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第6巻「願い石の戦い」

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第21章 鏡の中・1

82.悪童

 願い石の精霊の呼びかけに、岩屋の鏡の一つが突然生き返りました。銀の表に、よく晴れた空とのどかな町の風景を映します。その中から、少女のような顔立ちの小柄な少年が、驚いたようにこちらを振り向きました。フルートです。

 とたんに、すさまじい怒声が響き渡りました。

「てめぇ、生意気だぞ! 何様だと思ってやがる!」

 声と同時に、フルートの体が吹っ飛びました。小さな体が小石だらけの地面にたたきつけられます。

「きゃぁっ!!」

 鏡を見ていたポポロとルルが思わず悲鳴を上げ、他の者たちも思わずぎょっとしました。鏡に映るフルートは、いきなり誰かに殴り飛ばされたのです。

 しゃがれ声が言い続けていました。

「お高くとまってんじゃねえよ! チビで弱虫のフルートが! 先公に誉められたぐらいでいい気になるんじゃねえや!」

 フルートは地面から頭を上げました。口元が切れて血がにじみ、左の頬が赤黒く変わっています。痛みに顔をしかめながら、相手を見返します。

 すると、しゃがれ声の相手が、フルートの首元をつかんで、ぐいと引き起こしました。

「なんだよ、その目は? 言いたいことがあるなら言ってみろ、フルート。え? 言えねえだろう! 意気地なしのてめえになんざ、何も言えるもんかよ」

 それは大柄な少年でした。怒りと憎しみとあざ笑う表情を混ぜ合わせてフルートに笑いかけ、いきなりまた、拳をフルートの腹にたたき込みます。

 ポポロとメールとルルはまた悲鳴を上げました。フルート! とゼンが思わず叫びます。

 けれども、鏡の中のフルートはこちらをまったく見ませんでした。殴られた勢いでまた地面に倒れ、そのままうずくまってしまいます。そこへ、数人の別の少年たちがわっと駆け寄り、笑いながらフルートを蹴り始めました。

「どうした、フルート。しっかりしろよ」

「立てよ、お嬢ちゃん。そんな格好してたんじゃ、殴れねえだろう」

「金玉つぶされてホントにお嬢ちゃんにされるのが怖いのかよ?」

 どおっと少年たちは笑い声を上げ、またフルートを蹴りつけます。フルートは地面にうずくまったまま動きません。

 

「ジャックと、子分たちだ……」

 と鏡を見ながらポチが呆然と言いました。シルの町の悪童どもです。以前からフルートを目障りにしていて、何かというといちゃもんをつけては絡んでくるのですが――

「ワン、でも、これ、今のことじゃない。ジャックたちもフルートも、ずっと幼く見えます。ぼくたちがフルートに会うより、もっと昔のことなんだ、きっと」

 フルートは今十三歳、ジャックはそれより二学年上です。けれども、鏡の中の彼らは、今の歳よりも二、三歳幼く見えていたのです。

「そう。これはフルートの、過去の記憶、じゃ」

 と時の翁が鏡に近づきながら風のような声で言いました。「鏡は今、願い石の呼びかけに応えて、フルートの記憶を映しとるのじゃ、よ。フルートの本当の願い、フルートが本当にかなえたいと思うことを、確かめるために、の」

「フルート……」

 メールはつぶやいたきり、何も言えなくなりました。鎧兜を身につけていないフルートは、確かに小柄で少女のように優しい顔かたちをしています。メールもたまにそれをからかうことはありましたが、それが理由でこんなふうに集団でいじめられていたとは、想像もしていなかったのです。

 皇太子も、鏡を見たまま絶句しています。

 

 少年たちは、他に人気のない空き地にいました。数人の少年たちがフルートを蹴り続けるのを、ジャックが腕組みして眺めています。と、ジャックは急に振り向いて、別の子分に顎で合図しました。

「おい、やれ」

 言われて少年がフルートに近づきました。その手には、なみなみと水をたたえた手桶を下げています。そのまま、ざんぶりとフルートへ水をぶちまけます。

 ぴゅうっと音を立てて、空き地を風が吹き抜けていきました。色の変わった木の葉が舞い散っています。鏡の中に映し出された光景は、秋も終わりに近い、冷たい風が吹き始める季節のようでした。

 いやぁ、とポポロが叫び、とうとう顔をおおって泣き出してしまいました。他の子どもたちも皇太子も、青ざめたまま、その様子を見つめます。

 頭から冷水を浴びせかけられ、冷たい風にさらされて、フルートはがたがたと震え出しました。それでも、うつむいたまま、何も言いません。

 ルルが叫びました。

「なんで何もしないのよ、フルート! どうして黙ってやられっぱなしなの!? あなたなら、あんな奴らくらい簡単にやっつけられるじゃないの!」

「これは昔のフルートだ。俺たちが出会う前の……まだ金の石の勇者になってない頃の、あいつなんだ」

 とゼンが答えました。これまでなかったほど真剣な顔と声をしています。

 ふぅむ、と時の翁が言いました。

「この子は、いじめられっ子だったのじゃ、な。毎日のようにからかわれて、いじめられて、つらい想いをしとったわけ、じゃ。そういう記憶は、大きくなっても、なかなか抜けないもんじゃ。いつか仕返しをしたい、いじめた奴らに思い知らせたい。心の底に、そういう想いがわだかまりやすいんじゃ、よ――」

 炎のような願い石の精霊は、鏡の正面にじっとたたずんだままでした。表情一つ変えることなく、ただ、鏡の中の光景を見つめ続けています。

 

 すると、ふいに鏡の中の光景が変わりました。

 ジャックとその手下たちは画面から消え、フルート一人がとぼとぼと道を歩き続けていました。黄色く枯れた牧草地を、北風が吹き抜けています。ずぶ濡れになったフルートは、両腕で体を抱えて歩いていましたが、風に吹かれると、ぶるっと大きく身震いをして、いっそう強く自分の体を抱きました。金色の髪や服の裾からは、まだ水がしたたっています。あたりには誰もいません。道を通りかかる人もいません。フルートは、たった一人です。

 と、フルートが足を止めました。殴られた痕が痛んだのでしょう。腹を押さえて顔をしかめ――痛みが通り過ぎると、顔を上げました。

 その表情に、鏡の外の一同は、はっとしました。フルートは泣いていませんでした。怒りの表情さえ浮かべていません。ただ、まっすぐなまなざしを先に向けると、唇をかみ、突然道を駆け出したのです。

 殴られ蹴られた体は、走るたびに痛んでいるはずでした。実際、フルートは苦しそうに顔をしかめています。それでも、フルートは走るのをやめませんでした。全速力で道を走り続け、やがて、牧草地を抜けて荒野が見える場所まで出ました。荒野の手前に、ぽつんと、フルートの家が建っています――。

 フルートは、自分の家へ走っていきました。走りながら、素早く視線を家の回りに向けたことに、子どもたちは気がつきました。家の外に人影はありません。

 フルートは、家の前にある井戸に駆け寄ると、急いで手桶を下ろして水を汲み上げました。そのまま、いきなり頭から、ざあっと水をかぶります。

 子どもたちと皇太子は、また、はっと息を飲みました。何故、フルートがそんなことをしたのかわけがわからなくて、目を見張ってしまいます。

 すると、水の音を聞きつけて、家の中からフルートのお母さんが出てきました。井戸端でずぶ濡れになっている息子を見て、びっくりして駆け寄ってきます。

「まあ、何をしてるの、フルート!? こんな寒い日に水をかぶるだなんて――!」

「だって、暑いんだもの」

 とフルートが答えました。信じられないほど明るく元気な声でした。実際、フルートはここまでの道のりを全速力で駆けてきたので、真っ赤にほてった顔をして、息もはずませていました。

「ずっと町の中から走ってきたんだ。もう暑くてさ。汗だくになっちゃったよ」

 見守る子どもたちは、声が出せませんでした。ただただ、鏡の中のフルートの、屈託のない笑顔を見つめてしまいます。フルートは、自分がジャックたちからいじめられたことを、母親に隠したのです。

 

 お母さんは大きく頭を振りました。

「馬鹿なことはやめてちょうだい! 肺炎にでもなったらどうするの。早く着替えなさい!」

「はぁい」

 ぺろりと舌を出してフルートが答えます。

 と、その顔を見て、お母さんはまた声を上げました。

「まあ、どうしたの、それ!? 左の頬が腫れているわよ!」

 さっきジャックに殴られたところです。けれども、フルートはなんでもなさそうに肩をすくめました。

「走ってて、転んで石にぶつけちゃったんだ。大丈夫だよ、これくらい」

「でも、そんなに」

「大丈夫だったら。ちゃんと薬をつけとくからさ。……ほんとに、お母さんは心配性なんだから」

 そう言ってフルートはまた笑いました。今よりもずっと幼い声、幼い顔つきをしています。けれども、その時広がった笑顔は、紛れもなく今のフルートと同じ表情でした。相手をいたわるような、優しい笑顔です――。

「じゃ、ぼく部屋で着替えてくる。のぞかないでよ、お母さん。恥ずかしいから」

 あらまあ、とお母さんがあきれた顔をしました。

「急にお年頃なの、フルート? しっかり髪の毛も拭いてね。濡れたままだと本当に風邪をひくわ。湿布を貼ってあげるから、着替えたらいらっしゃい」

「うん」

 フルートは元気に家に駆け込み、自分の部屋に飛び込みました。後ろ手にドアを閉め、濡れた体のままベッドの上に座ります。

 とたんに、フルートから笑顔が消えました。水をかぶり、走った後のほてりが消えた顔は、土気色になっていました。そのまま自分の体を抱え、歯を食いしばり、痛みに耐える表情でうずくまってしまいます……。

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