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第6巻「願い石の戦い」

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93.決戦

 ポポロは呆然と立ちつくしていました。

 突然彼女を押しのけて現れたフルートが、風のように岩屋を駆け抜け、背中を向けていたゼンを踏み台にしてランジュールに切りかかったのです。

 今まさに皇太子を食い殺そうとしていたランジュールが顔から血を吹き出し、すぐに、フルートを見て不思議そうな声を上げました。

「キミ、いったいどこから来たのさ?」

 ポポロは思わず鏡を振り返りました。明るい鏡の中に、フルートの姿はもうありません。ただ、赤い炎のような願い石の精霊と、小さな子どもの姿の金の石の精霊が、並んで立っているだけでした。

 

 「何故、仲間たちが呼んでいることをフルートに教えたのだ、守護の」

 と願い石の精霊が金の石の精霊に尋ねていました。何の感情もこもっていない、平坦な声でした。

「あそこで教えなければ、フルートは仲間たちがいることには気づかなかった。そうすれば、彼も願いを口にする瞬間に仲間を振り向いたりはしなかっただろう。そなたの願いはかなえられたのに」

 金の石の精霊はうつむきました。鮮やかな金の髪が揺れます。頭を振ったのです。

「フルートが言うからさ……。たとえ世界中を守っても、仲間たちを守れなかったら、それは世界を守ったことにならない、って」

 なんとなく、頼りなげな雰囲気が漂いました。年齢不詳の精霊が、急に見た目通りの小さな子どもになってしまったようです。

 すると、願い石の精霊が重ねて言いました。

「そなたたちが守りの光に変われば、あの怪物も消えていくことはわかっていたはずだ。あれは闇の怪物なのだから。それを知りながら、そなたはフルートを行かせた。何を考えているのだ、守護の」

「何も」

 と金の石の精霊はまた頭を振りました。小さな顔は、かすかに苦笑いするような表情を浮かべていました。

「自分でも何故そうしたのか、何故そうしなかったのか、わけがわからないんだ。世界を守る光になることは、本当に長い間の願いだったのに。でも……ただ、そう……なんとなくね」

 金色の少年はガラス窓のように見える鏡の向こうの景色を眺めました。虹色と黒の岩屋の中で、フルートがマンティコアと戦っています。小柄な体の後ろには、傷ついた仲間たちをかばっています。

 すると、鏡の中の世界にフルートの声が響いてきました。

 金の石の精霊は、今度ははっきりと苦笑いをしました。

「フルートが呼んでる。行かなくちゃ」

 淡い金色の光の中へ、精霊の少年は消えていきました――。

 

 子どもたちと皇太子は、呆気にとられて目の前の光景を見ていました。

 突然駆けつけてきたフルートが、彼らの前で戦っています。マンティコアになったランジュールの攻撃をかわし、剣で切りつけていきます。血しぶきが飛び、笛のような悲鳴がまた上がります。

 けれども、ロングソードで切りつけた傷は、見る間にまた治っていってしまいます。ランジュールにダメージを与えることができません。

 フルートは、ちらりと背後の仲間たちを振り返りました。ゼンは額から血を流しています。メールは床に座りこんだまま、ぐったりしたポチを抱きしめています。皇太子も片足を不自由そうにしています。

 突然、フルートは一歩飛び下がると、大きな声で呼びかけました。

「金の石! 金の石――!!」

 金の鎧の胸の上で、魔法の金の石のペンダントが揺れていました。それへ向かって、フルートは言い続けました。

「金の石、みんなを癒してくれ! お願いだ!」

 たちまち、魔法の石が強い輝きを放ち始めました。澄んだ金色の光です。フルートを中心に広がって、後ろにいた仲間たちを包み込みます。

 とたんに、子どもたちと皇太子の体から痛みが消えていきました。あっという間に傷が治り、全身にまた力があふれてきます。

 ひゃっほう! とゼンは歓声を上げました。フルートに向かって駆け出します。

 ポチも風の犬に変身してメールの腕から飛び出しました。ゼンを追い越して、フルートの体に絡みつきます。

「ワンワン、フルート! フルート……!!」

「ポチ! 炎の剣を取ってきてくれ!」

 とフルートが言いました。強い口調です。ワン、とポチは一声吠えると、たちまち宙を飛び、床の上に落ちていた炎の剣に飛びつきました。風の口にくわえてフルートの元へ運びます。

 その間にゼンがフルートのわきへ駆けつけました。

「俺は何をすればいい!?」

 とフルートに尋ねます。――フルートに言いたいことは山ほどありましたが、それは後回しでした。

「あいつの動きを止めてくれ。炎の剣で頭を切り落とす!」

 とフルートが答えました。飛び戻ってきたポチから、黒い魔剣を受け取ります。

 

 すると、金の光に後ずさっていたランジュールが口を開きました。

「へえ、頭を切り落とすの。キミにそれができるのかい、優しい勇者くん?」

 フルートは怪物を見上げました。赤いライオンのような体の中で、顔だけがランジュールのままです。

「……ひどい格好だよね。どうしてそんな姿になったわけ?」

 と尋ねます。

 とたんにランジュールは驚いた表情になり、足を踏みならしながら大声でわめき始めました。

「ひっどぉぉい!! キミって、そんなおとなしい顔してるくせに、ずいぶんはっきり言うじゃないの! ボクだって、あんまりかっこよくないのは承知してるんだからさ。傷つくようなこと、言わないでくれるっ!?」

 キイキイとそんなことを言いながらも、ランジュールは密かに尾を振っていました。先にメールが焼き切ったサソリの尾が、いつの間にかまた復活していました。強酸の毒を持つ針を、フルート目がけて撃ち出そうとします。

 その時、風の音と共に少女の声が響きました。

「フルート、危ない!」

 鋭い風の流れが、またサソリの尾を切り落としました。ランジュールが痛みに悲鳴を上げます。

 大きな風の犬が、フルートの前に舞い下りました。ランジュールに向かって牙をむきます。

「卑怯な真似するんじゃないわよ! 今度はそれこそ首を切り落としましょうか!?」

 ルルです。ゼンたちを癒した金の光は、少し離れたところに倒れていたルルにも届き、傷を癒して回復させたのでした。

 ごうっと音を立ててルルの隣にポチも舞い下りました。ランジュールに向かって言います。

「ワン、いくら尻尾を復活させたってダメですよ。針はぼくたちが全部たたき落とします。フルートたちには一本も届かせませんよ」

 思わずたじろいだランジュールに向かって、フルートが駆け出しました。

「ゼン!」

 と親友を呼びます。ゼンは駆け出し、フルートを追い抜いてマンティコアの前足に飛びつきました。今にも跳躍しそうになっていた怪物を、力任せに引き止めます。

「あ、何するのさ――!?」

 ランジュールがわめきました。口を開けてゼンに魔法の弾を食らわせようとします。

 そのとたん、またフルートの声が響きました。

「金の石!」

 胸のペンダントからまた金の光がほとばしり、ゼンの上に光の幕を広げました。障壁を張ったのです。魔法の弾が砕けて散っていきます――。

 

 その間にフルートが駆け寄ってきました。手に構えた炎の剣を大きくふるいます。切っ先が赤いたてがみをかすりましたが、マンティコアが身をかわしたので、首を切り落とすことはできませんでした。剣が大きく空振りします。

 ランジュールが笑いながら振り返りました。

「残念でしたぁ! 五十センチもずれてるじゃないのさ。キミって、剣が下手くそ――」

 そのとたん、ランジュールは、ぎょっと目を見張りました。フルートが、立ち止まり、振り返ってこちらを見ていました。右手には炎の剣を握っています。けれども、もう一方の手には金の石のペンダントを握りしめ、それをまっすぐランジュールに向けていたのです。

「ちょ――ま、まさか――や、やめっ――」

 うろたえ逃げだそうとする怪物を、ゼンはがっちりと押さえ続けています。ランジュールはどうしても逃げ出すことができません。

 フルートは声高く叫びました。

「金の石――!!」

 とたんに、ペンダントはすさまじい光をほとばしらせました。金の光のきらめきで、怪物とゼンを照らします。

 

 光の中でマンティコアが溶け始めました。赤い毛皮がどろどろと流れ落ち、巨大なライオンのような姿が崩れ始めます。蝋細工の怪物を燃えさかる火に放りこんだようです。岩屋全体を震わすような咆哮が、何度も何度も響き渡ります。

 金の石が放つのは聖なる光でした。闇の生き物を消滅させます。マンティコアがみるみるうちに形を失っていくかたわらで、ゼンは少しも影響を受けていませんでした。目の前で小さく縮んでいく怪物を、目を丸くしながら眺めています。

 やがて、すっかり溶け落ちた怪物の中から、長身の男が姿を現しました。ランジュールです。痩せた体に長い上着を着込んでいます。

「あーあ、やれやれ。やられちゃったぁ」

 とランジュールはあたりを見回して溜息をつきました。マンティコアはすっかり溶けて、足下で赤い蝋の塊のようになっていました。その上に、さらに金の光は降りそそいでいます。

 

 ところが、ペンダントを手放そうとしたフルートが、次の瞬間、ぎくりと顔色を変えました。ゼンも驚いた顔になります。

 彼らの目の前で、ランジュールまでが溶け始めていました。細身の姿が、服といわず、髪と言わず、足と言わず、いたるところから流れ出しています。本当に、蝋でできた人形が熱を浴びて溶けていくようです。フルートとゼンの後ろでは、皇太子やメールや犬たちも、声も出せずにその光景を見ていました。

「なにそんなに驚いてるのさぁ」

 ろうそくのように溶けながら、ランジュールが笑いました。いつもと変わらない、のんびりした口調です。

「言っただろ。闇の怪物との合体は、禁忌中の禁忌なんだって。ボクたち魔獣使いは闇に近いんだよねぇ。一度闇の怪物と合体すると、体がすっかり闇に変わっちゃうのさ。だから、これは絶対にやっちゃいけない掟になってたんだけどねぇ――」

 棒きれのように細くなってしまったランジュールの体が揺れました。肩をすくめたのですが、肩はもう溶け落ちてなくなってしまっていました。

「残念だったなぁ、キミたちを食べられなくて。――でも――まあ――しょうがないかぁ――」

 ランジュールの体はいっそう細く紐のようになり、ゆらゆらと揺らめきました。それでも金の石の光はやみません。

 立ちすくむ人々の前で、ランジュールがまた、うふふ、と笑いました。

「そういえば約束だったよねぇ――ぼくがやられたら、依頼主を教えるって。金の石の勇者を殺せって言ってきたのは、ロムドの貴族のキーレン伯爵って人だよぉ。それから、スロウズ伯爵とシーラ子爵って人がぐるで、メンデオ公爵っていう人も一枚かんでるってさ」

 伯父の公爵の名前に皇太子は動揺しました。甥の自分を王位継承者として引き立てようと躍起(やっき)になっていた伯父の顔が浮かびます。やはりそうだったのか、と思わず唇をかみます……。

 そんな皇太子を面白そうに眺めながら、ランジュールは言いました。

「さ、これで言うことは全部言ったよぉ。後は、キミたちの好きなようにするんだね。ああ、それから――」

 細い目がフルートに向きました。

「キミ、剣を使うと見せかけて、金の石を使ったんだろ? マンちゃんだけ殺して、ボクのことは助けるつもりだったんだね。ほぉんと――優しい勇者なんだから――」

 細く細く、今にも消えていきそうになりながら、ランジュールはくすくすと声を立てました。最後の最後まで残った片目に、冷ややかな笑いを浮かべて、こう言います。

「勇者くん、その優しさ――に――殺されてしまわないように――ねぇ――」

 ランジュールの姿が完全に消え去りました。笑い声の余韻が、岩屋の中に響いて、やがて薄れていきます。

 金の石が音もなく光を収めました。あたりが急に暗くなったように感じられます。

 後には、呆然と立ちつくすフルートたちだけが残されました。誰も、何も言えませんでした――。

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