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第6巻「願い石の戦い」

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80.破滅

 子どもたちは立ちつくしていました。メールはポポロと、ポチはルルと顔を見合わせます。

 皇太子は鏡にしがみついたまま激しく泣き続けています。

 はて、と時の翁がつぶやきました。

「ちと、薬が効きすぎた、かの? 王子、王子、これは真の未来ではありゃせん、ぞ。願い石は、おまえさんの願いは、聞き届けなかったから、の。安心せい」

 すると、腕組みして皇太子を見ていたゼンが、じろりと老人をにらみました。うなるように言います。

「願い石ってのは、なんだかデビルドラゴンに似てるな。人の心の底にある願望を見つけ出して、かなえる代わりに人を不幸にするんだ。願い石ってのも闇の石なのか?」

 闇の声の戦いで、ゼンはデビルドラゴンから手痛い目にあわされています。その時の苦い気持ちがよみがえってきていました。

 老人は楽しそうにまた指を振りました。

「それは違う、ぞ。ドワーフの坊主。願い石は、人の願う想いが集まってできた、純粋な願いそのもの、じゃ。善でも悪でも、ありゃあせん。デビルドラゴンは、願いをねじ曲げて、闇へ向かわせるが、願い石は、そんなことはせん。ただ、かなわぬ願いをかなえるために、奪われて当然のものを、人から奪っていくだけ、じゃ。――話が難しい、かの?」

 要領を得ない顔をしているゼンを見て、時の翁が聞き返しました。ゼンは仏頂面になりました。

「意味が全然わかんねえ!」

「おまえさん、あまり頭は、良くない、の」

 と翁は遠慮もなく言うと、はてさて、とまたつぶやきました。全身をおおう長い髪とひげの中で、どうやら腕組みをしたようでした。

 

「つまり、の、こういうことじゃ」

 少し考え込んでから、老人はまた話し出しました。

「いろいろな願いを持った者が、願い石を探しに来るが、の、その中でも多いのは、王子のように、権力を願う者、じゃ。そうすると、石はその願いをかなえる代わりに、『他人を信じる心』を、奪い去る。そうすると、結局その者は、悪い権力者になって、いつか自分の臣下や国民に倒されるの、じゃ。……金持ちになりたい、と願う者も多い。石はただ願いをかなえて、たくさんの金や財宝を、その者に与える。すると、その者は、『安心』を奪われるの、じゃ。寝ても覚めても、自分が手に入れた宝のことが気になって、泥棒が入られるのでは、強盗がおそってくるのでは、と心配でたまらなくなる。夜もおちおち眠れなく、なる。他人がみんな、自分の財産狙いに見えてきて、やっぱり誰も信じられなく、なる。親切からそばに来る友だちも、家族も、一人残らず疑うようになって、結局、たくさんの財宝を抱えながら、たった一人で生きるようになる。昼も夜も他人におびえながら、の。そんな人生が、素晴らしいと思う、かね?」

 問いかけられて、ゼンや他の子どもたちは首を振りました。どんなに莫大な財産を持っていたとしても、そんな生き方は淋しすぎると感じます。

 

 老人は続けました。

「こんな例もある、ぞ。自分を振り向かない異性に、自分を好きになってほしい。この願いも、種族を越えてすごく多いの、じゃ」

 それを聞いて、メールは密かに、どきりとしました。なんだか身につまされるような願い事です。

「願い石は、の、そんな願いもかなえてくれる。どんなにその者を嫌っていた相手でも、その者を好きで好きでたまらなく、する。石の力は強力、じゃ。それは見事に、心を変えてみせる。だが、の、石はやっぱり大事なものを奪い去るの、じゃ。……石に心かえられた相手は、その者だけをひたすら愛するようになるから、その者が他の誰かに、ちょっと目を向けただけでも、嫉妬する。どこへ行くにも、何をするにも、すべて自分が知っていないと気がすまなくなる。自分を愛していると、一日百回でも言わせて、それでもなお、愛していることを証明させたがる。すると、な、人というのは不思議なもので、好きでたまらなかったはずの相手が、次第に嫌になっていくのじゃ、よ。あれほど好きで、自分を振り向いてもらいたい、と思っていたはずの相手なのに、な。ところが、どんなに別れたくても、相手は絶対、承知せん。石の魔力で好きになったから、の。決して相手の心は変わらんのじゃ。石が奪うのは、『別れる自由』じゃ。これは、の、なかなか恐ろしい結果を招く、ぞ。好きでもなくなった相手から、いつまでもつきまとわれるのだから、の。あきらめて、死ぬまで一生、その相手に監視されて生きる、か、相手を殺してしまって、自分が自由になろうとする、か。いずれにしても、その者の人生は破滅なんじゃ、よ」

 子どもたちは声が出ませんでした。

 彼らはまだ十代前半の少年少女たちです。そこまで強すぎる愛憎は、まだまだ実感ではわかりません。それでも、人の想いを無理やりねじ曲げたときに、そこに生じてくる歪みというものは、なんとなく理解できる気がしたのでした。

 

「死んだ恋人や子どもを生き返らせてほしい。これも、多い願い事じゃ、の」

 と老人は話し続けます。

「願い石は本当に、人を生き返らせることも、できる。だが、の、これは本当に、やめておいたほうがいい。一度死んだ者を生き返らせるのは、自然の摂理に反するから、の。引き起こされる歪みは、絶大なんじゃ。……生き返った者は、元通りには、絶対ならん。人格や性格が変わって、残酷に、なる。乱暴を働いたり、時には大勢の人間を殺そうとしたり、する。自分を助けてくれたはずの人間にまで、そうするのじゃ。石が奪うのは、『共に生きる喜び』。こんなことなら、生き返りなど願うのではなかった、と、必ず人は悔やむんじゃ、よ。……病気を治してほしい、というような願いも、これに近い結果に、なる。病気は嫌なものじゃが、自分が弱るからこそ、相手の弱さも理解できて、もっと弱い相手を思いやったり、困ったときに助けてくれる人の親切が、身に染みて感じられたりする、じゃろう? 願い石に癒された者は、もう二度と、病気にはかからん。自分が病気で苦しんでいたことさえ、きれいさっぱり、忘れてしまう。そうすると、な、他人の弱さも親切も、わかることができない、冷酷な人間に変わるの、じゃ。この時、石が奪うのは『慈愛の心』。だが、の、石に悪気は、ないんじゃ。石はただ、願う者の願いをかなえるだけ。その力が強すぎるんで、引き替えに、大事なものを奪い去ってしまうん、じゃ」

 

 岩屋の中は静まりかえっていました。オパールの壁の上で、何万もの鏡が鈍く灰色に光っているだけです。

 皇太子の泣き声も、いつの間にかやんでいました。青年はうずくまるように座りこんで、鏡にもたれかかっています。傷つき疲れ果てたようなその姿は、まるで、願い石に願った罰を受けてしまっているように見えました。

 すると、ずっと黙り込んでいたポポロが、小さく首を振って言いました。

「フルートは……フルートは、違うわ。そんなことなんか、願わない……。フルートはいつだって、本当に優しいから……いつだって、ただ他人のことだけ考えてるから……」

 言いながら、涙があふれてきました。優しい優しいフルートです。彼が願い石を手にしたとき、それに何を願うのか、ポポロたちにはみんな、最初からわかってしまっていたのでした。

 ゼンが苦い顔で溜息をつきました。

「だな。あの馬鹿は、デビルドラゴンを倒して世界中のヤツらを助けたい、と願うに決まってるんだよな。それしか頭にねえんだから」

 なんとなく、全員がまた黙り込んでしまいます。赤い光のような願い石に連れ去られていった、彼らのリーダーを思います。

 

 すると、鏡の前でうずくまっていた皇太子が、うつむいたまま、低い声で言い出しました。

「私は、良い王になりたかった……。そのために王座に就きたいと願った。だが、その願いをかなえてもらった結果が、あれだ。良いことを望んだはずなのに、大きなものが奪われて、破滅が訪れる……。あいつはどうなのだ? 世界を救いたいというあいつの願いがかなう代わりに、何があいつから奪われていくというのだ?」

 子どもたちは、それを聞いてまた不安になり始めました。いっせいに、もつれた木の根のような老人を見つめます。

「さてのう」

 と老人は言いました。

「それはわしにも、ようわからん。王子のはよくある願いじゃったから、わしにも、結末がどうなるか見せてやれたが、の、今度の金の石の勇者の願いは、まだ一度もかなったことのない願い、じゃ。何が起こるのか、何が奪われるのか、わしにもとんと、見当がつかんのじゃ、よ」

「え、でも――」

 と子犬のポチが声を上げ、少しの間、考えをまとめるように口をつぐんでから、また話し出しました。

「ワン、ぼくたち、北の大地で会った占いおばばって人から、二千年前のデビルドラゴンとの戦いの話を、聞かせてもらったことがあるんです。光の軍勢とデビルドラゴンの率いる闇の軍勢が何十年も戦って、勝負が決まらなくなっていた時に、金の石の勇者が現れて、デビルドラゴンをやっつけたんだ、っていう話でした。時の翁は、さっき、金の石が二千年前のあの戦いの続きをやり直そうとしてる、っておっしゃいましたよね。それってつまり、二千年前にも、金の石の勇者が願い石の力でデビルドラゴンを倒した、ってことですよね? それなのに、その願いがどんなふうにかなうのか、時の翁はご存知ないんですか?」

 仲間の子どもたちは、呆気にとられてポチを見ました。確かにポチは賢い子犬です。けれども、これほどうがった分析をしてみせたことは、これまでなかったような気がします。

「これはこれは。こっちはまた、ドワーフの坊主と違って、頭のいい犬じゃ、の」

 と老人は言い、ゼンの渋い顔を見て、また声を上げて笑いました。けれども、ポチは笑うどころではありません。大事なフルートに関係することなのです。どんな答えでも、一言も聞き漏らすまいと耳を立てます。

 時の翁のもつれた髪とひげが揺れました。うなずいたのです。

「確かに、二千年前、金の石と金の石の勇者は、願い石を手に入れた。だが、世界を守りたい、という願いはかなわなかったのじゃ、よ。だから、デビルドラゴンも消滅はせんで、ただ、世界の果てに、幽閉されたん、じゃ」

「ワン、どうして!?」

 とポチは聞き返しました。なんだか首筋から背中にかけての毛がピリピリしていました。嫌な予感がします。フルートの身に何か起こっているような、どうしようもなく不安な思いに全身がざわめきます。

 すると、時の翁が言いました。

「二千年前、金の石の勇者はおのれに負けて、願い石に自分の願いを言ったからじゃ、よ。その時、金の石の勇者は、失われてしまったん、じゃ――」

 時と共に生きている老人の声は、岩の割れ目を吹き抜けていく風の音のように、遠く虚ろに響いていました。

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