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第6巻「願い石の戦い」

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81.過去

 世界に繰り返し襲いかかる闇の魔王。その正体は、地上の生き物の闇の心に取り憑いたデビルドラゴンです。闇そのものの魔物は、一片の同情も哀れみもなく、世界中の命を滅ぼし、世界を破滅させようとします。

 二千年前、その企みに気がついた天空の民は、他の種族の者たちと光の連合軍を結成し、デビルドラゴンが率いる闇の軍勢と地上で戦いました。激しい戦いは九十年間に及びましたが、戦いは膠着状態のまま、光と闇、どちらの勢力が優勢に立つこともありませんでした。おびただしい血が大地と海を染め、数え切れない死体が戦場を埋め尽くし、悲鳴と涙が地上をおおいました。

 デビルドラゴンは人々の不幸と恐怖を望む怪物です。その生き地獄を世界に創り出すことこそが、デビルドラゴンの目的だったのかもしれません。

 けれども、そこへ守りと癒しの魔石を持った、金の石の勇者が現れました。彼は光の軍勢の旗頭となり、闇との戦いに次々勝利を収め、味方を優勢へと導きました――。

 

「この青年が、の、当時の金の石の勇者、じゃ」

 と時の翁が言って、枯れた枝のような指で、皇太子のすぐ隣の鏡を指さしました。とたんに、灰色の曇りガラスのようだった鏡が生き返り、一つの光景を映し出しました。

 そこは戦場でした。草木一本生えていない暗い大地を、左手から黒い軍勢が、右手から白い軍勢が、それぞれ雪崩のように駆けてきます。黒い軍勢は角や牙を生やし、黒い羽根を広げる闇の者や怪物たちです。おどろおどろしい姿をした巨大な怪物が、何百頭も混じっていて、敵を踏みつぶし食いちぎろうと疾走しています。その一番奥手では、巨大なドラゴンが羽ばたいていました。その背中には、大きな四枚の翼があります。

「デビルドラゴン……」

 と子どもたちは思わず息を飲みました。闇の声の戦いの時、デセラール山の上空に現れた怪物です。けれども、あれはデビルドラゴンの影でした。本体はまだ、世界の果てに幽閉されています。

 鏡の中に映っていたのは、正真正銘、本物のデビルドラゴンでした。全身をおおうウロコを黒光りさせ、四枚の翼で羽ばたきを繰り返しながら、血のように赤い眼で、迫ってくる白い軍勢を見据えています。

 それに向かう光の戦士たちは、白や銀の輝く鎧兜を身につけた人々でした。エルフ、人間、ドワーフ、ノーム……野に、山に、川に、海に、あらゆる場所に住む者たちが、種族を越えて連合軍を作り、闇の軍勢に立ち向かっていました。

 その光の陣営の先頭に、一人の立派な若者の姿がありました。全身を紫に輝く鎧兜で包み、輝く剣を振りかざし、味方に向かって呼びかけています。

「進め、光の戦士たちよ! 正義は我らと共にある! 平和のため、世界のため、恐れることなく闇を打ち破るのだ!」

 広大な戦場で、若者の声は朗々と響き渡っていました。輝く軍勢から、呼びかけに応えて、ときの声が上がります。暗い戦場の真ん中で、闇と光の二つの軍勢は、すさまじい声と音をたてながら激突しました。その先陣でひときわ激しく戦っているのは、紫の鎧の勇者です。手に持った剣がひらめくたびに、敵が悲鳴を上げて消滅します。

「あれ――光の剣だわ!」

 とポポロが声を上げました。今は天空の国の守り刀になっている聖なる剣が、金の石の勇者の手にありました。以前、フルートも天空王から借り受け、魔王を倒すために使った剣です。

 勇者の周囲で、激しい戦闘が起きていました。闇の兵と光の戦士たちが死闘を繰り広げています。血しぶきが上がり、敵味方の体の一部が飛び散り、悲鳴が響き渡ります。これは、彼らがジタン高原で見てきたザカラス軍とロムド軍の戦いより、はるかに大規模で激しい戦いです。けれども、戦場に繰り広げられる地獄絵は、人間同士の戦闘も、光と闇の対決も、何も変わるところはないのでした。

 ゼンは思わず顔をしかめてつぶやきました。

「あいつがここにいなくて良かったぞ。大昔の金の石の勇者がこんな戦いをしてたなんてのは、あいつにはつらすぎらぁ……」

 

 鏡の中の戦場では、闇が光を押し始めていました。猛烈な攻撃に、光の戦士たちがばたばたと倒れていきます。

 すると、金の石の勇者が突然剣を引き、自分の兜を脱ぎました。その兜も、着ている鎧も、輝く紫水晶で作られていました。

 黒髪に黒い目の青年の顔が現れました。よく整った、聡明そうな顔立ちをしていますが、フルートとはまったく似ていません。こちらの勇者には、人を惹きつける強さと頼もしさがありました。顔を見せただけで、光の陣営が一気に勢いを盛り返します。

「金の石の勇者に続け!」

「恐れるな! 進め!」

 光の戦士たちが口々に叫び、また闇へと立ち向かっていきます――。

 そのとき、ゼンは、ふと眉をひそめました。

 黒髪に黒い目の、初代の金の石の勇者。その顔を今、初めて見たはずなのに、何だか、どこかで見かけたことがあるような気がしたのです。いつ、どこで見たのか、思い出せません。本当に、見たことがあるのかどうか、それさえ定かではありません。ゼンは懸命に記憶の中を探りましたが、どうしても思い出すことができなくて、あいまいに首をひねりました。黒髪の勇者は、なんとなく、ロムドの皇太子にも印象が似ています。それで、見覚えがあるように錯覚してしまったのでしょうか……。

 

 鏡の中の勇者が、敵を見据えながら声を上げました。

「照らせ、聖守護石! 闇の敵をなぎ払え!」

 すると、黒髪の間からのぞく額から、突然、まばゆい光がほとばしって、あたりを照らし出しました。澄んだ金色の光です。光を浴びた闇の軍勢が、たちまち全身ただれるように溶け出しました。闇の者たちの絶叫が戦場にこだまします。

「あれ!」

 メールが鏡を指さして叫びました。黒髪の勇者の額には、金の輪がはまっていました。その中央に輝いているのは金の石です。

 が……

「大きいわ!」

 とルルが驚きました。初代の勇者が頭の輪にはめ込んでいた金の石は、フルートがペンダントにして身につけている金の石の、三倍以上の大きさがあったのです。

 

 わけがわからないでいる子どもたちに、時の翁が言いました。

「金の石は、昔は、聖守護石とも呼ばれとったのだ、よ。もともとは、あれだけの大きさが、あったんじゃ。放つ光は四方を照らし、闇の敵をなぎ払うことができた。あんなふうに、の」

 翁が示す鏡の中で、敵の軍勢が半数ほどに減っていました。金の光が消滅させたのです。信じられないほどの威力でした。

「だが、金の石の勇者が、願い石を手に入れたときに、の、勇者は金の石の願いを拒んで、自分自身の願いを語ったんじゃ」

 突然、戦場の光景は消え失せ、鏡はまた灰色のガラスに変わりました。黒髪の勇者の姿も、光と闇の軍勢も、何一つ見えなくなってしまいます。

 

「自分自身の願い……?」

 と子どもたちは思わず繰り返しました。何と言っていいのかわからなかったのです。

 時の翁は、ただ静かにたたずんでいました。そうしていると、本当に、石に変わった木の根の塊のように見えます。

「要するに、金の石は、勇者に裏切られたのじゃ、な。石の願いは、あまりに純粋そのものじゃから、人には耐えきれなくなるのじゃ、よ。勇者に拒絶されたとき、聖守護石は砕けて消えた。たった一つ、消えずに残った小さなかけらが、今のあの金の石、じゃ」

 別の鏡の一つが突然光り、ペンダントになった金の石を映し出しました。花と草の金の透かし彫りの真ん中で、小さな金の石が穏やかに光っています。――と、ペンダントは消え、鏡はまた灰色に戻りました。

「残った金の石は、望みを捨てんかった。また、この世界を守ろうとする勇者が現れるのを、魔の森の泉のほとりで、じっと待ち続けたのじゃ。実に、二千年もの間、の。デビルドラゴンは、光の軍勢と当時の天空王の力で、世界の果てに幽閉された。だが、その力は徐々に増し、闇の神殿を通じて、ついにまた、この世界に復活してこようとした。その時、金の石と巡り会ったのが、今の金の石の勇者、じゃ。フルート、と言うんじゃった、な? 金の石は、託したのじゃ、よ。二千年前に果たせなかった、自分の願いを、フルートにかなえてもらうことを、の。デビルドラゴンを完全に消滅させて、この世界を守ること。それが、金の石の願い、じゃ。だから、フルートを願い石のところまで、導いた。フルートが金の石の願いに同意すれば、願い石は、彼らの願いを聞き届けるのじゃ、よ」

 

 子どもたちは、完全にことばを失いました。何をどう言ったらいいのか、誰も思いつけません。ゼン、メール、ポポロ、ポチ、ルル。三人と二匹は顔を見合わせ、ただとまどい続けました。

 金の石の願いは、フルートの願いとまったく同じです。きっと、願い石は聞き届けてくれることでしょう。デビルドラゴンは完全に消滅し、もう魔王が生まれてくることもなくなり、世界は平和になるのです。

 なのに――素晴らしいことのように思えるのに――子どもたちは胸騒ぎがしてならないのでした。フルートの姿が見えないことが、とてつもなく不安で、心配で、なんだか居ても立ってもいられません。

 

 すると、鏡の前から皇太子が立ち上がりました。時の翁に向かって尋ねます。

「初代の金の石の勇者――彼は、何を願い石に願ったのだ?」

「おまえさんと、同じことを、じゃ」

 と老人が答えました。

「願い石を手に入れると、な、人は弱く脆くなるんじゃ。何でも願いをかなえてやろう、どんな願いでも聞き届けてやろう。そうささやかれれば、どんな人も、心の奥底の、本当の願いを、口に出してしまいたく、なるんじゃ、よ。金の石の勇者は、他人を守ることではなく、自分自身の権力を願った。その瞬間、聖守護石は砕けて消え、金の石の勇者は、失われたのじゃ、よ」

 

 突然、ゼンが、ずしん、と足を踏みならしました。怒りで顔を引きつらせています。

「やっぱり願い石ってヤツは気に入らないぜ! 本当に、デビルドラゴンみたいなやり口をしやがる。なんで、そんな試すような真似をしやがるんだ? 俺たちはもう嫌ってほど、その試験を受けさせられてきたんだぞ――!」

 闇の声の戦いの、つらいいさかいが、また頭をよぎっていきます。

 けれども、時の翁は静かに言いました。

「願い石は、善でも悪でも、ありゃあせん。あれはただ、純粋に願いをかなえるだけ、じゃ。そして、それを望んだのは、金の石と、他でもないフルート自身、なんじゃ、よ」

「フルート……」

 ポポロは震えながらつぶやきました。優しい優しいフルートです。きっと、最後まで自分のことより、世界を守ることの方を願うのです。

 そう思いながらも、ポポロはやっぱり不安でした。どうしようもなく怖くなって、また涙をこぼしてしまいます。

 

 すると、ふいに時の翁が振り向きました。銀の鏡が並ぶ岩屋の、向こうの方へ目をやります。

「どうやら、金の石とフルートの、話し合いが終わったようじゃ、の。願い石が、現れとる、ぞ。これから、フルートの願いを、聞こうとしとる」

 えっ、と一同はそちらを見ました。

 いつの間にかそこに、一人の女性が立っていました。若くもなく、年老いてもいない、美しい人です。血のように赤い髪を高く結って垂らし、火花を散らすような赤金色のドレスで身を包んでいます。まるで燃え上がる炎を思わせるような、激しい姿の女性でした。ずらりと並ぶ鏡の一つを、じっとのぞき込んでいます。

「願い石の精霊、じゃ。これから、フルートの本当の願いを、一つずつ確かめて、いくんじゃ、よ」

「フルートの――本当の願い?」

 子どもたちは目を見張りました。

 

 炎のような願い石の精霊が、鏡に向かって手を伸ばして命じていました。

「映せ!」

 強く、はっきりとした口調です。

 とたんに、鏡が生き返りました。これまでとはまったく違った光景を、その表面に映し出し始めます。

 そこに現れたのは、青空の広がる町の景色。そして、金髪に鮮やかな青い瞳をした、小柄な一人の少年の姿でした――。

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