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第6巻「願い石の戦い」

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88.歯車

 虹色に輝くオパールの壁。そこにはめ込まれた銀の鏡が生き返り、人の姿を映し出しました。こちらを向いて膝を抱えて座る、小さな少年です。その髪は鮮やかすぎるほどの金色、瞳の色も金色です。異国風の服を着ていて、四、五歳くらいの大きさに見えますが、こちらに向けている顔は、それよりはるかに大人びていました。

 てっきりそこにフルートが現れるものと思っていた子どもたちは、とまどって立ち止まりました。鏡の中にフルートの姿は見あたりません。ただ小さな少年が、淡い金色の光に包まれて座りこんでいるだけです。

 すると、鏡の前に立った願い石の精霊が口を開きました。

「ここにいたのか、守護の」

「久しぶりだね、願いの。二千年ぶりだ」

 と小さな少年が鏡の中から答えました。声も姿も幼いのに、何故だかひどく年老いた人が話しているようにも聞こえます。

 それを見ていた時の翁が言いました。

「聖守護石、じゃ。要するに、金の石の精霊じゃ、よ」

 子どもたちはまたびっくりしました。ずっとフルートの胸で輝いてきた金の石に、願い石のような精霊がいるとは思ってもいなかったのです。

「石の精霊は、変幻自在、じゃ。老若男女、動物や生き物でさえないものにも、姿を変えることが、できるんじゃが、の」

 時の翁はつくづくと鏡の中の少年を見つめました。

「金の石も、今回はまた、えらくかわいらしい姿を、とりおったもんじゃ。フルートが子どもだからか、のう」

 

 すると、金の石の精霊が立ち上がりました。それでも鏡の前の願い石の精霊の半分にも背が届きません。その場所から少年は見上げました。

「ここまでたどりついたってことは、ここに来るまでにフルートの本当の願いはなかった、ってことだな。ぼくたちの願いがきいてもらえるのか?」

「そなたたちが心からそれを願うならば」

 と願い石の精霊は答えました。赤いドレスの裾が、風もないのに揺らめきます。

 金色の少年はふいに後ろを振り向きました。自分の後ろに呼びかけます。

「来たよ、フルート。願い石の精霊だ」

 なに!? と子どもたち――と追いついてきた皇太子は驚きました。鏡の中をのぞき込みます。

 小さな少年の後ろから、もう一人の少年が立ち上がりました。小さな少年が放つ淡い光に紛れて、姿がまったく見えなかったのです。まるで、光の中から現れてきたように見えました。その少年は、金の石の精霊よりも背が高く、金の鎧兜で身を包んでいました――。

 

「フルート!!」

 子どもたちは思わず叫びました。鏡の中にいたのはフルートでした。彼らの目の前から姿を消したときと、何も変わりがなく見えます。いつものような穏やかな表情です。

「フルート! フルート!!」

「ワンワン、フルート!!」

 子どもたちは必死で鏡の中に呼びかけました。けれども、フルートは気がつきません。鏡の外の音は中には聞こえていないようです。ただ、石の精霊同士だけが、鏡の中と外で短くことばをかわしました。

「参るぞ」

「いいよ」

 金の石の精霊が一歩わきへよけました。一緒にフルートも動きます。優しい横顔が仲間たちに向けられました。フルートは、本当にまったくこちらに気がついていません。

 すると、願い石の精霊が、赤い髪とドレスをひるがえしながら歩き出しました。鏡のガラスを空気のようにくぐり抜け、鏡の中へ入っていってしまいます。

「あっ、この野郎――!」

 ゼンはとっさに願い石を引き止めようとしましたが、伸ばした手は勢いよく鏡の表面にぶつかって跳ね返されました。ゼンは鏡の中には入れません。

 ゼンは鏡にしがみついてどなりました。

「おいこらっ! 赤いババァ! 何しやがる気だ!?」

 拳で鏡を殴りつけようとすると、時の翁が言いました。

「落ちつけ、や、ドワーフの坊主。鏡を壊したら、もう二度と、何も見られん、ぞ」

 ゼンは、ぎょっと手を止めると、もつれた木の根のように見える老人をにらみつけました。時の翁をにらんでも、どうしようもないことはわかっていましたが、怒りのやり場がなかったのです。

 

 鏡の中で金の石の精霊とフルートが、願い石の精霊と向き合って立っていました。フルートが、ぺこりと黙って頭を下げます。そんな様子も、いつものフルートとまったく変わりありません。

 ポチは鏡に前足をかけてガラスをひっかきました。必死で呼びかけます。

「ワン、フルート! フルート! こっちを向いてください……!」

 やっぱりフルートは気がつきません。ポチはなんだか泣きたくなってきました。たまらなく不吉な予感がして、背筋の毛が全部逆立ってしまっています。それでも、どうしても涙は流せなくて、ポチはウォォーーン、と思わず遠吠えの声を上げました。

 鏡の中では落ちついたやりとりがかわされていました。願い石が、二人の少年に向かって尋ねています。

「そなたたちの願いは何だ。語るがいい」

「ぼくの願いは、世界を守ることだ」

 と金の石の精霊が答えました。どんなに鏡の前で子どもたちが騒いでも、その声は紛れることもなく、はっきりと聞こえてきます。

「世界の敵はデビルドラゴン。かの怪物は武器や戦いで倒すことは決してできない。悪そのもの、闇そのものの存在だからだ。闇を消すのには、光そのものをぶつけて、相殺するしかない。ぼくは守りの光となり、世界を包み、デビルドラゴンを消滅させたい。だけど、それはぼく一人の力ではかなわない。ぼくと同じくらい強く純粋に、世界を守ろうと思ってくれる『人』の協力が必要なんだ」

 え……? と鏡の前の者たちは思わず自分の耳を疑いました。精霊の言っている意味はよくわかりません。けれども、なんだか本当に、とんでもなく不吉な予想が頭に浮かんできて、不安で不安でたまらなくなります。

 

 すると、願い石の精霊が、今度はフルートに目を向けてきました。

「そなたの願いを聞かせよ」

「ぼくの願いも世界を守ることです」

 答えるフルートの声は穏やかでした。いつものように静かで優しくて、気負っているところもまったく感じられません。

「ぼくは、みんなに笑っていてほしいんです。みんなに幸せでいてほしい。ぼくはみんなを守りたいんです」

 見守る子どもたちは、はっとしました。フルートが言っているのが、他でもない自分たちのことだとわかったのです。世界を守りたい、とフルートは言います。それは本心に違いありません。けれども、今、フルートの心の中に浮かんでいるのは、ゼンやメールやポポロ、ポチとルルといった、仲間たちの姿なのです。この仲間たちを守りたい、とフルートは願っているのでした。

 すると、ふいにフルートの声が揺れました。それまで落ち着き払っていたのに、急にとまどい、目を伏せてしまいます。

「ぼくは……人を殺すことができません……」

 まるでそれが大きな罪ででもあるように、フルートは言いました。

「ぼくは力で戦って闇を倒し、みんなを守ることができないんです。割り切ろうと努力しました。だけど、やっぱり殺せません。みんなは、こんなぼくを助けようとして、危険の中に飛び込んできます。いつか、彼らを戦いの中で死なせてしまうかもしれません。ぼくは……友達に死なれてしまうのは、もうたくさんなんです……!」

 声がまた大きく揺れました。ことばがとぎれます。

 願い石の精霊は、見下ろすような目でただフルートの話を聞いていました。感情を動かされた様子はまったく見られません。石の精霊は、心のありようが人とは違っているのです。

 フルートがまた話し出しました。

「ぼくは、ぼくの代わりに友達に人殺しをさせるのも、絶対に嫌です。そんなことをしたら、ゼンもみんなも、もう心から笑えなくなるから――」

 鏡の前で、ゼンがはっとしました。他の子どもたちも鏡の中を見つめました。フルートは遠い目をしていました。まるでそちらに仲間たちの姿が見えているように――。

 メールが鏡をたたき始めました。華奢な拳です。鏡を壊すことはできません。両手をガラスに打ちつけながら、懸命に呼びます。

「フルート! フルートったら! あたいたちはここだよ! ここにいるんだよ――!!」

 仲間たちが悲しくなるほどに、フルートはこちらに気がつきません。ただ、願い石に向かって話し続けます。

「だから、ぼくの願いは、人を殺すことなく世界を守りたい、ということです。もちろん、ぼく一人でできるはずはありません。でも、金の石と一緒なら、ぼくも光になって、デビルドラゴンを消滅させることができるんです」

 ぞくり、と見守る一同の背筋を悪寒が走り抜けました。フルートは今、なんと言ったのでしょう……?

 

 願い石の精霊が答えました。

「そなたたちが心から願えば、その願いはかなう。そなたたちは聖なる光になり、世界中をおおい、世界の最果てにとらわれているデビルドラゴンも、この世へ姿を現しているデビルドラゴンの影も、すべて消し去ることができるだろう。しかし、光が闇を打ち消すように、闇もまた光を打ち消す。デビルドラゴンが消え去ったとき、そなたたちもまた、この世から消滅することになるのだ。それでもかまわぬと言うのか――?」

 鏡の前の者たちは立ちすくみました。ポポロとルルが悲鳴を上げます。皇太子も青ざめています。

 時の翁が言いました。

「これが、代わりに奪われるもの、じゃったか。デビルドラゴンを消滅させる引き替えは、『自分自身の存在』じゃ。金の石の願いを拒めば、金の石の勇者は、失われる。だが、その願いを聞き入れても、やはり、勇者は消滅する。いずれにしても、金の石の勇者は、この世から消えていくことになる。重い定め、じゃの」

 深く静かな声でした。

 その時、遥か遠く、この世ならぬ場所で、運命の歯車が最後の一回転を始めていました――。

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