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第6巻「願い石の戦い」

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89.呼声

 「そんな――そんな馬鹿なことってあるかよ!?」

 ゼンが激しくわめき出しました。フルートや石の精霊たちを映す鏡を前に、時の翁に食ってかかります。

「金の石の願いどおりにデビルドラゴンを倒そうとすれば、あいつは光になって消滅する! でも、願いを聞かなきゃ、やっぱりあいつは死ぬんだろう!? 馬鹿も休み休み言え! 結局あいつは死ぬしかないじゃねえか! 金の石ってのは、そんな策略にあいつをはめる石だったのかよ!?」

「はめたわけではない、ぞ」

 と時の翁は答えました。落ちついた声です。

「金の石は、闇の敵と戦う勇者を守る石、じゃ。勇者が闇から世界を守るのを、一緒に手助けするんじゃ、よ。だが、その本当の願いは、世界を襲う闇を根本から消し去ること、じゃ。真に世界を守るために、の。時がめぐり、願い石と出会う時が近づくと、金の石は勇者に問う。自分と一緒に、デビルドラゴンを倒してくれないか、と。――二千年前の金の石の勇者も、な、一度はその願いを聞いたの、じゃ。共に光になる約束をして、時の鏡の奥で願い石を待った。だが、あの勇者は、願い石の誘惑に、最後まで勝つことはできなんだ。途中に潜んでいた、もっと深い自分の願いを、願い石に語ってしもうたのじゃ。世界の覇者、世界の王になりたい、とな。そのために世界を守ろうとしていた勇者、じゃった。その瞬間、聖守護石は砕け散り、金の石の勇者は失われた。――願いを聞くこと自体を、拒否することも、できたのじゃ。金の石は、あらかじめ勇者に問うておる。願い石に願いかなえてもらうことを選んだのは、誰でもない、金の石の勇者自身、なのじゃよ」

「そんな! だけど――!」

 ルルが悲鳴のように叫びました。それ以上何も言えなくて、鏡に体当たりをしてしまいます。どうしても彼らは鏡の中に入っていくことはできません。願い石と向き合うフルートも、彼らがそこにいることに少しも気がつきません。

 ポポロが鏡にすがりつきました。

「フルート! フルート、お願い! こっちを向いてちょうだい――!!」

 大粒の涙をこぼしながら必死で呼びかけます。けれども、世界で一番聞きたいはずの少女の声にも、少年は何も反応しませんでした。

 

 消滅してもかまわないのか、と問いかける願い石の精霊に、金の石の精霊が答えました。

「かまわない。ぼくは守りの石だ。世界を守ることこそが、ぼくの本望だから」

「ぼくもかまいません」

 とフルートも言いました。かすかにほほえむような表情をしています。

「ぼくはみんなを守りたい。そのためならば、ぼくは何だってします」

 鏡の前で仲間たちはいっせいに悲鳴を上げました。鏡に取りつき、声を上げます。

「フルート、この馬鹿! 寝言は寝てるときに言え!」

 とゼンがどなります。

「フルート、フルート! ダメだよ! あんたがいなくなっちゃってどうするのさ!? そんなの絶対にダメだよ!」

 とメールが叫びます。

「ワンワンワン! フルート、戻ってきてください!」

「お願いよ、フルート! 気がついて! こっちを見てちょうだい!」

 ポチとルルが必死で呼びかけます。

 ポポロはもう声が出せなくて、鏡にすがりついていました。鏡の中のフルートを見つめたまま、大粒の涙をこぼし続けています。

 

 すると、鏡の中の金の石の精霊が、ふとこちらを見ました。ほんの少し首をかしげてから、隣に立つ少年をつつきます。

「フルート、あれ」

 とこちらを指さします。

 振り向いたフルートが、目を見張りました。鏡の前に集まった仲間たちと、まっすぐに視線が合います。彼らの姿が見えたのです。

「フルート!!」

 彼らはいっせいにまた叫びました。鏡の中のフルートに向かって呼びかけます。

「戻れ、この馬鹿! 戻ってこい!」

「いなくなるなんて、絶対に承知しないよ! 早く出ておいでったら!」

「ワンワン、フルート! 行っちゃいやだ!!」

「フルート、フルート! だめよ! 消えてしまったりしないで――!」

 フルートは目を丸くしたまま、仲間たちの姿を見ていました。鏡の中に彼らの声は聞こえていません。でも、彼らの様子、彼らの口の動きを見ていれば、仲間たちがなんと言っているのかはわかります。

 フルートは鏡の中の世界に立ち、大きなガラス窓の向こう側にいるように見える仲間たちへ笑って見せました。静かな声で、はっきりとこう言います。

「ごめんね、みんな。ぼくは行くよ」

 仲間たちはまた悲鳴を上げて立ちすくみました。

 優しげに見えて、実はとことん頑固なフルートです。彼がこんなふうに言ったときには、もう誰にもその決心を変えられないのだと、仲間たちは嫌というほどわかってしまっていたのです。

 フルートがまた願い石の精霊に向き直りました。本当にいつもと変わらない、穏やかな表情をしています。少しほほえむような、優しい優しい横顔です。

 願い石の精霊が言いました。

「では、そなたたちの願いを聞き届けよう。もう一度、そなたたちの真の願いを語るがいい」

 金の石の精霊が答えました。

「フルートと共に守りの光に変わり、世界を包み、デビルドラゴンの存在を根源から消し去ることを。そうして、世界を闇から守ることを。それがぼくの願いだ」

 子どもたちが細い悲鳴を上げました。もう声が出せません。

 

 すると、突然大きな人影が勢いよく鏡に手を突きました。子どもたちに向かってどなります。

「あきらめるな! 呼び続けろ! あいつを止めるのだ!!」

 皇太子でした。今度は鏡の中に向かってどなりつけます。

「馬鹿者、仲間を置いてどこへ行くというのだ! こんなにも想っている友達を残して! 戻ってこい、フルート! きさまのいる場所は、ここだ――!!」

 子どもたちは我に返りました。鏡にもう一度飛びつき、声を限りに呼びかけます。

「フルート! おい、フルート! 勝手に行くな、馬鹿野郎!!」

「フルート、ダメだったら! あんたがいなくちゃ、あたいたちは全然幸せになれないんだよ!」

「ワン、フルート! 行っちゃいやだ、行っちゃいやだぁ――!!」

「フルート、フルート! もう一度こっちを見て! お願い、私たちを見て――!」

 鏡にすがりついて泣くポポロの嗚咽が響きます。

 けれども、フルートはもう二度と仲間たちの方を振り向こうとはしませんでした。

 混乱の中、鏡の中の声だけは、鮮やかすぎるほどはっきりと聞こえてきます。

 願い石の精霊がフルートに目を移していました。

「そなたの願いを語るがいい」

「こん畜生――!!」

 ゼンが両手をにぎり合わせ、力任せに鏡をたたき割ろうとしました。そのとたん、時の翁の声が響きます。

「壊してはならん!! 彼らは二度と外に出られなくなるぞ!!」

 ぎょっと一同は老人を見ました。年を経すぎて石のようになってしまった老人は、もつれた髪とひげの間から、静かな声に戻って言いました。

「その鏡は、この世と、彼らのいる世界をつなぐ、たった一つの扉、じゃ。それを壊したら、後はもう、彼らは願いかなえることだけしか、できなくなる、ぞ」

 ゼンは、真っ青になって凍りつきました。

 皇太子がまた呼びかけました。

「戻れと言うのだ、フルート! 戻ってこい!」

 子どもたちもまた、いっせいに呼び始めます。

「フルート! フルート!!」

「ワンワンワン、フルートォ……!!!」

 鏡の中で、金の鎧兜の少年が願い石に答えようとしていました。

「ぼくの願いは――」

 言いかけて、ふと口をつぐみます。ほほえむようなまなざしを足下に落とします。何かを思い出しているような表情でした。ここまで仲間たちと過ごしてきた日々を、最後に思い返しているのかもしれませんでした。

 仲間たちはまた悲鳴を上げ、さらに大声で呼びかけました。なんとかフルートを呼び戻そうとします――。

 

 その時、オパールと黒い大理石に囲まれた岩屋の中に、若い男の声が響きました。

 一同は思わず声の方を振り向きました。痩せた青年が岩屋の入口に立っていました。両手を長い上着のポケットに突っ込み、にこにこと笑っています。

「ランジュール!!」

 と子どもたちと皇太子は声を上げました。ゼンがどなります。

「馬鹿野郎! 今は取り込み中だ、後にしやがれ!!」

「取り込み中?」

 ランジュールは目を丸くして鏡の前の一同を眺め、ふぅん、とつぶやきました。

「そういや、金の石の勇者くんが見あたらないねぇ。どこ行っちゃってるの? 今度こそ殺してあげようと楽しみにしてたのに」

 相変わらずにこにこしながら、そんなことを言います。

 皇太子が腰の大剣に手をかけながら子どもたちの前に出ました。

「おまえたちはフルートを呼び続けろ! 奴は私が倒す!」

 すると、ランジュールがあきれたように言いました。

「やっぱりキミは出てきちゃうんだね。しょうがない王子様だなぁ。でもね、残念でした。ボクはもう、里から破門されちゃったんだ。キマイラにキミを殺させようとしちゃったからさぁ、依頼人の意向に反した、ってめちゃくちゃ叱られてね。だから、さ、キミのことももう、堂々と殺しちゃっていいんだよねぇ」

 うふふっ、とランジュールが笑いました。細い瞳が危険な光を放ちます。

 

 皇太子はものも言わずに剣を抜きました。細身の青年に向かって進み出ます。

 すると、ランジュールが大きく飛び下がりました。

「おっとっと。ボクが剣と戦えるはずないじゃないか。ちょっと待っててね。今、魔獣を呼ぶからさ。これまでで最高最強のヤツだよぉ……」

 声と同時に、岩屋の入口がガラガラと音を立てて崩れました。オパールの壁や鏡が砕けて落ちていきます。その様子に、メールが思わず悲鳴を上げました。

「壊しちゃってごめんねぇ。ここ、魔法の空間だからさ、通路を通ってくるしか道がなかったもんだから。はぁい、紹介します。ボクの新しいペットだよ――」

 ランジュールが伸ばした手の先で、崩れた入口をくぐり抜けて、ぬっと大きな怪物が姿を現しました。

 それは巨大なライオンのように見えました。全身赤い毛でおおわれていて、先端に針のついた節のある尾をしています。サソリの尻尾です。全長は五メートルあまり。真紅のたてがみに縁取られた顔は人間にそっくりで、口の中には鋭い牙がずらりと三列に並んでいました。

「マンティコアのマンちゃんでぇす。――マンちゃんはすごく食いしん坊でね、いくら食べても満腹にならないのさ。一番の好物は生きた人間の肉。キミたちみんな、マンちゃんのおやつに決定だからね」

 そういってランジュールはまた、うふっと楽しそうに笑いました。

 無数の鏡が並ぶオパールの岩屋。怪物を引きつれた魔獣使いの前で、子どもたちと皇太子は思わず立ちすくんでしまっていました――。

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