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第6巻「願い石の戦い」

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92.終局

 「勝てん、な」

 と時の翁がつぶやくように言いました。もつれ合った木の根のような髪とひげの間から、岩屋の中の戦闘を見守っています。その視線の先には、ひとかたまりになってランジュールに追い詰められていく子どもたちと皇太子の姿がありました。

 鏡の前でポポロは悲鳴を上げました。泣き声です。思わず時の翁にすがりつきました。

「おじいさん! お願い、みんなを助けてください――!!」

 自分より小さな老人へ泣きじゃくって頼みます。

 けれども、時の翁は静かに答えました。

「それはできんのじゃ、よ。申し訳ないが、の。わしは時のじじいじゃ。時の鏡に過去や未来の夢を映して見せることはできるが、それ以外には、なんにも力を持たんのじゃ、よ」

 ポポロはすすり泣きました。力を持たないのはポポロ自身も同じです。どんなに強力な魔力を持っていても、それは一日に二回しか使えません。この岩屋にたどりつくために通路を作り、そこに継続の魔法をかけたので、自分にはもう魔法が残っていなかったのです。

 魔法が使えないポポロは、ただのか弱い少女です。剣も握れず、弓矢を使うこともできません。仲間たちを助けに駆けつけることが、どうしてもできません――。

 

 ポポロは泣きながら鏡の中を見つめました。

 フルートが石の精霊たちの前に立っていました。長く物思いにふけっていた顔を上げ、願い石の精霊を見上げていました。その表情は、静かな決心を浮かべていました。

 ポポロは思わずまた悲鳴を上げました。

「だめよ、フルート! 願ってはだめ! 行ってしまわないで、お願いよ――!!」

 けれども、どんなに泣いても叫んでも、その声は鏡の中には届きません。斜め後ろからの横顔を見せながら、フルートはただ、石の精霊だけを見ていました。

「心は定まったか」

 と炎のように赤い願い石の精霊が尋ねていました。

 フルートは、ほほえみ返しました。

「心はとっくに決まってるよ。……ただ、ちょっと思い出してたんだ。光になったら、後はもう思い出せなくなっちゃうんだろうから」

 金の石の精霊がフルートを見上げました。何も言いません。

「気がすんだか?」

 と願い石の精霊が重ねて尋ねます。フルートはうなずきました。ほほえむような表情はそのままです。

 ポポロは鏡の中をそれ以上見ていることができませんでした。涙が後から後からとめどなくあふれてきて、世界を涙の中に飲み込んでしまったからです。

 ポポロは鏡にすがりつきました。鏡の表は少女の手や全身を冷たく拒みます。ポポロは鏡に頬を押し当てて泣き続けました。背後からは激しく戦う者たちの声や音が聞こえてきます。ゼンがどなり、皇太子が何かを叫んでいます。そこにおおいかぶさるように、何千という笛を鳴らすようなマンティコアの鳴き声が響き渡ります。

 ポポロは鏡にすがりながら言いました。

「行かないで、フルート……みんなが殺されちゃうわ……。お願い、フルート、みんなを助けて……」

 声が詰まってそれ以上何も言えなくなりました。ポポロは、ただただ泣き続けました。全身を震わせて、むせび泣きます。

 

 すると、ポポロの体が急に誰かに押されました。押しのけられたような感じです。小柄な体がオパールの岩壁に、とん、とぶつかりました。

「隠れていて」

 誰かがポポロに言いました。

 床の上に倒れたまま、ルルは泣いていました。傷ついた仲間たちに怪物のランジュールが迫っています。ゼンと皇太子が剣をふるって戦っていますが、とても歯が立ちません。あっという間にゼンの剣がはじき飛ばされ、皇太子が床にたたきつけられます。

 すると、メールの腕の中にいたポチが、突然また動きました。怪我をしているはずの体で飛び出し、吠えながら敵に飛びかかっていきます。皇太子に食らいつこうとしたランジュールの顔にかみつきます。

 笛の音の咆哮が上がり、またポチが跳ね飛ばされました。小さな白い体が黒い石の床の上に転がっていきます。

「ポチ――」

 ルルはすすり泣きました。駆けつけたいのに、風の犬になって戦いたいのに、傷ついて力を失ったルルは、どうしても変身することができません。その場から動くことさえできないのです。

 すると、そのかたわらを誰かが風のように駆け抜けていきました。戦う者たちへまっすぐ走っていきます。

 ルルは顔を上げました。涙でかすむ目を必死でこらします。

 とたんに、その目が大きくなりました。信じられないように、目の前の光景を眺めてしまいます。

「え……?」

 とルルは思わずつぶやきました。

 

 武器を飛ばされて、ゼンは低く身構えていました。皇太子を守って捨て身で飛びかかったポチが、床の上で動かなくなっています。皇太子がよろめきながら立ち上がってきます。

 ランジュールが笑いました。

「ムダ、ムダぁ。どうしたってキミたちに勝ち目なんかないじゃないかぁ。あきらめて、おとなしくボクのおやつになりなよ。おいしく食べてあげるからさぁ」

 そう言いながら、三列の牙が並ぶ口からよだれを垂らします。

「ごめんこうむる。私はきっと堅くてまずいぞ」

 と皇太子はうなるように言って、剣を構え直しました。柄を両手で握って切っ先を前に向けます。ランジュールと差し違える構えです。

 そのかたわらでゼンはいっそう身構えました。ゼンに残された武器は自分の怪力だけです。それでどこまでマンティコアの動きを止められるだろう――とゼンは考えました。この状況でもまだ、ゼンは戦いをあきらめてはいなかったのです。

 とたんにランジュールが動きました。自分に向けられた皇太子の剣にかみつき、勢いよくそれを奪い取ります。

「あっ!」

 と皇太子が思わず声を上げました。愛用の剣が遠く跳ね飛ばされていきます。

「ムダなんだったらぁ。おとなしく食べられなよ。できるだけ痛くないように食べてあげるからさ。ボクって優しいだろ?」

 怪物の頭で、ランジュールの顔が、うふふ、とまた笑いました。

 ゼンは全身にためた力を瞬発力に変えようとしました。飛び出して行って、ランジュールにつかみかかろうとします。

 そのとたん、声が響きました。

「ゼン、そのまま動くな!」

 思わず動きを止めたゼンの背中に、誰かが勢いよく駆け上がってきました。青いサファイヤの胸当ての背を蹴り、宙高く飛び上がります。銀色の剣がひらめきます――。

 

 皇太子にかみつこうとしていたランジュールが、顔の真ん中を切り裂かれ、血を吹き出して飛びのきました。笛の音を響かせ、頭を振り回して怒ります。いきなり自分に刀傷を負わせた相手をにらみつけます。その顔の中で、傷はみるみる治っていきました。

 すると、ランジュールが急に目を丸くしました。

「あれぇ、キミ、いったいどこから来たのさ?」

 ランジュールの目の前に、傷ついた者たちを守るように、一人の少年が立っていました。小柄な体で銀の剣を構え、真っ向からランジュールを見据えています。

「みんなに手を出すな!!」

 と少年は声を上げました。その全身で、金の鎧兜がきらめきます。

 それは、フルートでした。

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