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第6巻「願い石の戦い」

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83.友達

 黒い大理石の床とオパールの壁に囲まれた岩屋の中で、願い石の精霊と時の翁が、鏡の中を見ています。そのすぐ後ろから、同じ鏡の中の光景を眺めながら、子どもたちと皇太子は立ちつくしてしまっていました。

「何故だ……?」

 とやがて皇太子がつぶやくように言いました。

「こいつは何故、こんなに自分がいじめられたことを隠そうとするのだ……? それで、何の得があるというのだ?」

「フルートはこういうヤツなんだよ。自分につらいことがあっても、絶対に自分からは口に出さねえんだ」

 とゼンが答えました。その目は真剣なままです。

 

 鏡の中の光景は、また別の場面に変わっていました。町の中です。立派な構えの家の入口近くに男の人がいました。その目の前に立っているのはジャックです。ものすごい勢いで男の人からどなられていました。

「このろくでなしが、また我が家の名前に泥を塗りおって!! 憲兵が家まで来たぞ! おまえ、今度は何をしでかしおった!?」

「ジャックのお父さんだ……」

 とポチがつぶやきました。

 さすがのジャックも父親相手には旗色が悪いようです。首をすくめながら言い返します。

「お、俺はなにもしてねえよ……。ライムスじいさんのところの麦袋が盗まれたってんだろ。だけど、俺たちは――」

「おまえは泥棒までしでかしたのか!?」

 ジャックの父親が頭ごなしにまたどなりました。ジャックは叫び返しました。

「してねえったら! そんなの俺たちは知らねえよ!」

 さっき、フルート相手にあれほどすごんで見せていた少年が、父親の前では必死の表情をしています。

「勝手に憲兵が俺たちのしわざだと思いこんでやがるんだ! ライムスじいさんは、ぼけてきてるんだぞ。盗まれたって話だって、きっと――」

「この上、言い逃れまでするのか! 卑怯者めが! 我が家はじいさまがロムド正規軍の隊長までした家柄だというのに、孫のおまえは、まったくウジ虫も同然だな! ごろつきめが! わしの目の前から消えてなくなれ!!」

 ジャックの父親は猛烈に怒っていて、口をはさむ余裕もなにもありません。一方的にどなりつけ、そのまま憤然と家の中に入っていってしまいます。バターン、とものすごい音を立てて玄関のドアが閉まりました。

 ジャックは青ざめた顔のまま、それをにらみつけていました。怒りと憎しみに充ちた表情で吐き捨てます。

「俺たちはやってねえんだ! いつもいつもどなるばっかりで――。少しぐらい、こっちの話も聞きやがれ、横暴オヤジめ!」

 その目に、薄く涙が光っていました。

 ジャックは肩を怒らせて家に背を向けると、そのまま町へ出て行きました。道ばたの空き樽の上でひなたぼっこしていた猫を、樽ごと蹴り倒します。ギニャーッと抗議の声を上げた猫へ石を投げつけると、猫は跳んで逃げていきました。

「こんちくしょう!」

 悪態をつきながらジャックが遠ざかっていきます――。

 

 近くの建物の陰からフルートが姿を現しました。手に、買い物らしい荷物を持っています。ジャックの後ろ姿を見つめ、ジャックの家を振り返ります。家の中からジャックの父親は姿を現しませんでした。ジャックがどこかへ遠ざかっていくのは家の中にいてもわかるはずなのに、窓からそれを確かめようとさえしていません。フルートは、もう一度ジャックを見ました。

「あ――」

 と鏡の前の子どもたちがいっせいに声を上げました。

「なんだ?」

 と皇太子が聞き返します。

 ゼンはうなるように答えました。

「あいつ、許しやがった……」

 鏡の中でジャックを見るフルートは、はっきりと、痛ましそうな表情をしていたのです。青い瞳を細め、心配そうに、小さくなっていくジャックを見送り続けます。それは仲間の子どもたちにはおなじみの表情でした。

 ワン、とポチが口を開きました。

「ジャックは今もけっこう乱暴だけど、もう昔みたいじゃないんですよ……。フルートが魔の森に金の石を取りに行ったときに、一緒に行ったのがジャックだったんだけど、その時から、ジャックは変わったらしいです。町の大人たちがそう話してました。全然素直じゃないのは相変わらずなんだけど、今ではフルートをいじめたりはしてないんですよ」

「誰かをいじめる子どもは、の、自分自身の心の中に、大きな問題を抱えていることが、多いもの、じゃ」

 と時の翁が言いました。

「自分ではどうにもできなくて、弱いものに、当たり散らすん、じゃ。当たられた方は、たまったものではないが、の。だが、フルートは、それがわかってしまっているんじゃ、な。それ、願い石が離れていく――」

 翁の言うとおり、願い石の精霊が鏡の前から歩き去るところでした。金赤色の火花のように輝くドレスを揺らしながら、別の鏡の前へ移動して、また手を向けます。

「映せ!」

 とたんに、新しい鏡が生き返りました――。

 

 そこはやっぱり町の中でした。立木に囲まれた広場にフルートと同じぐらいの年頃の少年たちが数人集まって、話をしています。そこにフルートの姿はありませんでした。

 少年たちは皆、うきうきと楽しそうな顔をして、にぎやかに話をしていました。どこかへ遊びに行く打ち合わせをしているようでしたが、そのうち、一人が思い出したように言い出しました。

「ねえ、フルートはどうする? 誘おうか?」

 とたんに、二、三人の少年たちが首や手を振りました。

「だめだめ。誘ったって来ないよ」

「あいつ、こういうのにつきあった試しがないんだよな」

「俺たちとは出来が違うんだよ、フルートは」

 ちょっとひがむような声に、別の少年がうなずきました。

「だよなぁ。頭はいいし性格いいし……なんたって、金の石の勇者だもんなぁ。勇者が俺たちのように馬鹿みたいな遊びをするもんか」

「フルートを連れてったら、ぼくたちみんな、あきれられて笑われちゃうよね」

 いっせいに笑い声が上がりました。自嘲の響きです。

 それじゃ一時半にあの場所で、と言いながら少年たちは別れていきました。学校帰りなのです。手に教科書を持ちながら、それぞれの家へ戻っていきます。

 少年たちがいなくなった広場を風が吹き抜けていきます。

 すると、広場を囲む立木の一本から、フルートが飛び下りてきました。やはり教科書を抱えています。

 フルートは何も言いませんでした。ただ、少年たちが去っていったほうをじっと見つめます。その青い瞳が、かすかに淋しさを揺らしたことに、鏡の前の子どもたちは気がつきました。

 やがて、フルートはきびすを返すと、少年たちとは反対の方角へと歩き出しました――。

 

 鏡の中の空が夕焼けに変わります。フルートが牧場で働いていました。大きな熊手でせっせと刈り取った草を集めています。

 そこへフルートのお父さんがやってきました。

「今日はそろそろ終わろう。ご苦労さん」

 フルートは顔の汗をぬぐって振り向くと、にこりと笑いました。素直な笑顔です。

「お腹すいたね。お母さん、晩ご飯に何を作ってるかな」

「さてな」

 お父さんも笑顔を返します。息子によく似た、穏やかな表情です。そのまま、後片付けを始める息子をじっと見つめ、やがて、また言いました。

「良かったのかい、フルート? 今日はおまえのクラスの男の子たちが、全員で隣町のラトスへ遊びに行ったと聞いたよ。手伝ってくれるのは、いつも本当に助かるけれどね、そういう時くらいは遊びに行ってかまわないんだよ」

 フルートは静かに首を振り返しました。

「ううん、いいんだ……。ぼくは牧場の方が好きなんだもの。ラトスに行ったって、やることもないし」

 町で同級生たちが自分をどう話していたかは、一言も口にしないフルートでした。

 フルートのお父さんはそれでも心配そうな目をしていましたが、息子がそれ以上何も言わないので、しかたなく離れていきました。自分の仕事の後片付けがまだ残っていたのです。

 フルートは刈草を集め続けました。一箇所に山に積み上げていきます。

 と、フルートは手を止めて、顔を上げました。西の空を染める、燃えるような夕焼けを眺めます。ふう、と大きな息がもれました。

 それはとても淋しそうな溜息でした。荒野の上に広がる夕映えの中、フルートの小柄な姿は黒いシルエットになっています。雄大な景色の中で、小さな影は、ぽつんと一人ぼっちです――。

 

「だから! どうしておまえはそうなんだよ!?」

 だしぬけに、ものすごく聞き覚えのある声が鏡の中から響いてきたので、見守る子どもたちはびっくりしました。鏡から夕焼けの景色は消えて、また別の場面が現れていました。

 金の鎧兜を身につけたフルートに、焦茶色の髪の少年が腕を回していました。フルートと同じくらいの背丈ですが、がっしりした体格をしています。

「……俺かよ?」

 とゼンは目を丸くして、鏡に現れた自分自身を眺めてしまいました。鏡の中のゼンは、フルートをぐいと引き寄せて言っていました。

「何でもかんでも、自分だけで抱え込みやがって。ちっとはこっちにも話せって、いつも言ってるだろうが。あんまり水くさいことばかりしてると、しまいにゃ殴るぞ」

 すると、今度は緑の髪の長身の少女が現れました。とまどった顔をしているフルートの肩に、やっぱり手をかけます。

「あたいだ」

 と鏡の外のメールが驚きました。鏡の中にもう一人の自分が現れて、まったく別のことをしているのを見るのは、なんだかとても奇妙な感じがします。

「ほぉんと、しょうがないよね、フルートは」

 と鏡の中のメールが言っていました。

「今度ひとりで勝手なことしたら、花にお仕置きさせるからね。ポポロにも魔法を使わせるよ。ねえ?」

 そう言ってメールが目を向けた先には、赤い髪をおさげに結った黒衣の少女がいました。鏡を見ていたポポロは、たちまち真っ赤になりました。もちろん、鏡に映っているのはポポロ自身です。

 鏡の中でもポポロはやっぱり恥ずかしがり屋でした。何も言わず、ただ頬を赤く染めながら、真剣な顔でうなずき返します。宝石のような瞳に想いを込めて、じっとフルートを見つめてきます。

 ワンワン、と犬の声が響いて、フルートの足下に二匹の犬たちが絡まってきました。ポチとルルです。

「ワン、ぼくたちは、みんな、いつも一緒なんですよ、フルート」

「そうよ。だからね、ちゃんと言ってちょうだい。私たちは仲間なんだから」

 鏡の外の子どもたちは、なんとなく顔を見合わせてしまいました。こんな場面、本当にあっただろうか、とそれぞれに考えてしまっています。――なんだか、いろいろな時に言った自分たちのことばがつなぎ合わされて、一つの場面を作り上げているような気がします。けれども、鏡の中で彼らが言っていること自体は、決して嘘ではありませんでした。彼らは本当に、そんなふうにフルートに語りかけてきたのです。

 鏡の中でフルートが仲間たちを見回しました。まだとまどった顔をしています。

 と、その顔が急に笑顔になりました。仲間たちに向かって、にっこりと、とても嬉しそうに笑い返します――。

 

 見つめる子どもたちの目の前で、鏡が灰色に変わりました。フルートと自分たちの姿が消えます。

 時の翁が言いました。

「この願い事も解決ずみ、じゃな。この少年は、欲張っとらん。自分に何が大切か、よう知っとる子じゃ。こりゃ、願い石もちと苦労しそうじゃ、の」

 面白そうに言いながら、炎のような女性が鏡の前から歩き出すのを眺めます。

 願い石の精霊は、また別の場所に立って、新しい鏡へ手を伸ばしました。

「映せ!」

 と声が響きました――。

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