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第6巻「願い石の戦い」

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91.乱闘

 岩屋の入口に近い場所で、ゼンと皇太子と二匹の風の犬がマンティコアと戦っています。怪物の顔はランジュールに変わっています。

 鏡の前で、ポポロとメールはどうしようもなくあせっていました。鏡の中にフルートが立っています。ずっと物思いにふけっているのです。石の精霊たちはフルートが心を決めるのを待ち続けています。そして、それももう間もなくなのだという気配がしていました。

 メールが突然また鏡に飛びつきました。拳でたたきながら叫びます。

「フルート、フルートったら! 気がついとくれよ! みんなが大変なんだよ――!!」

 けれども、どんなに激しくたたいても大声で呼んでも、フルートはこちらを向きません。まるで知らん顔です。

 時の翁が言いました。

「こちらの声や音は、向こうには聞こえんのじゃ、よ。向こうの声は聞こえるんじゃが、な」

「フルート……!」

 ポポロは泣いていました。彼女はここに来るまでの道を作るのに、今日の魔法を使い切ってしまいました。もう魔法は使えないのです。小さな魔法使いの少女は、どうすることもできず、どうしていいのかもわからず、ただただすすり泣いていました。

 

 ごごうっと音を立てて風の犬たちが岩屋を飛び回りました。マンティコアのまわりを飛び回って牙を立て、風の刃で切りつけます。そのたびに血しぶきが散って、岩屋の壁や鏡を赤く染めます。

 けれども、どんなに攻撃されても、闇の怪物はすぐに傷がふさがってしまいます。吹きすさぶ風にたてがみを揺らしながら、ランジュールが言いました。

「ああもう、まったく、うるさいワンちゃんたちだなぁ! ボクのペットにしてあげようかと思ったけど、やっぱりやめた。ワンワンちゃんたちも殺すことにしたからね」

 そう言って、かっと大きな口を開きます。ずらりと並んだ三列の牙が光ります。

 とたんに、ポチの風の尾が、ばん、と音を立てて吹き飛びました。続けてルルの体も中ほどで大きく破裂します。ランジュールが口から発した魔法の弾に撃ち抜かれたのです。二匹の犬はたちまち元の姿に戻って墜落しました。石の床にたたきつけられてしまいます。

 うふふっ、とランジュールが笑いました。

「これはボクの魔法だよぉ。合体してるから、マンティコアの力もボクの力も、両方使えるのさ。すごいだろ? また風の犬に変身されると面倒だから、まずワンちゃんたちから先に殺すねぇ」

 と身動きできないでいるポチとルルに向かって、また口を開けます。魔法の光が、口の奥でまたたきます。

 すると、その口の中に白い矢が飛び込んでいきました。咽の奥に深々と突き刺さります。ランジュールは息を飲み、頭を振り、何千という笛を吹き鳴らすような声で吠えました。

 ゼンがエルフの弓を構えて矢を次々と放っていました。狙ったものは決して外さない魔法の矢です。マンティコアの体のいたるところに突き刺さっていきます。

 その間に皇太子が駆け出していきました。倒れている二匹の犬の前に飛び出し、もだえ苦しむ怪物へ、力任せの一撃を食らわせます。激しい血しぶきが飛び、怪物の前足がちぎれ飛びます。また笛の音のような悲鳴が上がり、怪物は、どうと前のめりに崩れました。

 

「逃げろ!」

 と皇太子は犬たちに叫びました。

「立って走れ!」

 ポチは何とか立ち上がりました。けれども、高い場所から落ちたルルは、全身をひどく打ちつけていて、すぐには動くことができません。

「ルル! ルル――!」

 ポチは駆け寄り、ルルを立たせようとしました。ポチ自身、体中がひどく痛んでいて風の犬に変身することができません。ポチはルルの下に潜り込むと、必死で立ち上がりました。小さな背中でルルの体を持ち上げようとします。

 ルルは目を見張りました。体を動かされると息が止まるほどの痛みが走りますが、そんなことより、自分を起こそうとがんばっている子犬の方に気持ちが奪われていました。

「なにしてるの……そんなことしてないで、早く逃げなさいよ……!」

 とルルは言いましたが、ポチは言うことを聞きません。やっとのことで足を踏ん張って立ち上がると、二回りも大きなルルの体を背負ったまま、一歩二歩と歩き出しました。ルルの重さによろめいて転びそうになり、あわてて踏ん張って、また歩き出します。

「ポチ……」

 ルルは何も言えなくなりました。小さな小さなポチです。精一杯立ち上がっても、ルルの体を背負いきれなくて、ルルの足は床の上を引きずっています。今にもつぶれそうなのに、それでも、ポチは歩き続けます。決してルルを投げだそうとしません――。

 

 ランジュールが、ペッと口の中から白い矢を吐き出しました。前のめりになって、皇太子に切り落とされた前足の傷をなめます。

「ひどいなぁ、こんなことするなんて」

 とランジュールが言いました。目に涙を浮かべて痛がっています。

「怒った……もう怒ったもんね! もう順番なんてどうでもいいや。キミたち全員、片っ端から皆殺し! 全員骨も残さないで食べてあげるから!」

 その目の前で、切り落とされた前足が復活していきました。元と同じ赤い前足が生えてきて、何事もなかったようにまた地面を踏みしめます。

 マンティコアのランジュールは岩屋の中の全員を見回しました。笑いもとぼけた様子もかなぐり捨てた顔は、ただ、冷酷で憎々しい表情に隈取られていました。巨大な体が一瞬沈むように身をかがめたと思うと、信じられないほど高く飛び上がり、頭上から皇太子に襲いかかっていきます――。

「危ねえ!」

 ゼンが飛び込んできました。皇太子を突き飛ばし、上から襲いかかってくるマンティコアに力任せに拳を食らわせます。メキッと骨の折れる嫌な音がして、怪物の巨体がまた宙に舞い、地響きを立てて床に落ちます。笛の音のような声を上げながら、ランジュールが血反吐(ちへど)を吐きます。

「――よくも!」

 ランジュールが跳ね起きてゼンをにらみました。口を大きく開きます。ゼンはとっさに飛びのきましたが、その足下で床が大きく爆発しました。ゼンは爆風に吹き飛ばされて壁の鏡にたたきつけられ、そのまま床に倒れました。砕けた鏡のかけらがばらばらと音を立てて降りかかってきます――。

 

「ゼン!」

 とメールは鏡の前で悲鳴を上げました。

 向こうの壁際にゼンが倒れています。かなり強くたたきつけられたようで、うめいたまま立ち上がることができません。そこに襲いかかっていったランジュールを、皇太子が一瞬早く駆けつけて撃退します。

 メールは全身を震わせました。駄目です。皇太子の武器は普通の剣なので、どんなに切りつけても、ランジュールの傷はすぐに治ってしまうのです。

 花、花があれば……とメールはあたりを見回しました。花さえあれば、自分だって参戦できるのです。けれども、ここは地下二千メートルの場所に作られた岩屋の中です。どんなに必死で探し回っても、花はおろか、草木一本生えてはいません。

 すると、探し回るメールの目に、床に落ちた一本の剣が目に入りました。黒い柄に赤い宝石をはめ込んだ抜き身の剣――フルートの炎の剣です。願い石を奪おうとする皇太子と争いになった際に、皇太子にはじき飛ばされ、そのまま床の上に残されていたのです。

 考えるより先に、メールの体が動き出していました。炎の剣目ざして駆け出します。悲鳴のようなポポロの声が追いかけてきました。

「メール――!?」

「あんたはフルートを呼び続けな!」

 とメールは走りながら叫び返しました。

「フルートを呼び戻すんだ! 頼んだよ!」

 炎の剣は目の前でした。メールはそれに飛びつき、握りしめて、マンティコアのランジュール目がけて走り続けました。

 ランジュールは壁際に追い詰めた二人に襲いかかろうとしていました。ゼンを守って剣をふるう皇太子を前足でなぎ払い、身動きできずにいるゼンに食らいついていきます。

 メールは炎の剣を振りかざし、マンティコアに切りつけていきました。吹けば飛ぶような細身でも、彼女は渦王の鬼姫です。一刀のもとにサソリの尾を切り落としました。ぼうっと音を立てて炎がわき起こり、サソリの尻尾が宙を飛びながら燃えていきます。切り落とされた尾の付け根も火を吹いています。

 笛の吠え声を上げてランジュールが振り向きました。燃える尾をにらみつけると、一瞬で炎が消えます。けれども、さすがに炎の剣で焼き尽くされた痕には、すぐには新しい尾は生えてきませんでした。

 

「よくもよくも――!」

 とランジュールがまた涙を浮かべました。今度はメールをにらみつけ、かっと口を開きます。魔法の弾が飛び出し、今度はメールの足下で爆発が起きます。メールは床にたたきつけられ、その拍子に炎の剣が手から離れました。伸ばしても手が届かない場所まではじき飛ばされてしまいます。

 マンティコアのランジュールが向き直りました。尻尾を切り落とした憎い小娘を、頭から丸かじりにしようとします。メールはたたきつけられた衝撃で息ができませんでした。逃げることもできません。

 すると、マンティコアの後脚を誰かがつかみました。いきなり巨体が勢いよく放り投げられ、壁の鏡に激突します。すさまじい音が響き渡り、何十枚という鏡が割れて砕けます。

 地面に倒れたまま怪物を投げ飛ばしたゼンが、あえぎながら起き上がりました。

「あいつに手を出すんじゃねえ……くそったれめ」

 とつぶやきます。その額からは血が流れ出しています。

 ランジュールになぎ飛ばされた皇太子も、また起き上がりました。足を痛めたようで、右足を引きずっています。メールはまだ床に倒れたまま動くことができません。

 二人はメールに駆け寄りました。

「おい、大丈夫か!?」

「……あたぁ。めいっぱい背中打っちゃった……」

 メールがうめきながら身を起こしました。口で言っているより、もっと痛そうな様子です。すぐには立ち上がれないでいます。

 

 壁に飛ばされたランジュールがまた立ち上がりました。どんなに痛めつけられても、怪我をしても、闇の怪物の体はたちどころに治っていってしまいます。

「悪あがきするねぇ。ただの餌のくせしてさ」

 とランジュールが言いました。一箇所に固まっている傷だらけの三人を見て、にんまりと笑います。彼らはもう逃げることはできません。後はゆっくりと息の根を止め、骨も残さず平らげるだけです。

 

 ルルを運んでいたポチが、それを振り向いて見ていました。ぶるっと全身を震わせると、ルルをそっと地面に下ろし、自分はその下から抜け出します。

「すみません、ルル。本当はもう少し安全なところまで運びたかったんだけど」

 黒い大きな瞳でルルをのぞき込んでそう言うと、目を細めて、犬の顔で笑って見せます。ルルが何も言えずにいると、ポチはそのままいきなり駆け出し、ランジュールの方へ駆け戻っていきました。激しく吠えたてながら飛び上がり、背中に駆け上がり、たてがみに囲まれた顔にかみつきます。全身が赤い毛におおわれた中、人の顔の部分にだけは毛が生えていません。子犬の牙が深々と突き刺さり、赤い血を飛び散らせます。ランジュールがまた笛の声で吠え立てました――。

「よくも! よくもよくもよくも――!!」

 ランジュールが金切り声を上げ、子犬を勢いよく振り飛ばしました。床に落ちたポチ目がけて、口から魔法の光を撃ち出します。子犬は大きくはじき飛ばされ、また床にたたきつけられました。そのまま動かなくなってしまいます。

「ポチ!!」

 ゼンたちが声を上げました。とっさにゼンが走ってポチを抱き上げ、その場を飛びのきます。マンティコアのランジュールの牙が、今までポチのいた空間をかみます。間一髪でした。

「ポチ! ポチ!!」

 ルルは悲鳴を上げました。けれども、傷つき力を失った彼女には、風の犬に変身することも、助けに駆けつけることもできません。

 

 ゼンがポチを抱いて仲間たちのところへ戻りました。立ち上がれないメールへポチを渡し、自分は腰のショートソードを抜きます。皇太子も剣を構え直します。怪物になったランジュールが迫ってきました。

「うふふ。よくがんばったけど、これで終わりだよ。キミたちにはもう勝ち目はない。そろそろ決めようねぇ」

 とランジュールが笑いました。子どもたちと皇太子はじりじりと壁の方へ追い詰められていきます。そうしながら、ゼンがちらっと壁を振り向きました。

 とたんに、ランジュールが彼らと壁の間に回り込みました。

「ダメだよぉ。またボクを投げ飛ばして、壁にたたきつけるつもりでいるだろ? 同じ手は二度は食わないんだったらさぁ」

 姿は怪物でも、口調だけは元のままです。ゼンは歯ぎしりをしました。

 砕けた鏡が飛び散るオパールと黒大理石の岩屋。冷たいきらめきの中で、戦いは次第に終局を迎えつつありました。

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