぶがいい」

 そのことばと同時に、願い石の精霊は赤い光に変わり、すうっと音もなくフルートの体に吸い込まれていきました。たちまち見えなくなってしまいます。

 一同は驚いてそれを見ていました。フルートは自分の体に触れました。――どこもなんともありません。

 ゼンが確かめるような声を出しました。

「あいつ……行ったのか?」

 ポポロが首を振りました。

「行ったんじゃないわ。フルートの中に眠ったの。もうあたしにも見えないけど、でも、確かにフルートの中にはいるのよ……」

「だけど、もうフルートを連れて行こうとはしないんだろ?」

 とメールが言いました。笑顔にまた涙が浮かび始めていました。

「フルートも行かないだろ? もう行かないよね? ねえ――?」

 そう問われて、フルートはまた仲間たちを見回しました。ゼン、メール、ポポロ、ポチ、ルル――全員がまたフルートを見つめています。食い入るようなまなざしです。

 フルートは、うなずきました。

「うん――行かないよ」

 子どもたちは歓声を上げました。いっせいにフルートに飛びつき、抱きつき、しがみつきます。明るい笑い声がオパールと大理石の岩屋の中に響き渡ります。その真ん中で、フルートは恥ずかしそうに、泣き出しそうに、ほほえみ続けていました。

 

 一つになって喜び合う子どもたちの様子を、皇太子は腕組みをしてながめていました。ふん、とおなじみの笑い方をします。けれども、その顔に皮肉な色はなく、ただ、子どもたちと同じように安堵する表情だけが浮かんでいました。

 すると、いつの間にやってきたのか、時の翁が皇太子のかたわらで口を開きました。

「彼は金の石の願いを聞かなければ、失われる運命、じゃった。金の石の願いを聞いても消滅したし、願い石に自分の願いをかなえてもらっても、その果てに来るものは、やっぱり破滅、じゃった。だが、彼はそのどれからも、まぬがれた。定めの歯車から、逃れたのじゃ」

「あいつを止めたのは友達だ。仲間があいつを救ったのだ」

 と皇太子が言いました。静かな声でした。

 すると、時の翁が頭を上げました。もじゃもじゃにもつれた髪とひげの間から、皇太子を見上げたのです。

「そうじゃ、な。で、おまえさんは、あそこに行かんの、かね?」

 皇太子は意外なことを言われたように老人を見ました。腕組みしたまま、目を丸くして少しの間考え込み……やがて、その腕をほどいて下ろしました。

「そうだな――それもいいかもしれん」

 そう言うと、大股に子どもたちに歩み寄っていきました。笑ってはしゃいでいる子どもたちに向かって声をかけます。

「おい、おまえたちばかりで喜ぶな。私も入れろ」

 子どもたちはびっくりして皇太子を見上げました。皇太子は苦虫をかみつぶしたような顔で彼らを見ていました。照れ隠しをしているような表情です――。

 たちまちメールが笑顔になって答えました。

「もちろんだよ、オリバン! あんたも仲間にまざりな!」

 わあっ、とまた明るい笑い声が岩屋に響き渡りました。

 

 石の木の根のように見える老人は、うむうむ、と何度も一人でうなずいていました。

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