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第6巻「願い石の戦い」

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79.未来

 鏡の中に、もう一人の皇太子の姿がありました。

 こちらの皇太子はいぶし銀の鎧兜に身を包んで黒いマントをはおっていますが、鏡の中の皇太子は宝冠をかぶり、立派な衣装と白テンのマントを身につけた国王の姿です。

 子どもたちは思わず鏡の中と外を見比べました。鏡の外の皇太子は、驚いて立ちすくんだまま、鏡の中の自分を見つめていました。

「これは……私か?」

 と疑うように言います。それも無理はありませんでした。鏡の中に立っていたのは、顔かたち、姿そのものは確かに皇太子その人でしたが、目つきや顔つきがまるで別人のようだったのです。

 鏡の中の皇太子は、今よりずっと年をとっていました。三十か四十か――そのくらいの年齢に見えます。顔に刻まれたしわが厳しい表情を作り上げ、疲れたような影が顔全体をおおっています。そして、その灰色の瞳は、今よりずっと暗く深く、まるで底なしの闇を見つめているようなまなざしをしていました。

「おまえさんじゃ、な」

 と時の翁が答えました。枯れ枝のような細い指を、楽しそうにくるくると振り回しています。

「願い石に願いかなえてもらった後の、おまえさんの姿、じゃよ。わしは、時間のじじいじゃから、な。こうなるはずだった、未来の姿も、ちぃとは見せて、やれるのじゃ、よ」

 

 鏡の中から声が聞こえてきました。国王になった皇太子は室内にいます。同じ部屋の中にいる誰かと、ことばをかわしているようでした。

「その件に関しては、もうこれ以上なにも言う必要はない、と言ったはずだ」

 と皇太子――いえ、王は言いました。厳しい表情を上回る堅く厳しい声です。底なしに暗い瞳に怒りを燃やして、誰かに向かって言い続けています。

「処刑は明朝の日の出。すでに命令も下してある」

「お考え直しください、陛下」

 と静かな声がそれに答えました。揺れるような、低い声です。

 とたんに、鏡の前の者たちはいっせいに、はっとしました。ひどく弱々しい声でしたが、確かに聞き覚えがあったのです。

 王は怒りのまなざしを声の主に向けました。灰色の長衣を着た人物が、部屋の隅にいました。まるで影のようにひっそりとたたずむ姿は、今にも消え入りそうなほど細くはかなく見えました。

 まぶかに引き下ろされたフードの下から、その人物は続けました。

「メーレーン様は、陛下と血のつながった実の妹君であられます。そのメーレーン様を長年幽閉しただけでなく、処刑したとなれば、陛下はもはやきょうだい殺しの汚名をまぬがれることはできません。メーレーン様には、陛下の地位を奪うような野心も才覚もございません。ありもしない罪を作り上げ、ご自分に都合の悪い人物を消し去るやり方は、もういいかげんおやめください」

 王は、ふん、と冷笑しました。相手の忠告をすべて聞き流します。

「私に指図するとは、おまえも偉い身分になったものだ。国王に逆らう大罪は自分で承知しているのであろうな、ユギルよ?」

 

 そう言われて、相手は灰色のフードを脱ぎました。長い銀の髪が二筋、衣の上を流れてこぼれます。

 王を見上げたその顔に、鏡の前の子どもたちと皇太子は、また思わず息を飲みました。ユギルです。確かにユギルでしたが――あまりにもやつれて年をとっていました。目は落ちくぼみ、頬はこけ、深い苦悩のしわが何本も刻み込まれています。長い銀髪は半分以上白いものが混じって輝きを失っています。青と金の色違いの瞳だけは変わっていませんが、そのまなざしはひどく悲しげで、疲れ果てているように見えました。

 ユギルが低い声で言いました。

「陛下はお変わりになりました……。国民から慕われる、公正な王になるのだと熱く語っておられた、あの日の陛下はどこへ行かれたのですか? 陛下はロムドの国王です。陛下以外に、王になるものはおりません。それはわたくしの占盤にもはっきり現れております。王座を脅かすものなど誰もいないのに――何故、そんなにも他人を疑われますか?」

「私は公正ではないか」

 と王が答えました。冷ややかな声です。

「罪を犯した者は罰し、功績のあったものにはちゃんと褒美を与えている。大罪を犯す者には、相応の罰を与えているだけだ」

「陛下にとって都合のよい者をひいきしておられるだけです。真に陛下と国のためを思って提言する者のことばは、耳に心地よいとは限りません。その者たちを陛下は――」

 言いかけて、ユギルは、はっと口を閉じました。王が底暗い目で、じいっとにらみつけていたからです。それ以上言えば、ただではおかぬ、と、まなざしが伝えていました。

 ユギルは目を細めました。ユギルのことばさえはねつける王を、痛々しそうに見つめます。

 

 鏡の前で皇太子は震えていました。自分の見ているものが信じられません。思わず拳を握りしめ、近くに立つ老人を振り向きました。

「何故だ! 何故、こうなるのだ!? ――願い石は、願うことは何でもかなえるはずではないか! 公正で寛大な王になることを願って、どうしてこんな未来になると言うのだ!?」

「公正で寛大。本当にそれを願った、かね?」

 と時の翁が謎めいたことを言いました。重なった髪の間から皇太子を見上げ、風が吹き抜けていくような声で続けます。

「願い石は、怖い石、じゃよ。心の奥底の、本当の願いをかなえてしまう。そしてその時、石は必ず、引き替えに何かを奪い取るん、じゃ。石に願いかなえてもらった、おまえさんが、何を奪われてしまったか、わかる、かね?」

 

 鏡の中で、ユギルが王に歩み寄っていました。悲しい顔のまま、王の暗い目を見上げます。

「あの石を手に入れた時からでございますね、陛下……。あの日から、陛下は人をお信じにならなくなった。石は確かに陛下をロムド王にしました。それでもう安泰ではございませんか。それなのに、何故、そんなにも王位を脅かされることをご案じになられます?」

「黙れ、ユギル!」

 と王は激しくどなりつけました。

「あの石の話は、どこででもするなと言っておいたはずだぞ! 私の前でも話すことはならん!」

 けれども、ユギルは黙りませんでした。痩せ衰えてしまった体で王を見上げ、色違いの目に精一杯の想いを込めて言い続けます。

「陛下は公正で寛大な王になることを石に願ったとおっしゃられた。ですが、本当のところはそうではありません。陛下は今は亡き父君から、おまえは王になるな、と言われることをとても恐れておられた。ご自分に自信がなかった。だから、大きな力に自分を王にしてもらいたかったのです。陛下が石に望んだのは、ロムドの王になること、そのものだったのです――」

 ユギルのやつれた頬に赤みが差していました。変わってしまった王の心を取り戻そうと、懸命に話し続けます。

「そんなことを願ってしまったばかりに、陛下はずっと不安でおられます。陛下のこの地位は、願い石によってもたらされたもの。その事実を知った人々に、あれは本当は王になるだけの力がない者だ、だから、魔法の石に王にしてもらったのだ、とそしられるのが恐ろしいのです。そのために、陛下に少しでも対立するように見える人物が現れると、心脅かされて、その者が消えるまで安心できなくなるのです。……ですから、あれほど申し上げたではありませんか。陛下はご自身の力で王になるお方。願い石など陛下には必要ありませんと――」

 

 ユギルはまた、突然声を飲みました。痩せた顔が、さっと血の気を失います。王の前から後ずさります。

 王は右手に剣を握りしめていました。若い頃から愛用してきた大剣です。振りかざすと、抜き身の刃が、部屋のどこかにある暖炉の炎を返して、ぎらりと赤く光りました。

「陛下……」

 信じられない顔でつぶやくユギルへ、王は冷ややかに言い放ちました。

「長い間世話になったな、ユギルよ。だが、私に逆らうものは、私にはもう必要がない。石の秘密を知る者たちの元へ、そなたも行くがよい」

 立ちすくむ銀髪の占い師へ、王が剣を振り下ろします――

 

「やめろ!!!」

 と皇太子は叫んで鏡に飛びつきました。中の光景を全身で隠そうとするように、鏡の上に体を投げ出します。

「やめろ……もういい……。もう充分だ……」

 うめくように皇太子は繰り返しました。鏡はいつの間にか未来を映すのをやめ、ただ銀色に光りながら皇太子の姿を映すだけになっていました。

「こんな将来など、私は望んではいない……。こんな……こんな未来など……」

 全身が激しく震え、咽が震えて、ことばがとぎれます。皇太子はあえぐように息を吸いました。鏡の表に手を触れ、顔を寄せて、声をふり絞ります。

「……ユギル……」

 幼い頃から自分の命を守り、遠く近く見守りながら助け続けてくれていた占い師の名を呼びます。

 とたんに、熱い涙がどっとあふれました。

 皇太子は鏡に突っ伏すと、声を上げて泣き出しました。

 

「願いの代わりに石が奪い取ったもの、が、何かはもう、わかった、かね?」

 嗚咽が響く中、時の翁は静かに言いました。

「それは、他人を信じる心、じゃ。願い石に権力の座を願った者は、必ず、それを奪われる。そして、権力の座を守るために、残酷な独裁者に変わっていくのじゃ、よ――」

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